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60年代ポップス変遷史の検証②

2015-07-12 01:26:20 | 60年代ポップス変遷史

ポップス黄金期にどんな曲が流行していたのかを並べてみましたが、では、
どんな歌手・楽団がベストテンを占めていたのかを検証してみます。
(サウンド・トラック盤を除く)

①エルヴィス・プレスリー 『ブルー・ハワイ』など17曲   628P
②コニー・フランシス 『ボーイ・ハント』など8曲  576
③ニール・セダカ 『カレンダー・ガール』など8曲  505
④ブラザーズ・フォー 『遥かなるアラモ』など5曲  479
⑤パット・ブーン 『栄光への脱出』など7曲  316
⑥ミッチ・ミラー楽団 『史上最大の作戦』など2曲  310
⑦ジョニー・ソマーズ 『内気なジョニー』など3曲  254
⑧デル・シャノン 『悲しき街角』など2曲  248
⑨ビリー・ヴォーン楽団 『峠の幌馬車』  239
⑩ヘレン・シャピロ 『悲しき片思い』など3曲  223
⑪ウーゴー・ブランコ楽団 『コーヒー・ルンバ』など2曲  222
⑫アリダ・ケッリ 『死ぬ程愛して』  214
⑬ジョニー・ディアー・フィールド 『悲しき少年兵』  209
⑭ナルシソ・イエペス 『禁じられた遊び』  208
⑮ポールとポーラ 『ヘイ・ポーラ』など2曲  199
⑯コレット・テンピア楽団 『太陽はひとりぼっち』  198
⑰ジョーン・レイトン 『霧の中のジョニー』など2曲  190
⑰リッキー・ネルソン 『ヤング・ワールド』など4曲  190
⑲クリフ・リチャード 『サマー・ホリデー』など4曲  153
⑳カスケーズ 『悲しき雨音』 149

エルヴィス・プレスリーがキング・オブ・キングスという結果になりました。

残念ながら、一姫四天王のひとりであるポール・アンカの姿が見当たりません。
他の番組などでは『電話でキッス』『今夜二人で』『愛してほしいの』などがベストテン上位に
ランクされていましたが『今週のベストテン』では殆ど支持されていなかったようです。
(彼が支持されなかったのはそれなりの理由があったのかもしれませんね)

では最後に一姫四天王の名曲を

↓は コニー・フランシスの『ボーイ・ハント』 YOUTUBEより


↓は エルヴィス・プレスリーの『ブルー・ハワイ』 YOUTUBEより


↓は ニール・セダカの『恋の片道切符』 YOUTUBEより


↓は パット・ブーンの『栄光への脱出』 YOUTUBEより


↓は ポール・アンカの『電話でキッス』 YOUTUBEより


60年代ポップス変遷史の検証①

2015-07-11 15:23:17 | 60年代ポップス変遷史

60年代ポップス変遷史におきましては、これまでポップス黄金期の各月ごとのベストテンをまとめてきましたが、
それではこの黄金期の四年間を通じてどんな曲が一番ヒットしたのかを検証してみました。
各月のベストテン集計と同様に、四年間の各週において一位は10ポイント、二位は9ポイント…10位は1ポイント
として集計した結果です。

①太陽がいっぱい サウンドトラック 555ポイント
②峠の幌馬車 ビリー・ヴォーン楽団 239P
③コーヒー・ルンバ ウーゴー・ブランコ楽団 221P
④死ぬ程愛して アリダ・ケッリ 214P
⑤悲しき少年兵 ジョニー・ディアー・フィールド 209P
⑥禁じられた遊び ナルシソ・イエペス 208P
⑦太陽はひとりぼっち コレット・テンピア楽団 198P
⑧遥かなるアラモ ブラザース・フォー 192P
⑨トゥナイト(夜霧のニューヨーク) サウンド・トラック 188P
⑩悲しき街角 デル・シャノン 185P
⑪グリーン・フィールズ ブラザーズ・フォー 183P
⑫ヘイ・ポーラ ポールとポーラ 175P
⑬史上最大の作戦 ミッチ・ミラー楽団 169P
⑭悲しき片想い ヘレン・シャピロ 163P
⑮悲しき雨音 カスケーズ 149P
⑯カレンダー・ガール ニール・セダカ 147P
⑯シェリー フォー・シーズンズ 147P
⑯栄光への脱出 パット・ブーン 147P
⑲夢のデイト コニー・フランシス 146P
⑳ヤング・ワールド リッキー・ネルソン 143P
⑳霧の中のジョニー ジョーン・レイトン 143P

トップはベストテンのランクイン期間が最長であった『太陽がいっぱい』でダントツの一位でした。
また、年末から年始にかけて大ヒットしながらも各年間のベストテンではそれほど上位でなかった
『太陽はひとりぼっち』(1962年⑧、63年⑫)が堂々の七位にランクされています。
また、1960~1961の期間はいずれもロングセラーが多く、逆にそれ以降は短命ながらも爆発的な
ヒット曲が多かったように見受けられました。

↓はフィルムシンフォニック楽団の『太陽がいっぱい』 YOUTUBEより

番組では‘フィリップ’という叫び声と波の音が入ったソノシート盤でした。



参考までに、ベスト20以下は次の通りでした。

大脱走マーチ ミッチ・ミラー楽団 141P
ローハイド フランキー・レイン 139
ワシントン広場の夜は更けて ヴィレッジ・ストンパーズ 138
夏の日の恋 パーシー・フェイス楽団 134
黒い傷あとのブルース アンリ・ド・パリ楽団 134
禁じられた恋の島 エリオ・ブルーノ楽団 129
マイ・ホーム・タウン ポール・アンカ 126
可愛いベイビー コニー・フランシス 124
アラスカ魂 ジョニー・ホートン 122
ブルー・ハワイ エルヴィス・プレスリー 121
GIブルース エルヴィス・プレスリー 119
ヴァケイション コニー・フランシス 109
ルイジアナ・ママ ジーン・ピットニー 109
悲しき16才 ケーシー・リンデン 109
ボーイ・ハント コニー・フランシス 106
内気なジョニー ジョニー・ソマーズ 105
ワン・ボーイ ジョニー・ソマーズ 100
北京の55日 ブラザーズ・フォー 100
星空のブルース ベルト・ケンプフェルト楽団 99
いとしのラナ ヴェルヴェッツ 98
悲しき悪魔 エルヴィス・プレスリー 98
恋のパームスプリングス トロイ・ドナヒュー 98
恋の売り込み エディ・ホッジス  93
悲しきクラウン ニール・セダカ 90
ポケット・トランジスタ アルマ・コーガン 88
レモンのキッス ナンシー・シナトラ 88
月影のナポリ ミーナ・マッツィーニ 88
恋の一番列車 ニール・セダカ 88
日曜はダメよ ドン・コスタ楽団 84

↓は ジーン・ピットニーの『ルイジアナ・ママ』 YOUTUBEより

これぞロックンロール!



60年代ポップス変遷史の終了

2015-07-05 23:26:10 | 60年代ポップス変遷史

『今週のベストテン』の資料を元に綴ってまいりました60年代ポップス変遷史ですが、当初に申した通り1960年4月
から1964年3月までの4年間についてまとめ上げました。
今思えば、この4年間が60年代ポップスの黄金期といっても過言ではないように思えます。
この後、ビートルズやベンチャーズなどの無機質な音楽がベストテンを席巻する時代がやってきて60年代前半とは
異質の世界に様変わりしてしまいました。
個人的にはこの後のビートルズ中心のベストテンには興味がなく、高校卒業とともにベストテンの記録をメモしなくなり、
ヒットチャートには関係なしに 好きな音楽を聞きたい時に聞くというスタイルに変えました。
今後、ポップスに関する記事についてはそれ以後を含めて個別に取り上げてみようと思っています。


60年代ポップス変遷史 1964年3月

2015-07-04 15:44:53 | 60年代ポップス変遷史

いよいよ60年代ポップス変遷史の最終回です。

1964年3月にはこんな曲が流行していました。

恋のパームスプリングス トロイ・ドナヒュー
恋はスバヤク ガス・バッカス
ワシントン広場の夜は更けて ヴィレッジ・ストンパーズ
④プリーズ・プリーズ・ミー ビートルズ
夢のお月さま ヴェルヴェッツ
僕のマシュマロちゃん ショニー・シンバル
花はどこへ行った キングストン・トリオ
サンフランシスコの思い出 ブレンダ・リー
⑨抱きしめたい ビートルズ
レッツ・メイク・ア・メモリー クリフ・リチャード
ダンケ・シェーン コニー・フランシス
世界の果てに ブレンダ・リー
フォーゲット・ヒム ボビー・ライデル
涙のウェディング・マーチ リトル・ペギー・マーチ


『ワシントン広場の夜は更けて』に代わって『恋のパームスプリングス』がベストワンに輝きました。
また、突然現れた『恋はスバヤク』が2位にランクインです。ドナルド・≪ガス≫・バッカスは1957年に
『カム・ゴー・ウィズ・ミー』をヒットさせたR&Bグループのデル・バイキングスのメンバーでしたが、
脱退後に西ドイツでソロ歌手活動の一環としてこの曲を吹き込んだそうです。これが日本だけで
大当たりしましたが結局は一発屋で終わってしまいました。
他の新曲としては、ヴェルヴェッツの第二弾『夢のお月さま』、フォーク・ソングの名曲中の名曲
『花はどこへ行った』、コニー・フランシスの『ダンケ・シェーン』、ブレンダ・リーの『世界の果てに』
そしてリトル・ペギー・マーチの『涙のウェディング・マーチ』などがランクインです。
キングストン・トリオの『花はどこへ行った』は1962年のリリースですが、フォーク・ブームに乗って
ついに初登場、現在においても反戦フォークの最高峰と言われています。
ブレンダ・リーの『世界の果てに』は1963年に全米でミリオン・セラーとなったスキーター・ディヴィスの
カヴァー曲ですが、日本ではブレンダ・リーで大ヒットとなりました。原題は The End of The World
ですが、『この世の果てまで』、『この世は果てても』、『世界の果てまで』などの邦題もあるようです。


↓はキングストン・トリオの『花はどこへ行った』 YOUTUBEより


もう一曲、↓はブレンダ・リーの『世界の果てに』 YOUTUBEより



ベストテン入りはしませんでしたが、サンドラの『コピ・ススわんちゃん』もこの頃のヒット曲でした。
このサンドラですが、オランダ育ちのインドネシア少女(当時13歳)で、インドネシアで有名だった曲に
漣健児が日本語歌詞をつけて日本でレコーディングしたものだそうです。

60年代ポップス変遷史はこれにて終了ですが、大ヒットとなるダイアン・リネーの『ネイビー・ブルー
プレスリーの『アカプルコの海』、マット・モンローの『ロシアより愛をこめて』などが虎視眈々と
ランクインを伺っていました。



60年代ポップス変遷史 1964年2月

2015-06-27 11:53:28 | 60年代ポップス変遷史

1964年2月にはこんな曲が流行していました。

ワシントン広場の夜は更けて ヴィレッジ・ストンパーズ
恋のパームスプリングス トロイ・ドナヒュー
サンフランシスコの思い出 ブレンダ・リー
僕のマシュマロちゃん ショニー・シンバル
素敵なメモリー ジョニー・ソマーズ
レッツ・メイク・ア・メモリー クリフ・リチャード
愛しのラナ ヴェルヴェッツ
フォーゲット・ヒム ボビー・ライデル
ドミニク スール・スーリール
カム・バック・トゥ・ミー ロイ・オービソン
⑪プリーズ・プリーズ・ミー ビートルズ


『ワシントン広場の夜は更けて』が独走して、それをトロイ・ドナヒューの『恋のパームスプリングス』が
猛追する展開になっていきます。
今週の新曲としてはクリフ・リチャードの『レッツ・メイク・ア・メモリー』がベストテン入りしました。
他にもボビー・ライデルの『フォーゲット・ヒム』、ロイ・オービソンの『カム・バック・トゥ・ミー』が
ランクインしていますが、二曲とも私の記憶には残っていません。
そしてとうとう私が一番忌み嫌うビートルズが登場してベストテンを荒らし始めます。

↓はクリフ・リチャードの『レッツ・メイク・ア・メモリー』 YOUTUBEより


ベストテン入りはしませんでしたが、ドリフターズの『ラストダンスは私に』、映画『突然炎のごとく』で劇中に
ジャンヌ・モローが唄った『つむじ風』、ギリシャ映画『春のめざめ』の主題歌などもこの頃のヒット曲でした。
『ラストダンスは私に』はダリダや越路吹雪などですでに日本でもシャンソンとして知られた曲てしたが、
意外にも米国産で、ドリフターズが1960年にリリースして全米No.1のミリオンヒットとなっていました。当時、
日本では全く話題にすら上りませんでしたが、越路吹雪の持ち歌としてロング・セラーになり、この時期に
やっと本命盤として登場しました。ちなみにドリフターズの1960年日本で発売されたレコードのタイトルは
『今宵の思い出に』だったそうです。

↓はドリフターズの『ラストダンスは私に』 YOUTUBEより

このメーン・ヴォーカルはベン・E・キングです。