つまり「厳しくされてもやる気が出ませんよ」と言いたいのでしょうね。
実際には事実と似て非なることばなのかな?
内含する意味は
「消極的な方法ではやる気にはなりません」という意味が込められてるんでしょう。
確かに人の心は否定的な言葉で追い込まれてもやる気を削ぐ事が多いですね。
むしろ、面白がれ、楽しめ、という気持ちを膨らませる方がパフォーマンスも上がります。
面白いゲーム、楽しそうな旅行、美味いご馳走などは、人の目を盗んでまでして入り込んでしまう。
そういうことを言いたいのでしょうね。
ただ、その意味合いの中には「褒められて何々」は無い。
「やりたく無いことをさせようとしてる」という観点に視線を向けるのがポイントかな。
やりたく無いことを、やりたいことに変化させる方が良い、と言いたいんでしょう。
そこから面白いと思うのは、我々が洗脳されてる「メディアのフェイク情報」はそういうモノで形成されてます。
歴史の中で紐解けば、それによって人間は今に至ってる。
出産の苦しみを乗り越えるのはセックスの快楽。
まぁ、種の保存は乗り越えるというより自ずとやってしまう習性というところまで発達してますがね。
生活の中の労働や苦しみを乗り越えるのは家族に対する愛情。
などなど、そういうふうに進化がもたらされてる。
そこに気がついたら、我々が今後、何を為すべきかの答えが自ずと潜んでる気がします。
今、苦しんでる何かが楽しいものに変化させられるものなのかどうか?(笑)
その前提として、いずれにせよ、今を生きるための身体的な活力と身体的な健康は重要な要素でしょうけれど(苦笑)
命のあり方にまで紐づいてる事かも知れ無いなぁ、と大袈裟に考えてしまいます。