週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#128 -’24 トナカイに乗って都内を空中散歩かな!

2024年05月28日 09時55分59秒 | 街角

B24 新海監督の『君の名は』アニメの聖地巡礼の須賀神社の項目とついきしました。

誕生日プレゼントを持参して孫の待つ家に向かいました。

我が家から息子のお宅に伺う為には皇居の南側を通るか北側を走るかの二者択一に成ります。

今回は、トナカイならぬ車での訪問は空を飛ぶことが叶いません。

往きは北側を、帰路は南回りを走りました。で気になった街角をアップします。

A1 出発での記録用に撮っています。記録では午前9時30分ジャストでした。

A2 東日本大震災では天井の落下で死傷者がでました。九段会館も完全に改築が済みましたが過去の建物を残し形での再建築です。軍人さんたちの会館です。

A3 平川門の蘊蓄を家内から受けて近くを通過しました。

A4 平将門の将門塚(お墓と供養塔)です。

A5 手前の高架の首都高速とその奥の鉄道線路に水戸方面に行くとき乗ったときわ日立が走っていましたので撮影です。小さすぎて分からないかも。

A6 この先の左手の道を入った所が小網神社です。何時も混んでいます。何時かはちゃんと参拝せねばと思っています。

 

B1 帰宅編です。写真は京樽の店舗が有ったので撮影です。

B2 日本橋を北から南方面に走行中です。右手後方が三越日本橋店です。橋を越えると高島屋があります。

B3 赤い日除けがある所ところが高島屋です。

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B5 南北に貫くメインの銀座通りです。一丁目から新橋の隣の八丁目迄です。我が家は四丁目で右折して晴海通りに入り内堀通りを半蔵門迄走ります。半蔵門を左折して四谷・新宿へと。

B6 ロンドンの二階建てバスが停車していました。宣伝用ですね。

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B9 あんぱんの元祖のキムラヤパンです。

B10 縫いぐるみを来ていないゴーカートの外国人です。今は、商売として使用するので問題に成るのかもです。

B11 銀座五丁目に建って居た三愛が撤去されたのでお隣の鳩居堂が良く見召す。右折して晴海通りに入ります。

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B16 新海監督のアニメの君の名はではありません。老人が思いだすのはこちらの数寄屋橋のお話です。ここから日比谷の交差点手を祝田橋直前で地上に上がります。晴海通りの交通の要かも。

 

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B20 法曹会館か法務省の旧館か?

B21 貉の住む建物が見えてきました。

B22 最高裁を左に見なが内堀通りをもう少し走ります。

B23 閉館した国立劇場ですが、建て替えの入札もなかなか儘ならないようです。 

B24 ローソン100の道の所の須賀神社の表示がありましたので撮影しました。有楽町の数寄屋橋で『君の名を』を自分が物心つく前に人気に成ったドラマを話題にしたつもりでアップしました。今回の追記は、新海監督のアニメ『君の名は』の聖地となった須賀神社前の階段です。トラベル jp からの引用です。

空前の大ヒットとなった新海誠監督作品のアニメ映画『君の名は。』。その舞台は、人気観光地でもある岐阜県の飛騨高山や東京が中心で、あの糸守湖のモデルは長野県の諏訪湖といわれています。飛騨古川駅、気多若宮神社、飛騨市図書館、須賀神社など実在する場所も数多く、聖地巡礼ツアーも人気。

落ち着いたら行きたい『君の名は。』のモデル地、聖地になっている観光スポットをご紹介します。

B25 新宿西口に建つコクーンなどが見えてきましたが、今日は伊勢丹の所で右折して明治どうりに入ります。

B26 東新宿の明治通り際に建つ日清食品です。

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#085 -’24. AZABUDAI - HILLS を再訪して

2024年04月16日 20時15分35秒 | 街角

家内が良く街歩きする友人を誘って二度目の森JPタワーです。

自分はナナちゃんと仲良くお留守番です。

1 株主通信などを良く読んで、その企業を好きになる事が第一歩ですが。今回は内容は良く読んでいませんでした。本日の大引けで、多くの企業が大幅に下げていました。因みに今回の№2914のJPは-80円の下げでした。

2 本日所有している中で一番下げたのは、三井住友FG-309円です。その後に続くのが商船三井、トヨタなどです。押し目買いするほどではありませんので、特に行動を起こしてはおりません。心のどこかにはリセッションを心配して現金化すべきか悩むところです。

3 森JPタワーのスカイロビーからの見学の方も一段落したか、広場を歩いている人も心なしか少ない感じです。

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8     オラファー・エリアソンの《相互に繋がりあう瞬間が協和する周期》です。

9     jpタワープラザ3Fに、11時に着きましたが、お目当てのラシーヌは、本日は予約で、満席でした。

10     リストピッツァ バイナポリスカは、11時30分開店ですが、10人位並んでいました。

11    ピザは、マルゲリータ(クラッシック)を注文、生地がとても美味しかった。

12     ナポリ風濃厚ミートソースのフェットチーネです。

13     ピザとパスタは、2人でシェアしました。飲み物は、マンゴージュースです。

14 ネコの箸置きと言うか、ナイフ&フォールの置くために縦置きになって居るのが最近の傾向のようです。本来はアイロンのかかった白い綿のテーブルクロスが敷かれているのが本来の姿です。和食ではありませんから箸置き(カトラリー置き)などありません。白いテーブルクロスに憧れる自分です。

15 建物内からガラス越しだそうです。

16      33階の展望台(スカイロビー)の一般公開は、17日までですが、思った程は、混んでいませんでした。

17     レインボーブリッジ方面を

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19    麻布台ヒルズアリーナとモニュメントの「東京の森の子」です。

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21    ジュンベリー越しにモニュメントを

22     八幡神社です。

23     歩き疲れて、麻布台ヒルズギャラリーカフェで、麻布台ブレンドコーヒーを

24     発酵あんこの抹茶ケーキ

25     発酵レモンのレアチーズケーキ

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特別便(katananke05 さんへ)です。

2024年04月09日 15時45分29秒 | 街角

アメリカン倶楽部から AZABUDAI 森JPタワー 迄の行き方説明するスレッドです。参考になれば幸いです。

次の写真はお邪魔した時の物で、 AZABUDAI 森JPタワーの33階展望台のスカイフロアーから撮影した写真です。展望台の足元を撮影していませんでした。その為、アメリカン倶楽部が写っていません。左の青丸はアフガニスタン大使館です。右の赤丸はマンションの麻布台パークハウスだと思います。その写真情右手側の二軒目位に東京アメリカンクラブがあります。意識せずに撮影しましたので写っていませんでした。入館資格が無いのでアメリカンクラブにお邪魔した事がありませんが、前を通った時の写真はこちらです。

次はグーグルマップをスクリーンショットで撮ったものです。そのすぐ上側、が外苑東通りの向かいに森JP タワーのビルがあります。

ピンクのドーナッツ状の所がアメリカンクラブで、その右手上(黄色い四角枠)の所がロシア大使館です。その先の赤い丸で囲まれた所が建設状態の写真ですが、今は完成後の森JPタワーです。

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#068 -’24. 麻布台ヒルズの空間を散歩して  

2024年04月06日 14時38分27秒 | 街角

頂いた麻布台ヒルズガイドを観てみるとホンノ一部分のみ散歩して来ただけでした。

最初に森JPタワーのスカイロビー(33F&34F展望台)から下に降りて来て広場を探索しました。その時の写真をアップします。正確には名称がついていますが、不正確になっても問題ですから、大雑把にガイドに載っている物が分かれば表示します。個人的な感覚でも感じたことをアップしますが、不正確でもご容赦の程。

1 るるぶ&MORE の記事から借用させて頂きアップします。

2 中央広場・麻布台ヒルズ  アリーナ。

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5 桜の若木に一輪、二輪と咲いていました。年輪を紡いでいけば素敵なサクラを観る事ができるかと。

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8 この曲線は、建物の強度にも関係しているのかもしれませんが、視覚的にインパクトが有り写真より実物は良かったです。

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10 地図の上に赤い色がついている所が六本木駅です。その上方が防衛庁たっだ東京ミッドタウンです。その南(地図上では下)巨大な建物の六本木ヒルズです。その右手が今回お邪魔した麻布台ヒルズです。

11 ここはブルガリの店舗ですが、有名な名店が揃っています。

12 北側を東西に走る麻布通り、西側を南北に走る外苑東通り、南側を東西に走る桜田通で、写真に写っているのが麻布通りから下り基調で桜田通りに向かう桜麻(さくらあさ)通りです。

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15 地図の上側は西で大きな青いのが森JPタワーです。地図の左下側の濃い緑は桜麻通りを囲う

16 神谷町駅方面から坂の上の麻布通り六本木一丁目駅方面をむいています。通り自体は桜麻通りです。

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20 以前から在った新興宗教団体の施設です。

21 桜麻通りを南に向いて撮影です。

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25 左へ行けば坂をのぼり六本木一丁目駅方向へ、右に下れば直ぐに神谷町駅です。

26 円錐形の白いオブジェは《東京の森の子》だそうです。

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30 神谷町に向かう地下街のお店に行列ができてました。勿論、麻布台ヒルズです。

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#066 -’24. 六本木一丁目駅から森JPタワーに

2024年04月05日 07時00分01秒 | 街角

追記です。一旦前に出します。20240405070001

森JPタワーが建設される前のスレッド『#037 -’19. カザフスタン大使館からフィリピン大使館へ街歩き』に記載されて居ましたので一部転載します。

【何処となくレトロ感の漂う重厚な建物の麻布郵便局です。
見て一番最初に脳裏に浮かんだのは市政会館と似ていると感じました。

ウキペディアの麻布郵便局の概要を引用させて頂きます。
住所:〒106-8799 東京都港区麻布台1-6-19
日本郵政グループ飯倉ビル(旧日本郵政公社東京支社社屋)内に設置されている。
入居する建物は1930年(昭和5年)に竣工した旧逓信省貯金局庁舎で、設計は大蔵省営繕管財局、施工は銭高組である[1]。1943年(昭和18年)から逓信本省庁舎として使用され、1949年(昭和24年)に二省分離(郵電分離)により発足した旧郵政省が1969年(昭和44年)7月まで郵政本省庁舎として使用していた。なお、当郵便局は1945年(昭和20年)に空襲で被災した影響で逓信本省庁舎に仮住まい、翌年の1946年(昭和21年)、正式に入居している。当初は建物正面に向かって左側の外務省飯倉公館側に位置していたが、1984年(昭和59年)から1987年(昭和62年)にかけての模様替工事の際、建物正面に向かって右側へ移転している。
郵政本省庁舎が千代田区霞が関へ移転した後は引き続き「飯倉分館」として長きにわたり使用されていたが、千代田区大手町にあった旧日本郵政公社東京支社が2005年(平成17年)5月にこの建物へ移転、2007年(平成19年)10月1日の民営化後は郵便局株式会社が、2012年(平成24年)10月1日以降は日本郵便株式会社が「日本郵政グループ飯倉ビル」として所有、当局のほか日本郵便株式会社東京支社などグループ各社の組織が入居している。
当地を含む一帯を再開発する 「虎ノ門・麻布台地区第一種市街地再開発事業」の開始に伴い、2018年(平成30年)11月19日に手始めに当局が東京都港区麻布台一丁目7番3号に移転する予定。飯倉ビルも解体される予定。

02

以上の所まで再掲です。】

次から、本来のスレッド記事です。

道路の反対側にはニュースなどで見慣れた飯倉公館がありました。
今ではそれほど外交関係のニュースに上る機会は少なくなりましたが、外国からくる賓客や外交交渉の使節団などの会議や接遇や歓迎レセプションなどにも多用されました。
全てではありませんが今は多くを赤坂迎賓館がその役目を担っています。
赤坂迎賓館を訪れた時のスレッドはこちらこちらです。
03

六本木一丁目駅で地下鉄を降りて、地上に上がりました。麻布通りから飯倉片町を曲がり外苑東通りを進みました。

 過去に訪れた泉屋博古館関係のスレッドはこちらこちらです。

 アークヒルズのサントリーホールのスレッドはこちらです。

1 六本木一丁目駅の出口に依っては、泉屋博古館(住友)方面やアークヒルズ(サントリーホール)方面とアザブダイ・ヒルズに向かう方向を選んだつもりです。

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5 六本木一丁目駅を出て地上に上がって来ました。通りは麻布通りで目の前の高架は首都高です。

6 進行方向の逆の六本木二丁目方向を撮影しています。六本木一丁目駅の二番出口です。

7 途中の道に入らず、真っ直ぐ麻布通りから飯倉片町を曲がり外苑東通りを進みました。

8 坂を下がればアークヒルズ方面で、先に進めば麻布台ヒルズです。

9 レジデンス棟が未だ建築途中でした。

10 小学校前の桜の花もちらほらと。

11 角を曲がると見覚えのある外務省の飯倉公館です。

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13 道路の反対には麻布台・森JPタワーに辿り着きました。記憶違いでなければ正に今立って居るところは低層階の郵便局本局が建っていたようなきがします。以前に飯倉公館前を歩いた時の記憶が戻って来た感じがします。❓

14 タワープラザ入口です。

ここを入らずにオフィス口から入りB1にエスカレーターで向かいました。

15 素通りして先のオフィス入口へ向かいます。

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17 こちらがオフィス入口ですが、直ぐ正面に地下に向かうエスカレーターに乗って、B1の展望台に向かいます。

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#061 -’24. AZABUDAI HILLS スカイロビー(33F・34F)

2024年04月03日 00時18分41秒 | 街角

AZABUDAI HILLS  の33階34階の スカイロビー(無料展望台)の開放期間が4月17日を以ってが終了するとの事行って来た。JPと森ビルがコラボして造った街のようです。JPの株主案内でしりましたが、以前から独特の外観をしたガーデンプラザ周辺が気になっていました。

我が家では、期間限定とか無料と聞くと行きたくなりますし、今回の目的であったスカイロビーや入場料を払えば入れるという物でもないとの事。入る為には一定の条件があるとの事で、行ってきました。

1 HPからスクリーンショットでスカイロビーの4月18日からの利用法を借用しました。この事を知って我が家も訪問させて頂きました。

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3 神谷町駅からAZABUDAI  HILLS  に向かうか六本木一丁目駅から向かうか考えましたが結果的に、六本木一丁目駅から外周を廻り外苑東通りの此方の写真の所から入りました。

4 AZABUDAI HILLS と書かれている所からです。

5 ここを入り地下一階の入口に向かいました。

6 地下にエスカレーター下ると沢山の方が並んでいました。因みに、この写真撮影時刻は10時55分です。

7 列もドンドン進み、エレベーターで33階に向かう途中です。

8 西の方向の展望が開けていました。ですから夕陽が見えますし夜間も良いかも。

9 黄砂の為か、空も大空で美しいという風景ではありませんでした。それともやっているのか春霞なのか視界が利きません。

10 右手には巨大で特徴的な六本木ヒルズの建物が見えます。

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12 東京湾方向です。

13 東京タワーとお台場のフジテレビや東京プリンスホテルホテルなどが目に入ります。

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17 視界の開けた西側のガラス張りの反対側には、33階34階の所に階段状の座れる場所があります。そこに座った所から撮影した一枚です。

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#043 -’24. 新宿御苑へ車で向かいました。

2024年03月14日 20時04分44秒 | 街角

新宿に新しく出来た東急歌舞伎町タワーにリハビリを兼ねて行ってこようとなりましたが、少し不安も残るので車で同じ新宿ですが御苑に行ってきました。

新宿御苑は別便で、今回は往きと帰りに車窓などからの風景です。歩行を少しにする為に車にしましたので、食事を済ませて我が家に帰って来た時の歩数は5700歩でした。

それでは、車窓から。

1 正面は新宿御苑で甲州街道は地下を左右に走っています。正面に見えるのは南新宿のドコモのビルです。

2 駐車場は四谷寄りなので左折して大木戸駐車場に向かいます。

3 ここを右折して駐車場へ。

4 待つことなく駐車できました。

5 カーナビの画像です。

6 駐車して新宿御苑の入口に向かっています。

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8 3月下旬から桜のシーズンになり事前予約制になります。

9 大木戸口から入ると直ぐに温室が目に飛び込んできます。

10 新宿御苑の見学も終えて帰路に就きます。駐車時間は1時間と30分で駐車料金は2時間で600円でした。入園券購入時に窓口で駐車割引の手続きをおこないます。

 

11 土日毎に買い物に来ていた伊勢丹です。

12 この少し先、アルタが在った近辺に大きな三毛猫の3Dモニターがあります。肉眼で見ても本当に見える程の出来栄えです。

13 左折して新宿大ガードを潜ります。正面左手が新宿プリンスと西武新宿駅です。右手がお邪魔しようか迷った新宿の東急歌舞伎町タワーです。すてきですよね。

14 大ガード下で停車しています。右に行くと小滝橋で、左は新宿駅西口前で、正面は新宿西口側の高層ビル街の北外れです。

15 いつもは通らない、中野サンプラザの様子が気になり前を通ってみました。未だ撤去工事は始まっていないようでした。

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#287 -’23. サンタさんに早変わりして、孫にクリスマス・プレゼントを届けに行ってきました。(その二)

2023年12月18日 10時47分54秒 | 街角

都内の秋をお届けします。車窓からの写真ですから素敵な木々の姿でも。名所とは言い難いですが、それでも都心部を象徴するものなどを。

1  石柱には銀杏八幡宮と彫られていました。これから帰宅します。今いる場所は日本橋です。日本橋と言っても広うござんす。(5845)

2   資本主義経済の中心地のJPX・東京証券取引所です。今は昔の如く場立ちが無く静かなものですが。(5846)

3   昭和通りを通り、右折して鍛冶橋通りに入った積りが八重洲通りに入っていました。ガードを潜れたものを八重洲駅正面に進行です。その為にツムラのキリンを見る事ができました。(5847)

4   地下駐車場(首都高)等の換気口のTVアンテナの先にキリンが立っています。

 

5   正面に東京駅八重洲口のバス停の庇がみえます。成田空港から海外に出発する時に、銀座の宝くじチャンスセンタ脇と東京駅八重洲口からバス乗った物でした。(5849)

6    庇の手前を左折して皇居方面に向かいます。(5850)

7    八重洲口の正面に立つ東京ミッドタウンです。(5851)

8    正面から助手席の家内にスマホで撮ってもらいました。(5852)

9   ガードも過ぎて丸の内仲通りを横切る直前です。従って正面は皇居前広場です。(5853)

10    横に丸の内仲通りをみて。(5854)

11   明治生命館です。(5855)

12   馬場先門を左折して内堀通りの帝国劇場前を通過中です。(5856)

13   銀杏がこれ程多いとは思っても居ませんでした。(5857)

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15   日比谷交差点を右折して桜田門直前です。(5859)

16   日比谷公園を通り越して法曹会館です。(5860)

17    法務省旧館ですが今は名称が変っているかも。赤レンガで立派な歴史的建造物ですから後世に残すと共に一般開放して欲しいものです。(5861)

18   桜田門の櫓が見えています。(5863)

19   左に行くと六本木方面で正面は国会議事堂です。5864

20   右手の内堀通りを通り先に向かいます。この先は三宅坂で青山通りと分離します。我が家はもう少し内堀通り通り半蔵門で甲州街道に入ります。5866

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22  国会の前の公園です。正式には国会前庭様式庭園です。ここには日本水準原点があります。(5870)

23    最高裁隣の国立劇場ですが、建て直しの建築工事主体JVなど落札しないようです。物価高騰と現在の建築ラッシュですから大変です。(5872)

24   直前で甲州街道と別れてアルタ前を通る新宿街道に入ってきました。左前のマイクロバスの所を左折すると新宿御苑駐車場に入れます。100m有るか無いかの近距離です。(5874)

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26   新宿通りの車道脇には落ち葉が沢山吹き寄せられています。(5876)

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#283 -’23. 今日は銀座、東京丸の内と街歩きです。

2023年12月14日 21時15分41秒 | 街角

今日は自分一人ですが、家内の用事でデパートでの買い物です。スパーなら徒歩で家内は毎日いっていますが。デパートとなると割引の効く三越か伊勢丹に行く事になります。伊勢丹は若者向きですし、今日は家内の命を受けての用事となると三越に落ち着きます。でも、三越が最近とみに使い勝手が悪くなりました。新宿も池袋も閉まりその他利用できる所は近所にありません。副都心では無く、完全に都心に出ねばありません。都心に出たついでに少しだけ街歩きをしてきました。

数寄屋橋から銀座四丁目の三越地下で用事の買い物をして。日産のギャラリーの入っているサッポロビルで車をみてきました。

1   今ではお邪魔するのは日本橋か銀座のみになりました。その他は寄る機会もなくなりました。何も被り物など衣装も着ておりませんでした。

2   5丁目側から新館のイルミネーションを。  

 

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5   一階のニッサン・ギャラリーでダットサンT14型トラックがレトロでおしゃれで中に入ってしまいました。セルモーターも無い時代ですから前のバンパーの所からエンジン始動用のクランを廻してエンジンを掛けていたと思います。今の若い人は知らないでしょうが。

ニッサンGTRとスカイラインハードトップを拝見してきました。

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7   タイヤハウスが車体から外に出ていてこの湾曲して居るフェンダーが何とも好きです。

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10   ケン―&メリーで一世を風靡したスカイラインです。排気量はに2000㏄です。今、乗っている私のスバルと同じ2リットルです。

12   ムスタングのハッチバックを彷彿させる美しさです。何故かプリムス・バラクーダも記事を書いていて名前が突然うかびました。

13   スカイラインGTBからスカイラインGTRへ、そしてニッサンGTRへと名前も進化していった憧れの名車です。後ろしか見る事はありませんし、後塵を拝するのみです。

14   停まっていますから前方も。

15   そして ニッサン GTR エンジンルーム も拝見出来ました。完全にトヨタ車の様に上部は覆われていると思いました。

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17   晴海方面から銀座4丁目をぶった切る晴海通りを数寄屋橋交差点の方にサイレンを鳴らして赤色灯を付けて走ってきますが、結構歩行者も直線を渡っているので超スローで救急車もはしっていました。

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20   ここからは東京駅前の新丸ビルです。

21  行幸通りを挟んだ丸ビルです。

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#262 -’23. 丸ビルから皇居へ・皇居から東京駅へ

2023年11月30日 22時00分00秒 | 街角

今は皇居乾通り通り抜け(乾通り一般公開)を実施しています。

宮内庁HPでは、「令和5年11月25日(土)から12月3日(日)までの9日間、秋季皇居乾通り一般公開を実施します。各日、入場時間は午前9時から午後3時までとし、皇居坂下門から参入、皇居乾門から退出となります。」です。

我が家も最初は乾通りの通り抜けと、東御苑三の丸尚蔵館を絡めて見学するつもりでしたが、時間的に無理だと思い春の乾通り通り抜けをしたので今回はパスした次第です。で、二大イベントを除き行きと帰り路をアップします。丸ビルの写真などは撮影者とスマホが異なるので被写体は重複している事をご理解の程。

丸ビルのウイッシュの写真と丸の内の仲通りの写真です。

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マイ・プラザのクリスマス・ツリーなど。

1   マイ・プラザのイルミネーションがLEDで瞬時変わるので新鮮でした。

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日比谷通りを北に和田倉門の和田倉噴水公園に向かいます。

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3  行幸通りを通過して大手町方面(右手に)に向かいます。乾通り通り抜けは坂下門方面に向かう為にここで案内係の方が左方面に行くように指示してしていました。沢山の方が皇居前広場方向に向かっていました。

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三の丸尚蔵館は次のスレッドでアップします。

大手門の皇居内の東御苑から撮影です。入る時は荷物検査を受けましたが、今回は坂下門に向かった方が多かった為に少なかった感じです。乾通り通り抜けを済ませて東御苑を通り東京駅方面などに向かう方が沢山おりました。ここから東京駅に向かう帰路です。

 

1   和田倉噴水公園から東京駅に向かいます。中央快速で帰宅です。

2   噴水公園の先はこんなに大きなビルが建っています。その上まだまだたくさんのビルが建築中や竣工直前です。膨大な床面積の増加に堪えるだけの需要があるのか心配です。千代田、港、中央の三区の需要が旺盛だと言っても、汐留地区のビル需要が減少しています。「カレッタ汐留」が「枯れた汐留」と揶揄され出しているのが気になります。撮影場所は噴水公園です。

3   和田倉噴水公園の桜が綺麗に紅葉していましたので和田倉門を出る前に一枚撮影しました。

4   和田倉濠に架かる和田倉橋を渡りました。手前に擬宝珠を入れて遠近感を出して撮影して見ました。但しオートで撮ったために被写界深度は深くなったようです。今のスマホの凄さに敬服です。

5  日本工業倶楽部会館のレトロな建物です。ポールには日章旗がはためいています。

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7   丸の内北口から一番線の中央特快で帰ります。

8   JPの KITTE の屋上庭園に行った事が無いと言ったら行った事がある家内から行くなら付き合うよとのことでしたが、疲れて帰る事にしました。

何時かは依ってみたいと思っています。

オランダのアムステルダム中央駅のモデルに成ったと言われている東京駅です。アムステルダムに行った時、どこからか歩いたか忘れましたが、アムステルダム中央駅に入りました。改札も無いヨーロッパにある駅の形式でした

 

 

 

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#261 -’23. 明治生命館の見学(無料で重文見学)

2023年11月30日 17時22分19秒 | 街角

今回訪れたのは、皇居三の丸尚蔵館と二大目的の一つの明治生命館をアップします。

明治安田生命のHPから引用させて頂きます。

明治生命館について

明治生命館は、1934年(昭和9年)3月、3年7ヵ月の歳月をかけて竣工しました。設計は当時の建築学会の重鎮であった東京美術学校(現、東京芸術大学)教授岡田信一郎氏(※)です。古典主義様式の最高傑作として高く評価され、わが国近代洋風建築の発展に寄与した代表的な建造物と言われています。

建築家・岡田信一郎氏/1883年(明治16年)東京生まれ。東大建築学科卒。大正から昭和初期にかけて、歌舞伎座、ニコライ堂修復、日本銀行小樽支店など、建設当時から話題になった作品を多く手がけた建築家です。

1945年(昭和20年)9月12日から1956年(昭和31年)7月18日までの間、アメリカ極東空軍司令部として接収され、この間、1952年(昭和27年)まで2階の会議室が連合国軍最高司令官の諮問機関である対日理事会の会場として使用されました。マッカーサー総司令官もこの会場で開催された会議に何回も出席しています。
1997年(平成9年)5月29日、文化財保護審議会の答申によって、昭和の建造物として初めて国の重要文化財に指定されました。

それでは、明治安田生命のHPにも素敵な写真が多数載っていますが、先に二枚ほど。その後、拙い写真をアップします。今回は私達が撮影した写真もアップしますので、臨場感を感じて頂ければ幸いです。

Ⅰ   お濠を挟み現在の明治生命館と後ろに聳える明治安田生命ビルです。

Ⅱ   セピア色に輝く明治生命ビルで過去の写真なのか、新しく建築したマイプラザや明治安田ビルと消去したのかは分かりません。入館に関する情報も載せておきます。

ここからはスマホで撮影した画像です。(写真の順序は見学した順路通りアップしていませんのでご了承のほど。)

1   明治生命館の外壁はマイプラザの屋根のある内壁に一部分がなっています。そのマイプラザ内にある銘板です。明治生命館が重要文化財である事を示しています。竣工は1934年です。

2   日比谷通り側から明治生命館の見学入り口に入ります。

3   左の建物は明治生命館で正面の道路は日比谷通りで、お濠の先は皇居外苑です。本日向かうのは右に曲がって大手門に向かい三の丸です。でも、今は紅葉の乾通り通り抜けも皇居でおこなわれています。

4   時代を感じさせる重厚さです。

5   次回は静嘉堂など美術館が沢山ご近所に有りますので寄ってみたいと思っています。今回はこちらと三の丸尚蔵館が目的ですからその他は弾き飛ばして。

6   ビルが出来た時は明治生命のみですが、今は明治安田生命保険です。その上、文字も左から右に書かれています。

7   西側と南側の玄関ブロンズ製扉および1階営業店頭の天井にある模様。
アカンサスは、美しい葉型をもつ植物で、ギリシャ建築等の装飾モチーフに古くから用いられています。

8   エレベーターと言えば世界に名を轟かす日立や東芝など日本企業ですが、こちらはオーチス(OTIS)は創業以来170年の世界に確固たる地位を築く名門です。で、一枚撮影してきました。

 

9   エレベーターを降りた二階に受付があります。照明もローソクの名残の形状です。勿論、照明よりデザインを重んじだ為ですが。

 

10   マントルピースのある会議室?

11   回廊迄出る事はできません。

12    会議室入り口方向から奥を撮影したものです。

13   資料展示室です。コリント様式の柱の図面です。

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16   食堂ですが、今のように一般の職員が食事する場所ではない筈です。社長や重役など重要な役職者の会食場所だと思われます。

17   調理室から食事を運ぶリフトが隣の食堂のすぐ隣に設置されています。

18   アーチ的な梁も素敵に装飾されています。次にその拡大してものをアップします。

19   葡萄が石膏レリーフで飾られています。

20      2階南側には執務室が5部屋並び、すべて寄木フロア、木製パネルによる内装が施されています。

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22   その天井です。八角形のなかには、石膏で作られた丸い花飾り(アカンサス)が施されています。

23   一階は今現在も事務を行っていますので、通路(回廊)に出て欄干から下をのぞきこむ事は出来ません。

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25    受付のある二階の健康相談室前に戻ってきました。お濠の先は皇居前広場(皇居外苑)です。

26       ゲストをもてなす応接室です。

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取り急ぎのアップですから、写真や説明文など訂正するかもしれません。誤りに気付いたかたはご連絡いただければ幸いです。

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#260 -’23. 丸の内仲通りをそぞろ歩きして

2023年11月30日 06時28分15秒 | 街角

東京駅から丸ビル辺りで地上に上り秋の趣を感じながら明治生命館へ向かいます。

それでは晩秋の丸の内界隈をと言っても特に仲町通りで目についたものをアップします。

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「ウィッシュ」”This Wish” Performed by アリアナ・デボーズ US版ミュージッククリップ

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落ち葉舞う晩秋の仲町通りの写真を見てイブモンタンの枯葉をおもいだしました。少しロートルすぎますが。

「枯葉 Les Feuilles Mortes」イヴ・モンタン Yves Montand

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#256 -’23. 品川お台場と御殿山界隈

2023年11月23日 20時36分32秒 | 街角

江戸・東京湾は埋め立ての歴史と共に拡張してきた。東京湾を埋め立てて砲台であるお台場を構築するとなると土砂が必要である。一番手っ取り早いのは近くの武蔵野台地(河岸段丘)? から運んでくる事である。車の無い時代でも船で運ぶのが一番の方法である。品川沖は目と鼻の先に御殿山と砲台を造る場所などが接近していて、地上を荷車などで運ぶ手間が少なくて済む。地図と地形を観れば誰でも思いつく採掘地であり最大の適地である。

因みに東京湾は神奈川、東京、千葉と埋め立て適地の連続である。神奈川県の三浦半島東岸はそれ程埋め立て面積が多い感じは持たないが、東京、そして千葉県の湾内側は土砂が積もりやすい形状をしているのか、遠浅埋め立てに絶好の地形である。今ではラムサール条約未加入の湿地として三番瀬が辛うじて残る程である。

次に日本財団 図書館から引用させて頂きます。

2 台場(だいば)の歴史-台場の建設から消滅まで

台場とは江戸時代に築造された砲台のことで、とくに、幕府築造の東京湾品川沖の砲台を御台場といいます。現在では臨海副都心に保存されているお台場のイメージが強いのですが、三浦半島や猿島などにも数多く造られていました。嘉永(かえい)6年(1853)8月から翌安政(あんせい)元年(1854)5月までに、江戸品川浦沖に6基の砲台が構築(こうちく)されましたが、この台場は嘉永6年6月、アメリカ第13代大統領フィルモアの親書を持って、東インド艦隊司令長官ペリー提督率いる4隻の黒船が突如浦賀に来航したのを機に、江戸幕府がにわかに海防策(かいぼうさく)の一環として品川浦沖に11基の台場を建築するという案を採択して構築された物です。これは伊豆韮山代官(いずにらやまだいかん)江川太郎左衛門(えがわたろうざえもん)らの献策(けんさく)によったものですが、幕閣内部に激しい反論があったにもかかわらず、幕府は緊急非常事態(再来日)に備えて、あえて決行しました。総工費約七十五万両(幕末期の米価から計算した金一両の価値は3~4千円なので、これで計算すると約22.5億~30億円)をかけて翌年5月までに第一、二、三、五、六番台場を完成させたましが、第四台場は構築半ばにして資金難のため中止されました。埋め立て用の土砂は泉岳寺(せんがくじ)の山、松平駿河守(まつだいらするがのかみ)の下屋敷の山、品川御殿山(ごてんやま)等を切り崩して海に運び、土方人足(どかたにんそく)だけでも二百七十万人が動員されました。また石垣用として伊豆・真鶴(まなづる)・三浦(みうら)の石を採石し、輸送船は伊豆・房総(ぼうそう)半島諸港の地船が徴用(ちょうよう)され、昼間の東海道(とうかいどう)の高輪(たかなわ)通りは通行止めとして脇道を通らせたりと、周辺地区の道路は大混乱となりました。工事は難渋(なんじゅう)し「死んでしまうか、お台場に行こうか、死ぬにゃ増しだよ、お台場の土かつぎ」とうたわれた程でしたが賃金は悪くはなく、「お台場で土かつぐ、さきで飯食うて、二百と四文、ありがたい、ありがたい」という俚謡(さとうた)もあります。とにかく海岸の町々は大騒ぎだったようです。現在は東京港改修工事のため第三台場と第六台場を残し撤去され、品川台場の全貌(ぜんぼう)を見ることはできません。第一台場と第五台場は品川埠頭に飲み込まれ、第二台場は航路拡張のため撤去されました。これらに使用されていた石は、晴海埠頭公園などに今も見ることができます。また第四台場の石垣の一部は天王洲(てんのうず)周辺のボードデッキに姿を残しています。

1   海上公園なび から引用させて頂きます。スクリーンショットの文字が読めない時はHPにとんでください。

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3  ①番・②番・③番は嘉永七年(1854)7月竣工。⑤番・⑥番・御殿山下 安政元年(1854)12月竣工。 ④番・⑦番 途中中止。 ⑧番~⑪番 未着工。 緑の丸枠は街歩きした所。青丸の③番台場は現在は公園です。赤丸の⑥番台場は現存していますが立ち入り禁止です。

4   第三お台場越しにフジテレビ方向を撮影した写真を借用しました。

5   ここからは、街歩きした写真です。JRの南にあるのに京急での駅名は北品川です。街歩き開始です。

6   御殿山下砲台は幕末に築かれた「品川台場」のひとつです。五稜形の砲台が築造され、154門の大砲が備えられました。
現在は区立台場小学校の敷地となっており、校庭入口には台場の石垣として使われた真鶴石と第2台場にあった品川灯台のレプリカが置かれています(品川観光観光協会HPより)

7   御殿山下台場跡で、江戸時代に造られた6個所の台場の内で陸地に造られた唯一つの台場です。

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10   品川宿でお江戸日本橋から二里(8キロ)で、川崎宿までは二里半だそうです。

11     一心寺です。江戸三十三観音札所巡りでも訪れました。

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13   スーツ君が自転車で走ってくれた東海道です。本陣跡ですから大名なども宿泊した跡地です。

14   台地からの低地の品川宿とその先の品川沖に浮かぶ船が描かれていま(東都名所 御殿山花見品川全図 歌川広重《初代》の浮世絵です。

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14-2   品川宿本陣の説明・解説は前の14-1の高札をお読みください。

 

15           御聖蹟の碑です。 品川本陣跡は、明治元年(1868)の明治天皇東幸の際に行在所となったため「聖蹟公園」という名がついています。

16        品川神社の鳥居が見えます。

17   次からは御殿山公園です。

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#237 -'23. 湯島聖堂を訪問し

2023年11月10日 20時27分53秒 | 街角

史跡・湯島聖堂は医科歯科大学・外堀通り・本郷通りに囲まれたJR御茶ノ水駅の向かいにあります。坂を下れば昌平橋JR秋葉原と続く便利な地です。

今回はそんな由緒ある史跡・湯島聖堂(昌平坂学問所)をアップします。

組織だって写真も撮影していませんからそのつもりでご覧下さい。言ってみれば流し撮り程度の内容です。湯島聖堂自体は充実していますので一度は訪問される事をお勧めします。

次にHPからの引用します。

史跡公開 入場無料
公開時間 ・午前9時半~午後5時まで(冬季は4時)
・土,日曜,祝日には大成殿公開 (午前10時~閉門時間まで)
閉館日 ・夏季休業 8月13~17日の5日間
・年末休業 12月29~31日の3日間

徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。

明治維新を迎えると聖堂・学問所は新政府の所管するところとなり、当初、学問所は大学校・大学と改称されながら存置されましたが、明治4年(1871)これを廃して文部省が置かれることとなり、林羅山以来240年、学問所となってからは75年の儒学の講筵は、ここにその歴史を閉じた次第です。ついでこの年わが国最初の博物館(現在の東京国立博物館)が置かれ、翌5年(1872)には東京師範学校、わが国初の図書館である書籍館が置かれ、7年(1874)には東京女子師範学校が設置され、両校はそれぞれ明治19年(1886)、23年(1890)高等師範学校に昇格したのち、現在の筑波大学、お茶の水女子大学へと発展してまいりました。このように、湯島聖堂は維新の一大変革に当たっても学問所としての伝統を受け継ぎ、近代教育発祥の地としての栄誉を担いました。

大正11年(1922)湯島聖堂は国の史跡に指定されましたが、翌12年(1923)関東大震災が起こり、わずかに入徳門と水屋を残し、すべてを焼失いたしました。この復興は斯文会が中心となり、昭和10年(1935)工学博士東京帝国大学伊東忠太教授の設計と㈱大林組の施工により、寛政時代の旧制を模し、鉄筋コンクリート造りで再建を果たしました。この建物が現在の湯島聖堂で、昭和61年度(1986)から文化庁による保存修理工事が、奇しくも再び(株)大林組の施工で行われ、平成5年(1993)三月竣工いたしました。

 

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孔子銅像

昭和50年(1975)中華民国台北市 ライオンズ・クラブからの寄贈。11月3日除幕式を挙行した。丈高15呎[4.57メートル]重量約1.5トンの孔子の銅像は世界最大。

3  関東大震災で焼失を免れた入徳門です。

4   杏壇

5   大聖殿の屋根は青銅により葺かれているようです。鳳凰の如くの飾りと下の方の下ると、教会にあるガーゴイルの如くの飾りに飾られています。

大成殿 -たいせいでん-

間口20メートル、奥行14.2メートル、高さ14.6メートル、入母屋造り。大成とは、孔子廟の正殿の名称。宋(北宋)の仁宗のとき命名。「孟子」万章下「孔子聖之時者也、孔子之謂集大成、集大成也者、金聲玉振之也。」に基づく。殿内、中央の神龕(厨子)に孔子像。左右には四配として孟子・顔子・曽子・子思の四賢人を祀る。

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7   楷樹の由来

楷 かい 学名 とねりばはぜのき うるし科
PISTACIA CHINENSIS,BUNGE(Pistacia Chinensis Regel)

楷は曲阜にある孔子の墓所に植えられている名木で、初め子貢が(孔子の墓所に)植えたと伝えられ、今日まで植えつがれてきている。枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源ともなったといわれている。

わが国に渡来したのは、大正四年、林学博士白澤保美氏が曲阜から種子を持ち帰り、東京目黒の農商務省林業試験場で苗に仕立てたのが最初である。これらの苗は当聖廟をはじめ儒学に関係深い所に頒ち植えられた。

その後も数氏が持ち帰って苗を作ったが、性来雌雄異株であるうえ、花が咲くまでに三十年位もかかるため、わが国で種子を得ることはできなかったが、幸いにして数年前から二三個所で結実を見るに至ったので、今後は次第に孫苗がふえてゆくと思われる。

中国では殆んど全土に生育し、黄連木・黄連茶その他(黄棟樹、黄連、蓮連木など)の別名も多く、秋の黄葉が美しいという。台湾では爛心木と呼ばれている。牧野富太郎博士は、これに孔子木と命名された。

孔子と楷とは離すことができないものとなっているが、特に当廟にあるものは曲阜の樹の正子に当る聖木であることをここに記して世に伝える。

昭和四十四年秋日
矢野一郎 文並書

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#236 -’23. 今日の日本橋三越と文明堂

2023年11月09日 17時34分50秒 | 街角

文明堂と言えば「カステラ一番。電話は二番。三時のおやつは文明堂」と耳に馴染んでいたCMです。

日本橋と言えば三越や老舗のお店です。今回は文明堂と天一のお弁当と山本海苔です。

文明堂のCMを二つほど。一つは総本店の余り耳馴染のないCMと年配者には聞けばすぐに思いだす懐かしいCMです。

文明堂総本店 TVCM ぶんぶぶぶん♪ぶんぶんぶん♪

と、【CM】文明堂「文明堂豆劇場」 1987

1   日本橋川に掛る日本橋を背にし日本橋三越です。

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3   ライオン像もクリスマスの飾りつけです。

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6   文明堂に寄って。

7   歴史を感じさせる右から左へ。

8   文明堂も今では色々コラボしています。

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10   伊東深水画伯による日本画です。娘は財布類即ちお金を持たない事で有名だった朝丘雪路です。

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15   日本橋川に掛る首都高速が撤去されれば空も明るくなり良い景観を保ってくれるはずです。

 

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