ジーン・ウールの不思議な旅

ジーン・ウールは不思議な女性です。姿を変えて過去にも未来にも現れます。
もしかしたら貴方の友人や奥様かも知れません。

店主ご挨拶

ようこそお越し下さいました。 昨年(2010)、3ヶ月の雲水修行に行ってまいりました。 私は働き者で(自己申告)、精舎は朝は早く夜は遅く「朝瞑想」の時間は、気がつくといつも寝ておりましたが・・。 私の人生の1ページに、思いがけないご褒美を頂けたような日々を過ごさせて頂きました。・・ま、主婦でも決心ひとつで如何様な道も開けるんですね。 今も精舎に行くと「実家に帰った」ような気がします。 このブログ管理人は、最近物忘れ症候群中につき、おいで頂いた感謝を申し上げ、コメントを頂いても書いたり書かなかったり、付き合いが悪いことのご無礼をお許し下さいませ。

畑のさつまいもは・・

2010-11-21 23:39:15 | 畑仕事
今日やっと畑に行った。
サツマイモの苗を100以上植えたのですもの。
水やりにもにもいかず、でも期待してわくわくと出かけたのでした。

今年は猛暑でほとんどの畑は収穫出来なかったと聞いていました。
草取りをしっかりした畑は、暑さでやられて駄目だったそうです。
ところが、草取りをしていない草だらけの畑は、サツマイモの葉が枯れるのを防いでくれたので、収穫できたそうですよ。

だから、期待して出かけたのですが、ちっとも大きくなっていなかった。
第一、芋掘りって力仕事なんですよ。
一畝だけ掘り返してみたけど、小ぶりのさつまいもを少々収穫して、キウイを収穫して帰ってきました。

帰り道で、農作物を100円で売っている無人販売があって、冬瓜と柿を買ってきたので、夕食は冬瓜を煮てアジの塩焼きと収穫したばかりのサツマイモで大学芋を作りNHKの龍馬を見ながら食事でした。

読みたい本が沢山あって、ミシンで縫いたい生地もたまっている。
タコみたいに手足がたくさんあったらいいね。

今ハイビジョンでスカーレット・オハラの「風と共に去りぬ」をやっている。
楽しみにしていたけど、後で録画を見ることにしよう。

ではおやすみ~★

ご法話 「奇跡を感じよう」

2010-11-19 09:37:03 | ご法話・心の指針
奇跡を感じよう  2007/9/19
            大分支部精舎説法

皆さんこんにちは
平日にもかかわらず、ご多数ご参加くださいましてありがとうございます。
10年も前にすでに建っていた精舎のはしりのところではあるんですが、やっとまわって来れました。
そういう意味で何回来れるかわかりませんが、一期一会と思って・・近くには湯布院正心館もありますので、そっちには何度か来たことがあるのですが、奇跡のよく起きる正心館だということですので、今日のテーマは「奇跡を感じよう」 というテーマを選んでみました。
その方が当地にはふさわしいのではないかと思っております。
今日お話ししてみたい最初、支部のほうの話はポイントをしぼってお話ししてみたいと思っております。

皆さん方にひとつ今日教えておきたいことがあるんですが、それが何かと言うと、当会は努力を中心に体系は出来上がっているんですが、物事にはなんでも反面というものがありますので、努力の教えで日々頑張っておられるでしょうが、ただ悩みや苦しみから抜け出せていない状態にいらっしゃる方も多いであろうと思うんです。
で、その原因をよくよくお考え頂きたいんです。

なぜ、今悩んでいるのか なぜ今苦しんでいるのかと 考えて頂きたいんですが、よーくよく考えてみると、それは おそらくは ただ一点 自己防衛の気持ちがありませんか
自分をなんとかして防衛しようと思って、考え方を組み立ててないかどうかを点検して頂きたいんです。
人間も昆虫や動物と同じように生物体として自分を守るように創りあげてあるものです。
だから自己防衛というのは当然のことではあるんです。
けれどもその気持ちが、本能的に判断する気持ちのなかに、残念ながら自分をある意味で逆の意味で不幸にする要素がはいっているということです。

恐らくは9割方自己防衛の気持ちが皆さんを苦しめている本体だと申し上げたいんですが、その9割の中のひとつは自己弁護ですね。
言い訳、自己弁護、いかにして自分が正当であって、このままの状態でこうなったのは正当であって、いろんな理由により、行為とか事件とか、社会の世相とか会社の様子とか、家族の問題、親の問題、子供の問題、そうしたいろんな環境の要因や世間の要因によって自分はこんなに傷ついている、そういう理由は大体皆さんお求めの筈なんですよ。
何か持っているでしょう。考えつかないはずはないですよ。
たちどころに二つや三つは出てくるはずですよ。

現在自分が悩んだり苦しんだりしている理由は、誰それがこうしたからだとか、誰それの言葉によるものだとか、5年前あの事故が起きたからだとか、10年前子供が生まれた時にうまく行かなかったからだとか、あるいは20年前に学校を卒業した時に失敗したからだとか、いろいろあると思うんですが、まずは自分を防衛しようという気持ちが働いて、様々な言い訳になっていると思うんです。

そしてそれが今言ったようにその原因を外側に求めているはずですよ。
他の人々、過去接した現在の自分ができるまでの途中にあったいろんな人の言葉や行動、感情、自分に与えた事件、いろんなものが積み重なって自分が不幸になっているという風に、恐らくお考えのはずなんですね。
これが実は不幸のひとつであるということなんです。

だから皆さんを守ろうとして起きている機能であるにもかかわらず、実はですね、自分が不幸であることを説明して納得させようとしているんですね。
その原因を外に向けて、他の人のせいによって、あるいは体の一部が悪いことによって、目が悪い、耳が悪い、頭が悪い・・ああ これ言っちゃいけないのかな(笑)タブーの用語を使いました・・体のどの部分がよろしくないということもあろうし、いろんな理由によって現在の自分があることを自己弁護しておられるという気持ちは・・ないとは言わせません。絶対にある。ある。
白状はしないかもしれないが、一人静かにつぶやけば言うはずです。
他の人がいたら言わないかもしれないけど、一人つぶやけばそれは出る。
その気持ちのなかに、実は自分を苦しめているものの正体のひとつがある。

もう一つは、実は自己防衛の気持ちのなかにあるんですが、それが転化して、自分を防衛する気持ちが転化して、他を攻撃する気持ちに変わっていくんですね。
これは性格的にかなり強気・勝ち気型の人の場合が多いですけれども、単にこう被害を受けたという感じではなくて、あいつが悪いんだと、あれにやられたとか、あれの原因でやられたとか、あいつが悪いんだと、積極的に恨んだり、憎んだり、怒ったり、あるいは仕返しをしたり、ねちねちと締め上げたり、それからその人が破滅するように祈ったり、あるいは根回しをして他の人に悪口を言ったり、なんだかんだとその人を陥れようとする、世の中にはそうしたタイプの人はいます。
必ずしも悪人とは言いません。今言ったように自己防衛の本能から派生してくるものなんです。
強い気持ちを持っていたり、念が強かったり、体が強かったり、気が強かったり、能力が高かったりすると、そうゆう風になる傾向が出ますから、必ずしも悪人と言っている訳ではありません。

やや弱いタイプの人は、自分を守ろうという自己弁護の方に向かいますが、強いタイプの人は、今度は人を攻撃するタイプの方に移りますね。
人を責めます。人を責めて、誰かが犯人であれば自分の罪は許されるですから、自分の苦しみはそれで解決するでしょ。
あいつが悪いんだということになれば、それで全部解決する。

例えば会社であれば、社長が悪いんだ、と
あるいは国のレベルであれば、首相が悪いんだと言えば、それまでのことですね。
まあそういう言い方もするし、学校であれば、もちろん担任の教師の学力が低いために自分の子の成績が伸びない、という言い方もあるし、学校が使っているテキストが悪いから駄目なんだという言い方もあるし、通っている塾で教えている先生の腕が悪いから駄目だという考えもあるし、 でも同じ環境でも違う結果があるということは知ってはいる、知ってはいるけれども、同じ塾に通っても、中学・高校・大学に合格する人もいたら落ちるのもいる。たまたま落ちる方に自分のが入ったら、塾を攻撃する。受かったら神様みたいに誉めあげる。別に悪人じゃありません。ただそれだけのことです。普通の心境です。普通そうなるんです。
そうでなければ、例えばこの塾の先生、あの塾に預けて、あの先生に教わったから落ちたんだ、だからあの塾は悪いと言ってその塾を攻撃する。その先生を攻撃する。あるいはその塾の悪い評判をまわりに広めるという、攻撃的で自分を守るというそういうこともあれば、内にこもった場合は、なかの責任になって、子供のできが悪かったというのを、一生懸命子供を責めるか、自分がこれだから(パア)差別用語だから言いにくい・・なんと言いましょうか・・自分が昔そんなに勉強しなかったために子供のできが悪かったんだという言い方もあれば、父親のできが悪かったとも言えるし、父親が仕事で家を離れていないためにこうなったとも言えるし、家にお金が無かったためだとも言えるし、まあいくらでも内側に説明を求める場合と外側に求める場合と両方ありますが、いずれもグーーッと絞っていきますと一点、自己防衛の気持ちにたどり着く筈なんですよ。

どうか、今反省と簡単に言っているけれども、何か自己防衛の気持ちが働いていないかどうかを考えて頂きたいんですよ。
恐らくそうだと思いますから、それがあなたを今悲しませたり、苦しませたりしている原因です。

これに対して通常は努力の教えで突破するように私は教えているんですけども、今日はちょっと違った言い方をしてみようかと思っております。
なぜ 「奇跡を感じよう」 ですからね。
単なる自助努力の教えでやろうとは思っておりません。
ちょっと違う形でお話をしてみたいと思っております。
自己防衛の思いから苦しみが出ているんだけども、これから逃れようとあがいているうちは、あなた方は実がこの苦しみから逃れることは出来ませんよ。
本当は出来ないんですよ。

あきらめなさい

諦めなさい。人を責めるのも 諦めなさい
自分を責めるのも 諦めなさい
自分の子供を責めるのも 諦めなさい
今自分の目の前に起きている現象は、すべてこれは起きるべくして起きているんだということを受け入れなさい。
今起きている事態は何か他の人の原因や自分自身の何かのミスによって、たまたま起きたのではないんだと、今起きて自分を苦しめている、あるいは自分の頭を占領していりこの問題は、実は起きるべくして起きている、自分に今必要だから、今こうゆう課題が現れてきたんだと思って頂きたいんです。

それはひとつは病気、これもそうでしょ。
病気、病気をする。まあこれは努力をして病気になる人は少なかろうけれども、まさかと考えてもいなかった時に病気になるものですね。
不養生だったり、運動不足だったり、ストレスが多かったり、栄養が悪かったり、まあいろんな理由がありましょうけれども、この世的には説明がつくと思いますが、病気をするには、現在病気が出てきた理由は、実はあるんです。
現れてきたのは、今現れてきたのは、それは現れてくる必要があったんです。
それから例えば、受験で不合格というものが出てきたとしたら、それは単に運・不運の問題ではなくて、何かをあなたに必要な課題をそこで教えようとしている。
それは過去の努力不足を教えようとしているのかも知れないし、あるいはこれを機会に将来決して自己慢心することなく転落することなく精進せよと教えているかも知れない。

ただ現れている現象は偶然ではないんだと、あなたに必要だから今現れてきているんだと知って頂きたい。
子供のできが悪くとも同じです。
あるいは子供に何か障害があって生まれても、実は何か必ず理由があってそれは現れてきている。
夫婦の間で問題が起きても、それは何か意味があるんです。
夫婦で争いが起きる理由があります。意味があります。何かを教えようとしている。
それは何かが今問題として出てこなければいけない。
時期が来たからそれは出てきて、その問題のなかに、夫婦の葛藤のなかに、何かを教えようとしているものがあります。それを読みとってください。

それを読みとらないと、自分自身を責める道具や他人を責める道具に使ってはなりません。そういう意味での分析的なものの考え方、原因を追及して善悪を分け、分別をつけていろいろと説明して、こうすれば解決するという判断の仕方は、確かに会社でやっている仕事ではよくやるやり方ではあるんですけれども、仕事のレベルではそういう風にいろんな問題解決のアプローチをやっていかなければならないんですが、その仕事の世界ではなくて、仕事から一歩離れた、宗教の世界のなかにおいては、そうした問題もある意味があって生じていると考えるべきで、逆に今度はですね。
まあ結論を出してしまおうと、即結論を出してしまおうと思うのを止めてください。
現れているには現れている理由があるんだから、現れたものを受け入れてください。

例えば病気をする。病気をした、この現象、病気がおきているという現象を、努力して闘うのは構いませんが、それはリハビリもありましょうし、精進もありましょうけれども
ただ争わないで受け入れてください。
私の人生の途中でこうゆう課題が今現れてきたということ受け入れてください。
で、夫婦でも騒動があっても受け入れてください。親子で問題が起きても受け入れてください。あるいは父、母と問題が起きても受け入れてください。
あなた固有の問題ではないかも知れません。他の人にもそれぞれ何らかの問題がおきますけれども、自分の人生の問題集のひとつが出てきたんだな、今出てきたんだな、という形で静かに受け入れる心を持ってください。そしてこの世に偶然はないのだということを知ってください。

だからすべてが会社仕事風に解決するものではないんだということです。
それを受け入れた先に、実は道が開けてくるんです。それを受け入れて、こうゆう現象が私に起きた。 たまたま何でこの私に、これほど勉強した自分に、これほど家族を大事にした自分に、これほど親孝行した自分に、これほど美しい自分に、まあ色々ありましょうけれども、こんな問題が起きたのかと思うかも知れませんが、静かに受け入れてください。そして瞑想の時をもってください。
心を止めて、あれこれ考えるのではなく、分別智で考えるのではなく、実は分別で善か悪か、プラスかマイナスか、前か後ろか、右か左か、分けて考えて結論出そうとして焦っている心が苦しめているんです。自分をね。

その時に、まず一切を受け入れて、そして判断を下さないで、ここに宇宙の意志が今自分に対して現れているんだという風なことを考えてください。
過ぎてしまえば意味はわかってきます。
この世に生きているうちに意味がわかる場合もあれば、この世を去った世界に還って意味がわかることもあります。それは何とも言えませんが、「受け入れる」ということも勉強のひとつなんだということを知ってください。

例えば人は病気をする。病気をすることによって学ぶことはたくさんあります。実際はね。それは心と肉体のバランスを崩したということを教えたのでもあるし、自分が能力を過信したということを教えたのでもあるし、家族との関係を見直すべき事を教えたのでもあるし、自分が憎んでいた父親とか母親とかが上記をした時に、ああこんな気持ちだったのかと分かることもあるし、他人のことも分かることもあるし、また仕事というものを別の目から見ることもある。
全部悪とは言えないんですよ。
必要なことがある。だから、今現れたことを単に何かのミスで生じたことだと思って自分を責めたり他人を責めたりするのは一旦止めてそれを受け入れてください。
あなたに必要だから、それは現れているんだという風に受け入れてください。
そして静かに心静かに瞑想してください。
判断は中止してください。判断してはいけない時に判断して、とにかく善悪、前進、後退して、捨てる、取る、まあそうゆう判断はしないでください。
それは必要で現れてきたものですから、それを静かに受け入れてください。
静かに受け入れてください。

大宇宙の意志が働いて、今自分に新しい課題が与えられている、その意味を静かに受け取ることが大事です。
何かあなたの今世の魂の修行のために、必要な内容がその中に含まれているはずです。
必ずやそうなんです。だから自己防衛の考えで、全部を解決しようと思わないで、会社的な仕事の形で問題を解決しないで、今度は逆に受け入れる。
そして大宇宙の意志を感じ取る。あるいは神の心を、仏の心を感じ取る。

あなた方は人生を何も問題もなく、まっしぐらにスーッと成功さえすれば良いと考えがちだけれども、そんな人生計画の人なんて一人もいないんです、実は。
だから進んでいく先に落とし穴がたくさんあるんだけども、事前に教える訳にはいかないんです。
ここに落とし穴があると知ったら、そんなのよけて通るのは簡単なことでしょう。勉強にならないんです。
だから意地悪だけど、ごめんなさいね。意地悪だけど落とし穴に落ちることになっているんです。
必ず引っかかる。必ず引っかかるんだけれども、落ちた時に考えてください。
偶然落ちたんじゃないよ。落とし穴は掘られてありました。最初から。
それはあなたに必要な落とし穴だから。そこに落ちてから、お尻をしたたか打って、ちょっと夜空をながめて考えてください。
そうゆう時期が人生には何度か必要なんです。
その時期を通り越さなければ、本当の意味での自分も分からなければ、他人も分からないんです。
そうゆうことを経験を通さないと、見えてるようであって見えてないんです。本当の世界の姿が。

そういうところでですね。落とし穴に落ちて、出れなくなって、心細くなって、夜空を眺めて、星空を眺めて、一晩を明かす。
その時にはじめて見えてくるものがある。あるんです。自分が如何に多くの人に与えられ支えられてきたかということ。
自分がいかに他の人の協力を見落としてきたかということ。
自分自身の手柄にしていたことのなかにも、実はそうではないものもあったんだということを、そういう孤立無援の気持ちのなかで、人は発見するようになります。

そうした大きな気持ちのなかに包まれた時にですね。あなた方は今宇宙の力と一体になるんです。その時に、大宇宙の力と一体になります。それはある意味で「捨てよ」 と言っています。
「捨てなさい」 ま、自我我欲とも言ったけれど、今日言った自己防衛という気持ちは、自我我欲とか自己保存とか何度かよんだこともありますけども自分が可愛いという気持ちは、誰だって持っています。ただ、それを一旦捨てて、自分に起きた災難や不幸を受け止める、受け入れる度量が必要です。

それはあなた方を苦しめているんじゃないんだ、あなた方を悟らしめるための問題として用意されているんだ、そしてすべては最終的には解決されていくんだということを信じた方が良いです。

あなた方が日々恐れていることがあるはずです。その日々の恐れのなかで、現実化するものは、実は1%くらいのものなんです。99%は起きないことです。起きないことを恐れています。
そして、その恐れの気持ちが現実化して、いろんなものを引き寄せて自分の不幸を確認しているんです。

その後に、まず不幸の予言者となって、自分はこうなるんじゃないか、ああなるんじゃないか、こんな不幸になるんじゃないか、一文無しのなるんじゃないか、恋愛を失敗するんじゃないか、もうすぐ離婚になるんじゃないか、ま いろんな不幸を予言して、そしてそれを的中させようと努力する、間違った心の動きが働いてくるんです。
だから、そうゆう時には判断しないで、ひとまず受け止めてください。そしてそのなかに大宇宙の意志を読みとってください。学びがあるはずです。
救いがそのなかに現れてきます。

必要があって出てきている、そう思った時に、あなた方はもうすでに救いの道に入っているんです。
そして、そうした自己防衛の気持ちを放下して捨て去って、宇宙と一体となって、ですね。
宇宙の意志と一体となっていこうとした時に、救いの道が必ず開けてくるものなんです。

例えばプールに落ちてもがいている時に、あまりもがけば水を飲んでしまうでしょう。
水を飲んで苦しんで、溺れてしまいます。
しばらくそれを、もがくのを止めて、じっとしていると浮かんでくる。そんなもんですね。
海でもそうですね。そういうことがある。
下手にもがいて水を飲んでしまうことはいっぱいあります。おぼれてしまう人がいっぱいいます。まず、もがくのをやめなさい。
そして、静かに浮かんでくるのを待ちなさい。必ず浮かんでくるから。
人間の体の比重は、水よりも軽いんですから。必ず浮くんです。
浮くやつを、わざわざ溺れるんですから、暴れて、水を飲んで、苦しんで、溺れていきます。
だから、もがくのをやめなさい。
静かに受け入れなさい。
そして大宇宙の意志と一体になりなさい。救いが現れます。
宇宙の意志と一体となった時に、自分に現れたるその問題集を受け入れた時に、素直に受け入れて、それを自分自身のものだと思って、人のせいや、環境のせいや 、国のせいや、会社のせいや、家族のせいじゃなくて、自分自身に必要だからこれが現れているんだということを受け止めた時に、あなたはもう宇宙と一体となろうとしています。
そしてそこにもうすでに救いを実現しようとしてきています。


言っていること、復習しましょうか。(会場 笑)

すべてを委ねなさい、と言っているんです。
すべてを仏に委ねなさい。
すべてをエル・カンターレに委ねなさいと言っているんです。
主よ、私はこう苦しんでいるのは、決して他の人のせいではなく、自分自身のミスでもなく、仏が意地悪をしているのでもなく、今世この世に命を受けた意味を教えるためであるんだということを、私は受け入れて悟りたいと思う、と、だから主よ御心に委ねます、と。
じたばたするのをやめて、判断下すのをやめて、静かに受け入れなさい。
受け入れた時に浮力がわいてきますから。
生きていく力がグーッと上がってきます。
その時に奇跡が訪れてきます。
今まで自我力で頑張っていて、苦しんで苦しんで、世の中は地獄に見えて、自分が地獄の底であがいていたとおもっていたのが、実はそうではなかったことが分かります。
鳴門の渦潮のなかできりもみになって、溺れていたと思ったのが、畳の上で寝っ転がっていただけだということが分かってきます。
だから、大きな力に、大いなる力に委ねるという気持ちを持ってください。
そうすれば、あなた方は自然自然に、気がつかないうちに救われているでしょう。

信仰心というのは、言葉では説いていますけれども、まだ本当のものにはなっていないと思います。本当の意味で信仰心が立ったら、今言った通りなんですよ。
すべては大宇宙の意志のもとにあって、自分ひとりで動かせるものは、ある意味でなにもないんです。
この世に生かして頂いたということ、生まれさせて頂いたということ、この世で人生修行させて頂いたということ、有り難いことなんです。
何ももう求めてはいけないんです。
そうゆう気持ちになった時に、そして「主よ、お任せいたします」と、「主よ、すべてお任せいたします」と、あなたに、この修行が私に必要だとあなたが思っておられるんでしたら、その修行に耐えます。
私の魂のために必要なものなら、受け入れますと 、それに抗いません。抵抗しません。受け入れます。現れたるものをそのまま受け止めます。
そうゆう気持ちを持ってください。
そうしたら、あなた方は実は地獄の底にいるのではないことが分かってきますから。
そうではなかったんだと、最高のコーチがついて、今自分を指導してくれていたんだと分かりますから。
それを知らないで、地獄の底でもがいている気持ちでいますから。
天国だと思ったら地獄で、地獄だと思ったらそれが天国なんです。正反対なんです。
往々にして、その反対です。

今あなたが地獄の坩堝で苦しんでいると思っているけど、それは実はあなたの魂を鍛える、真なる金に変えようとしている、そういう大いなる慈悲であることが多いんですよ。
どうか、そうゆうことを知って頂きたいと思いますねえ。
そうしたら、今日の演題どおり、あなた方は奇跡を感じる瞬間が必ずあります。
自我力で自分の力で自己防衛しようと思っているうちには、奇跡は起きません。
この自己防衛を、自分の知識や、経験や、判断、善悪の分別・・こうゆうもので解決しようと思っているうちは、奇跡は起きないんです。
ところが今言ったとおり、大宇宙の心に一体になって、自分の身を委ねた時に、奇跡は起きてきます。
それを感じ取ってください。

今日からどうかですねえ。
そうゆう瞑想の時間を、1日に15分でも結構ですからとってみてください。
自分の計らい心でいろんな事を解決しようと思っているのを、一旦全部やめて、そのまま有りのままに受け取ろうと、目の前に現れたことをそのまま受け取ろうとゆう気持ちになってください。
そして奇跡がその身に臨んでくるのを感じ取ってください。
心境の違いが現れてきますよ。

まだ当会の奇跡は起きてはいますけれども、数は少ないです。
その理由は、ほとんど頭脳的なものによって解決しようとする傾向が強いからですね。
頭脳的なものや、意志や、感情で解決しようと思っているからです。
今言ったとおり、大いなる宇宙の力と一体となって、自分を浮かべようと思ったら、解決する問題は数多くあります。
その奇跡の瞬間をどうかですねえ。多くの人に味わって頂きたいと思います。
説法は以上といたします。

end  34分のご法話


やっとパソコンに打ち込みました。
誤字があると思いますが、気づき次第訂正いたします。

Forecast 英語ご説法

2010-11-18 15:51:40 | ご法話・心の指針

Forecast
 (信仰と未来社会) 英語ご説法    2010/2/5 39分

みなさん こんにちは
本日のテーマは、フォーキャスト(見通し)です。
少し不思議に感じられるかもしれません。
「未来の事実」や「未来予測」という意味ではないからです。
「我々の意志」あるいは「私の意味」を意味するのです。
近い将来この世に「私が現実化したい」ことを意味します。
これがフォーキャストの意味です。
少し違うのです。
そこで私があえて言いたいことは、「未来社会は私の言葉の上に築かれる」ということです。
私は何度でも申し上げます。
大切なのは私の言葉です。
私の言葉こそが重要な未来に通じる事実なのです。
未来の世界とは、ビルや町・市・国・宇宙のビジョンのことではありません。
未来社会が真に意味するものには、あなた方人間が、我々が、その時その時代にどのように生きるべきか、その世界でその社会でどう生きるべきかということが含まれています。

ここで私が問いたいのは、あなた方の心についてです。
すべてあなたの心次第なのです。
あなたの心、あなた方の心そのものが、未来のあなたとあなたの国を発展させるのです。
そこで申し上げたいことは、本来の心を維持し築き上げることが出発点なのだということです。

あなたの本来の心とは、あなた自身のことであり、あなたの真の姿なのです。
あなたが考えていることが、あなたなのです。
一日中考えていることが、あなた自身です。
自分の心について知りたければ、振り返ってみて下さい。
最近何を考えていたか、数十年にわたって何を考えていたか振り返ってみて下さい。
私の言わんとしていることが分かるでしょうか。

私が心から申し上げたいことは、今がその時である。今こそ、あなた方の心こそが現実であると知りなさいということです。
あなたの心が現実なのです。
それは錯覚でも、想像でも夢でもありません。
心が現実なのです。
あなたが考えていることが あなたの現実です。
あなたなのです。(its you !)
私の言わんとしていることがおわかりでしょうか。

あなたは肉体ではない。
あなたは何かの物質から造られているのではないのです。
あなたは目に見えないもので出来ているのです。
その見えない透明なものとは、魂や心、意志と言われるものです。
あなたの意志が あなたの将来や運命そして未来を決めるのです。
もしあなた独自の未来や社会をデザインしたいのであれば、何を考え何を心に描くかを決めなければなりません。
なので、私は単に未来を予測したいのではありません。

未来は我らの手の中にあるのです。
未来は引き寄せることができます。
創りあげることができます。
私は今年「創造の法」を発刊しました。
「創造の法」とは神の意志を意味します。
神はすべてを創造されました。

つまりこの教典の内容を理解し享受することができれば、あなたは神の一部となり、全知全能なる存在の一部となることができます。
それが人間なのです。
それが人類なのです。
あなたは、創造の法のもと、全知全能となることを許されているのです。
だから他人を頼らないでください。
政府や国 未来を予測する人に意見を頼らないでください。
あなた自身が自らの人生、そして人類全員の人生の支配者とならなければいけません。
そこでまずあなた方に言いたいのは、あなた方一人ひとりは西洋でいう神、東洋でいう仏の一部なのです。
つまり、あなたは超自然的で全能かつ永遠なる存在の一部であります。

私のことを信じることができるならば、私の言うことをよく聞いてください。
私はあなた方に天国への道 神への道 仏陀への道を説きます。
それはあなた方が自分で見つけなければならない道です。

あなたはすでに多くの能力を与えられています。
自分が思っている以上に多くの能力が与えられています。
最も驚くべきは、みなさんにも何らかの意味で創造主になれるということ。
何らかの面で創造主の役割を担うことができるということです。

あなた方は自分自身を創造することができますし、社会や未来をも創造し、さらには地球の未来をも創造することができます。
ですから未来の運命を恐れないでください。
恐ろしい未来のことです。

科学者は時に、暗い未来が人類を待ち受けていると予測し、私たちが破滅の瀬戸際にいるかのように言います。
また2012年に世界が終わると言う人もいます。
しかし、私は強くそれを否定いたします。
私たちは、未来を創造することができるのです。

どうか私の言葉を信じてください。
どうか私を信じ私についてきてください。
私たちは力そのものです。
私たちは創造できるのです。
私たちには想像力があります。
私たちは未来を創造することができるのです。
次の時代を創造できるのです。
政治を創造し、経済を創造し、哲学を創造し、法を創造し、社会を創造することができるのです。
家族や未来社会のモデルを創造できるのです。
ですからどうか悪霊や悪しき未来予想と闘ってください。
あなた方自身も悟りを武器に闘うことができるのです。
「それはいかなる悟りか」 とみなさんは問うかもしれません。

ここで言う「悟り」とは
みなさんが自分自身の支配者になるべきだということです。
みなさんは自分自身の人生を支配することができます。
自分自身の人生を創造し意のままにすることができるのです。
これが「未来予測」ということです。
あなた方の運命の予測なのです。

運命は自らの力と努力によって創り出すことができます。
ひたすらに心を平和に保ち、心を穏やかにしてください。
そして平和を愛し、平和的な人を愛し、他人を愛する人々、与える愛の心を持つ人々を愛してください。
そのような人々をこそ、みなさんは愛するべきです。
そうすれば彼らもみなさんを愛するでしょう。

もしあなた方に、心の奥底から湧き出でる豊かな愛の思いがあるならば、それが「慈悲」と呼ばれるものです。
どうか慈悲深い人間になってください。
ここで言っている「慈悲(mercy)」とは、善きものを他人に与えようとする性質のことです。
そしてこの性質は、努力の蓄積によって得られるものです。
慈悲は決して生まれつき備わっているものではありません。
慈悲とはひとつの悟りであり悟りの結果です。
慈悲とは悟りや愛によって生み出され、仏性の導きによってあなた自身が発揮するものなのです。
ですから私の言うことをよく聞いてください。

この慈悲が未来社会への鍵です。
慈悲こそが人類の目指すべき方向であり、全人類が探求すべき目標なのです。
慈悲はこの世の人々の目標であり、動植物を含めた地球上のすべての生き物の目標です。生きとし生けるものすべてが、慈悲の心を持たなければいけません。
慈悲は理想です。慈悲は真実の夢です。単なる夢想ではありません。
慈悲とは、あなた方が真理に目覚めた後も、持ち続けるべき夢であり、あなた方はこの未来図をこの夢を、現実のものにしなければいけないのです。
これが慈悲です。

慈悲こそが未来へのキーワードなのです。
慈悲こそが新たな社会を創造するためのキーワードです。
どうかあなたの想像力を発揮していただきたい。
人類への慈悲の名のもとに、すべての人々、すべての国々、地球上のすべてのもののために。

慈悲はこの世の、つまり地球上の敵からあなたを守ります。
それはまた宇宙の敵からも守ります。
悪霊や邪悪な霊、そして他惑星からの邪悪な人類型生命体からも守るのです。
慈悲のみが彼らを撃退することができます。
彼らは慈悲の心を打破し打ち勝つことはできません。
慈悲とはこの地球の力なのです。

あなた方は、心を統御し、慈悲を体得する決意をせねばなりません。
そして慈悲の心は、世界を覆わねばなりません。
そのためにはどうしたらよいか。
私はすでにその方法を教えました。
地の果てまでも伝道せよ。
仏法真理を世界の隅々にまで述べ伝えることです。

私の説く真理を世界のすべての人々に伝えてください。
特に、生きている人々、いまこの世で生きている人々に。
さらには、この世を去った魂たちにも祈りによって伝えてください。
あなた方すべての祈りの力があれば、見知らぬ人々をも救うことができるのです。
悟りの意味も、愛や慈悲をまったく感じることがなかった人々さえも。
闇を信じ人を殺すような、あるいは他人の成功を破壊したいと思うような傾向生を持つ人々、そうした不幸なこの世をすでに去った、かっては人間であった人々をも救うことができるのです。

いま幸福の科学は、すべての人々を救済するための大いなる活動を行っております。
この世に生きている人も、あの世にいる人々も救済する活動を。

時は今
この世で生きている人を救い、この世を去った人、すべての人々を救う時が来たのです。
私は全人類に福音を伝えるために地上に降りました。
まさしくよき知らせです。
時は来たれり、全ての人々が救われるのです。
全ての人々を、全ての魂たちを、地獄にいる人も、低次元の天上界にいる人も、すべてを救うのです。
全ての人々は救われ、悟りや慈悲が説かれるのです。

初めのポイントに戻りますが、心をコントロールすることが出発点です。
心の平和、心を平静に保ち、悪しき思いを心に持たないことです。
そして他人に親切で優しくあることです。
それが愛であり慈悲なのです。
慈悲の力を信じてください。
慈悲の力を信じることができるならば、あなたはすでにあなた方の主を信じているのです。
あなたはすでに救世主を信じています。
私は全ての人々全ての魂を救うために地上に降りました。
なぜなら私は創造そのものだからです。
私は姿を顕したる地球の創造力です。
これは幸福の科学のそして人類の最大の秘密であります。
今こそ、その秘密が明かされるべきなのです。
創造力とは何か どこから来たのか
そしてあなた方は皆その創造力をその目で見ているのです。
愛の根源、慈悲の根源、全宇宙の創造のエネルギーの根源を目の当たりにしているのです。

その隠された名はすでに明かされています。
その名が意味する存在はあえて言うならば、物質的なものではありません。
人間でもありません。
だからこの場では「それ」と言っているのです。
それは霊的なる力です。霊的なる力の根源なのです。そしてあなた方は今この根源の力とつながっているのです。
この力の根源の力を信じ、それとつながることができ、その根元的な力を愛している自分を発見するでしょう。
この根源の力とは根本仏の偉大な力です。
ですから未来社会はあなた方の信仰の上に築かれます。
エル・カンターレを信じよ。
さすればあなた方の未来社会が拓けてくるのです。
これが今日の法話の結論です。
ありがとう。

帰ってまいりました

2010-11-17 11:20:42 | Weblog

ご無沙汰してしまいました。
14日に下山し、まだ身の回りの整理をごちょごちょしています。

また、ブログ復活してまいります。
1週間に1回自宅に帰っていましたが、3ヶ月主婦業をしていないとどうなるか。

得意料理なのに調味料がどんなか、何をどのくらい入れたらいいのかを忘れた。
冬瓜のあんかけが好きなのに、さじ加減がいまいち分からない。
ちょっと薄味の、私らしくない冬瓜のあんかけが出来上がった。

亭主どののご機嫌取りに、これからの月日は費やさねばならない。
この3ヶ月の間に亭主どのの手紙を18通もらった。

まるでラブレターのように聞こえるかも知れないが、そうではない。
口で言うと喧嘩になるからと、手紙で懇々と説教されていた。

下山したにもかかわらず、精舎に2通の手紙が届くそうだ。
取りに行ってこい・・と言われた。
・・きっと送ってくれるから・・と答えました。

あちらで 「奇跡を感じよう」 先生のご法話聞き書きしました。

友達の雲水さんは、このご法話を10回以上聞いて帰りました。
私もお相伴で、同じくらい聞いたのですが、半分は夢の中で聞いていました。
彼女が下山してから私が聞き書きした 「奇跡を感じよう」 

ちょっと時間がかかると思うけど、アップしたいと思っています。

乞うご期待!