労働の現場はアルバイトをたくさん使う雇用形態になっている。
アルバイトというのは限られた時間の中で切り売りする時間労働者と言っていい。
社員とは違い、限られた時間内での労働だ。
その場合の労働時間には上限の制約がある。
それともう一つは現在の労働環境。
被雇用者は丁重に扱わなければ法律に抵触する。
つまりアルバイトの時間を無理強いさせることなく、可能な範囲で変化させて対応しなければならない。
ここで人を応対する接客業の現場の立場が問題となる。
人を応対する仕事の労働市場においては、お客さんに応対できるかどうかが肝になっている。
被雇用者がそれを拒否すれば、顧客は応対できないこともありうるということだ。
応対できないと困るから、その職を担っている企業のいわゆる社員と言われる人たちがそれに対応していく事になる場合がある。
あるいは、それに準ずる契約内容を担っている人たちがやっていく。
従って社員さん(正規労働者)は非常にフレキシブルで重労働になっている。
しかしそこが激務となり、今やそういう正規労働者もその職を離れつつあるのだ。
接客は精神的に疲弊する。
何故なら日本の労働環境が『お客様は神様』的な印象操作をしてしまったからだろう。
とにかく接客業に於いて提供する側は拒否ができないという暗黙の了解がなされるからだ。
したがって、接客業を担う企業は非常に厳しい環境になっている。
昨今のニュースにも出ていたけれども、中国国内においてもそういう環境になっているようだ。
日本国内も同じらしいし、おそらく他国も同じだろう。
かつての日本においては、そういう従業者は非常にハードな労働環境だけれども、時間と共に正規雇用として給与が高くなっていっていた。
いわゆる根控除列に見える自動的に所得が上がる仕組みがあった。
そうなると、話は違っていた。
つまり、その仕事の核を担う労働者は、大変な重労働をするけれども賃金が高いと言う給与の上昇があったのである。
現在、日本国が言葉だけで言っている『賃金アップ』は、当時は自動的になされていた。
現代社会においては、そういう労働市場には賃金アップの方向が向いていない。
多くの労働者はそこ(能力主義)を拒否する。
そうなると、今後そういう労働市場には、一般の人たちよりも2倍、あるいは3倍の賃金に無条件に持っていかないと、誰も人がいなくなるだろう。
そういう環境が本当に良いのか悪いのか?
その辺を、政治関係者は気づいていないのではないだろうかと思う。