ポピュリズムという言葉は一般的には「大衆迎合」と訳されます。
私の解釈では「世間の大多数の人の意識を尊重した考え方」と認識します。
まぁ、その部分に関しては否定的には捉えていません。
否定的ではないと言っても、そこには多くの人の考え方の在り方に問題を感じます。
メディアによって穿った向きに先導された意識が多くなると そこには捻れた意識ができます。
それが「ポピュリズム」となるなら誤った方向に世の中が進みます。
「先導」という言葉は ともすれば「洗脳」につながります。
「洗脳という動き」はかつてのオウム真理教の道筋に連動します。
どんなに懸命な、あるいはどんなに聡明な人間でも意識が偏ったら怖い存在になります。
ポピュリズム、他勢に無勢の世の中はそれほどまでに 頭のいい人までも捻じ曲がった世界に連れて行きます。
その動向を司る元になるのが「メディア」「報道」というものでしょう。
それは具体的にはどういうモノを表しているか。
テレビ、ラジオ、新聞、雑誌 etc
そして現在はその核となるのが「インターネットを媒介にしたもの」に移ってます。
インターネットは今や『スマホ』という道具で日常に入り込み 個人の頭の中に埋め込まれつつあります。
意識の多くにネットニュース、メディア情報が埋まって行きます。
例えば 歩道を歩いている時にすら、足元の草花は全く認識はなくても、世間の報道はいつも脳裏に浮かんでいるのでしょう。
聞くところによれば スティーブ・ジョブズが生みの親と思われてますが、もっと前に、その基礎を構築したのがNTTの「iモード」らしいですね。
まぁ、それはいい。
日常に洗脳された文化が入り込むと最も簡単に人は狂うって、世間の人々は薄々感づいているはずなのに、それでも尚 道を修正しない。
本来、我々の未来がどうあるべきか考えようとしない。
そこを私は「何故なの?」と思うのです。
人は「楽」を知るとそこを手放す勇気を桁違いに使わなければならないらしいです。
ー「今更、原始時代に戻れというのか?」ー
まぁ、そこまでしなくてもいいと思いますが当然 不便を強いられる覚悟が必要ですね。
それでも、今の私はそれをしたいと強く思っています。
まだまだその思い、念じる力が足らないためにグズグズしてます。
どうするべきか。
思案の最中。
と言うか だらしない怠け者ですからなかなか進まない。
それを飲み込んだ上で計画せねば、です。
道は遠い。
死ぬまでに到達できれば良いですが(笑)