港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『5月1日』

2019-04-30 13:46:56 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ダニエル・ダリュー Danielle Darrieux (1917.5.01~2017.10.17)



「フランスの名花」と称されてフランス映画史に燦然と輝いた美人女優です。
ボルドーに生まれ、生後二か月からパリ育ちのパリジェンヌで、コンセルヴァトワールでヴァイオリンを習っていた14歳の
時にウィルヘルム・ティーレ監督の映画『ル・バル』の主役募集に応募して採用され、いきなり主役として映画デビューを
果たしました。1936年には『うたかたの戀』が大当たりとなり美人女優としての地位を決定づけました。
第二次大戦中は一時活動を休止していましたが、戦後には文芸作品などでその魅力をいかんなく発揮、フランス映画史に
深く名を残す女優となりました。
ただ、100本以上の作品に出演してはいますが、どちらかといえば作品に恵まれておらす、フランス映画界の巨匠監督の名作と
呼ばれる作品には縁がなかったのがとても残念ではあります。
デビューから第一線の女優として80年を超える長いキャリアを誇っていましたが、パリ郊外で百歳の天寿を全うしました。

【主要出演作品】
1931年『ル・バル』Le Bal
1936年『うたかたの戀』Mayerling

1936年『隊長ブーリバ』Tarass Boulba
1936年『禁男の家』Club de femmes

1936年『旅順港』Port-Arthur
1938年『背信』Abus de confiance

1938年『巴里の評判娘』The Rage of Paris
1938年『カチアの恋』Katia
1938年『暁に帰る』Retour à l'aube
1947年『モロッコ守備隊』Bethsabée
1948年『ルイ・ブラス』Ruy Blas
1950年『輪舞』La Ronde
1952年『快楽』Le Plaisir
1952年『愛すべき御婦人たち』Adorables créatures
1953年『たそがれの女心』Madame de…

1954年『赤と黒』Le Rouge et le Noir

1955年『ナポレオン』Napoléon
1955年『チャタレイ夫人の恋人』L'Amant de lady Chatterley
1957年『忘れえぬ慕情』Typhon sur Nagasaki
1957年『奥様ご用心』Pot-Bouille

1958年『夜の放蕩者』Le désordre et la nuit
1959年『自殺への契約書』Marie-Octobre

1959年『いまだ見ぬひと』Les yeux de l'amour
1962年『悪い女』Le crime ne paie pas
1962年『フランス式十戒』Le Diable et les Dix Commandements

1963年『青髭』Landru
1963年『二重生活』Du grabuge chez les veuves
1967年『ロシュフォールの恋人たち』Les Demoiselles de Rochefort
1968年『ペルーの鳥』Les oiseaux vont mourir au Pérou


☆グレン・フオード Glenn Ford (1916.5.01~2006.8.30)



タフな二枚目スターとして1950年代を中心に活躍したアメリカの俳優です。
カナダのケベックに生まれ、8歳の時に家族でサンタ・モニカに移住しました。サンタ・モニカ・ハイスクール卒業後に
巡業劇団に所属しアメリカ各地を巡業していた時にコロムビア映画のスカウトの目にとまり契約にこぎつけました。
1939年に映画 "Heaven with a Barbed Wire Fence" の傍役で デビューを果たし、1946年の映画『ギルダ』で一躍名を
あげて一線級のスターになりました。しかし、これといった作品に恵まれず、B級作品群に埋もれてしまいました。
70年頃からはTV『保安官サム・ウッド』にも出演して映画界から遠ざかってしまいました。

【主要出演作品】
1941年『掠奪の町』 Texas
1946年『ギルダ』 Gilda

1948年『カルメン』 The Loves of Carmen
1955年『暴力教室』 Blackboard Jungle

1955年『アメリカの戦慄』 Trial

1956年『八月十五夜の茶屋』 The Teahouse of the August Moon
1958年『平原の待伏せ』 The Man From the Alamo
1959年『それはキッスで始った』 It Started with a Kiss
1960年『シマロン』 Cimarron
1961年『黙示録の四騎士』 The Four Horsemen of the Apocalypse 
1961年『ポケット一杯の幸福』 Pocketful of Miracles

1963年『けっさくなエディ』 The Courtship of Eddie's Father
1963年『パリは燃えているか』 Paris, brûle-t-il ? 


【ご命日】

★ピエール・ガスパール・ユイ Pierre Gaspard-Huit (1917.11.29~2017.5.01)



フランス最初の70ミリ映画『シェラザード』で名をあげた映画監督。
主な監督作品として『巴里野郎』『恋ひとすじに』『シェラザード』『エヴァの恋人』などがある。


★ボー・ウィーデルベルグ Bo Widerberg (1930.6.08~1997.5.01)



ヌーヴェルヴァーグ理論でスエーデン映画のルネッサンス的存在となった映画監督。
主な監督作品として『みじかくも美しく燃え』『愛とさすらいの青春』などがある。

『4月30日』

2019-04-29 16:54:41 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ジョニー・ホートン Johnny Horton (1925.4.30~1960.11.05)



ロサンゼルス生まれでテキサス育ちのアメリカのカントリー歌手、ギタリストです。
1944年にテキサス州ギャラティンの高校を卒業した後、1948年にシアトル大学で地質学を勉強してアラスカまで金を探しに
行ったこともあったそうです。この頃から歌を書き始め地元に戻るとテキサス州ヘンダーソンのタレントコンテストで優勝し
カントリー歌手としての道を歩み始めました。
1953年には故ハンク・ウィリアムズの未亡人のビリー・ジーン・ジョーンズと結婚して話題となったりしましたが、地道な
活動の末に1959年の『ニューオルリンズの闘い』が全米No.1となり、1960年の "Sink The Bismarck" が全米3位、そして映画
『アラスカ魂』の主題歌も全米4位を記録して開花しました。まさにこれからという時期だったのですが、1960年11月に
テキサス州のハイウェイをバンド仲間と移動中に交通事故で亡くなってしまいました。

↓はジョニー・ホートンの『ニューオルリンズの闘い』 【YOUTUBEより】


↓はジョニー・ホートンの『アラスカ魂』 【YOUTUBEより】



【ご命日】

★セルジョ・レオーネ Sergio Leone (1929.1.03~1989.4.30)



『荒野の用心棒』のヒットで、マカロニ・ウエスタンの火付け役となったイタリアの映画監督。
主な監督作品として『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『ウエスタン』などがある。
詳細は当ブログの『1月3日』をご参照ください。

★ペペ・ハラミジョ Pepe Jaramillo (1921.10.27~2001.4.30)



軽快なピアノでお馴染みのメキシコの「ペペ・ハラミジョとラテン・アメリカン・リズム」のバンド・リーダー。
主な演奏曲として『グリーン・アイズ』『ティコ・ティコ』『キャリオカ』『シボネー』などがある。


★マジョリー・ノエル Marjorie Noël (1945.12.25~2000.4.30)



1960年代中半ばに活躍したフレンチ・ポップスの女性歌手。
シングル曲は数少ないが『そよ風にのって』は日本でも大ヒットした。

『4月29日』

2019-04-28 14:43:33 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆フレッド・ジンネマン Fred Zinnemann (1907.4.29~1997.3.14)



信念を貫く人物を描く作品で本領を発揮し、自身もハリウッドの中で信念を押し通した映画監督です。
代々医師のユダヤ系ドイツ人の家系にウィーンで生まれました。幼児期にヴァイオリンを習っていたこともあって音楽家を
目指していましたが、ウィーン大学では法科を学びました。その在学中に観たシュトロハイム監督の『グリード』に刺激され
映画界に入ることを決意し、1927年にパリに創立された映画撮影技術学校の一期生となりそこで映画作りの基礎を学びました。
その後、カメラマン助手や助監督を務めていましたが、映画がトーキー時代に入ったことで1929年にハリウッドに渡りました。
以前に助手をしていたロバート・フラハティ監督から学んだドキュメンタリーの技術を活かして1938年に漁師の生活を描いた
セミ・ドキュメンタリー短編映画 "Redes" を監督、1941年には『Kid Glove Killer』で長編監督の仲間入りを果たしました。
第二次大戦が終わり1948年に戦後の瓦礫の中の飢えた孤児を描いたドキュメンタリータッチの『山河遥かなり』など以降の
作品にもその技術が大いに取り入れられていて、特に1952年の『真昼の決闘』では映画進行と上映時間をシンクロさせる
手法で撮ることによりリアリズムと相まって更なる緊張感をもたらすという演出効果を上げることに成功しました。
ただ、この『真昼の決闘』のラストで主人公が保安官バッチを地面に投げ捨てるシーンに対してこれは国辱行為だとの批判を
受けました。折しもレッド・パージが暴威を振るっていた時期でもあり、脚本を書いたカール・フォアマンは赤のレッテルを
貼られてハリウッドから追放され、ジンネマン自身も疑惑をかけられて窮地に追い込まれました。
その後も『地上より永遠に』『尼僧物語』『わが命つきるとも』などの力作を提供してくれましたが、ジンネマンは常に
ハリウッドの商業主義に対する批判を述べています。それはあくまで形式上であって、本心はハリウッドに対する根深い
不信感があるように思えてなりません。

【主要監督作品】
1948年『山河遥かなり』 The Search

1948年『暴力行為』 Act of Violence
1952年『真昼の決闘』 High Noon

1953年『地上より永遠に』 From Here to Eternity 

1957年『夜を逃れて』 A Hatful of Rain 
1959年『尼僧物語』 The Nun's Story

1960年『サンダウナーズ』 The Sundowners

1964年『日曜日には鼠を殺せ』 Behold a Pale Horse
1966年『わが命つきるとも』 A Man for All Seasons



☆ティノ・ロッシ Tino Rossi (1907.4.29~1983.9.26)



囁くようでセンチメンタルな歌唱法が「魅惑のシャンソン」と称されて人気を博したフランスのシャンソン歌手です。
コルシカ島に生まれ、若い頃から故郷でギターを弾いて唄っていましたが、20歳前にシャンソンで身を立てようと決意して
本土に渡り、マルセイユやリビエラのリゾートクラブで演奏するようになりました。
 1930年代初頭にパリに出てコロンビアレコードと契約を交わし、1935年には映画『マリネラ』(Marinella)に出演、同名の
主題歌が大ヒットとなり、女性ファンを惹きつける魅惑の歌声で一躍トップ歌手になりました。
その後も感傷的なシャンソンのレコーディングを続け、一方で25本以上の映画に出演するなど、75歳で引退するまで一線級の
歌手として活躍を続けました。
代表的な歌唱曲としては『マリネラ』『小雨降る径』『アマポーラ』『夜のヴァイオリン』などがあり、数多くの映画に出演
してはいるのですが、日本では1934年の『モスコウの一夜』の一本が公開されたにとどまっています。

↓はティノ・ロッシの『マリネラ』 【YOUTUBEより】


↓はティノ・ロッシの『小雨降る径』 【YOUTUBEより】



☆デューク・エリントン Duke Ellington (1899.4.29~1974.5.24)



ジャズ作曲家、編曲家、ピアニスト、バンドリーダーとして20世紀を代表するアメリカの音楽家の一人です。
ワシントンDC生まれのアフリカ系米国人で、父親が著名な白人医師ミドルトン・カスバートの執事であったため、子供の
頃から作法教育を受けてきちんとした身だしなみをしていたことから「Duke(公爵)」の愛称で呼ばれていました。
7歳からピアノを習い始めハイスクールでは作曲を学び、1916年にニューヨークに移住して翌年からナイト・クラブなどで
プロ・ピアニストとして活動を始めました。
1918年には自己のバンドを結成し、1927年にハーレム地区の高級クラブ「コットン・クラブ」の専属バンドとして活躍、
1932年から欧州など世界ツアーを開始して国際的にも認められるビッグ・バンドとなりました。その間、『A列車で行こう』
『キャラヴァン』『サテン・ドール』などのビッグ・ヒットを飛ばし、死の直前まで第一線で活躍しました。

↓はデューク・エリントン楽団の『A列車で行こう』 【YOUTUBEより】


↓はデューク・エリントン楽団の『キャラヴァン』 【YOUTUBEより】



【ご命日】



★アルフレッド・ヒッチコック Alfred Hitchcock (1899.8.13~1980.4.29)
高度な映画技法によるスリラーを得意とし、サスペンス映画の神様と称されたイギリス及アメリカの映画監督。
主な監督作品として『暗殺者の家』『三十九夜』『断崖』『疑惑の影』『汚名』『裏窓』などがある。

『4月28日』

2019-04-27 14:04:10 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆アン・マーグレット Ann Margret (1941.428~ )



唄って踊れて、その容姿からセクシー・ダイナマイトと呼ばれたアメリカの歌手・女優です。
スエーデンのストックホルムに生まれ、5歳の時に両親と共にアメリカに渡りました。8歳の頃からダンスを習い、高校時代の
友人たちとバンドを組んでシカゴやラスヴェガスのショーに出演していたところをRCAレコードに認められ1961年のアルバム
「Lost Love」で歌手デビューを果たし、同時に映画『ポケット一杯の幸福』で俳優としてのスタートも切り、幸運な滑り出し
となりました。
1963年に『バイ・バイ・バーディー』で唄って踊れる女優として一気に人気者になりイキの良いセクシーさを売り物にして
話題作に出演し続けていましたが、先行する人気に対して演技力がネックなのが露呈して伸び悩んでしまいました。

【主要出演作品】
1961年『ポケット一杯の幸福』 Pocketful of Miracles 

1961年『ステート・フェア』 State Fair 
1963年『バイ・バイ・バーディー』 Bye Bye Birdie

1964年『マドリードで乾杯』 The Pleasure Seekers
1964年『セクシー・ダイナマイト』 Kitten with a Whip

1965年『泥棒を消せ』 Once a Thief 

1965年『シンシナティ・キッド』 The Cincinnati Kid
1965年『帰郷』 Bus Riley's Back in Town
1965年『駅馬車』 Stagecoach
1966年『スインガー』 Swinger

1966年『サイレンサー/殺人部隊』 Murderers' Row

また、歌手活動としても多くのレコードをリリースしていたようですが、日本では『バイ・バイ・バーディー』のほかに
アル・ハートとのデュエット曲『外は寒いよ』が目にとまる程度でした。
↓はアン・マーグレットとアル・ハートの『外は寒いよ』 【YOUTUBEより】



【ご命日】

★ロリー・カルホーン Rory Calhoun (1922.8.08~1999.4.28)



西部劇や古代史劇などで活躍した二枚目のハリウッド俳優。
主な出演作品として『彼女は二挺拳銃』『百万長者と結婚する方法』『帰らざる河』『ロード島の要塞』などがある。


『4月27日』

2019-04-26 17:46:35 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆アヌーク・エーメ Anouk Aimée (1932.4.27~ )



メランコリックな魅力を持つフランスを代表する国際女優です。
舞台人の両親のもとパリに生まれ、14歳でオペラ・ド・マルセイユでダンスを習いながらルネ・シモンの演劇講座に通って
いたときにアンリ・カレフ監督の目にとまり『密会』での少女役で映画デビューを果たしました。同年にはマルセル・カルネ
監督の ”La Fleur L'age" (花の年頃)で主役のチャンスを掴んだのですが制作費の関係で中止となりました。失望中の彼女に
アンドレ・カイヤット監督が声をかけ1949年の『火の接吻』の主役に抜擢、一躍人気スターの仲間入りを果たしました。
その後、フェリーニ監督の代表作となる『甘い生活』『8 1/2』、そしてクロード・ルルーシュ監督の『男と女』によって
国際女優としてヨーロッパのトップ・スターの地位を掴みました。

【主要出演作品】
1947年『密会』La Maison sous la mer

1949年『火の接吻』Les Amants de Vérone
1953年『恋ざんげ』Le Rideau cramoisi

1957年『奥様にご用心』Pot-Bouille
1958年『モンパルナスの灯』Les Amants de Montparnasse

1959年『今晩おひま?』Les Dagueurs
1960年『甘い生活』La Dolce Vita

1962年『ソドムとゴモラ』Sodome et Gomorrhe
1963年『8 1/2』Otto e Mezzo

1963年『太陽は傷だらけ』Les Grands Chemins

1966年『男と女』Un homme et une femme

1969年『約束』The Appointment