港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


献立は…  
シネマ・ポップス…ときどきイラスト

『10月1日』

2019-09-30 21:47:07 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ロジャー・ウィリアムス Roger Williams (1924.10.01~2011.10.08)



「大統領のピアニスト」と呼ばれ、見事なスケール演奏でイージー・リスニング界に君臨したアメリカのピアニストです。
ネブラスカ州オマハ生まれ、アイオワ州デモインで育ちました。3歳の頃からピアノを弾きはじめ、デモインのドレイク大学
ではクラシック・ピアノを専攻しました。しかし、ジャズやポップスなどもに興味を持ち、校則に違反して学校の練習室で
『煙が目にしみる』を演奏して退学させられてしまいました。その後、ニューヨーク市に移ってジュリアード音楽院に入り
レニー・トリスターノとテディ・ウィルソンのもとでジャズピアノを学び、1955年にカップ・レコードと契約にこぎつけて
初のシングル盤となる『枯葉』を見事なスケールで演奏して大ヒット、誰もが成し遂げられなかったピアノ演奏での全米No.1
に輝きました。その後もポップスや映画音楽のカヴァーなどで米国を代表するイージー・リスニング・ミュージシャンとして
大成功を収め、世紀をまたいで活動を続けました。
また、ハリー・S・トルーマンから始まりロナルド・レーガンやジミー・カーターなど九人のアメリカ大統領の前で演奏した
ことから「大統領のピアニスト」と呼ばれていました。

【主要演奏曲】
1955年『枯葉』Autumn Leaves 全米1位【YOUTUBEより】

1956年『ラ・メール』Beyond The Sea 視聴
1956年『アナスタシア』Anastasia 視聴
1957年『慕情』Love Is A Many-Splendored Thing 視聴
1957年『愛の誓い』Till 全米27位 視聴
1957年『アリヴェデルチ・ローマ』Arrivederci Roma 全米55位 視聴
1960年『テンプテーション』Temptation 全米56位【YOUTUBEより】


1960年『栄光への脱出』Exodus 視聴
1963年『ララのテーマ』Lara's Theme From Dr. Zhivago 全米65位 視聴
1963年『ベン・ケーシーのテーマ』 視聴
1966年『野生のエルザ』Born Free 全米7位 視聴
1967年『みじかくも美しく燃え』Elvira Madigan【YOUTUBEより】



☆リチャード・ハリス Richard Harris (1930.10.01~2002.10.25)



怒れる若者の波に乗った『孤独の報酬』で注目されたイギリスの個性派俳優です。
アイルランドのライムリックに生まれ、8歳の時にロンドンに渡り、学生時代はラグビー選手として活躍しましたが結核に
なってスポーツを諦め、ロンドン・アカデミー・ドラマティック・アーツに籍を置き俳優を目指しました。1950年代後半に
ウエスト・エンドの舞台に立つようになりやがて映画にも進出し1959年の『メリー・ディア号の難破』で注目を集めました。
1963年にはリンゼイ・アンダーソン監督による怒れる若者たちブームに乗った『孤独の報酬』で、まるで自分自身の生き様を
描いたような主人公を熱演して高い評価を受け、翌年にはミケランジェロ・アントニオーニ監督の『赤い砂漠』に出演する
など質の高い作品に恵まれましたが、その後はこれといって印象に残ることもなく、1980年代にはアルコール及び薬物依存症
となって低迷してしまいました。

【主要出演作品】
1959年『地獄で握手しろ』Shake Hands with the Devil
1959年『メリー・ディア号の難破』The Wreck of the Mary Deare
1962年『戦艦バウンティ』Munity on the Bounty
1963年『孤独の報酬』This Sporting Life【YOUTUBEより】

1964年『赤い砂漠』Munity on the Bounty【YOUTUBEより】

1965年『ダンディー少佐』Major Dundee
1965年『テレマークの要塞』The Heroes of Telemark
1966年『天地創造』The Bible
1967年『キャメロット』Camelot


☆ローレンス・ハーヴェイ Laurence Harvey (1928.10.01~1973.11.25)



端正な二枚目で知的な魅力を備えて国際的に活躍したイギリス国籍の俳優です。
旧ソ連邦のリトアニアで生まれ、5歳のときに南アフリカ共和国に移住しヨハネスブルグで育ちました。第二次世界大戦中は
南アフリカの英軍に従軍し、終戦と同時にロンドンに渡って王立演劇学校で演技を学んだ後に舞台に立つようになりました。
1947年には映画にも進出し、1954年にレナート・カステラーニ監督の英伊合作映画『ロミオとジュリエット』で注目され
1958年のジャック・クレイトン監督の『年上の女』が当たり役となりました。
その後もシリアスなドラマや時代物まで幅広い活動を続けていましたが、1970年代に入って癌によって体調を崩し、わずか
45歳の若さで帰らぬ人となりました。

【主要出演作品】
1950年『熱砂の掟』  Cairo Road
1953年『浮気は巴里で』 Innocents in Paris
1954年『善人ほど若死にする』 The Good Die Young 

1954年『獅子王リチャード』 King Richard and the Crusaders
1954年『ロミオとジュリエット』  Romeo and Juliet【YOUTUBEより】

1955年『嵐の中の青春』 I Am a Camera
1958年『年上の女』 Room at the Top【YOUTUBEより】

1960年『アラモ』 The Alamo

1960年『バタフィールド8』BUtterfield 8

1961年『肉体のすきま風』 Summer and Smoke
1962年『荒野を歩け』 Walk On The Wild Side
1964年『暴行』 The Outrage 
1965年『ダーリング』 Darling


☆ジュリー・アンドリュース Julie Andrews (1935.10.01~ )



ブロードウェイと映画で一時代を築いたイギリス出身のミュージカル・スターです。
イギリスのサリー州ウォルトン・オン・テームズで生まれ、母親の再婚相手がヴォードヴィリアンだったことから少女時代から
舞台や巡業生活を送りました。やがて芸達者な女優としての評判が高まり、1954年にブロードウェイ劇『ボーイフレンド』の
ヒロインに抜擢され、続く『マイ・フェア・レデイ』によって不動の地位を固めました。その後、映画界に進出し1964年には
『メリー・ポピンズ』、翌1965年には『サウンド・オブ・ミュージック』の大ヒットでミュージカル・スターとして絶大な
人気を誇るに至りました。
その後もミュージカルなどで活躍を続け、近年も映画やTVのほか演出家や声優としても活動を続けています。

【主要出演作品】
1964年『メリー・ポピンズ』Mary Poppins【YOUTUBEより】

1964年『卑怯者の勲章』The Americanization of Emily
1965年『サウンド・オブ・ミュージック』The Sound of Music【YOUTUBEより】

1966年『引き裂かれたカーテン』Torn Curtain

1966年『ハワイ』Hawaii
1967年『モダン・ミリー』Thoroughly Modern Millie
1968年『スター!』Star!


【ご命日】

★シャルル・アズナヴール Charles Aznavour  (1924.5.22~2018.10.01)



独自の世界感に誘わせてくれる20世紀が生んだフランスの偉大なシャンソン歌手、そして映画俳優です。
主な歌唱曲として『想い出の瞳』『ラ・マンマ』『イザベル』『帰り来ぬ青春』『ラ・ボエーム』などがあり、
主な映画出演作品として『ラインの仮橋』『ピアニストを撃て』『地獄の決死隊』『アイドルを探せ』などがある。



『9月30日』

2019-09-29 19:53:59 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆デボラ・カー Deborah Kerr (1921.9.30~2007.10.16)



映画『黒水仙』で注目され、知的派として映画や舞台で活躍したイギリスの女優です。
スコットランドのヘレンズバラで生まれ、少女の頃からバレエ・ダンサーを志してイングランドのプロメテウスのバレエ団の
バレリーナとして舞台に立ちましたが、長身であったためバレエを断念して女優を目指しました。1939年に地方の野外劇場に
出演していた時にガブリエル・パスカル監督に見出されて "Major Barbara" (バルバラ少佐)で映画デビューを果たし同年には
ジョン・バクスター監督の "Love on the Dole" (ドールの愛)で主役を務め幸運なスタートを切りました。
1943年にマイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー共同監督による『老兵は死なず』の主演後、1947年に同監督の
『黒水仙』でヒマラヤに赴任した修道女を演じて脚光を浴びました。その後、アメリカに渡ってハリウッド映画に出演する
一方で、1953年にブロードウェイでも『お茶と同情』で舞台デビューを果たしました。
その後、『王様と私』『サンダウナーズ』などに出演していましたが1969年の『アレンジメント』を最後に映画からはなれ
イギリスに戻りTVやロンドンの舞台で活躍を続けました。

【主要出演作品】
1943年『老兵は死なず』The Life and Death of Colonel Blimp

1947年『黒水仙』Black Narcissus

1950年『キング・ソロモン』King Solomon's Mines
1951年『クォ・ヴァディス』Quo Vadis
1952年『ゼンダ城の虜』The Prisoner of Zenda
1953年『悲恋の王女エリザベス』Young Bess
1953年『ジュリアス・シーザー』Julius Caesar
1953年『地上より永遠に』From Here to Eternity

1956年『誇りと冒瀆』The Proud and Profane
1956年『王様と私』The King and I

1956年『お茶と同情』Tea and Sympathy

1957年『めぐり逢い』An Affair to Remember

1958年『悲しみよこんにちは』Bonjour tristesse
1958年『旅路』Separate Tables
1960年『サンダウナーズ』The Sundowners

1960年『芝生は緑』The Grass Is Greener
1961年『六年目の疑惑』The Naked Edge

1961年『回転』The Innocents
1964年『イグアナの夜』The Night of the Iguana
1966年『結婚専科』Marriage on the Rocks
1969年『さすらいの大空』The Gypsy Moths
1969年『アレンジメント』The Arrangement


☆アンジー・ディキンソン Angie Dickinson (1931.9.30~ )



TVあがりで、下積みから主役級になりましたが大成できなかったハリウッドの映画女優です。
ノースダコタ州クルムに生まれ、グレンデイル大学を卒業後は秘書をしていましたが、1953年に地方TV局が主催した美人
コンテストで2位になったことからテレビ業界のプロデューサーの注目を集め、TV番組で数多くの出演を果たしました。
1954年には "Lucky Me" の端役で映画デビューし、端役・傍役を数多く務めましたが、1959年のハワード・ホークス監督の
『リオ・ブラボー』で女賭博師を演じその脚線美で注目を集めました。その後『オーシャンと十一人の仲間』などで重要な
役どころを任され、世紀をまたいで映画やTVに出演を続けていましたが残念ながら地味な印象に終わってしまいました。

【主要出演作品】
1955年『拳銃稼業』The Return Of Jack Slade
1959年『リオ・ブラボー』 Rio Bravo 

1960年『オーシャンと十一人の仲間』 Ocean's Eleven

1962年『恋愛専科』Lovers Must Learn

1962年『すてきなジェシカ』Jessica

1965年『恋するパリジェンヌ』 The Art of Love 
1966年『逃亡地帯』 The Chase 

1966年『悪のシンフォニー』 The Poppy Is Also A Flower
1967年『殺しの分け前/ポイント・ブランク』 Point Blank 


【ご命日】

★シモーヌ・シニョレ Simone Signoret (1921.3.25~1985.9.30)



美人ではないが知的でちょっと官能的な容貌で国際的にも活躍したフランスの性格俳優。
主な出演作品として『デデという娼婦』『嘆きのテレーズ』『悪魔のような女』『サレムの魔女』『年上の女』などがある。


★ジェームズ・ディーン James Dean (1931.2.08~1955.9.30)



ハリウッドの反逆児的な存在で、わずか一瞬輝いただけで伝説となった俳優。
主な出演作品として『エデンの東』『理由なき反抗』『ジャイアンツ』などがある。


★フレディ・マーチン Freddie Martyn (1906.12.09~1983.9.30)



スタジオ・ミュージシャンとなり、後に編曲家・楽団指揮者として活動したアメリカのテナーサックス奏者。
主な演奏曲として『バンブル・ブギ』『剣の舞ブギ』『クマーナ』などがある。


『9月29日』その1

2019-09-28 16:29:58 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ミケランジェロ・アントニオーニ Michelangelo Antonioni (1912.9.29~2007.7.30)



独自の知的リアリズムで愛の不毛を描き上げて鬼才と呼ばれ、世界映画史に燦然と名を残したイタリアの映画監督です。
北イタリアのフェルラーラで生まれ、ボローニヤ大学で語学、工学、経済学などを学び、20歳頃から戯曲や短編小説を書く
かたわら映画批評を書くようになり、映画で生きようと決意して1939年にローマに出ました。1942年に映画雑誌『チネマ』の
編集員を経てロベルト・ロッセリーニ作品の脚本を執筆し、マルセル・カルネの『悪魔が夜来る』で助監督を務めました。
第二次大戦後はヴィスコンティやジュゼッペ・デ・サンテスなどの脚本を書きネオ・リアリズムの精神が根付き、1948年から
1950年の間に数本の短編を制作した後、1950年に『ある恋の記録』で初の長編監督をしたものの興行的には失敗に終わりました。
1951年にはオムニバス映画『巷の恋』の第二話『自殺未遂』においてネオ・リアリズモの手法とドキュメンタリー・タッチで
自殺する場所を探す女を描きましたが芳しい評価を得るまでには至りませんでした。
次いで1955年にはチェーザレ・パバーゼの小説をもとに、トリノのブティックを舞台にして主人公の女ともだちとそれに関わる
人々との無味な人間関係を鋭い感覚で描き、群像劇の中に見受けられる新手法の独自のリアリズムが高く評価され、これが
知的リアリズムと称されることとなり、この作品を起点として映画は物語を見せるものではなく、登場人物の心理を映像表現
する映画へと進化していきました。
1957年には自らの実体験をもとにした『さすらい』を発表、孤独に苛まれ絶望しながらも脱出を求めて苦闘する主人公の姿は
心のつながりを失って孤立し漂流する現代人の不安そのものを表わしていて、癒しきれぬ真実の愛への絶叫はまさに「叫び」
そのもので、モノクロの映像美の中に心の渇きを背後にして、荒涼として広がる冷淡な風景と重ねて合わせるという優れた
イメージ処理によってアントニオーニ独特の映像芸術が確立され、感情を映像で表現するという作風で他に追随を許さない
知的リアリズムの完成となりました。
そして1960年から1962年にかけての『情事』『夜』『太陽はひとりぼっち』の愛の不毛三部作を連続して発表しました。
『情事』では物語性を排除して登場人物の心理を映像表現する映画へと進化させていきました。不要な説明を一切せずに、
心のつながりを失って孤立し漂流する現代人の不安と孤独や癒しきれぬ真実の愛の渇きを、背後に広がる無人の冷淡な風景を
多用しながら、表向きでは繋がっている男女も実際は互いに隔絶し冷たい浮遊の個にすぎないという愛の不毛を映像で表現、
追随を許さぬ独自の映像芸術を確立、ラストシーンは冷ややかなカメラが二人を傍観するように冷酷に締めくくられていて
映画の本質は映像表現だと強く訴えました。まさに映像美学と映像表現の教科書そのものでもありました。
『夜』においても離婚の危機に瀕した中年夫婦を主体として都会に生きる男女の埋めることのできない断絶感を完成された
知的リアリズムで描き切り、『太陽はひとりぼっち』においては人間同士の断絶感を廃墟のような都会の情景を積み重ねる
ショットによりその心情をさらに深化した映像で綴りあげ、「明日も会おう、あさっても、毎日会おう…」というピエロの
言葉が虚しく響くだけで、無人の町の殺伐とした冷酷な風景が二人の愛を暗示していました。
これらの「愛の不毛三部作」に共通していえることはいずれの作品もストーリーがありません。アントニオーニ作品は物語の
起承転結を見せるものではなく、登場人物の心理を映像で表現する映画なので下手なストーリーは不要なのです。残念なことに
巷ではアントニオーニ作品は難解だといわれています。劇映画の基本はストーリー中心で起承転結の筋書きドラマというのが
前提だと決めつけて普通に物語を追って映画を観ている人にとっては物語の転結を説明してもらわないと難解としか見えない
でしょう。
続く1964年には愛の不毛を描き続けたアントニオーニの終結篇で彼が挑んだ実験的な色彩作品『赤い砂漠』を監督しました。
交通事故でショックを受け軽いノイローゼに陥った人妻が感じる倦怠そして不安と孤独を、無機的な工場周辺の風景と、断絶を
表現する原色、倦怠感を醸し出す濁淡色など色彩映画の定石を覆す独自の手法によって表現、主人公の疎外感と高度成長社会が
人間の精神を蝕んでいる現代の狂気を描いています。冒頭の無機質な工場群と林立する煙突から吹き上げる真っ赤な炎は
荒んだ主人公の心の底を象徴させて、さらには情事でも埋められない不安と孤独に苛まれ、絶望しながらも脱出を求めて
苦闘する姿はアントニオーニの独壇場です。アントニオーニは「愛の不毛三部作」において背後に広がる無機質で冷淡な
風景を多用することによって愛の不毛をモノクロ映像で表現、独自の映像芸術を確立させましたが、この作品においても
感情を色彩映像で表現しており、孤立し漂流する現代人の不安と孤独や癒しきれぬ心を描き切りました。
愛の不毛作品に一段落した1966年には新境地を求めてイギリスに渡って『欲望』を監督、現在における魂の不在を現実と
幻想を交えて意欲的に取り組みましたが、知的リアリズムの陰も薄れてどうも商業主義との折り合いを図ったような作品と
なり、1970年のアメリカで制作した『砂丘』も俗っぽい仕上がりで、かつての芸術肌は影をひそめてしまいました。

【主要監督作品】
1950年『ある恋の記録』 Cronaca Di Un Amore

1951年『巷の恋』 L'Amore In Citta
1956年『女ともだち』 Le amiche

1957年『さすらい』 Il grido 

1960年『情事』 L'avventura 

1961年『夜』 La notte

1962年『太陽はひとりぼっち』 L'eclisse

1964年『赤い砂漠』 Il deserto rosso

1966年『欲望』 Blow-up

1970年『砂丘』 Zabriskie Point

☆スタンリー・クレーマー Stanley Kramer (1913.9.29~2001.2.19)



メッセージ映画によって社会問題を鋭い目線で追及したアメリカの製作者・映画監督です。
ニューヨークに生まれ、ニューヨーク大学在学中に大学同人雑誌に執筆したことから20世紀フォックスのシナリオ・ライター
研究生として採用されました。フォックス社では小道具部の掃除係などの下積みの後に解雇され、MGM社、コロンビア社、
リパブリック社などの映画会社を転々としました。第二次大戦後に自らのプロダクションを設立し、製作者として自主作品を
制作しはじめ、1949年のマーク・ロブソン監督、カーク・ダグラス主演の『チャンピオン』が大ヒットして製作者としての
才能が認められるようになりました。1955年からは製作者兼監督として活躍を始め、1958年の『手錠のままの脱獄』翌年の
『渚にて』で社会派監督としてその名が知れわたるようになりました。
1961年の『ニュールンベルグ裁判』では、戦勝国による敗戦国裁判の是非を問い、戦争裁判の矛盾を鋭い視線で見つめた
法廷劇によって映画としてのメッセージを突きつけ、その後もメッセージ映画によって問題提起を続けました。

【主要監督作品】
1955年『見知らぬ人でなく』 Not As A Stranger
1957年『誇りと情熱』 The Pride and the Passion
1958年『手錠のままの脱獄』The Defiant Ones

1959年『渚にて』On the Beach

1961年『ニュールンベルグ裁判』Judgment at Nuremberg

1963年『おかしなおかしなおかしな世界』It's a Mad Mad Mad Mad World
1965年『愚か者の船』Ship of Fools

1967年『招かれざる客』Guess Who's Coming to Dinner

1969年『サンタ・ビットリアの秘密』The Secret of Santa Vittoria


『9月29日』その2

2019-09-28 15:54:54 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆ミレーヌ・ドモンジョ Mylène Demongeot (1935.9.29~ )



1950年代後半からバルドーと競うほどの人気を誇った優雅でキュートなフランスの女優です。
仏伊混血の父親とロシア人の母親のもとにニースで生まれました。生まれつき斜視だったためピアノを唯一の友人として
マルグリッド・ロンなどの著名なピアニストの指導を受けていましたが、15歳の時に斜視を治癒して女優を目指し演技の
勉強を始めました。17歳の時にレオニード・モギー監督の目にとまり、同監督の "Les Enfants de l'amour" (愛の子供たち)の
傍役で映画デビューを果たしました。その後も数本の映画の傍役に出演していましたが、1957年にレイモン・ルーロー監督の
『サレムの魔女』で邪悪な娘役を演じて脚光を浴び、同年のアンリ・ヴェルヌイユ監督の『女は一回勝負する』に出演して
金髪で優雅でキュートなお色気によってブリジット・バルドーと競うほどの人気スターになりました。
1970年からは映画のほかにもTVや動物愛護などでも活躍を続けています。

【主要出演作品】
1957年『サレムの魔女』Les Sorcières de Salem

1957年『女は一回勝負する』Une manche et la belle

1958年『悲しみよこんにちは』Bonjour tristesse

1958年『黙って抱いて』Sois belle et tais-toi
1959年『お嬢さん、お手やわらかに!』Faibles femmes

1959年『上と下』Upstairs and Downstairs
1959年『狂った夜』La Notte brava

1960年『ローマの恋』Un Amore a Roma

1961年『黒い狼』The Singer Not the Song
1961年『サビーヌの掠奪』Il Ratto delle sabine

1962年『女は夜の匂い』À cause, à cause d'une femme
1963年『シーザーの黄金』Oro per i Cesari
1964年『アイドルを探せ』Cherchez l'idole
1964年『ファントマ/危機脱出』Fantômas

1965年『リオの嵐』Furia à Bahia pour OSS 117
1965年『ファントマ/電光石火』Fantômas se déchaîne
1966年『タヒチの男』Fantômas se déchaîne


☆アニタ・エクバーグ Anita Ekberg (1931.9.29~2015.1.11)



スエーデン生まれで、米国でハリウッド・テビューし、後にイタリアで開花したモデル出身の女優です。
スウェーデンのマルメに生ミステリーまれ、16歳の時に写真のモデルとなり、1952年にミス・ユニバースのスウェーデン代表
として渡米、この時アボット&コステロの喜劇映画『凸凹火星探検』にチョイ役で出演、セクシーを売り物にしてハリウッドで
数本のB級作品に出演しましたが全く芽が出ませんでした。1959年にフェデリコ・フェリーニ監督の誘いでイタリアに渡り、
世紀の傑作といわれた『甘い生活』に出演して圧倒的な印象を残し、グラマー女優としてスターの仲間入りしました。
その後は主にイタリアでフェリーニの秘蔵っ子として活動しましたが、あの人気を回復するには至りませんでした。

【主要出演作品】
1952年『凸凹火星探検』 Abbott and Costello Go to Mars
1955年『中共脱出』Blood Alley
1955年『画家とモデル』Artists and Models

1956年『熱砂の舞』Zarak
1956年『底抜けのるかそるか』Hollywood or Bust
1956年『戦争と平和』 War and Peace
1958年『パリの休日』 Paris Holiday
1958年『ローマの旗の下に』 Nel segno di Roma
1960年『甘い生活』 La Dolce Vita 

1962年『ボッカチオ'70』 Boccaccio '70 

1966年『イタリア式愛のテクニック』 Come Imparai Ad Amare Le Donne
1967年『女と女と女たち』 Woman Times Seven
1970年『道化師』 I Clowns


☆グリア・ガースン Greer Garson (1904.9.29~1996.4.06)



頭脳明晰、品位のある貞淑な貴婦人像を演じて人気を博したアイリッシュ系のハリウッド女優です。
北アイルランドのカウンティ・ダウンに生まれ、小学校の頃から成績優秀で特待生としてロンドン大学に至るまで学費が免除
されました。将来は教師になるつもりでしたが広告会社に就職し、夜間はアマチュア演劇クラブに通いました。そのころに
女流作家のシルヴィア・トムスンに認められて彼女の戯曲をローレンス・オリヴィエと共演していた時に、ハリウッドの
製作者ルイス・メイヤーからハリウッドにと誘いを受けました。1938年に渡米し一年後にやっと『チップスさん左様なら』で
主役として映画デビューを果たしました。1942年からは『ミニヴァー夫人』『心の旅路』『キュリー夫人』と立て続けに
品位・知性・母性を備えた貴婦人タイプを演じてスターの座を射止めました。しかし、第二次大戦後は作り上げられた夢物語の
人気が鈍化してハマリ役を失い、出演作品も少なくなり次第に映画から遠のいてしまいました。

【主要出演作品】
1939年『チップスさん左様なら』Goodbye, Mr. Chips
1941年『塵に咲く花』Blossoms in the Dust
1942年『ミニヴァー夫人』Mrs. Miniver

1942年『心の旅路』Random Harvest

1943年『キュリー夫人』Madame Curie

1948年『奥様武勇伝』Julia Misbehaves
1949年『フォーサイト家の女』That Forsyte Woman
1953年『ジュリアス・シーザー』Julius Caesar
1955年『荒野の貴婦人』Strange Lady in Town
1966年『歌え!ドミニク』The Singing Nun
1967年『最高にしあわせ』The Happiest Millionaire


【ご命日】

★トニー・カーチス  Tony Curtis (1925.6.03~2010.9.29)



キザな二枚目として主にコメディ―作品などで人気者になったアメリカの俳優。
主な監督作品として『空中ぶらんこ』『手錠のまゝの脱獄』『お熱いのがお好き』『グレートレース』などがある。


『9月28日』その1

2019-09-27 18:48:05 | 明日は誰の日

【誕生日】


☆マルチェロ・マストロヤンニ Marcello Mastroianni (1924.9.28~1996.12.19)



イタリアを代表する名匠の傑作群に多く出演したことで名声を得たイタリアを代表する俳優です。
ローマ南東部のフォンターナ・リーリで家具職人の子息としてに生まれ、5歳の時にトリノに移ってそこで育ち、数年後に
ローマに出て家業を継ぐべく建築学校に入りました。やがて第二次大戦が勃発し、降伏したイタリアもドイツ軍に制圧され
収容所生活を余儀なくされましたがそこから脱走してヴェネチアに逃れ、終戦後にローマに戻りました。
そこの夜間大学で建築学を学ぶ一方で、少年期の頃に宗教劇に出たことから演技に興味を持ち始めました。1945年にはローマ
大学演劇センターの傘下のセミ・プロ劇団に所属して俳優のレッスンを受け、そこでルキノ・ヴィスコンティに認められて
彼の演出で初舞台に立ちました。1940年代の終わりころから映画にも出演するようになり数多くのB級作品の準主役などを
こなし、1957年のヴィスコンティ監督の『白夜』、1959年のジュールズ・ダッシン監督の『掟』で国際的にも認められる
俳優となり、1960年にフェリーニ監督の『甘い生活』で退廃的な生活を送るゴシップ記者を演じて世界的な名声を得ました。
その後も、ミケランジェロ・アントニオーニ、ルイ・マル、ピエトロ・ジェルミなどの名匠の傑作に主演し続けて名を残し、
ある意味で最高に運の良い俳優でもありました。

【主要出演作品】
1948年『レ・ミゼラブル』I miserabili 
1954年『恋愛時代』 Giorni d'amore 

1955年『バストで勝負』 La bella mugnaia
1957年『白夜』 Le notti bianche 

1958年『みんなが恋してる』 Tutti innamorati 
1958年『夏物語』 Racconti d'estate 
1959年『掟』 La Legge 

1960年『甘い生活』 La Dolce Vita

1960年『汚れなき抱擁』 Il bell'Antonio
 
1960年『夜』 La notte

1961年『私生活』 Vita privata 
1962年『イタリア式離婚狂想曲』 Divorzio all'italiana 

1962年『家族日誌』 Cronaca familiare

1963年『8 1/2』 Otto e mezzo 

1963年『明日に生きる』 I compagni 

1963年『昨日・今日・明日』 Ieri, oggi, domani
 
1964年『あゝ結婚』 Matrimonio all'italiana 

1965年『ゴールデン・ハンター』Casanova 70
1966年『悪のシンフォニー』 The Poppy Is Also a Flower 
1967年『異邦人』 Lo straniero

1968年『恋人たちの場所』 Amanti
1969年『ひまわり』 I Girasoli