思いがけず、読んで感動し涙があふれました。
ぜひ最後までお読み下さい。
日本人という生き方・・・ウガンダの高校生を変えた日本の躾
ウガンダの野球チーム
国際派日本人養成講座からの転載です。
非常に素晴らしいお話なので、拡散のため転載させていただきます。
~~~~~~~~~~~~~~
───────────────────
「日本人という生き方」(上)
~ ウガンダの高校生を変えた日本の躾~
───────────────────
「時を守り、場を清め、礼を正す」の躾で、彼らは野球に真剣に打ち込むようになった。
──────────────
1.生徒に夢を持たせるには
──────────────
札幌の中学校教師だった小田島裕一さんが、青年海外協力隊の一員としてアフリカのウガンダ共和国セントノアセカンダリー高校に赴任したのは、平成19(2007)年9月のことだった。
「野球を通じた国際貢献」を志したのは10年も前のことだった。
教師生活も5年経ち、無気力な生徒たちを見て、
「何か生徒に夢を持たせ、それに向かわせたい」と思っていた。
平成8(1996)年、元近鉄バッファローズの野茂英雄投手がメジャーリーグで大活躍した。当時は日本人がメジャーで活躍するのは「絶対に無理」だと考えられていた。
野茂投手は日本での実績をすべて捨て、その「常識」に挑戦して、成功したのだった。
小田島さんは、野茂投手の夢に挑戦する姿勢を見て、生徒に夢を語らせる前に、自分が夢を持ち、挑戦しなければならないと思った。
そこで中学生時代にやっていた野球を通じて国際貢献する、という夢を描いたのである。
──────────────
2.「熱い思いが伝わった」
──────────────
夢は山と同じで、遠くから見るときは美しいが、実際に登り始めた途端に多くの困難にぶつかる。
青年海外協力隊の選考試験に何度挑戦しても、合格できない。
ある面接官からは
「あなたみたいな『ただ行きたいだけの人』が行くと、相手の国が迷惑なのだ」とまで言われた。
6回目の不合格通知が送られてきた時は、
「叶わない夢だってある」と諦めかけた。
しかし、それから1週間後、南北海道代表の駒澤大学付属苫小牧高校が夏の全国優勝を果たして、心が熱くなった。
雪や寒さのために練習環境では圧倒的に不利な北海道の高校が日本一になった。
再び、夢に灯が点った。
翌年、7回目の選考も落ちた。
今までは「なぜ自分のやる気を評価してくれないのか」と相手を責めていたが、今回
は「自分が相手の国の人々に喜んで貰えるような一流の野球指導者になることを目指そう」と考えた。
そして一流の指導者、一流の学校を訪ねて、自分を磨き続けた。
8回目、自分の思いを手紙に綴り、2年間の活動計画を添えた。
「合格」を電話で伝えてきた面接官は、
「小田島さんの手紙に感動しました」と言ってくれた。
熱い思いが伝わった瞬間だった。
10年かかった夢がようやく実現しようとしていた。
──────────────
3.「君たちは野球の前にすべきことがある」
──────────────
赴任したセントノアセカンダリー高校は、中高一貫、男女共学の私立校で、富裕層の子弟が通っている。
案内してくれた先生は、野球部には素晴らしい選手が揃っている、と言っていたが、実際にグラウンドに行って見ると、選手は5人。
上半身裸で練習している生徒やら、ガールフレンドに膝枕され耳掃除をして貰っているもの、練習中に立ち小便をしたり、鬼ごっこをする者。
誰一人としてまじめにやっているようには見えなかった。
部室に案内して貰うと、まるで「ゴミ箱」。
書類や段ボール箱が積み上げられ、グローブやバットが床に置き捨てられていた。
5人の選手に目標を尋ねると、
「ウガンダ・チャンピオンになりたい」と答える。
「コーチのいる2年間でウガンダ・チャンピオンになれますか?」と聞いてきたので、小田島さんが「なれる」と答えると、彼らは喜んで笑顔になった。
聞けば、現チャンピオンであるチャンボゴ高校には、今年1対30で負けたという。
小田島さんは、一言付け加えた。
「ウガンダ・チャンピオンになるために、君たちは野球の前にすべきことがある」。
──────────────
4.「いいこと言いますね。コーチは天才です」
──────────────
翌日のミーティングで、第一回ワールドベースボールクラシックで、日本チームの優勝シーンをDVDで見せた。
選手の瞳は輝き、背筋が伸びた。
「私は、日本の野球をモデルにして君たちを指導したい。いいか?」
「はい、コーチ」
日本の野球が世界一なのは、その目的が人間を育てることにあるからだ。
私は日本のやり方で、君たちをジェントルマンにしたい。
ジェントルマンとは
「自分のためだけでなく、人のためにも喜んで動ける人」のことである。
野球はあくまでも選手一人ひとりをジェントルマンに育てるための手段である。
その考えを小田島さんは書き出して、部屋に貼った。
__________
【セントノア野球部 理念】
ジェントルマンになるために
1.私たちは、すべてのものに感謝します。
2.私たちは、礼儀正しく謙虚です。
3.私たちは、日々向上します。
・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「この理念でいいか?」と選手たちに尋ねると、
「いいこと言いますね。コーチは天才です」。
小田島さんは、お世辞の混じった答えに安心したが、現実はそんなに甘いものではな
いことを、すぐに思い知らされることになる。
──────────────
5.「自分さえ良ければ」という考え方
──────────────
ウガンダで暮らし始めて、小田島さんはその生活習慣に驚かされた。
まず、時間の概念があまりない。
学校の教室には時計がなく、生徒も腕時計を持っていない。
学校で唯一、校長室にある時計も2年前から壊れていた。
時計がなくとも困らないほど、みな時間にルーズなのだ。
整理・整頓・清掃の習慣もない。
ゴミはその場でポイ捨て。
一日の授業が終わっても、生徒が掃除をする習慣がない。
だから教室にゴミが落ちていても、汚いままであっても、そのまま下校し、翌日はそのまま授業に入る。
礼儀作法にしても、こちらが挨拶しても、無視するか、横柄な態度で応対する。
話を聞いている時も肘をつき、集中せず、あらぬ方を見ている。
練習中、ボールを拾ってやっても、
「ありがとう」の一言もない。
これらの根底にあるのは「自分さえ良ければ」という考え方だと、小田島さんは思った。
時間を守れない人は、待たせる相手のことを考えていないからである。
後片付けや掃除がきちんとできないのは、次に使う人のことを考えていないか
らだ。
礼儀がしっかりしていないのは、相手に対する敬意が足りないからである。
教育哲学者の森信三が提唱した教育再建の三大原理、
「時を守り、場を清め、礼を正す」という「躾」から始めなければならない、と小田島さんは考えた。
この3つを守れたら、どんな荒れた学校も良くなるという。
──────────────
6.「こいつら馬鹿じゃないか?」
──────────────
そこで始めたのが、早朝の読書と清掃だった。生徒たちは毎朝4時半に学校の教室に集合。
6時まで教室で読書し、その後、校内の清掃を行って、7時からの授業開始に備える。
生徒たちは校内の寮に住んでいるから良いが、小田島さんの住居はバスで15分くらいの所にある。毎朝3時半に起床し、4時から、いつ来るか分からないバスを待つ。
選手たちのお手本になるためには、遅刻は絶対に許されなかった。
しかし、選手たちは雨が降れば、平気でサボった。
ウガンダでは雨が降ると仕事は休みになるのである。
掃除中でも眠くなれば、寮に帰ってしまう。
そんな選手達に怒り、怒鳴る日々が続いた。
「こいつら馬鹿じゃないか?」
「本当に意志の弱い奴らだ」
いつしか、小田島さんは学校に行くのが憂鬱になった。
ウガンダ・ジェントルマンを育てることなど、できないのかもしれない、と弱気になり始めた。
──────────────
7.まず自分が本物の日本人になる
──────────────
毎週月曜日は、練習を休みにして部屋の掃除と道具の手入れをさせていた。
そんな月曜日、選手の一人ジミーが掃除中に、
「コーチ、洗剤がほしいのですが」と言ってきた。
「何のために使う」
「ボールをきれいにするためです」
「ボールを?」
「もっときれいになると思います」
軟式ボールを洗剤で洗うという発想は、小田島さんにはなかった。
茶色のボールが洗剤で真っ白になった瞬間、彼らの顔に笑顔が溢れた。
今まで、サボる選手、続かない選手に怒りをぶつけていたが、そんな中にもコーチを信じて、コツコツと努力している選手がいることに、初めて気づいた。
この子たちをジェントルマンにし、成功させてあげたい。
心の底からそう思った。
彼らの進歩に一喜一憂していた自分には、どこか焦りがあった。
選手たちが自分の期待通り動いてくれないのは、自分の側に
「時を守り、場を清め、礼を正す」ことの大切さを、本当の意味で理解していなかったからではないのか。
改めて思えば、日本での自分も、遅刻をしたり、掃除を選手に任せたりしていた。自分自身が習慣になっていないものを、彼らに要求していたのだ。
彼らのミスを責める前に、まず自分が本物の日本人になることを決意した。
選手の行動はコントロールできないが、自分の行動は自分でコントロールできる。うまくいかない原因を選手の側に問題ではなく、自分自身の問題としてとらえるようになってから、不思議なことに選手たちは想像以上に速く成長していった。
──────────────
8.選手の心のコップを上向きにしなければ
──────────────
朝の清掃と読書を始めた当初、選手たちからは
「ウガンダ・チャンピオンになるために、もっと技術練習をしたらどうですか」と言われた。
たしかに、野球コーチが練習より、遅刻や掃除、挨拶をうるさく言っているのは、彼らには理解できなかったろう。
しかし、時間は守れない、練習はさぼる、人の話は集中して聞けない、という状況は、コップが下を向いているようなもので、いくらコーチが技術指導した所で、水はコップに入らない。
まずは、選手の心のコップを上向きにしなければならない。
そのために必要なのが、
「時を守り、場を清め、礼を正す」
であった。
これが自然とできていくうちに、心のコップが上を向いてくる。
こうなって初めて技術練習の意味が出てくる。
その成果は、やがて試合の結果にもつながっていった。
チャンピオン・チームであったチャンボゴ高校とは、最初の試合は1対19で敗れた。
その1カ月後には、4対14となった。
指導してから3カ月後には2対3となり、6カ月後には9対10とほぼ互角の戦いができるまでになった。
技術練習の時間は1時間のまま変わらなかったが、練習の密度があがっていったのだ。
選手も結果が出始めると、小田島さんのやり方を信頼するようになっていった。
──────────────
9.「こいつら、なんでこんなに一生懸命なんだ」
──────────────
朝読書、朝清掃を始めて6カ月。
チームとして1時間半、教室で一言もしゃべらず、背筋を伸ばして学習する選手たち。
朝の読書には「座禅」のような効果がある。
読書で集中力を高め、朝の校内清掃に入る。
掃除も、始めた頃は「四角い部屋を丸く掃く」という有様だったが、小田島さんがお手本を示し、掃除の回数が200回を超えたあたりから、彼らの掃除は小田島さんよりも丁寧になっていった。
仁愛保育園の石橋冨知子園長は言う。
__________
単にゴミを拾うことが掃除本来の目的ではありません。
塵が有るのか無いのかを、かがんで、四隅を見て、十本の指を使って一つ一つ確認し、理解していくのです。
一生懸命掃除をすることで、隅々を見る人間、いろいろなことに気づく人間が育ちます。
掃除を心がければ人間が傲慢になりません。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
選手たちも掃除をすることで、「気づく人間」に成長していった。
仲間の表情や態度から、その気持ちを察することができるようになっていった。
ある日、小田島さんは私用で外出し、夕方の練習に遅れて参加した。
いつもと違い、道路から直接グランドに入る小田島さんの姿に、選手たちは気がつかない。
大きな声が響き渡るグラウンド。
一人ひとりの真剣な目。
力一杯、走る姿。
小学生も練習に参加していた。
彼らも高校生選手を真似て、一生懸命である。
「コーチがいないのに、こんなに真剣にやっている」
思わず涙が溢れた。
涙が止まらなかった。
嬉しかった。
「こいつら、なんでこんなに一生懸命なんだ」
一生懸命の姿は美しい。
こんな光景が見られるとは思ってもいなかった。
日本の躾を身につけたウガンダの高校生たちは、「母国を良くしたい」と志すようになった。
──────────────
■10.ウガンダのために働いている日本人
──────────────
「ウガンダの父」と呼ばれている日本人がいる。
現地で45年以上もシャツ製造会社を経営している柏田雄一さんである。
ある日、小田島さんは選手たちを連れて、柏田さんの工場を訪問した。
柏田さんはウガンダの歴史、環境保護、そして工場内で実践している躾の大切さを語った。
話の終わりに柏田さんは
「私は、もう引退して老後をゆっくり日本で暮らすこともできるのに、なぜここにいると思う?」と選手たちに尋ねた。
誰も答えることができなかった。
その答えは「ウガンダを愛しているから」であった。
その言葉を聞いたとき、選手たちの背筋がピンと伸びたように思えた。
この人はお金のためでなく、ウガンダのために働いている日本人なんだ、ということを肌で感じたようだ。
その効果は翌朝の掃除から出ていた。
前日の移動の疲れがあるので、今朝の掃除は無理かなと思っていたら、10分前
に全員が揃った。
放課後の練習も、今までにないピンと張り詰めた雰囲気となった。
選手の心が変わったのだ。
──────────────
11.日本人以上に日本人らしく
──────────────
早朝の読書と清掃、そして夕方の練習を続けて半年ほどすると、選手たちの真摯な姿勢、他人へのやわらかい物腰、何かを学ぼうという真剣なまなざしは、日本人以上に日本人らしくなっていた。
「時を守り、場を清め、礼を正す」
だけで、これほどまでに効果が上がるとは思っていなかった。
日本の教育現場は混迷の真っ只中にあるが、この選手たちの成長の姿を見せたら、
忘れかけている日本の躾の素晴らしさを再認識して貰えるだろう、と小田島さんは考えた。
そこで、ウガンダでの様子をDVDに収め、日本でお世話になった人々に送った。
その様子に感動した日本の人々との間で、ウガンダ・チームを日本に呼ぼうという企画が持ち上がった。
日本での有志が「ウガンダ国際交流実行委員会」を立ち上げ、募金活動を始めた。
選手たちには折りにふれ、日本での支援者の様子を伝えた。
__________
彼らは、仕事があるのに、家族でもない、親戚でもない私たちのために動いている。
彼らは、人のために動くことができる、本物のレディーであり、ジェントルマンだ。
その恩に報いるためにも、私たちは、ジェントルマンになって日本に行かなければならない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
選手たちはますます真剣になっていった。
集合時間の1時間前の朝3時半に来て、自発的に読書や授業の準備をする選手も増えてきた。
掃除も、小田島さんが「そこまでやるか」と思うほど徹底してやってくれるようになった。
──────────────
12.「試合中に5回ほど涙が出そうになった」
──────────────
平成20(2008)年1月24日、セントノア高校野球部選手、校長、そして小田島さんの総勢15名が関西国際空港に降り立った。
折から北海道は大雪で、札幌行きの便が飛び立てるか心配だったが、一行を乗せた便だけが欠航とならずに、新千歳空港に到着した。
選手たち、支援者たちの思いを天が応援してくれたように小田島さんは感じて、涙がこぼれた。
初日は登別の温泉に入る。
母国では、たらい一杯の水で体も頭も洗う彼らは、お湯がなみなみと張られている湯船にびっくりした。
選手たちは体を洗い終えると、使った桶を片付け、腰掛をまっすぐに並べた。
物を使ったら、次の人のためにきれいに片付けるという事が、当たり前のようにできるウガンダ青年たちの姿に、今度は周囲の日本人客が驚いていた。
札幌ドームでは北海道日本ハムファイターズ中学生選抜チームと親善試合を行った。
屋根つきの体育館すらほとんど見たことの無いウガンダ選手たちにとって、屋根つきのドーム球場はまるでSFの世界のように見えただろう。
実力ははるかに上の相手で、大差で負けてもおかしくなかったが、奇跡が起こった。0対0の引き分けだった。
投手のべナードが、何かが乗り移ったのかと思うほど、冷静で粘り強い投球を見せた。
守備での相互のカバーリング、声の掛け合い。
チームの一体感は、相手を上回っていた。
技術の差を「心」でカバーする、まさに日本野球をウガンダ選手たちは見せた。
試合終了後、2千人以上入ったスタンドからウガンダ・チームに大声援が送られた。
夏の甲子園で優勝した駒澤大学苫小牧高校野球部の香田元監督は、試合の様子を次のように語った。
__________
ウガンダ人の野球に対する姿勢が本当に勉強になった。
試合中に5回ほど涙が出そうになった。
子供の頃、初めてボールを握った感覚や、楽しくボールを追っかけていた過去が蘇
りました。
言葉ではうまく表現できないけれども、日本野球に失われたものを彼らは持っている。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
続く
ぜひ最後までお読み下さい。
日本人という生き方・・・ウガンダの高校生を変えた日本の躾
ウガンダの野球チーム
国際派日本人養成講座からの転載です。
非常に素晴らしいお話なので、拡散のため転載させていただきます。
~~~~~~~~~~~~~~
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「日本人という生き方」(上)
~ ウガンダの高校生を変えた日本の躾~
───────────────────
「時を守り、場を清め、礼を正す」の躾で、彼らは野球に真剣に打ち込むようになった。
──────────────
1.生徒に夢を持たせるには
──────────────
札幌の中学校教師だった小田島裕一さんが、青年海外協力隊の一員としてアフリカのウガンダ共和国セントノアセカンダリー高校に赴任したのは、平成19(2007)年9月のことだった。
「野球を通じた国際貢献」を志したのは10年も前のことだった。
教師生活も5年経ち、無気力な生徒たちを見て、
「何か生徒に夢を持たせ、それに向かわせたい」と思っていた。
平成8(1996)年、元近鉄バッファローズの野茂英雄投手がメジャーリーグで大活躍した。当時は日本人がメジャーで活躍するのは「絶対に無理」だと考えられていた。
野茂投手は日本での実績をすべて捨て、その「常識」に挑戦して、成功したのだった。
小田島さんは、野茂投手の夢に挑戦する姿勢を見て、生徒に夢を語らせる前に、自分が夢を持ち、挑戦しなければならないと思った。
そこで中学生時代にやっていた野球を通じて国際貢献する、という夢を描いたのである。
──────────────
2.「熱い思いが伝わった」
──────────────
夢は山と同じで、遠くから見るときは美しいが、実際に登り始めた途端に多くの困難にぶつかる。
青年海外協力隊の選考試験に何度挑戦しても、合格できない。
ある面接官からは
「あなたみたいな『ただ行きたいだけの人』が行くと、相手の国が迷惑なのだ」とまで言われた。
6回目の不合格通知が送られてきた時は、
「叶わない夢だってある」と諦めかけた。
しかし、それから1週間後、南北海道代表の駒澤大学付属苫小牧高校が夏の全国優勝を果たして、心が熱くなった。
雪や寒さのために練習環境では圧倒的に不利な北海道の高校が日本一になった。
再び、夢に灯が点った。
翌年、7回目の選考も落ちた。
今までは「なぜ自分のやる気を評価してくれないのか」と相手を責めていたが、今回
は「自分が相手の国の人々に喜んで貰えるような一流の野球指導者になることを目指そう」と考えた。
そして一流の指導者、一流の学校を訪ねて、自分を磨き続けた。
8回目、自分の思いを手紙に綴り、2年間の活動計画を添えた。
「合格」を電話で伝えてきた面接官は、
「小田島さんの手紙に感動しました」と言ってくれた。
熱い思いが伝わった瞬間だった。
10年かかった夢がようやく実現しようとしていた。
──────────────
3.「君たちは野球の前にすべきことがある」
──────────────
赴任したセントノアセカンダリー高校は、中高一貫、男女共学の私立校で、富裕層の子弟が通っている。
案内してくれた先生は、野球部には素晴らしい選手が揃っている、と言っていたが、実際にグラウンドに行って見ると、選手は5人。
上半身裸で練習している生徒やら、ガールフレンドに膝枕され耳掃除をして貰っているもの、練習中に立ち小便をしたり、鬼ごっこをする者。
誰一人としてまじめにやっているようには見えなかった。
部室に案内して貰うと、まるで「ゴミ箱」。
書類や段ボール箱が積み上げられ、グローブやバットが床に置き捨てられていた。
5人の選手に目標を尋ねると、
「ウガンダ・チャンピオンになりたい」と答える。
「コーチのいる2年間でウガンダ・チャンピオンになれますか?」と聞いてきたので、小田島さんが「なれる」と答えると、彼らは喜んで笑顔になった。
聞けば、現チャンピオンであるチャンボゴ高校には、今年1対30で負けたという。
小田島さんは、一言付け加えた。
「ウガンダ・チャンピオンになるために、君たちは野球の前にすべきことがある」。
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4.「いいこと言いますね。コーチは天才です」
──────────────
翌日のミーティングで、第一回ワールドベースボールクラシックで、日本チームの優勝シーンをDVDで見せた。
選手の瞳は輝き、背筋が伸びた。
「私は、日本の野球をモデルにして君たちを指導したい。いいか?」
「はい、コーチ」
日本の野球が世界一なのは、その目的が人間を育てることにあるからだ。
私は日本のやり方で、君たちをジェントルマンにしたい。
ジェントルマンとは
「自分のためだけでなく、人のためにも喜んで動ける人」のことである。
野球はあくまでも選手一人ひとりをジェントルマンに育てるための手段である。
その考えを小田島さんは書き出して、部屋に貼った。
__________
【セントノア野球部 理念】
ジェントルマンになるために
1.私たちは、すべてのものに感謝します。
2.私たちは、礼儀正しく謙虚です。
3.私たちは、日々向上します。
・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「この理念でいいか?」と選手たちに尋ねると、
「いいこと言いますね。コーチは天才です」。
小田島さんは、お世辞の混じった答えに安心したが、現実はそんなに甘いものではな
いことを、すぐに思い知らされることになる。
──────────────
5.「自分さえ良ければ」という考え方
──────────────
ウガンダで暮らし始めて、小田島さんはその生活習慣に驚かされた。
まず、時間の概念があまりない。
学校の教室には時計がなく、生徒も腕時計を持っていない。
学校で唯一、校長室にある時計も2年前から壊れていた。
時計がなくとも困らないほど、みな時間にルーズなのだ。
整理・整頓・清掃の習慣もない。
ゴミはその場でポイ捨て。
一日の授業が終わっても、生徒が掃除をする習慣がない。
だから教室にゴミが落ちていても、汚いままであっても、そのまま下校し、翌日はそのまま授業に入る。
礼儀作法にしても、こちらが挨拶しても、無視するか、横柄な態度で応対する。
話を聞いている時も肘をつき、集中せず、あらぬ方を見ている。
練習中、ボールを拾ってやっても、
「ありがとう」の一言もない。
これらの根底にあるのは「自分さえ良ければ」という考え方だと、小田島さんは思った。
時間を守れない人は、待たせる相手のことを考えていないからである。
後片付けや掃除がきちんとできないのは、次に使う人のことを考えていないか
らだ。
礼儀がしっかりしていないのは、相手に対する敬意が足りないからである。
教育哲学者の森信三が提唱した教育再建の三大原理、
「時を守り、場を清め、礼を正す」という「躾」から始めなければならない、と小田島さんは考えた。
この3つを守れたら、どんな荒れた学校も良くなるという。
──────────────
6.「こいつら馬鹿じゃないか?」
──────────────
そこで始めたのが、早朝の読書と清掃だった。生徒たちは毎朝4時半に学校の教室に集合。
6時まで教室で読書し、その後、校内の清掃を行って、7時からの授業開始に備える。
生徒たちは校内の寮に住んでいるから良いが、小田島さんの住居はバスで15分くらいの所にある。毎朝3時半に起床し、4時から、いつ来るか分からないバスを待つ。
選手たちのお手本になるためには、遅刻は絶対に許されなかった。
しかし、選手たちは雨が降れば、平気でサボった。
ウガンダでは雨が降ると仕事は休みになるのである。
掃除中でも眠くなれば、寮に帰ってしまう。
そんな選手達に怒り、怒鳴る日々が続いた。
「こいつら馬鹿じゃないか?」
「本当に意志の弱い奴らだ」
いつしか、小田島さんは学校に行くのが憂鬱になった。
ウガンダ・ジェントルマンを育てることなど、できないのかもしれない、と弱気になり始めた。
──────────────
7.まず自分が本物の日本人になる
──────────────
毎週月曜日は、練習を休みにして部屋の掃除と道具の手入れをさせていた。
そんな月曜日、選手の一人ジミーが掃除中に、
「コーチ、洗剤がほしいのですが」と言ってきた。
「何のために使う」
「ボールをきれいにするためです」
「ボールを?」
「もっときれいになると思います」
軟式ボールを洗剤で洗うという発想は、小田島さんにはなかった。
茶色のボールが洗剤で真っ白になった瞬間、彼らの顔に笑顔が溢れた。
今まで、サボる選手、続かない選手に怒りをぶつけていたが、そんな中にもコーチを信じて、コツコツと努力している選手がいることに、初めて気づいた。
この子たちをジェントルマンにし、成功させてあげたい。
心の底からそう思った。
彼らの進歩に一喜一憂していた自分には、どこか焦りがあった。
選手たちが自分の期待通り動いてくれないのは、自分の側に
「時を守り、場を清め、礼を正す」ことの大切さを、本当の意味で理解していなかったからではないのか。
改めて思えば、日本での自分も、遅刻をしたり、掃除を選手に任せたりしていた。自分自身が習慣になっていないものを、彼らに要求していたのだ。
彼らのミスを責める前に、まず自分が本物の日本人になることを決意した。
選手の行動はコントロールできないが、自分の行動は自分でコントロールできる。うまくいかない原因を選手の側に問題ではなく、自分自身の問題としてとらえるようになってから、不思議なことに選手たちは想像以上に速く成長していった。
──────────────
8.選手の心のコップを上向きにしなければ
──────────────
朝の清掃と読書を始めた当初、選手たちからは
「ウガンダ・チャンピオンになるために、もっと技術練習をしたらどうですか」と言われた。
たしかに、野球コーチが練習より、遅刻や掃除、挨拶をうるさく言っているのは、彼らには理解できなかったろう。
しかし、時間は守れない、練習はさぼる、人の話は集中して聞けない、という状況は、コップが下を向いているようなもので、いくらコーチが技術指導した所で、水はコップに入らない。
まずは、選手の心のコップを上向きにしなければならない。
そのために必要なのが、
「時を守り、場を清め、礼を正す」
であった。
これが自然とできていくうちに、心のコップが上を向いてくる。
こうなって初めて技術練習の意味が出てくる。
その成果は、やがて試合の結果にもつながっていった。
チャンピオン・チームであったチャンボゴ高校とは、最初の試合は1対19で敗れた。
その1カ月後には、4対14となった。
指導してから3カ月後には2対3となり、6カ月後には9対10とほぼ互角の戦いができるまでになった。
技術練習の時間は1時間のまま変わらなかったが、練習の密度があがっていったのだ。
選手も結果が出始めると、小田島さんのやり方を信頼するようになっていった。
──────────────
9.「こいつら、なんでこんなに一生懸命なんだ」
──────────────
朝読書、朝清掃を始めて6カ月。
チームとして1時間半、教室で一言もしゃべらず、背筋を伸ばして学習する選手たち。
朝の読書には「座禅」のような効果がある。
読書で集中力を高め、朝の校内清掃に入る。
掃除も、始めた頃は「四角い部屋を丸く掃く」という有様だったが、小田島さんがお手本を示し、掃除の回数が200回を超えたあたりから、彼らの掃除は小田島さんよりも丁寧になっていった。
仁愛保育園の石橋冨知子園長は言う。
__________
単にゴミを拾うことが掃除本来の目的ではありません。
塵が有るのか無いのかを、かがんで、四隅を見て、十本の指を使って一つ一つ確認し、理解していくのです。
一生懸命掃除をすることで、隅々を見る人間、いろいろなことに気づく人間が育ちます。
掃除を心がければ人間が傲慢になりません。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
選手たちも掃除をすることで、「気づく人間」に成長していった。
仲間の表情や態度から、その気持ちを察することができるようになっていった。
ある日、小田島さんは私用で外出し、夕方の練習に遅れて参加した。
いつもと違い、道路から直接グランドに入る小田島さんの姿に、選手たちは気がつかない。
大きな声が響き渡るグラウンド。
一人ひとりの真剣な目。
力一杯、走る姿。
小学生も練習に参加していた。
彼らも高校生選手を真似て、一生懸命である。
「コーチがいないのに、こんなに真剣にやっている」
思わず涙が溢れた。
涙が止まらなかった。
嬉しかった。
「こいつら、なんでこんなに一生懸命なんだ」
一生懸命の姿は美しい。
こんな光景が見られるとは思ってもいなかった。
日本の躾を身につけたウガンダの高校生たちは、「母国を良くしたい」と志すようになった。
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■10.ウガンダのために働いている日本人
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「ウガンダの父」と呼ばれている日本人がいる。
現地で45年以上もシャツ製造会社を経営している柏田雄一さんである。
ある日、小田島さんは選手たちを連れて、柏田さんの工場を訪問した。
柏田さんはウガンダの歴史、環境保護、そして工場内で実践している躾の大切さを語った。
話の終わりに柏田さんは
「私は、もう引退して老後をゆっくり日本で暮らすこともできるのに、なぜここにいると思う?」と選手たちに尋ねた。
誰も答えることができなかった。
その答えは「ウガンダを愛しているから」であった。
その言葉を聞いたとき、選手たちの背筋がピンと伸びたように思えた。
この人はお金のためでなく、ウガンダのために働いている日本人なんだ、ということを肌で感じたようだ。
その効果は翌朝の掃除から出ていた。
前日の移動の疲れがあるので、今朝の掃除は無理かなと思っていたら、10分前
に全員が揃った。
放課後の練習も、今までにないピンと張り詰めた雰囲気となった。
選手の心が変わったのだ。
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11.日本人以上に日本人らしく
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早朝の読書と清掃、そして夕方の練習を続けて半年ほどすると、選手たちの真摯な姿勢、他人へのやわらかい物腰、何かを学ぼうという真剣なまなざしは、日本人以上に日本人らしくなっていた。
「時を守り、場を清め、礼を正す」
だけで、これほどまでに効果が上がるとは思っていなかった。
日本の教育現場は混迷の真っ只中にあるが、この選手たちの成長の姿を見せたら、
忘れかけている日本の躾の素晴らしさを再認識して貰えるだろう、と小田島さんは考えた。
そこで、ウガンダでの様子をDVDに収め、日本でお世話になった人々に送った。
その様子に感動した日本の人々との間で、ウガンダ・チームを日本に呼ぼうという企画が持ち上がった。
日本での有志が「ウガンダ国際交流実行委員会」を立ち上げ、募金活動を始めた。
選手たちには折りにふれ、日本での支援者の様子を伝えた。
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彼らは、仕事があるのに、家族でもない、親戚でもない私たちのために動いている。
彼らは、人のために動くことができる、本物のレディーであり、ジェントルマンだ。
その恩に報いるためにも、私たちは、ジェントルマンになって日本に行かなければならない。
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選手たちはますます真剣になっていった。
集合時間の1時間前の朝3時半に来て、自発的に読書や授業の準備をする選手も増えてきた。
掃除も、小田島さんが「そこまでやるか」と思うほど徹底してやってくれるようになった。
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12.「試合中に5回ほど涙が出そうになった」
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平成20(2008)年1月24日、セントノア高校野球部選手、校長、そして小田島さんの総勢15名が関西国際空港に降り立った。
折から北海道は大雪で、札幌行きの便が飛び立てるか心配だったが、一行を乗せた便だけが欠航とならずに、新千歳空港に到着した。
選手たち、支援者たちの思いを天が応援してくれたように小田島さんは感じて、涙がこぼれた。
初日は登別の温泉に入る。
母国では、たらい一杯の水で体も頭も洗う彼らは、お湯がなみなみと張られている湯船にびっくりした。
選手たちは体を洗い終えると、使った桶を片付け、腰掛をまっすぐに並べた。
物を使ったら、次の人のためにきれいに片付けるという事が、当たり前のようにできるウガンダ青年たちの姿に、今度は周囲の日本人客が驚いていた。
札幌ドームでは北海道日本ハムファイターズ中学生選抜チームと親善試合を行った。
屋根つきの体育館すらほとんど見たことの無いウガンダ選手たちにとって、屋根つきのドーム球場はまるでSFの世界のように見えただろう。
実力ははるかに上の相手で、大差で負けてもおかしくなかったが、奇跡が起こった。0対0の引き分けだった。
投手のべナードが、何かが乗り移ったのかと思うほど、冷静で粘り強い投球を見せた。
守備での相互のカバーリング、声の掛け合い。
チームの一体感は、相手を上回っていた。
技術の差を「心」でカバーする、まさに日本野球をウガンダ選手たちは見せた。
試合終了後、2千人以上入ったスタンドからウガンダ・チームに大声援が送られた。
夏の甲子園で優勝した駒澤大学苫小牧高校野球部の香田元監督は、試合の様子を次のように語った。
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ウガンダ人の野球に対する姿勢が本当に勉強になった。
試合中に5回ほど涙が出そうになった。
子供の頃、初めてボールを握った感覚や、楽しくボールを追っかけていた過去が蘇
りました。
言葉ではうまく表現できないけれども、日本野球に失われたものを彼らは持っている。
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続く