四代目桶屋金之助の世界

おろかなるひとり言
胸を張れるような自慢話などはありません。
照れくさい話や恥ずかしい話ばかりです。

なぎらけんいち 『1973年の想い出』

2020-11-16 13:18:40 | 音楽
1973年。中学3年生だった。
あの頃学んだ国語、数学、英語・・・。
教科書に何が書かれていたか、覚えがない。
授業で学んだこと、今ではもう忘れてしまった。

だけど、あの頃に聴いた音楽。
フォーク、ロック、歌謡曲。そして洋楽ポップス。
ラジオから流れてくる音楽は、今でも覚えている。

拓郎、陽水、かぐや姫全盛時代。
当時の復刻盤CDを聴けばあの頃の空気が伝わってくる。
深夜放送「ミッドナイト東海」は、僕たちのバイブルだったかもしれない。

1973年秋。
修学旅行は東京・日光だった。
バスに乗って東京観光。
ガイドさんが、「あの川が今はやりの神田川」と案内。
♪窓の 下には 神田川
歌のイメージと違っていたのが、修学旅行の最大の思い出となった。

なぎら健壱さん。当時は、“なぎらけんいち” であった。
この歌が収録されているアルバム「葛飾でバッタを見た」も
1973年ぐらいに発売だったかと思う。

【エレックレコードの謎???】
このアルバムに収録されている「悲惨な戦い」。
アルバムはURCレコードから発売された。
「悲惨な戦い」のシングル盤はエレックレコードから発売された。

吉田拓郎さんの『結婚しようよ』
エレックから発売されたアルバム「人間なんて」に収録。
シングル盤は、CBSソニーから発売された。
拓郎さんは当時、エレックレコードの契約社員だった。

泉谷しげるさんの『春夏秋冬』
アルバム「春夏秋冬」はエレックから発売。
シングル盤はビクターから発売。
この音源はエレックの「唄の市」のライブ盤。

1stアルバム「泉谷しげる登場」は疑似ライブという噂。
他にも疑似ライブのレコードもあるという。
拍手や声援なの効果音が使い回しされていたという。
これは、なぎら健壱さんが証言している。
スタジオ録音をなんのために疑似ライブにしたのか、よくわからない。

海援隊、古井戸、ケメなどフォーク系のインディーズ系のレコード会社だと思っていたが、
倒産する前には、德川夢声の講談「宮本武蔵」全100巻なんてものまで出している。

他にもいろいろあるらしいが、謎につつまれたレコード会社だという。
エレックレコードはよくわからない。
そこがエレックレコードの個性だったかもしれない。
こういうレコード会社、今では考えれない。
それが今だからおもしろいと思う。


なぎらけんいち「1973年の想い出」
コメント (2)
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