港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


献立は…  
シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『6月1日』その1

2019-05-31 15:10:06 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆パット・ブーン Pat Boone  (1934.6.01~ )



プレスリーと並んで1950~60年代に活躍した正統派のポップ・シンガー、映画俳優です。
西部開拓時代の英雄ダニエル・ブーンの子孫としてフロリダ州ジャクソンビルに生まれ、テネシー州ナッシュビルで育ちました。
高校時代まではスポーツ選手として活躍していましたが、地元のタレント・ショウに入賞し、1954年に新人スターの登竜門の
アーサー・ゴッドフリーの番組に出て人気者になりました。1955年にはドット・レコードと契約を交わして『二つの心』で
歌手としてデビュー、これが全米16位となりさらに同年の『悪いのはあなた』が全米NO.1に輝く大ヒットとなって一躍人気
歌手の仲間入りを果たしました。
その後は米国で通算60曲以上がチャートインするなど大成功を収める一方で1957年には『四月の恋』によって映画にも進出し
清潔感の漂う容貌と正統派の甘い歌声でファンを魅了し続けました。

【主要歌唱曲】
1955年『二つの心』Two Hearts Two Kisses  視聴  
1955年『悪いのはあなた』Ain't That A Shame 全米1位  視聴
1956年『トゥッティ・フルッティ』Tutti Frutti  視聴 
1956年『アイル・ビー・ホーム』I'll Be Home 全米5位  視聴
1956年『友情ある説得』Friendly Persuasion 全米8位  視聴
1957年『アナスタシア』Anastasia  視聴 
1957年『砂に書いたラブレター』Love Letters In The Sand 全米1位 【YOUTUBEより】

1957年『いとしのバーナディーン』Bernandine  視聴 
1957年『四月の恋』April Love 全米1位【YOUTUBEより】

1957年『ホワイト・クリスマス』White Christmas  視聴 
1961年『栄光への脱出』Exodus Song  視聴 
1961年『涙のムーディーリバー』Moody River 全米1位【YOUTUBEより】

1962年『悲しき女学生』 Blue Bobby Soxs  視聴
1962年『ジョニーの真心』 Johnny Will  視聴
1962年『追憶の面影』 Pictures In The Fire  視聴
1962年『スピーディ・ゴンザレス』Speedy Gonzales 全米6位【YOUTUBEより】

1962年『夢で逢いましょう』I'll See You In My Dreams  視聴
1963年『悲しきカンガルー』 Tie me Kangaroos down, sport【YOUTUBEより】

1963年『想い出のセーラー服』 Queen In Calico  視聴
1965年『真珠貝の唄』 Pearly Shells  視聴

他にも『嘘は罪』『セプテンバー・ソング』『慕情』などのカヴァー、奥さんのシャーリー・ブーンとのデュエット曲
『恋人と呼ばせて』なども名盤です。
↓はパット・ブーン&シャーリー・ブーンの『恋人と呼ばせて』【YOUTUBEより】 


【主要映画出演作品】
1957年『四月の恋』April Love
1957年『バーナディン』Bernandine 

1958年『恋愛候補生』Mardi Gras
1959年『地底探険』Journey To The Center Of The Earth
1961年『七面鳥艦隊』All Hands On Deck
1961年『ステート・フェア』State Fair

1963年『誘拐犯を逃がすな』The Yellow Canary
1964年『滑りこみアウト!』Never Put It In Writing


『6月1日』その2

2019-05-31 14:43:33 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ネルソン・リドル Nelson Riddle (1921.6.01~1985.10.06)



映画音楽などで活躍したアメリカのトロンボーン奏者、楽団指揮者です。
ニュージャージー州オーラデールで生まれ、幼少の頃からピアノとトロンボーンを学び、1943年から約2年間ニューヨークの
商船学校に入りますが、並行してジェリー・ワルド楽団、チャーリー・スパーク楽団でも活動、1944年にはトミー・ドーシー
楽団のトロンボーン奏者として参加していました。
1946年に徴兵を終えてハリウッドに移り、1950年にはキャピトル・レコードと専属契約を結び、フランク・シナトラの曲の
アレンジと指揮を一手に引き受けました。1955年には自前の楽団を率いて演奏した映画主題歌の『リスボン』が全米2位の
ミリオン・ヒツトとなり一躍演奏家として名をあげ、その後はアレンジや作曲で映画音楽にもかかわるようになりました。

【主要演奏曲】
1956年『懐かしのリスボン』Lisbon Antigua

1958年『皆殺しの唄』Deguello

1960年『はるかなるアラモ』The Green Leaves Of Summer
1962年『ルート66』Route 66 Theme

【主要映画音楽作品】
1956年『リスボン』Lisbon
1957年『夜の豹』Pal Joey (編曲)
1957年『パジャマゲーム』The Pajama Game (編曲)
1958年『オーシャンと11人の仲間』Ocean's 11
1960年『カンカン』Can-Can (編曲)
1962年『ロリータ』Lolita
1963年『パリで一緒に』Paris-When It Sizzles


☆リンダ・スコット Linda Scott  (1945.6.01~ )



TVのパーソナリティーとして活動して人気を博したアメリカの女性ポップシンガーです。
ニューヨーク市クイーンズに生まれ、1959年ハイスクール時代に米国CBS系列のラジオ番組のオーディションに合格し、
同番組にレギュラー出演していた時にエピックレコードと契約を交わし、リンダ・サンプソンのクレジットで歌手として
デビューを果たしました。デビュー曲の "In-Between Teen" は不発に終わりましたが、1961年にリンダ・スコットに改名して
『星に語れば』で再デビュー、これが全米3位の大ヒットになりポップシンガーとして成功を収めています。
1965年からはTVショー番組 "Where The Action Is WTAI" の司会などを担当し、1966年以降は歌手としての活動も縮小されて
1970年代当初にショービジネスから引退しています。

【主要歌唱曲】
1961年『星に語れば』I've Told Every Little Star 全米3位

1961年『なぜかしら』I Don't Know Why
1962年『イエスサリー』Yessiree

1962年『涙のスクリーン』I Left My Heart In The Balcony
1964年『ベッドで泣いて』Who's Been Sleeping In My Bed 『僕のベッドは花盛り』の主題歌。


☆マリリン・モンロー Marilyn Monroe (1926.6.01~1962.8.05)



「頭の悪い金髪女」のイメージで1950年代にアメリカン・セックス・シンボルと言われた伝説の女優です。
出生から謎も多く、ロサンゼルスで生まれ育ったモンローは、幼少期のほとんどを里親と孤児院で過ごしたとされています。
1945年頃からノーマ・ジェーン・ベイカーとしてモデル活動を始め、1946年に20世紀フォックスのオーディションに合格し
マリリン・モンローとなって1947年に20世紀フォックスの『嵐の園』に端役で初出演したものの全く注目されませんでした。
その後も数本の映画に傍役として出演していましたが、1953年『ナイアガラ』でのモンロー・ウォークで注目を集め、以後の
作品においても「頭の悪い金髪女」を演じてセックス・シンボルとして一躍トップ・スターとなりました。
しかし、撮影所では遅刻や台詞忘れの常習犯のトラブル・メーカーで、共演者のキャスティングに難癖をつけて交代させたり、
「お熱いのがお好き」でもビリー・ワイルダー監督と相変わらずトラブルを連発するなど、かなり思い上っていたようです。
また、ケネディ一家やマフィアとのスキャンダルもあり、1962年の『女房は生きていた』の撮影中に「睡眠薬過剰摂取による
急性バルビツール中毒」により死亡、自殺説や陰謀説が飛び交いましたがいまだに謎に包まれています。

【主要出演作品】
1947年『嵐の園』The Shocking Miss Pilgrim
1950年『アスファルト・ジャングル』The Asphalt Jungle

1950年『イヴの総て』All About Eve
1952年『ノックは無用』Don't Bother to Knock
1952年『人生模様』O. Henry's Full House
1952年『モンキー・ビジネス』Monkey Business
1953年『ナイアガラ』Niagara

1953年『紳士は金髪がお好き』Gentlemen Prefer Blondes

1953年『百万長者と結婚する方法』Niagara
1954年『帰らざる河』River of No Return

1954年『ショウほど素敵な商売はない』There's No Business Like Show Business
1955年『七年目の浮気』The Seven Year Itch
1956年『バス停留所』Bus Stop
1957年『王子と踊子』The Prince and the Showgirl
1959年『お熱いのがお好き』Some Like It Hot

1960年『恋をしましょう』Let's Make Love
1961年『荒馬と女』The Misfits


【主要歌唱曲】
『帰らざる河』River of No Return (同名の映画主題歌)

『ダイヤが一番』Diamonds are a Girl's best friend (紳士は金髪がお好き)
『愛されたいのに』I Wanna Be Loved By You (お熱いのがお好き)

『バイバイベイビー』Bye Bye Baby (お熱いのがお好き)


『5月31日』

2019-05-30 18:48:14 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆アリダ・ヴァリ Alida Valli (1921.5.31~2006.4.22)



世界で最も美しい女性という肩書のもとヨーロッパの名作映画で活躍したイタリアの女優です。
ベネチアの対岸にある当時イタリア領であったイストリア半島のプーラ(現クロアチア)に生まれました。幼いころから
女優を目指し、15歳からローマの映画実験センターの演技科で演技を学んでいたところを即時にスカウトされて1936年の
"Il due sergenti " (二人の軍曹)の端役で映画デビューを果たしました。1942年には『われら生きるもの』で主演、イタリアで
数本の作品に出演していますがいずれもB級作品にとどまっています。しかし、世界で最も美しい女性という肩書のもと、
戦後のアメリカに渡って1947年のヒッチコック監督の『パラダイン夫人の恋』で一躍スターの仲間入りを果たし、1949年の
『第三の男』で世界的な女優として認められるようになりました。
1950年代初頭にはヨーロッパ大陸に戻り、『夏の嵐』や『さすらい』などの映画史に残る名作に主演し、1961年には
アンリ・コルビ監督の秀作『かくも長き不在』で大きな存在感を示しました。
その後も世紀を超えて女優を全うし、2002年に現役を引退しています。

【主要出演作品】
1942年『われら生きるもの』 Noi Vivi
1947年『パラダイン夫人の恋』The Paradine Case

1949年『第三の男』The Third Man

1951年『奇蹟は一度しか起こらない』Les miracles n'ont lieu qu'une fois

1953年『われら女性』Siamo Donne
1954年『夏の嵐』Senso

1957年『旅路はるか』L'amore più bello
1957年『さすらい』Il grido

1957年『青い大きな海』La grande strada azzurra
1958年『月夜の宝石』Les bijoutiers du clair de lune
1960年『顔のない眼』Les yeux sans visage
1961年『かくも長き不在』Une aussi longue absence

1967年『アポロンの地獄』Edipo re


☆クリント・イーストウッド Clint Eastwood (1930.5.31~ )



TV西部劇『ローハイド』とマカロニ・ウエスタンで名をあげたアメリカの俳優です。
サンフランシスコに生まれ、高校時代は勉強嫌いで成績不良により退学を経験していたようです。1954年に映画界に入った
ものの、多くのオーデションを受けるも演技が下手すぎるとの理由でことごとく失敗していましたが、1958年にTV西部劇の
『ローハイド』の準主役として転機を図りました。
1964年にまだ無名だったセルジオ・レオーネ監督から『荒野の用心棒』の主演として迎えられ、マカロニ・ウエスタンの
スターとしてようやく日の目を見ることになりました。

【主要出演作品】
1964年『荒野の用心棒』 Per un pugno di Dollari

1965年『夕陽のガンマン』 Per qualche Dollaro in più
1967年『華やかな魔女たち』 Le Streghe
1968年『奴らを高く吊るせ!』


【ご命日】

★ジョヴァンニ・フスコ Giovanni Fusco (1906.10.10~1968.5.31)



主にミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画音楽を担当したイタリアの映画音楽家。
主な映画音楽作品として『女ともだち』『太陽の誘惑』『太陽はひとりぼっち』『赤い砂漠』などがある。


『5月30日』

2019-05-29 17:54:49 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ハワード・ホークス Howard Hawks (1893.5.30~1977.12.26)



「作家主義」を旗印に幅広いジャンルで男性的な作品を撮り続けたハリウッドの映画監督です。
インディアナ州ゴーシェン出身で、裕福な製紙業者の家庭に長男として生まれました。大学では工学博士を取得しましたが、
1916年の夏休みにハリウッドで小遣い稼ぎのアルバイトをしたのが縁で映画界に入り、美術、セット、助監督などを担当、
1926年に自ら脚本を書いた『栄光の道』で長編映画の監督としてデビューしました。
第一次大戦でパイロットの経験もあり、また自前で飛行機を組み立てて空を飛んだという経験を活かした航空映画の
『暁の偵察』や『コンドル』が高い評価を受けました。
戦後は冒険アクション、ハードボイルド、戦争映画などの幅広いジャンルで男性的な作品を撮り続けました。
また、自らの企画・制作により、脚本・監督を一手に掌握した作品が大半で、ハリウッドに蔓延する商業主義、スター主義
とは一線を画したいわゆる「作家主義」という姿勢を大切にした映画作家であり、この「作家主義」によって後のフランスで
起こったヌーヴェルヴァーグ、特にカイエ派からその姿勢に対して敬意を持たれていました。

【主要監督作品】
1926年『栄光への道』 The Road to Glory
1930年『暁の偵察』  The Dawn Patrol 

1932年『暗黒街の顔役』  Scarface

1933年『今日限りの命』 Today We Live
1934年『奇傑パンチョ』  Viva Villa! 
1936年『大自然の凱歌』 Come and Get It 
1938年『赤ちゃん教育』 Bringing Up Baby
1939年『コンドル』 Only Angels Have Wings 

1941年『ヨーク軍曹』  Sergeant York 
1941年『教授と美女』 Ball of Fire 
1944年『脱出』  To Have and Have Not

1946年『三つ数えろ』 The Big Sleep
1948年『赤い河』 Red River

1952年『人生模様』 O. Henry's Full House
1953年『紳士は金髪がお好き』  Gentlemen Prefer Blondes 

1959年『リオ・ブラボー』 Rio Bravo
1961年『ハタリ!』 Hatari! 

1961年『エル・ドラド』 El Dorado 


☆ベニー・グッドマン Benny Goodman (1909.5.30~1986.6.13)



スウィングの王様と称されたクラリネット奏者、バンドリーダーで、20世紀を代表するジャズ・ミュージシャンです。
シカゴに住む貧しいロシア系ユダヤ移民の家庭に生まれました。1919年から地元音楽教室でクラリネットを学び翌1920年に
11歳でプロとしてデビューを果たしています。1925年にベン・ポラックなど複数の楽団に参加し、1928年にはニューヨークに
移って翌29年からのソロ活動、1932年に自らのバンドを結成しました。1934年からNBSラジオのショー番組の出演によって
米国東海岸で人気を得、1935年には西海岸でのツアーも成功させ全米を代表する人気バンドとなりました。次で1938年には
カーネギー・ホールでのコンサートが大成功となってスウィング・ジャズの代表的存在となりました。
1943年に "Taking A Chance On Love"、翌1943年には "Solo Flight" が全米1位となるなどヒット曲を連発しています。
また、人種に関係なく有能なミュージシャンを採用してクラシックとジャズの融合にも挑戦するなど革新的なミュージシャン
として高い評価を得ました。

【主要演奏曲】
『レッツ・ダンス』Let's Dance 【YOUTUBEより】

『シカゴ』Chicago 視聴
『あなたの想い出』Memories of You 【YOUTUBEより】

『ムーングロウ』Moonglow 視聴
『シング・シング・シング』Sing, Sing, Sing 【YOUTUBEより】

『ワン・オクロック・ジャンプ』One O'clock Jump 視聴
『セントルイス・ブルース』St. Louis Blues 視聴
『グッバイ』Goodbye (Rosemary Clooney) 視聴
『アマポーラ』Amapola (Helen Forrest) 視聴
『明るい表通りで』On The Sunny Side Of The Street (Peggy Lee) 視聴

下は1956年の『ベニー・グドマン物語』予告編 【YOUTUBEより】




『5月29日』

2019-05-28 18:20:57 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ジヨセフ・フォン・スタンバーグ Josef von Sternberg (1894.5.29~1969.12.22)



トーキー初期にマレーネ・ディートリッヒを起用して名作を作り続けたハリウッドの映画監督です。
ウィーンに生まれ、7歳の時に移民として家族でニューヨークに渡りました。一時故国に帰国しましたが再び渡米して職業を
転々と変えるうちに1914年にワールド・フィルム社で撮影技師、編集、脚本などの仕事に就くようになり、1925年に英国の
俳優ジョージ・K・アーサーと共同出資して『救ひを求むる人々』を制作しました。若い青年や孤児が薄汚れた港からもがき
ながら這い上がる姿を描いたもので、これをチャップリン宅に持ち込んで配給を依頼し、ユナイト社からの配給にこぎつけ、
質の良い芸術的映画として高評価を得ました。その後、『暗黒街』『紐育の波止場』などの佳作を発表し、映画がトーキーと
なった1930年にはパラマウントとドイツ・ウーファーの提携による『嘆きの天使』をドイツで撮影することになりました。
作品は当時のドイツの退廃的な社会を象徴するような重厚さで進め、ラストシーンはドイツ表現主義を彷彿とさせる芸術的
シークェンスで締めくくる見事な演出でした。何よりも無名だったマレーネ・ディートリッヒを起用したこともこの映画の
大成功の要因で、ディートリッヒが太腿を露わにして退廃的に唄うシーンは映画史に語り継がれる強烈な名場面となりました。
この大成功に気をよくしたパラマウントは同年にスタンバーグ&ディートリッヒのコンビで『モロッコ』を企画しました。
この時期のハリウッドはトーキーがスタートして間のない頃で、溢れかえる台詞の量と無理やりねじ込んでくる音楽によって
これまで培われたサイレント芸術が崩壊し、俗にガースー映画と呼ばれる作品群が巷にあふれかえっている時代でした。
そんな中でスタンバーグは音響や台詞を抑えてサイレント芸術が残したリアリズムと映像美によって完璧な作品に仕上げ、
特に音響では、近づいては遠ざかる太鼓の音、熱砂の砂煙に旗を揺らす小さな風の音、逆に砂漠を歩くジャリジャリという
音を消して無音ながらもジャリジャリという音を観客に聞かせてしまうテクニックなど、トーキーにおける音響の指針を
示してくれました。この作品によってスタンバーグ&ディートリッヒのコンビは一躍大人気となり、パラマウントはグレタ・
ガルボに対抗する切り札としてディートリッヒの売出しにも成功しました。
その後も、『間諜X27』『上海特急』『ブロンド・ヴィナス』などでディートリッヒの美しさをを際立たせる作品を撮り続け
ましたが、二人の熱愛スキャンダルが流れる騒動になり、やがて1935年の『西班牙狂想曲』を最後にコンビ解消したことで
精気が薄れてしまい、スタンバーグ作品の質と人気が一気に崩れ落ちてしまいました。

【主要監督作品】
1925年『救ひを求むる人々』 The Salvation Hunters

1927年『暗黒街』 Underworld

1928年『紐育の波止場』  The Docks of New York

1928年『非常線』  The Dragnet
1929年『女の一生』 The Case of Lena Smith
1930年『嘆きの天使』  Der Blaue Engel

1930年『モロッコ』  Morocco

1931年『アメリカの悲劇』  An American Tragedy
1931年『間諜X27』  Dishonored

1932年『上海特急』 Shanghai Express

1932年『ブロンド・ヴィナス』 Blonde Venus
1934年『恋のページェント』 The Scarlet Empress
1935年『西班牙狂想曲』 The Devil Is a Woman

1936年『陽気な姫君』 The King Steps Out


☆ボブ・ホープ Bob Hope (1903.5.29~2003.7.27)



ブロードウェイ、ラジオ、映画、テレビなどで活躍した20世紀のアメリカを代表するコメディアン、映画俳優です。
ロンドンのエルタムに石工の子として生まれ、4歳の時にオハイオ州クリーブランドに移り住みました。12歳の頃には新聞の
売り子などをしていましたが、チャップリン扮装コンテストで入賞したのを機にヴォ―ドビリアンになることを決意しました。
やがてブロードウェイやラジオに出演していた時にパラマウントから声が掛かって1938年の『百万弗大放送』で映画デビュー、
豪華客船の船内放送アナウンサーという傍役でしたが劇中でシャーリー・ロスとのデュエット曲『思い出によみがえる』が
ヒットして他の主役たちよりも目立ち、一気に人気スターになりました。
その後も「腰抜けシリーズ」や「珍道中シリーズ」など多くのコメディ映画に出演、特に1948年の『腰抜け二挺拳銃』の劇中歌
『ボタンとリボン』で大いに人気を集めました。
以降も皮肉な毒舌とユーモアで第一線級の芸能活動を続け、100歳の生涯を全うしました。

【主要出演作品】
1938年『百万弗大放送』 The Big Broadcast of 1938
1940年『シンガポール珍道中』 Road to Singapore

1941年『アフリカ珍道中』 Road to Zanzibar
1942年『モロッコへの道』 Road to Morocco

1944年『姫君と海賊』 The Princess and the Pirate
1946年『アラスカ珍道中』 Road to Utopia
1948年『腰抜け二挺拳銃』 The Paleface
(YOUTUBEにとびます)
1952年『腰抜け二挺拳銃の息子』 Son of Paleface
1952年『バリ島珍道中』 Road to Bali
1955年『エディ・フォイ物語』 The Seven Little Foys
1959年『腰抜け列車強盗』 Alias Jesse James
1959年『五つの銅貨』 The Five Pennies
1962年『ミサイル珍道中』 Road to Hong Kong
1963年『腰抜けアフリカ博士』 Call Me Bwana
1967年『一家8人逃亡す』 Eight on the Lam


【ご命日】

★G・W・パブスト George Willhelm Pabst (1885.8.25~1967.5.29)



リアリズムによる社会風刺劇を重厚な演出で映像化したドイツの映画監督。
主な監督作品として『喜びなき街』『パンドラの箱』『淪落の女の日記』『三文オペラ』『炭坑』などがある。


★ロミー・シュナイダー Romy Schneider (1938.9.23~1982.5.29)



ウィーン出身でドイツを中心に国際的に活躍した女優。(元アラン・ドロンの婚約者)
主な出演作品として『プリンセス・シシー』『モンプチ』『制服の処女』『ボッカチオ'70 』『審判 』などがある。