港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


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シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『7月1日』その1

2019-06-30 17:26:47 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ウイリアム・ワイラー William Wyler (1902.7.01~1981.7.27)



室内劇からスペクタクルまであらゆるジャンルで格調高い一級品を撮り続けたハリウッドの映画監督です。
当時ドイツ帝国領であったミュールハウゼン(現在はフランスのミュルーズ)に小物屋を営むユダヤ系の家庭で生まれました。
1920年に母方の遠縁でハリウッドの重鎮カール・レムリ(ユニバーサル・スタジオ社長)を頼って渡米し国際宣伝部に入り
雑用係、小道具係、配役係などの下積みを経て助監督そして監督に昇進し、低予算の西部劇などを撮りました。
1930年に『砂漠の生霊』が高評価を受け、その後も『北海の漁火』『孔雀夫人』『デッドエンド』といった佳作を発表し、
戦後に移ってからは文芸作品の『偽りの花園』、刑事ドラマ『探偵物語』、サスペンス『必死の逃亡者』、西部劇作品の
『大いなる西部』、そしてスペクタクル史劇『ベン・ハー』と幅広いジャンルで秀作を撮り続けました。
特に室内劇のドラマ構成には定評があり、人間の心理や行動をきめ細かく描写する手腕と格調の高さでは他の追随を許さない
独自の領域を完成させ、鉄壁の完全主義者と呼ばれていました。

【主要監督作品】
1930年『砂漠の生霊』 Hell's Heroes
1931年『北海の漁火』 A House Divided

1933年『巨人登場』 Counsellor at Law
1935年『お人好しの仙女』 The Good Fairy
1936年『この三人』 These Three
1936年『孔雀夫人』 Dodsworth

1936年『大自然の凱歌』 Come and Get It
1937年『デッドエンド』 Dead End

1938年『黒蘭の女』 Jezebel 
1939年『嵐ヶ丘』 Wuthering Heights
1940年『西部の男』 The Westerner
1940年『月光の女』 The Letter 
1941年『偽りの花園』 The Little Foxes

1942年『ミニヴァー夫人』 Mrs. Miniver

1946年『我等の生涯の最良の年』 The Best Years of Our Lives
1949年『女相続人』 The Heiress

1951年『探偵物語』 Detective Story

1952年『黄昏』 Carrie
1953年『ローマの休日』 Roman Holiday

1955年『必死の逃亡者』 The Desperate Hours

1956年『友情ある説得』 Friendly Persuasion
1958年『大いなる西部』 The Big Country 

1959年『ベン・ハー』 Ben-Hur 

1961年『噂の二人』 The Children's Hour

1965年『コレクター』 The Collector

1966年『おしゃれ泥棒』 How to Steal a Million 
1968年『ファニー・ガール』 Funny Girl 


☆オリヴィア・デ・ハビランド Olivia De Havilland (1916.7.01~ )



東京に生まれ、妹のジョーン・フォンティーンと共にハリウッドで活躍した女優です。
イギリス人の両親の間に東京府(現在の港区)で生まれ、妹のジョーン・フォンティーンと共に幼児期を日本で過ごしました。
両親の離婚で母親と妹と共にカリフォルニアに渡り、カレッジ在学中に舞台劇『真夏の夜の夢』に出演していたところを
スカウトされてワーナー社と契約を結びました。
当初は可憐なヒロイン役としてエロール・フリンの相手役を演じることが多かったのですが、1948年の『蛇の穴』や1949年の
『女相続人』などで演技派女優に転身を図って成功を収めました。
余談ですが、素行不良のエロール・フリンから横恋慕されて断り続けたというゴシップや、妹のジョーン・フォンティーンと
オスカーを巡っての不仲説などもあったようです。

【主要出演作品】
1935年『海賊ブラッド』 Captain Blood
1938年『ロビンフッドの冒険』 The Adventures of Robin Hood

1939年『風と共に去りぬ』 Gone with the Wind

1941年『いちごブロンド』The Strawberry Blonde
1948年『蛇の穴』The Snake Pit

1949年『女相続人』The Heiress

1955年『見知らぬ人でなく』Not as a Stranger
1956年『恋は巴里で』The Ambassador's Daughter
1964年『不意打ち』Lady in a Cage
1964年『ふるえて眠れ』Hush… Hush, Sweet Charlotte


☆レスリー・キャロン Leslie Caron (1931.7.01~ )



バレリーナを経てハリウッドに渡りミュージカル・スターとして活躍したフランス生まれの女優です。
科学者でフランス人の父親とダンサーのアメリカ人の母親のもとにパリ(異説あり)で生まれました。パリのアサンプシャン
修道院学校を卒業後にコンセルヴァトワールでバレエを学びシャンゼリゼ・バレエ団のプリマ・バレリーナとして売り出し
そこでジーン・ケリーに見出されMGMと契約を交わし、1951年の『巴里のアメリカ人』でぜセンセーショナルなデビューを
飾り、以降MGMの看板ミュージカル女優として人気を博しました。
1960年代には、シリアス・ドラマに転身し、やがてヨーロッパに移って舞台やTVなどで活躍しました。

【主要出演作品】
1951年『巴里のアメリカ人』 An American in Paris

1953年『三つの恋の物語』 The Story of Three Loves
1953年『リリー』 Lili

1955年『ガラスの靴』 The Glass Slipper
1955年『足ながおじさん』 Daddy Long Legs

1956年『哀愁物語』 Gaby
1958年『恋の手ほどき』 Gigi

1960年『地下街の住人』The Subterraneans
1961年『ファニー』Fanny

1966年『パリは燃えているか』Paris brûle-t-il?



『7月1日』その2

2019-06-30 17:22:19 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆アマリア・ロドリゲス Amalia Rodrigues (1920.7.01~1999.10.06)



「ファドの女王」として世界的にも人気を博したポルトガルのカリスマ的な歌手です。
リスボンに生まれ少女期は貧しい生活を余儀なくされ、リスボンの岸壁で果物を売って一家の生活を支えながら育ちました。
18歳の時に一流のナイトクラブ「ファドの家」に出演しファド歌手として認められるようになり、大衆的な人気も得て
1947年にはポルトガルの映画「Fado」に主演してカリスマ的存在となり、1954年のアンリ・ヴェルヌイユ監督による映画
『過去をもつ愛情』の劇中で『暗いはしけ』を唄って世界から注目を集め、ファドの女王として知られるようなりました。
(註・『暗いはしけ』は正統なファドではありません)
このファドという音楽は、19世紀中ごろポルトガルに生まれた民族歌謡で運命-宿命を意味するものなのですが、ロドリゲスが
あまりにも孤高となりすぎたために後継者が育たず、ファド自体が氷河期を迎えてしまいました。
1999年にロドリゲスがリスボンの自宅で79歳で亡くなったとき、ポルトガル政府は速やかに3日間の国民喪服を宣言したと
言われていますから彼女の存在が如何に偉大であったかが計り知れます。

↓はアマリア・ロドリゲスの『暗いはしけ』 【YOUTUBEより】


↓はアマリア・ロドリゲスの『わが心のアランフェス』 【YOUTUBEより】



【ご命日】

★マーロン・ブランド Marlon Brando (1924.4.03~2004.7.01)



個性的な演技で一世風靡しましたがトラブルが多い問題児でもあったアメリカの俳優。
主な出演作品として『欲望という名の電車』『革命児サパタ』『波止場』『逃亡地帯』『ゴッドファーザー』などがある。


★カール・マルデン Karl Malden (1912.3.22~2009.7.01)



シカゴ生まれで舞台、映画(主として傍役)で活躍したエリア・カザン一家のハリウッド俳優。
主な出演作品として『欲望という名の電車』『波止場』『ベビイ・ドール』『片目のジャック』などがある。


★ロバート・ミッチャム Robert Mitchum (1917.8.06~1997.7.01)



無表情でクールなタフ・ガイとしてのイメージで人気を集めたハリウッドの俳優。
主な出演作品として『帰らざる河』『サンダウナーズ』『史上最大の作戦』『恐怖の岬』などがある。

『6月30日』

2019-06-29 17:11:44 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆トニー・ダララ Tony Dallara (1936.6.30~ )



声量のあるヴォーカルパワーで一時代を築いたサン・レモ音楽祭優勝の実績を持つカンツォーネ歌手です。
イタリア南部のモリーゼ州の州都カンポバッソに生まれ、ミラノで育ちました。子供の頃から絵画と音楽に優れた才能を
持っていましたが、フランキー・レインやプラターズに憧れ、友人たちとロッキー・マウンテン・ボーイズを結成して、
ミラノのクラブ「サンタ・テクラ」で唄っているところをSAARのワルター・グルトラーに認められ、1957年に初シングル
『コメ・プリマ』をリリース、これが大ヒットとなりました。次いで1960年のサン・レモ音楽祭において『ロマンティカ』が
優勝曲に輝き、その後も『ラ・ノヴィア』『バンビーナ・バンビーナ』などもヒットしたのですが、1972年に画家を目指して
音楽の世界から引退してしまいました。

【主要歌唱曲】
1957年『コメ・プリマ』Come prima【YOUTUBEより】

1959年『 チャオ・チャオ・バンビーナ』Piove 視聴
1960年『ロマンティカ』Romantica【YOUTUBEより】

1961年『バンビーナ・バンビーナ』Bambina bambina 視聴
1961年『アル・ディ・ラ』Al Di La 視聴
1961年『ラ・ノヴィア』 La novia【YOUTUBEより】



☆レア・マッサリ Lea Massari (1933.6.30~ )



ものうい表情で内面性格の表現が得意なイタリアの中堅女優です。
ローマで生まれ、スイスの大学で建築学を学びましたが途中で音楽に転じてピアノやギターを弾くようになりました。
20歳の頃に一家の友人で映画の装置や衣装を担当していたピエロ・グェラルディに勧められて映画界入りし1954年に
マリオ・モニチェリ監督の "Proibito" で映画デビューを果たし、1960年にはミケランジェロ・アントニオーニ監督の
『情事』をはじめ、マウロ・ボロニーニ、ナンニ・ロイ、ヴァレリオ・ズルリーニなどの錚々たる名監督のもとで
確実な爪痕を残し、1980年代までに数多くの作品に出演する一方、イタリアでは歌手としても活動していました。

【主要出演作品】
1958年『カチューシャ物語』Auferstehung
1960年『情事』L' Avventura

1960年『狂った情事』 La giornata balorda

1961年『ロード島の要塞』Il Colosso Di Rodi
1962年『祖国は誰のものぞ』Le quattro giornate di Napoli

1963年『夜のエレベーター』Le Monte-Charge

1964年『さすらいの狼』L' insoumis

1965年『国境は燃えている』Le soldatesse



『6月29日』

2019-06-28 17:18:07 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆フロ・サンドンス Flo Sandons (1924.6.29~2006.11.17)



映画『アンナ』の吹き替えや草創期のサンレモ音楽祭で活躍したイタリアのカンツォーネ歌手です。
ヴェネト州ヴィチェンツァに生まれ、1944年に赤十字の慈善歌謡ショーでステージ・デビューを果たしました。
1951年にイタリア映画『アンナ』で主演のシルヴァーナ・マンガーノの吹き替えとして唄った主題歌がイタリア国内でも
大ヒットして人気歌手の仲間入りを果たしました。次いで1953年に第3回サンレモ音楽祭で "Viale d'autunno" (秋の並木路)を
唄って大賞に輝きました。
(サンレモ音楽祭は1958年にドメニコ・モドゥーニョが『ヴォラーレ』を唄って大賞を獲得したのを機にその存在が注目され、
今でこそ世界的な音楽祭となっていますが、当時はそれほどメジャーな歌謡祭ではなかったようです。)
1955年には歌手兼レコード・プロデューサーのナタリーノ・オットーと結婚し、夫婦で音楽活動をしていましたが、 1958年に
クレモナにおいて10代の学生のバンドの演奏会で唄っているミーナ(マッツィーニ)に感銘を受け、早速スカウトしてミーナを
レコード・デビューさせたのが最大の功績だともいわれています。
イタリア国内では上記のように極めて高名な存在ながら日本では殆ど無名に近かったのですが、アルベルト・ラトアーダ監督
による1961年の映画『17歳よさようなら』の主題歌がヒット、やっと日本でも認められるようになりました。
主な歌唱曲としては『ジェルソミ-ナ』『マンボ・バカン』『月影のマジョルカ』『アル・ディ・ラ』などがあるようですが
【YOUTUBE】で見つけることができません。

↓はフロ・サンドンスが吹き替えをした『アンナ』【YOUTUBEより】


↓はフロ・サンドンスの『17歳よさようなら』【YOUTUBEより】



☆ポール・フランクール Paul Frankeur (1905.6.29~1974.10.20)



1940年代からフランス映画界などで80本以上の作品に出演した名傍役といわれた俳優です。
パリに生まれ、若い頃は土方や行商人など様々な職を転々としました。1939年頃からシャンソン歌手としてミュージック・
ホールなどに出演し、やがて1941年のルイ・ダキン監督の映画 "Nous les gosses" (腕白少年たち)で映画デビュー、その後も
名画に欠かせない傍役として珍重されフランスの映画史にその名を残しています。

【主要監督作品】
1944年『天井桟敷の人々』Les Enfants du Paradis
1945年『弾痕』La Fille Du Diable
1946年『肉体の悪魔』Le Diable Au Corps
1949年『のんき大将脱線の巻』Jour De Fete
1949年『一日だけの天国』Millionaires D'Un Jour
1950年『裁きは終わりぬ』 Justice Est Faite
1950年『巴里の空の下セーヌは流れる』Sous le Ciel de Paris Coule la Seine
1953年『嘆きのテレーズ』Thérèse Raquin 
1953年『洪水の前』 Avant le déluge
1954年『筋金を入れろ』Razzia sur la Chnouf
1954年『現金に手を出すな』Touchez pas au grisbi

1954年『女優ナナ』Nana
1955年『ヘッドライト』Des gens sans importance
1957年『赤い灯をつけるな』Le rouge est mis
1957年『眼には眼を』 Oeil Pour Oeil 
1958年『野獣は放たれた』Le Fauve Est Lache

1958年『自殺への契約書』Marie-Octobre

1959年『気分を出してもう一度』Voulez‐vous Danser Avec Moi?
1960年『ビアンカ』  La viaccia 


☆リトル・エヴァ Little Eva (1943.6.29~2003.4.10)



ベビーシッターから全米No.1ヒットを飛ばし一発でアメリカン・ドリームを掴んだ女性ポップシンガーです。
ノースカロライナ州ベルヘイブン生まれ、ニューヨーク市ブルックリン育ちのアフリカ系米国人で、10代の頃にキャロル・
キング夫妻のベビーシッターになりました。夫妻が新曲『ロコモーション』のデモ録音を彼女に唄わせたことがきっかけと
なってレコード・デビューを果たし、折から「踊るための音楽」が大流行していたこともあり3週連続全米1位に輝く大ヒット
となりました。
その後 "Keep Your Hands Off My Baby"や "Let's Turkey Trot"などがアメリカでヒットしたようですが、日本ではふるわず
実質的には一発屋に終わってしまいました。

↓はリトル・エヴァの『ロコモーション』【YOUTUBEより】


【ご命日】

★ヘンリー・キング Henry King (1886.1.24~1982.6.29)



鉄道会社の社員から地方回りの劇団員などを経てニューヨークで舞台俳優やがてハリウッドで花を咲かせた映画監督。
主な監督作品として『激怒』『ホワイト・シスター』『ステラ・ダラス』『第七天国』『慕情』などがある。


★キャサリン・ヘップバーン Katharine Hepburn (1907.5.12~2003.6.29)



美人ではないが強烈な個性でブロードウェイとハリウッドで活躍した演技派の女優。
主な出演作品として『フィラデルフィア物語』『アフリカの女王』『旅情』『招かれざる客』などがある。


★ジェーン・マンスフィールド Jayne Mansfield (1933.4.19~1967.6.29)



ブロンドの悩殺的美女として何かと話題に事欠かなかったアメリカの女優。
主な出演作品として『皆殺しのトランペット』『女はそれを我慢できない』『気まぐれバス』などがある。


★ホルスト・ヤンコフスキー Horst Jankowski (1936.1.30~1998.6.29)



軽やかなストリングスとのアンサンブルがとても絶妙なジャズ・ピアニスト。
主な演奏曲として『森を歩こう』などがある。


★ローズマリー・クルーニー Rosemary Clooney (1928.5.23~2002.6.29)



1940~50年代にかけて一時代を作ったアメリカの女性ポップ・シンガー。
主な歌唱曲として『家においでよ』『テンダリー』『マンボ・イタリアーノ』『メロンの心』などがある。


『6月28日』

2019-06-27 19:10:25 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆マウロ・ボロニーニ Mauro Bolognini (1922.6.28~2001.5.14)



社会問題に鋭いメスを入れる佳作で知られ、ネオ・リアリズムの深化といわれたイタリアの映画監督です。
イタリア北部のピストイア出身で、幼少期と青年期をフィレンツェで過ごし、大学では建築学を学んでいましたが1949年に
ローマの映画実験センターで装置科、監督科に進み、そこで講師をしていたルイジ・ザンパ監督に認められ『白い国境線』
などの助監督になりました。そのごフランスに留学してイヴ・アレグレやジャン・ドラノワの助監督などを務めて1953年に
イタリアに戻り、寄席芸人の恋を描いた監督第一作 "Ci troviamo in galleria" (ギャラリーに居る我々)を発表、手堅い演出が
認められたものの作品としての評価はイマイチであったようで、その後もイタリア独特の楽天的な喜劇を数本監督しました。
転機となったのは1959年にピエル・パオロ・パゾリーニと出会ったことで、同年にパゾリーニの脚本による『狂った夜』を
発表、これまでの楽天喜劇から脱皮して一躍新進監督として注目を集めました。
また、1961年には恋愛文芸映画『ビアンカ』を監督し、旧階級制度への反発をヴィスコンティを思わせる耽美作品に仕上げ
その格調の高さで映画通を大いに唸らせました。
しかし、1963年に若者の反抗を描いた『堕落』の後は商業的なオムニバスが続き、社会問題に鋭い視線を注いでいたかつての
ボロニーニの姿は影をひそめてしまいました。

【主要監督作品】
1959年『狂った夜』 La notte brava

1960年『汚れなき抱擁』 Il bell'Antonio

1961年『狂った情事』 La giornata balorda
1961年『ビアンカ』  La viaccia 

1963年『堕落』 La corruzione 

1965年『バンボーレ』 Le bambole
1967年『華やかな魔女たち』 Le streghe
1967年『愛すべき女・女たち』 Le Plus vieux métier du monde
1970年『わが青春のフロレンス』 Metello
1971年『愛すれど哀しく』 Bubù 


【ご命日】

★スタンリー・ベイカー Stanley Baker (1928.2.28~1976.6.28)



主に強い男性的なアンチヒーローとしてアクション映画で活躍したイギリス人俳優。
主な出演作品として『コンクリート・ジャングル』『ナバロンの要塞』『エヴァの匂い』『できごと』などがある。