おはようございます。
あの地震から2週間が経ちました。
大切な人を失った方は、時間の経過と共に悲しみが大きくなっているのではないでしょうか?
自分の意思で頑張ろうと思える日がくるまで、皆で支えていかなければ・・・・。
地震直後の長女の部屋です。↑
床にはガラス片や鏡の割れた破片も有り、靴を履かなければケガします。
そして地震4時間前のカメです。
重なってる事など今まで無かったので珍しくて撮りました。
何か感じてたのかな??
家の電話がやっと繋がるようになった日の夜明け・・・・早朝4時、電話が鳴りました。
「???????」また新聞屋さんと間違えた人の電話かな?
もしもし・・・・。 「ズッコ家さんですか?」 あら!間違いじゃないな・・
はい。 「・・・ズッコさん??」 はい・・・。男の人だな・・誰だろう?
「やったーーーーー!!生きてたぁぁぁぁっ!!良かったーーーー!!」
繰り返し叫んでる・・・・早朝4時ですよ・・・。
どちら様ですかーー?? 叫んでて聞こえないみたい・・ 「○○です。」
はいっつつ??
その名前はとても珍しく、私の記憶の中で知人は1人だけ・・・・まさか・・・・
33年程前、中学生だった私。携帯など無かった時代にお友達の紹介で始めた 文通。
相手は岐阜県の同級生の男子。
何回かの写真のやりとりは有りましたがお会いした事は有りません。
途絶えたり、思い出したように手紙が届いたり・・・
お互いに家庭を持ち、今でも年賀状のやり取りは続いていました。
でも・・・まさか・・・。いや そうでした。 文通相手の彼でした。
結局朝5時まで話し、まさかの時の為にと携帯番号を交換しました。
こんな所に心配してくれてた人が居た・・・・嬉しくて、驚きで、もう眠れませんでした。
手紙だけで繋がってた縁。 電話を通して心を受け取りました。
この話、ゆうべ心配して電話して来た 私の幼なじみの大親友、
ブログのコメも書き込んでくれる リボンちゃんに話したら私以上に驚き!!
あの当時の話で大盛り上がり。懐かしいねーぇ。
そういや2年前の内陸地震の時には、25年も前に辞めた埼玉の会社でお世話になった方々(男性軍)からも電話をもらい、辞めて以来始めて話して
覚えててくれて、心配してくれて、電話してくれて、嬉しくて
泣いてました。
いい人達に囲まれて今まで生きて来れたんだなぁ・・・。
大きな大きな悲しみに包まれた今回の災害ですが
人の心は その傷をきっと癒してくれるはず。
私が癒されたように、私も誰かの小さな力になりたい、
そう思っています。
今日も一日 頑張りますっ。