BELOVED

好きな漫画やBL小説の二次小説を書いています。
作者様・出版社様とは一切関係ありません。

優しい世界 第3話

2024年04月29日 | ハリー・ポッター生存IF捏造パラレル二次創作小説「優しい世界」
ハリー・ポッターの二次小説です。

作者様・出版社様とは一切関係ありません。

二次創作が嫌いな方はご注意ください。

「いつか、こんな日が来るんじゃないかと思っていたけれど・・」
「うん・・」
「はは、そんな深刻そうな顔をするな、ハリー!」
シリウスはそう言って笑ったが、リーマスとハリーに睨まれて黙ってしまった。
「父さんだったら、どうするのかなぁ?」
「う~ん、それは直接会ってみないとわからないな。」
「シリウス、それはどういう意味だい?」
「あ~、その・・」
「ハリー、遊びに来たぞ~!」
そう言って暖炉の中から出て来たのは、ハリーの父・ジェームズだった。
「父さん?」
「後で色々と説明して貰おうかな、シリウス?」
「あぁ・・」
「孫の武勇伝を聞きに、やって来たぞ!」
「シリウス・・」
「父さん、一体何をしに来たの?」
「あ・・」
ジェームズは、自分を冷やかに見つめる親友と息子の姿を見て、固まった。
「そうかそうか、ジェームズ三世は僕の遺伝子を濃く受け継いでいるようだね。良かった、良かった。」
「良くないよ!」
ハリーがそう叫んだ時、“ジェームズ三世”が帰宅した。
「ただいまっ・・て、おじいちゃん、どうしてここに居るの!?」
「お前の武勇伝を聞きに来たんだ。」
「え~、本当!?嬉しいなぁ、じゃぁ、スリザリンの談話室に糞爆弾を投下した話、聞きたい!?」
「面白そうな話だなぁ~」
「ジェームズ、黙って!」
「すいません・・」
リーマスに睨まれ、ジェームズは俯いた。
「ジェームズ、どうしてお前は学校で悪戯ばかりするんだ?」
「わからない。」
(一体、どうすれば・・)
「ハリー、また溜息?」
「あぁ。ジェームズは?」
「お義父様とチェスをしているわ。あの子、お義父様の言う事だけは聞くみたい。」
「そうか。」
「ねぇ、お義父様達と一緒に暮らさない?今の家は狭いし、環境を変えたらあなたにもいいんじゃないかしら?」
「そうだな・・」
ハリーは、手狭なロンドンのフラットから、ゴドリックの谷にある広い一軒家へと引っ越した。
大好きな祖父母と一緒に居られるので、ジェームズは少し落ち着いているように見えた。
「これで良かったのかな?」
「良かったんじゃない?」
ジニーとハリーがリビングでそんな話をしていると、ふくろう便がやって来た。
『やぁハリー、元気かい?引っ越し祝いに俺達から素晴らしい贈り物をやろう。』
手紙の送り主が、誰なのか二人にはわかった。
“ゴキブリゴソゴソ豆板”が、手紙に同封されていたからだ。
「もう、兄貴達ったら、相変わらず悪戯好きなんだから!」
「我が家の家系には、悪戯好きの遺伝子が濃いんだな・・」
ハリーは、少し遠い目をしながらそんな事を言って溜息を吐いた。
「クリスマスだっていうのに、仕事なんてついていないなぁ。」
「パパ、早くお仕事終わらせて帰って来てね。」
「わかったよ、リリー。じゃぁみんな、行って来る。」
クリスマスの朝、ハリーは家族に見送られながら出勤した。
「ふぅ・・」
デスクワークを終えたハリーが溜息を吐いていると、部下の一人が何処か慌てた様子で闇祓い局へと入って来た。
「局長!」
「どうしたの?」
「ヴォルデモートの残党が、マグルを襲っています!」
「場所は何処、案内して!」
ハリーが部下達と共にロンドンの地下鉄のホームへと向かうと、そこは不気味な程静まり返っていた。
「こんな所に、本当にヴォルデモートの残党が居るのか?」
「さぁ・・」
そんな事をハリー達が話していると、向こうから闇の気配が少しずつ近づいて来た。
「みんな、伏せて!」
“それ”は、徐々に大きな渦となってハリー達に迫って来た。
―ハリー・ポッター・・
地の底から響くような声に、ハリーは聞き覚えがあった。
(まさか、そんな・・)
あの戦争で、ヴォルデモートをはじめとする闇の魔法使いは、ヴォルデモートを含め、いなくなった筈だった。
それなのに・・
「局長?」
「いいや、何でもない。先に進もう。」
あの声は空耳だ―そう思いながらハリー達が奥へと向かうと、そこには血の海が広がっていた。
(一体、ここで何が・・)
ハリーが杖先をトンネルの奥へと向けた時、その中から微かに何かの声がした。
(何?)
声がする方へと向かうと、そこには一人の少年の姿があった。
どうして、こんな所に子供が。
ハリーがそんな事を思っていると、徐に少年は俯いていた顔を上げた。
“やっと見つけた・・”
その少年は、真紅の瞳をしていた。
「トム=リドル・・」
ハリーは、そこで意識を失った。
「ハリー、ハリー!」
「ジニー、僕は・・」
「良かった、意識が戻ったのね!」
ハリーが意識を取り戻したのは、倒れてから数日後の事だった。
聖マンゴのベッドの上で目を覚ましたハリーは、そこでジニーから信じられない事を聞いた。
ハリーの部下達がトンネルの奥へと向かった時、ハリーの周りには誰も居なかったという。
(じゃぁ、僕があの時見た子は?)
「ハリー?」
「ジニー、心配かけてごめん。」
「いいのよ。それよりもハリー、あなた、何かわたしに話したい事があるんでしょう?」
「実は・・」
ハリーがジニーにあの少年の事を話すと、彼女は驚愕の表情を浮かべた後、ハンドバッグからある物を取り出した。
「これ、今朝うちのポストに入っていたの・・」
ジニーに見せられたのは、スリザリンのロケットだった。
「これは、一体誰が・・」
「わからないわ。でもこのロケットって、ヴォルデモートのものでしょう?何だか不気味ね・・」
「ジニー、ロケットは僕が預かっておくよ。」
「ありがとう。」
その日の夜、ハリーは変な夢を見た。
―また会えたな、ハリー。
地下鉄のトンネルの奥で、トム=リドルは紅い瞳を光らせながらハリーを見つめていた。
―どうして、僕がここに居るのかっていう顔をしているね?君に会いたかったからだよ。
トムはそう言って笑うと、ハリーの頬にキスをした。
―また会おう。
「待って!」
目を覚ました時、ハリーの枕元には砕け散ったスリザリンのロケットが転がっていた。
「パパ、お帰り。」
「ただいま。みんな、心配かけてごめんね。」
ハリーが聖マンゴを退院したのは、彼が倒れてから七日後の事だった。
「スリザリンのロケットが、うちのポストに入っていただって!?どうしてそれを早く言わないんだ!」
「言おうとしたけれど、忙しくて言うタイミングを忘れちゃったんだよ、ごめんよ、父さん。」
「スリザリンのロケットねぇ・・一体誰が、何の目的で・・」
「まさか、ヴォルデモートが復活したとか?」
「それはない。」
「分霊箱は破壊された筈・・」
「ロケットを調べたけれど、魂の痕跡はなかった。でも、一部魂の“カケラ”を感じたよ。」
「“カケラ”?」
「残留思念というものかな。よくわからなくて・・」
ハリーがそう言って溜息を吐くと、シリウスがそっと彼の肩を叩いた。
「考えるのは後だ。今は、ゆっくりと休め。」
「うん・・」
ハリー達がそんな話をしていると、二階からアルバスとジェームズが降りて来た。
「父さん、助けて、リリーが!」
ハリー達が二階の部屋に入ると、あの少年がリリーを連れ去ろうとしていた。
「リリーから離れろ、トム!」
“ハリー・・”
少年は、少し寂しそうな笑みをハリーに浮かべた後、屋敷から姿を消した。
「リリー、大丈夫?」
「うん・・」

(トム、君は一体何をしたいんだ?)
コメント

優しい世界 第2話

2024年04月29日 | ハリー・ポッター生存IF捏造パラレル二次創作小説「優しい世界」
ハリー・ポッターの二次小説です。

作者様・出版社様とは一切関係ありません。

二次創作が嫌いな方はご注意ください。

葬儀から暫く経った後、ハリー、アルバス、そしてシリウスとリーマスは遺品整理の為にスネイプの家に来ていた。
家の中は、整理整頓されており、本棚には彼の蔵書が隙間なく詰まっていた。

「片づけようにも、余りに綺麗過ぎて何もする事がないね。」
「そうだな。」
シリウスがそう言いながらスネイプの本棚を漁っていると、一冊の本を彼は見つけた。
「シリウス、それは何?」
「セブルスのレシピ本だ。“半純血のプリンスのレシピノート”か。奴らしいタイトルだよな。」
ハリーとシリウスが、セブルスが遺したレシピ本を見ていると、ハリーの好物である糖蜜パイのレシピのページに、“あの子の大好物”と書いてあった。
それを見たハリーは、涙が止まらなくなった。
「父さん、大丈夫?」
「ちょっと、外の風に当たって来るね。」
ハリーはそう言うと、スネイプの家から出た。
(もっと、色々と話したかったな・・)
今まで、沢山の死をこの目で見て来た。
だが、スネイプの死はハリーにとって余りにも辛く、悲しいものだった。
長年の確執が消え、漸く家族ぐるみの付き合いが出来ると思っていた矢先に、彼は逝ってしまった。
(会いたいなぁ・・)
「少しは落ち着いたか、ハリー?」
「はい。」
「糖蜜パイを作ったから、食べよう。」
その日食べた糖蜜パイは、少ししょっぱかった。
「そういえば、思い出したよ。ゴドリックの谷にあるジェームズの家に遊びに行った時、出された糖蜜パイが美味しかったなぁ。後でリリーに聞いたら、あのパイはセブルスの手作りだったんだ。」
「あいつに、意外な特技があったんだな・・」
「レシピ本の厚さを見る限り、セブルスは相当料理好きだったんだろうね。」
リーマスはそう言うと、紅茶を一口飲んだ。
「ねぇ、このレシピ本、僕が貰ってもいいかな?」
「あぁ、あいつも喜ぶと思う。」
「そうだよね。」
ハリーがアルバスと共に帰宅すると、ドビーが玄関ホールで二人を出迎えた。
「お帰りなさい、アルバス坊ちゃま。」
「ただいま、ドビー。君に、渡したい物があるんだ。」
ハリーはそう言うと、ドビーにスネイプのレシピ本を手渡した。
「この方は、あのセブルス=スネイプ様の・・」
「ドビー、スネイプ先生を知っているのかい!?」
「はい、存じておりますとも!この方はドビーが最も尊敬している料理研究家です、ハリー=ポッター!」
ドビーはキーキー声でそう言うと、スネイプのレシピ本を胸に抱えた。
「ありがとうございます、ハリー=ポッター!」
「そんなに感激しなくても・・」
「お帰りなさい、ハリー。」
「ただいま、ジニー。」
「さっきドビーがスキップしながらキッチンに入っていったけれど、何かあったの?」
「スネイプ先生のレシピ本をドビーにプレゼントしたんだ。」
「スネイプ先生の新刊を!?それはドビーが泣いて喜ぶわね!」
「ねぇ、スネイプ先生は、そんなに有名なの?」
「えぇ。先生は、毎月“週刊魔女”にお菓子のレシピを載せていたわ。」
「へぇ、初耳だな。」
「ヘドウィグの介護食も、スネイプ先生のレシピ記事に載っていたのよ。」
「そうだったのか。」
「ねぇハリー、わたし今日聖マンゴに行って来たんだけれど・・妊娠三ヶ月ですって。」
「本当かい?」
「ええ。」
ジニーはそう言うと、嬉しそうに笑った。
「ねぇ、子供達にはいつ話す?」
「今日話そう。良いニュースはみんなに広めるべきだ。」
ハリーはその日の夜、ジェームズとアルバスにジニーの妊娠を告げると、二人は大喜びした。
三人目は、ジニーに良く似た、愛らしい女の子だった。
「可愛いわね。」
「そうだね。」
女の子は、リリーと名付けられた。
「ヘドウィグ、リリーだよ。これからもよろしくね。」
ハリーがそう言ってヘドウィグにリリーを見せると、ヘドウィグは嬉しそうに鳴いた。
そして遂に、“その日”が来た。
「ヘドウィグ、大丈夫だよ、僕がついているからね。」
 ハリーがそうヘドウィグに呼び掛けると、彼女は白い翼をはばかせながら、大きな声で何度も鳴いた。
ハリーが窓の方を見ると、白い影のようなものが居た。
(もしかして、エロール?)
エロールは、ヘドウィグととても仲が良かった。
だから―
「ヘドウィグ、良かったね。エロールが迎えに来てくれたよ。」
ハリーがそうヘドウィグに話し掛けながら彼女の頭を撫でると、彼女は静かに息を引き取った。
すると、窓際に居た白い影は、何かを連れて闇の中へと消えていった。
「ヘドウィグ、これからは自由にお空を飛べるね。」
「そうだね。」
ヘドウィグの葬儀は、はりーの家族や友人達で行われた。
「寂しくなるね。」
「ええ。」
ハリーは、ヘドウィグを亡くしてから暫くして、空の鳥籠を見ながらボーッとする時間が多くなった。
ロンがエロールを亡くした時に漏らした言葉を、ハリーは実感する事になった。
(これが、“ペットロス”か・・)
「ハリー、どうしたの?」
「何だか、ヘドウィグが亡くなってから急に疲れやすくなったんだ。」
「あなたに必要なのは休養よ。ヘドウィグは、あなたの人生の相棒だったもの。」
「ジニー、ありがとう。」
ハリーはそれまで激務に追われた分、有給休暇を取り、暫く休養する事にした。
ハリーは休暇の間、子供達を遊んだり読書をしたりして、徐々にヘドウィグを亡くした悲しみから癒えていった。
時は経ち、ポッター家の長男・ジェームズが11歳の誕生日を迎えた。
「おめでとう、ジェームズ!」
「ありがとう、父さん!」
「ホグワーツに行けるのね、お兄ちゃん。いいなぁ。」
「リリーもいつか行けるさ。」
「ジェームズ、くれぐれもネビルに迷惑を掛けないようにしてね。」
「わかっているよ、父さん!」
(本当に、わかっているのかなぁ?)
ジェームズ=シリウス=ポッターは、その名の通り悪戯ばかりしてハリー達を困らせている。
シリウスから最近、学生時代の思い出話を聞いたことがあるが、それらは少しというかかなりドン引きしてしまいそうになるものばかりだった。
(どうしよう・・)
「ジェームズが、ホグワーツで問題を起こさなければいいのだけれど・・」
ジニーの言葉を聞いたハリーは、思わず笑ってしまった。
「どうしたの、ハリー?」
「いや、僕も同じような事を思っていたから、君が先に口に出したから、つい・・まぁ、ホグワーツにはネビルが居るから、何とかなるさ。」
「そうかしら?」
長い夏休みが終わり、ハリー達はキング・クロス駅に居た。
「いいなぁ、僕達も行きたい!」
「そんなに焦らなくても、アルバスはあと二年待てばホグワーツに行けるよ。」
「でも、そんなに待てないよ!」
9と4分の3番線のホームには、ホグワーツ入学を間近に控えた子供達とその保護者達が集まっていた。
「気を付けてね!」
「行って来ます!」
ホグワーツ特急がキング・クロス駅から発車した後、ハリー達はブラック邸に立ち寄った。
「ハリー、良く来たな!アルバス、少し大きくなったか?」
シリウスはそう言うと、ハリーとアルバスを交互に抱き締めた。
「シリウスおじさん、話があるんだ。」
「その顔だと、ジェームズの事かな?」
「うん。」
「父さん、僕は母さんとキッチンに居るよ。」
ハリーはシリウスと共に彼の部屋へと向かった。
「それで、俺に話したい事ってのは、ジェームズ坊やが、ホグワーツで問題を起こさないだろうかって、心配しているのか?」
「うん。父さんとあの子は違うけれど、何だろうな・・少しヤンチャな所が、隔世遺伝したみたいで・・」
「まぁ、それはわかる。だからと言って、ジェームズ坊やが問題を起こすと決めつけちゃいけないよ。」
「そうだね・・」
シリウスにジェームズの事で相談したハリーは、晴れやかな気分で帰宅した。
だが―
「ジェームズが校長室に忍び込んで、グリフィンドールの剣を盗もうとしたって!」

歴史は、繰り返される。

コメント

優しい世界 第1話

2024年04月29日 | ハリー・ポッター生存IF捏造パラレル二次創作小説「優しい世界」
ハリー・ポッターの二次小説です。

作者様・出版社様とは一切関係ありません。

二次創作が嫌いな方はご注意ください。

「二人共、起きなさ~い!」
階下から母の声が聞こえ、アルバス=セブルス=ポッターと、その兄、ジェームズ=シリウス=ポッターはそれぞれの部屋でベッドから起き上がり、眠い目を擦りながら両親と妹が居るダイニングへと向かった。
「おはようございます、アルバス坊ちゃま、ジェームズ坊ちゃま。」
「おはよう、ドビー。」
ダイニングに二人が入ると、そこには父と親交が深く、ポッター家で働いている自由なしもべ妖精・ドビーの姿があった。
彼はキッチンで忙しなく働いていた。
「二人共、そんな所に突っ立ってないで手伝って!」
「は~い!」
忙しい朝の時間を終え、アルバスとジェイムズはヘドウィグの部屋へと向かった。
「ヘドウィグ、元気そうだね。」
アルバスがそう言ってヘドウィグの頭を撫でると、彼女はホーと嬉しそうに鳴いた。
ヘドウィグは父・ハリーが少年の頃から飼っていたシロフクロウで、何度も命の危機に晒されて来たが、現在は年老いてハリーの手紙を送る仕事を娘に任せ、穏やかなシニアライフを送っている。
「ねぇ、ヘドウィグは今幾つくらいなの?」
「さぁ・・ハグリットに聞けばわかるかもしれないな。」
「うん。」
ヘドウィグは、食欲はあるものの、一日中寝てばかりだった。
シロフクロウの寿命は、約二十五年。
ヘドウィグは、もうすぐ二十八歳になろうとしている。
固い餌は食べられず、粉末状やペースト状になった餌を与え、ハリー達は夜通しヘドウィグの介護をしていた。
子供達にとって、ヘドウィグは“第二の母親”のような存在であり、良き相談相手だった。
「ねぇ父さん、ヘドウィグの寿命を魔法で延ばす事は出来ないの?」
「それは出来ないよ、アルバス。命は、必ず終わりが来るんだ、エロールと同じように。」
ハリーの口から、ウィズリー家のフクロウでクリスマスに亡くなったエロールの名が出た途端、アルバスは泣きそうになった。
ウィズリー家のエロールは、ハリーがホグワーツに通っていた頃からかなりの高齢だった。
そして昨年のクリスマス、エロールはウィズリー家とハリー達に見守られながら、静かに息を引き取った。
「何だか、空の鳥籠を見ると虚しくなるんだ。」
エロールの葬儀から暫く経った後、ロンはポツリとポッター家の居間で紅茶を飲んだ後、ハリーにこう漏らした。
「僕達、あの戦争で大切な人を亡くしてきただろう。でも、人と動物との別れは違うものだとわかっていた・・いや、わかろうとしていたんだとしても。でも、エロールはずっと、一緒に僕達と居て、それが当たり前だと思ったから・・」
「ロン。」
「だからさ、こんなにエロールが居ないのが辛いなんて思わなかったよ。」
ハリーは、暫くすすり泣くロンの背を優しく擦った。
「まぁ、死に慣れてはいけないよ。」
「そうだね。さてと、そろそろ帰らないと。今日は食事当番だから、遅れたらハーマイオニーにどやされちまう。」
「送るよ。」
「いや、一人で帰れるよ。」
「そうか、気を付けて。」
ロンが、ポッター家の玄関先で“姿くらまし”した後、ハリーは家の中へと戻った。
「ハリー、あなた最近働き過ぎじゃないの?」
「そうだな・・暫く休みを取ろうと思っているんだ、ヘドウィグの事もあるし。」
「そうね。」
ハリーとジニーがそんな話をしていると、窓を一羽のメンフクロウがコツコツと嘴で突いていた。
「何かしら?」
窓からメンフクロウの手紙を受け取ったハリーがその手紙に目を通すと、ソファから立ち上がった。
「どうしたの、ハリー?」
「スネイプが、倒れたって。」
「そんな・・」
「どうしたの、父さん?」
「ジェームズ、アルバス、支度しなさい。」
あの戦争が終わった後、セブルス=スネイプはホグワーツ魔法魔術学校で魔法薬学教授を定年まで勤めた後、ロンドン近郊の自宅で引退生活を送っていた。
しかし、スネイプは戦争で受けた傷の所為で、本人も知らない内に病に蝕まれていた。
その日、スネイプはいつものように家庭菜園で育てたミニトマトを使ってサラダを作ろうとしたが、その時激痛に襲われ、気を失った。
「そんな、嘘ですよね?」
「残念ですが、手の施しようがありません。」
病院に駆け付けたハリー達が医師から告げられたのは、スネイプが末期の膵臓癌という残酷な現実だった。
「そんな・・どうして・・」
「嘆くな、これが我輩の・・生き残った者の運命だ。」
スネイプは、病室のベッドの上でそう言った後、笑った。
「わたしは、もう長くはない。だからポッター、後悔の無いように生きろ。」
「スネイプ先生・・」
「貴様にそう呼ばれるのは、久しぶりだな、ポッター。」
「父さん、この人が・・」
「あぁ、最も偉大で勇敢な人だよ。アルバス、来なさい。」
「うん・・」
アルバスが恐る恐るスネイプの病室に入ると、彼はアルバスに優しく微笑んだ。
「そうか、君が・・」
「はじめまして・・アルバス=セブルス=ポッターです。」
「我輩と初めて会ったのは、まだ君が赤子の時だったな。随分と、大きくなったものだ。」
父から聞いていたスネイプは、確かに怖かったが、優しい人だった。
「また来ます、先生。」
「好きにしろ。」
スネイプの容態が急変したのは、ハリー達が彼を見舞って数日後の事だった。
「先生!」
「ポッター・・家族を大切にしろ。」
スネイプは、そう言ってじっとハリーを見つめて口元に笑みを浮かべた後、静かに息を引き取った。
「先生~、嫌だ~!」
スネイプの葬儀には、彼の元教え子達や元同僚達が参列した。
「寂しくなるな・・」
「あぁ。」
「優しくはなかったけれど、とても良い先生だった。」
「ハリー。」
スネイプの葬儀に参列したハリーがロンとそんな事を話していると、そこへリーマスとトンクスがやって来た。
「テディはどうしたの?」
「お義母様に預かって貰っている。」
「何だか、寂しくなるね。あいつとは、仲良くなれなかったけれど。」

トンクスはそう言うと、スネイプの墓に、彼が生前愛していた白百合の花束を供えた。

コメント

連理の桃花 第1話

2024年04月26日 | 薄桜鬼 中華風転生ハーレクインパラレル二次創作小説「運命の桃花」
「薄桜鬼」の二次創作小説です。

制作会社様とは一切関係ありません。

二次創作・BLが苦手な方はご注意ください。

―ごめんね、歳三。
―母様?
記憶の中の母は、いつも泣いていた。
何故彼女が泣いているのか、幼い自分にはわからなかった。
―必ず、迎えに行くからね。
母はそう言って、自分の前から姿を消した。
「若様、起きて下さい!」
「う~ん・・」
「今日は、大事な用があるのでしょう!」
「あぁ、わかったよ・・」
従者である斎藤一に叩き起こされ、土方歳三は渋々と寝床の中から這い出た。
「もぅ、御髪が乱れておりますよ!」
「別にいいだろ。」
「いけません!」
一は乱れた髪のまま出かけようとする主を制し、彼を鏡の前に座らせると、彼の髪を整えた。
「髪なんて、適当に流しておいていいんだよ。」
「嘆かわしい・・天下の皇太子様とあろうお方が・・」
「今は、その身分は捨てた。俺ぁ、しがない良家の坊ちゃんだ。」
「歳三様・・」
「さてと、行くか!」
「はい!」
屋敷から出た歳三と一は、打毬大会へと向かった。
「姫様、こちらにいらっしゃったのですね!」
「小梅(シャオメイ)、勝手に何処かへ行ってしまってごめんなさいね。」
「いいえ。それよりも、姫様は参加されないのですか?」
「ええ。」
「千鶴様はお綺麗なのですから、もっと自信をお持ちになって頂かないと!」
「わたしは、今のままでいいの。」
「姫様・・」
小梅の目から見ても、主である千鶴は天女のように美しい。
それなのに、当の本人がその美しさに気づこうとしないのは―
「あら、あなたも来ていたのね?」
「麗蘭・・」
「あなたって、いつ見ても陰気臭いわね。」
千鶴の腹違いの妹・麗蘭は、そう言うと千鶴の服を見て笑った。
「相変わらず、貧相だわ。」
「まぁ、あなたは、“顔だけ”がいいものね。」
「なっ・・」
「小梅、行くわよ。」
顔を赤くして喚く義妹を無視すると、千鶴はその場から去った。
千鶴と麗蘭は、母親が違う。
千鶴の母親は、彼女が三歳の時に亡くなった。
後妻として入って来た継母の麗春は、先妻の娘である千鶴を邪険にした。
その所為なのか、千鶴は自己肯定感が低いまま育った。
それ故、彼女は己の美しさに気づかず、ひっそりと継母と義妹に虐げられる暮らしを送っていた。
打毬大会は、歳三率いる青組と、麗春の息子・麗秋率いる黒組の戦いが白熱していた。
「どちらが勝つのかしら?」
「黒組に決まっているわ!」
「あら、青組よ!」
麗秋は、苛立ちながら自分の従者に何かを囁いた。
すると、歳三の馬が突然暴れ出した。
「まぁ、一体どうしたのかしら?」
周囲が騒然とする中、歳三は落馬しないよう、必死に手綱を握り締めていた。
その時、一人の少女が歳三の前に現れた。
「何て命知らずな・・」
「一体、何を・・」
その少女―千鶴は馬に何かを囁くと、馬は暴れていたのが嘘のようにすっかりと大人しくなった。
「助けてくれて、ありがとう。お前ぇ、名は?」
「名乗る程の者ではございません。」
千鶴はそう言って歳三に向かって頭を下げると、その場から去った。
これが、歳三と千鶴の運命の出逢いだった。
「やっと見つけた、トシさん・・愛しい僕の兄上。」
コメント

白日 第一話

2024年04月23日 | 薄桜鬼 昼ドラ時代ハーレクインパラレル二次創作小説「白日」
「薄桜鬼」二次小説です。

作者様・出版社様とは一切関係ありません。

二次創作・BLが嫌いな方は読まないでください。

「先生、さようなら~」
「気を付けて帰れよ。」
「は~い。」
一人、また一人と、子供達が教室から去っていった。
「入るぞ。」
中から返事はないが、元新選組副長・土方歳三は、そう言って妻の部屋へと入っていった。
布団の中に居る彼女の目は虚ろで、夫が部屋に入っても全く気付かなかった。
「今日は、身体の調子が良さそうだな。」
「・・はい。」
たった一言。
その一言が、歳三にとって何よりも嬉しかった。
「買い出しに行って来る。」
「お気をつけて。」
「すぐに、帰って来る。」
妻・千鶴を抱き締め部屋から出た後、歳三は自宅を出て、町へと向かった。
「あら先生、いらっしゃい。はい、いつもの。」
「済まねぇな。」
「いいの、いいの。奥さん、早く良くなるといいわね。」
「ええ・・」
千鶴の薬を手に歳三が薬局から出ると、簪や櫛などを売っている店の中へと入った。
「いらっしゃい。」
店には、季節の花をあしらった愛らしい簪や櫛などが店先に飾られていた。
その中で一際歳三の目をひいたのは、美しい刺繍を施されたリボンだった。
「これをひとつくれ。」
「はいよ。」
歳三は小間物屋から出ると、ある場所へと向かった。
そこは、高台で箱館の街が一望できるお屋敷街だった。
かつて外国人居留地として栄えていたが、戊辰の戦で新政府軍が箱館に総攻撃するという噂が広まり、居留地の住民達はそれぞれ母国へと避難した。
戦が終わり、外国人居留地だった所は、明治となって北海道へと移り住み、財を成した者達が住んでいた。
その中にある、美しい白亜の邸宅の前へと歳三は立った。
二階の飾り窓の隙間から一人の少女の姿が見えた。
彼女は、美しい黒髪を三つ編みにして、自分と同じ色の瞳で窓の外を見ていた。
歳三は、彼女と目が合うとそっと手を握った。
すると、少女も手を振り返して来た。
「お嬢様、もうお休みになりませんと。」
「わかったわ・・」
そう言って少女が飾り窓から外の方を見ると、邸宅の前に居た男の人は、いつの間にか居なくなっていた。
「お帰りなさいませ、旦那様。奥様は、もうお休みになられておりますよ。」
「そうか。」
「では、わたくしはこれで失礼致します。」
千鶴の世話をしてくれる女中が帰った後、歳三は書斎であの少女への手紙をしたためていた。
「あら、あなたは・・」
「朝早くに申し訳ありません。これを、お嬢様に渡して下さい。」
「はい、わかりました。」
「では、わたしはこれで失礼致します。」
歳三はそう言ってあの邸宅の女中にあの少女に宛てた手紙を手渡した。
「お嬢様、おはようございます。」
「おはよう。」
「お嬢様に、お手紙です。」
「ありがとう。」

少女が女中から歳三の手紙を受け取ると、そこには一行だけ、彼女への言葉が書かれていた。

“誕生日おめでとう。”


「ねぇばあや、わたしに手紙を送って来た人は誰なの?」
「旦那様と奥様のお知り合いだという事以外、存じ上げません。」
「そうなの。」
「さぁ、出来ましたよ。」
「ありがとう。」
少女―歳三と千鶴の娘・結は、紫のリボンを飾った自分の姿を鏡で見た後満足そうに笑った。
「結、おはよう。」
「おはようございます、お父様、お母様。」
「そのリボン、良く似合っているわよ。」
「ありがとうございます。」
「今日もお勉強、頑張っていらっしゃい。」
「はい!」
“両親”に玄関先で見送られながら、結は馬車で小学校へと向かった。
その途中、彼女は馬車の窓から昨夜自宅の近くに居た男を雑踏の中で見かけた。
「止めて!」
「お嬢様?」
馬車から飛び降りた結はすぐさま男の姿を探したが、彼は何処にも居なかった。
「お嬢様、どうかなさいました?」
「何でもないわ。ごめんなさい、迷惑を掛けてしまって・・」
「いいえ。さぁ、参りましょう。学校に遅れてしまいますよ!」
「ええ、わかったわ。」
結が乗った馬車を、歳三は静かに物陰から見送っていた。
「まぁ、誰かと思ったら、雪村の旦那じゃないか。」
背後から声を掛けられて歳三が振り向くと、そこには呉服屋の妾・鈴子が居た。
「てめぇ、俺に何か用か?」
「そうとがんないでくれよ。あたし、妙な噂を聞いちまってさぁ・・」
「妙な噂?」
「最近、この辺りで銀髪の化物が女の生き血を啜っているって話さ。」
「へぇ・・」
「まぁ、その化物に奥さんが襲われないように気をつけなよ?」
「お前に言われなくても、わかってらぁ!」
「おお、こわい。」
鈴子はけたたましい笑い声を上げながら、足早にその場から去っていった。
(ったく、気味が悪い女だぜ・・)
歳三がそんな事を思いながら町を歩いていると、背後から鋭い視線を感じた。
「おい、そこに居るのはわかっているんだ、出て来い!」
「ちぇっ、バレちまったか。」
舌打ちしながら現れた少年は、ボリボリと頭を掻いた。
年の頃は十七、八といったところだろうか、まさに弊衣蓬髪そのもので、乱れた髪からはしきりに雲脂が粉雪のように舞い散り、彼の肌は垢で黒くなり悪臭を漂わせていた。
「てめぇ、何の用だ?まずはてめぇの名を名乗りやがれ!」
「俺は孫市。あんたが、京でその名を轟かせた、“鬼副長”様かい?」
「何者だてめぇ!」
「会えて嬉しかったぜ、じゃぁな。」
少年はそう言うと、風のように去っていった。
(何だったんだ、あいつ・・)
「先生、こんにちは。ねぇ孫市っていう奴知っているかい?」
「あぁ、さっき会った。そいつがどうしたんだ?」
「いやぁ、どうもあいつは、旧幕府軍の敗残兵みたいでね。生まれは元々江戸かどこかだったみたいでさぁ・・まぁ帰る所がなくて町外れの掘っ立て小屋に住んでいるよ。余り関わらない方が良いよ。」
「・・わかった。」
「はいこれ、いつもの。」
「ありがとう。」
歳三が帰宅して家事に精を出している頃、箱館にある遊郭“鶴亀楼”の支度部屋に、あの少年―孫市の姿があった。
「ふぅん、あの浮浪児が、こんなに化けるなんて、びっくりしたよ。」
すっと襖が開いたかと思うと、美しいうちかけを纏った遊女が部屋に入って来た。
「うるさい、出て行け。」
「随分な口の利き方だね。行き倒れ寸前になっていたあんたを拾ってやったのが誰だか忘れたのかい?」
「あぁ・・」
「わかればいいのさ。さぁ、これから夜見世だ。恩返しのつもりで働くんだよ、いいね?」
「わかった。」
「じゃぁ、支度が終わったらすぐに座敷へ来な、わかったね?」
女はそう言うと、部屋から出て行った。
「フン、お高くとまりやがって。てめぇだって元は捨て子だった癖に。」
 孫市はそう吐き捨てるような口調で言うと、紅を唇に塗った。
「さぁて、ひと仕事しようかね。」
髪に挿した簪をシャラシャラと揺らしながら、彼は支度部屋から出て行った。
「おや乙鶴、久しいね。」
「旦那様、お会いしとうございました。」
コメント

炎の騎士 1

2024年04月21日 | FLESH&BLOOD 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説「炎の騎士」
「FLESH&BLOOD」の二次小説です。

作者様・出版社様は一切関係ありません。

一部残酷・暴力描写有りです、苦手な方はご注意ください。

海斗が両性具有設定です、苦手な方はご注意ください。

何処かで、爆ぜる音がした。

「皆、そろそろ時間ですよ。」
「はい、マザー。」
蝋燭の灯りに照らされたのは、黒衣を纏った女達だった。
「決して失敗を恐れてはいけませんよ。」
女達の中で“マザー”と呼ばれている女は、大釜の中にある液体を注いだ。
すると、大釜の中が真紅に染まった。
「この日に、わたくし達の願いが成就される!」
女達が人里離れた修道院で“儀式”を行っている中、修道院から遠く離れた王宮では、ひとつの命を産み出そうとしていた。
「あと少しです、息んで下さい!」
王妃は、最後の力を振り絞り、命を産み出した。
「おめでとうございます、元気な王女様ですよ!」
「顔を、見せて・・」
女官に抱かれた赤子の顔を見た王妃は、悲鳴を上げた。
「リリー、今すぐその子を捨てて来て!」
産まれた王女の左頬には、醜い痣があった。
王妃の出産に立ち会った女官は、王女を自分の手で育てる事にした。
その女官―リリーは、王女を海斗と名付けた。
「カイト、水を汲んで来て頂戴。」
「わかった!」
「わかった、じゃなくて、“わかりました”でしょう!」
「わかりました!」
海斗は刺繍をする手を止め、頭巾を被らずに家から出て、井戸へと向かった。
すると、通りで立ち話をしていた二人の女性達が、無遠慮な視線を海斗に送った。
「ねぇ、あれ・・」
「あれが・・」
海斗は、彼女達が囁く悪意の声を無視した。
あんなの、物心ついた頃から慣れている。
人々は海斗の痣を見つけ、“呪い”を受けたのだと囁いた。
魔女の“呪い”―それは、海斗が産まれた時、反王政派の魔女達に呪われたというものだった。
“呪い”をする魔女達は、かつては国王に次ぐ権力を持っていたが、権力闘争に巻き込まれ、王宮から遠く離れた修道院へと追いやられた。
その恨みを晴らす為、彼女達は王女に“呪い”を掛けたという。

その王女が、海斗だった。

海斗は、魔女の“呪い”を受け、左頬に醜い痣が出来た所為で、国王夫妻から捨てられた。
しかし、その事を知らずに、海斗は養い親のリリーと共に、山間にある小さな町で暮らしていた。
「カイト、お誕生日おめでとう。」
「ありがとう、リリー。」
海斗はリリーから贈られたトパーズのペンダントを首に提げた。
「どう、気に入った?」
「うん!大切にするね!」
リリーと海斗がそんな事を話している頃、王宮では王妃が病に臥していた。
「王妃様のご容態は?」
「芳しくないようだ。」
「そうか・・」
王妃の容態は悪化の一途を辿り、医師達は国王に王妃の余命があと数日である事を告げた。
「王妃よ、何か望むものはないか?」
「あの子に・・会いたい。」
「あの子?」
「カイト・・」
王妃はそう言った後、息を引き取った。
―王妃様がお亡くなりになられるなんて・・
―この国は、一体どうなっちまうんだろう?
王妃の葬儀が行われた日は、土砂降りの雨が降っていた。
王妃の棺の周りには、揃いの軍服を着た兵士達が王妃の棺を警護していた。
「地獄へ堕ちろ!」
多くの国民達が王妃の死を悼みその冥福を祈っている頃、一人の老女が王妃の棺に向かって石を投げた。
「あの者を捕えよ!」
「離せ、何をする!」
黒衣を纏った太った女は、意味不明な言葉を喚き散らしながら、警察に連れて行かれた。
「カイト、今日は早く寝なさい。」
「うん。」
海斗が二階の自室へ向かおうとした時、突然何かが家の扉を乱暴に叩く音がした。
「誰かしら、こんな時間に?」
「俺が出るよ。」

海斗が恐る恐る扉を開けると、そこには血塗れの男が立っていた。
コメント

天上に咲く華 第一話

2024年04月19日 | 薄桜鬼韓流時代劇風転生昼ドラパラレル二次創作小説「天上に咲く華」


「薄桜鬼」の二次創作小説です。

制作会社様とは関係ありません。

二次創作・BLが嫌いな方はご遠慮ください。

朝日が、小さな町を照らした。

「桜、何処に行くの?」
「この前読んだ本を返しに行くの。」
「そう、気を付けて行くのよ。」
「はぁい!」
薄紅色のチマを翻しながら、一人の少女が小さくても清潔な家から出て行った。
「桜ちゃん、おはよう。」
「おはようございます。」
「今日もあそこへ行くのかい?」
「えぇ。」
朝を告げる鐘の音が鳴り、町の人々がいつも通りの生活を始めた。
「ほら、見てごらん。」
「あぁ、土方さんの所の?あの子、また本ばかり読んでいるよ。」
「全く、美人だっていうのに、勿体無いねぇ。」
町の女達はそんな事を言いながら、野菜や魚を売っていた。

土方桜はそんな彼らの声など無視して、お気に入りの場所―町で唯一の図書館へと向かった。
「おやおや、また来たのかい。」
「えぇ。」
「ほら、この本、あんたが前に読みたがっていたものだよ。」
「わぁ、ありがとう!」
「気を付けて帰りな。」
桜が図書館から出て家路を急いでいると、彼女は一人の男とぶつかった。
「ごめんなさい・・」
「桜、怪我はねぇか?」
「お父様、珍しいわね、こんなに朝早くからお出かけになられるなんて。」
「あぁ。今日は都まで行かなければならなくてな。暫く留守にするから、母様の事を頼むぞ。」
桜の父・歳三は、そう言うと大きな手で一人娘の頭を撫でた。
歳三は、娘の桜から見ても美しく凛とした人だと思う。
桜の両親―土方歳三とその妻・千鶴は、小さな工房で髪飾りや韓服を作っており、彼らが作る物は、地元の両班の娘達や妻達だけではなく、妓生達からもその美しさや繊細な刺繍や細工に人気が出て、“この町に住む女人の髪と肌を飾るのは土方繡房しかいない”と言われる程である。
「お母様、ただいま帰りました。」
「お帰りなさい。」
桜が帰宅すると、最近床に臥せりがちであった母・千鶴が、珍しく針仕事をしていた。
「お母様。何を縫っていらっしゃるの?」
桜がそう言って母の手元を見ると、彼女は産着を縫っていた。
「まぁ・・」
「ふふ、父様にはまだ内緒ですよ。」
「わたし、これから母様の事をお手伝い致しますわ。」
「ありがとう。あなたもこれから針仕事を覚えなくてはね。」
「はい!」
母子がそんな事を話していると、町で食堂を営んでいる田中夫妻が何やら慌てた様子でやって来た。
「千鶴ちゃん、大変だよ!」
「何かあったのですか?」
「王様が、お倒れになられたんだって!」
「それじゃぁ、この国はどうなるのです?」
「何て事だろうねぇ、王様の快復を天に祈るしかないよ。」
「そうですね・・」
千鶴は、都がある方角に向かって、王の快復を祈った。
一方、都では歳三が注文された品物を宮中に納めに行っていた。
「大妃媽媽、土方様がお見えになられました。」
「そうか、わたしの部屋へ通すが良い。」
インス大妃がそう女官に命じた時、東宮殿から甲高い女の悲鳴が聞こえた。
「もう良い、下がれ。」
「はい。」
「大妃様、本日はわざわざお招き頂き、ありがとうございます。」
「おもてを上げよ。」
「はい。」
歳三がそう言って俯いていた顔を上げると、そこにはこの国の最高権力者の姿があった。
「そなたが作った髪飾りや韓服は、都中の女達の憧れの的だ。成程、そなたのような美しい男があのような物を針一本で縫い上げておるのか・・」
「もったいなきお言葉にございます、大妃様。」
「その謙虚な心を、半分でもあの子が持ち合わせておれば良かったものを。」
「あの子、と申しますと?」
「王様が病に倒れた事は、そなたも知っておろう。」
「はい。」
「王様がこのまま亡くなれば、次の王はあの世子(王位継承者)となる。あの者は、王の器にふさわしくない。わたしは前世で一体どのような大罪を犯したのだろうな。そなたのような聡明な男が、王室に一人でも居てくれれば良かったものを・・」
「大妃様・・」
「大妃様、王様がお亡くなりになられました!」
「何と・・」
「大妃様、お気を確かに!」
民達の祈りも虚しく、善政を敷いていた太陽のような王は、その日の夜に鬼籍に入ってしまった。
「あぁ、何て事だ・・」
「嫌な臭いを風が運んで来たねぇ。」
王が亡くなり、歳三達民は喪に服す事になった。
「ねぇ、聞いたかい?王様は、毒殺されたんだってさ。」
「王様が?」
「何でも、王妃様の兄君の親戚筋の男が・・」
都から、大妃から渡された大量の本を携えて歳三が帰宅すると、家の中から妻と娘の楽しそうな笑い声が聞こえた。
「二人共、帰ったぞ。」
「歳三様、お帰りなさいませ。」
「随分と楽しそうな笑い声が聞こえていたが、何かあったのか?」
「桜が、産着を縫うのを手伝ってくれたのです。」
「産着って・・」
「えぇ・・来年の春頃には、生まれます。」
「そうか。」
歳三は、そう言うと千鶴のまだ膨らんでいない下腹を擦った。
「元気な子を産めよ。」
「はい・・」
土方家のささやかでありながら穏やかで幸せな日々は、疫病の発生によって奪われた。
疫病に罹った者は、皆高熱を出し、最後は呼吸困難となって死んでしまう。
「あぁ、恐ろしい。」
「王様が罹られたのと同じ病だ・・」
市場で人々がそんな話をしているのを歳三は聞きながら、店番をしていた。
だが、いつもは沢山の客でひしめき合っていた店内は静まり返り、閑古鳥が鳴いていた。
(今日は早めに店じまいするか。)
歳三が店頭に並べていた髪飾りを片付けていると、そこへこの町で一番大きい妓楼「夢楼」の楼主・ユニョンがやって来た。
「あら、もう店じまいですか?」
「客が来ねぇのにこれ以上店を開けても無駄だろう。」
「開店休業状態は何処も同じですわ。うちの妓楼も、王様がお亡くなりになられただけでも売り上げが落ちてしまって、その上疫病騒ぎの所為でもう・・」
「父様、もうお仕事終わりなのですか?」
「桜、どうした?」
「塾が早く終わったので、父様と一緒に帰ろうと思って来たのです。」
「そうか。」
桜はその聡明さが認められ、男子しか通えぬ塾に特例で入学を許された。
「父様、この前は沢山の本を有り難うございました。」
「大妃様が、お前が本を好きだと知って、お前が好きそうな本を選んで下さったんだ。」
「そうなのですか。いつか大妃様にお会いして、本のお礼をしたいです。」
「桜、この前の試験、満点だったそうじゃないか、凄いな。」
歳三はそう言うと、娘の頭を優しく撫でた。
まだこの時は、疫病は自分達にとって遠い国で起きた事だとしか歳三達は捉えていなかった。
「おい、止まれ!」
桜がいつものように塾に入ろうとすると、彼女に意地悪をしている両班の子息達が門の前に立っていた。
「何か用?」
「お前、女の癖に生意気なんだ!」
「お父様が道知事だからって、偉そうにしないでよ。『論語』のひとつも覚えられない癖に。」
「何だと!?」
図星をつかれて激昂した少年は、そう言うと桜を突き飛ばしていた。
「あんた達、何をしているの!?」
桜が路上に蹲って痛みに呻いていると、彼女と親しい「夢楼」の童妓見習い・モランがそう叫んで桶の中身を彼らにぶち撒けた。
「あんたらなんか、犬の糞以下よ!」
少年達の家族が土方家に怒鳴り込んで来たのは、それからすぐの事だった。
「全く、あなた方は一体どんな躾をされているのかしら!?」
「申し訳ございません・・」
「大体、女に学問なんて必要ないのよ!」
少年達の母親は、言いたい事だけ言うと、去って行った。
「母様、ごめんなさい・・」
「あなたは何も悪くないわ。」
「桜、部屋で休め。」
「はい・・」
桜が部屋に入った後、歳三は千鶴と今後の事を話し合った。
「あいつは、学問が出来るし、こんな田舎でくすぶるような女じゃねぇ。俺はあいつに、もっと広い世界を見せてやりてぇ。」
「わたしも同じ気持ちです。でも、疫病が治まらない限り、これからどうなるのか・・」
「あぁ、そうだな・・」
歳三がそう言った時、奥の方から大きな物音が聞こえた。
「桜?」
歳三が恐る恐る桜の部屋の扉を開けると、彼女は苦しそうに喘いでいた。
「そんな、まさか・・」
彼女の額が燃えるように熱い事に気づいた彼は、ついに恐れていた事が起きたと思った。
「先生、何とかなりませんか?」
「都では薬が出ておりますが、高価なので民の間では流通していません。」
「それじゃぁ、このまま娘が苦しんで死ぬのを黙って見て居ろっていうのか!?」
「歳三さん、落ち着いて下さい!」
歳三が医師に掴みかかろうとするのを千鶴が慌てて止めていると、突然扉が何者かによって乱暴に叩かれた。
「何ですか、あなた達!?」
「王様が、朝鮮中の女は全員宮中に上がれというお触れが出た!この町の女達は辰の刻(午前六時頃)に道知事様の屋敷に集まるように、以上!」
「疫病で今国が大変だっていうのに、王様は一体何を考えていやがる!?」
「どうしましょう、この子を置いては行けません・・ですが、宮中に上がれば薬代が・・」
「俺が行く。」
「歳三さん?」
「要するに、女だと見られればいいんだろう?」
「ですが・・」
「俺ぁ身重の女房の命を危険に晒す程、落ちぶれちゃいねぇよ。大丈夫だ、必ず帰って来るから、待っていろ。」
「はい・・」
その日の夜、歳三はいつも背中で一纏めにしている髪を編み込みにし、それに紅い髪飾り(テンギ)を結んだ。
「父様?」
桜は生まれて初めて見る父の女装姿の余りの美しさに、一瞬見惚れてしまった。
「父様、どうして・・」
父が、商売道具である韓服や髪飾りを身に着ける事は今まで一度もなかった。
それなのに、今目の前に居る父は、美しく着飾り、化粧までしている。
「桜、父様はこれから、母様の代わりに王宮へ上がる事になった。」
「新しい王様はとても乱暴な人だって、ユニョンさんが言っていたわ。お酒の注ぎ方が違っていたり、悪かったりするだけで女官が殺されたって・・」
「桜、大丈夫だ。俺は死なねぇ。だから、母様と産まれてくる弟妹達、そしてお前を守る為に必ず帰って来るから、待っていろ。」
「わかったわ・・」
「俺の代わりに、持っていてくれ。」
そう言って歳三は、自分が愛用していた裁縫箱を桜に手渡した。
「行ってらっしゃい、父様。」
「あぁ、行って来る。」
夜明け前、歳三は眠っている千鶴の枕元に一通の手紙を置いた。
「必ず、俺はここに帰って来る。」
歳三は、妻の髪を優しく梳くと、涙を堪えながら家を出た。
朝日が町を照らす頃、道知事の屋敷には町中の女が集められていた。
「一体、王様は何を考えているのやら・・」
「子供達はまだ小さいのよ、あの子達を残して行けないわ!」
「まだ両親に孝行していないわ!年老いた二人を残して行けない!」
女達は口々にそう叫ぶと、涙を流した。
「皆、揃ったな?それでは、出立!」
道知事の屋敷を出た女達は、皆俯きながら船が停まっている港まで歩いた。
「母ちゃ~ん!」
「ヨンス~!」
「歳三さ~ん!」
女達が船に乗ろうとした時、彼女達の家族が港へと駆けて来た。
「あんた達、良い子にするのよ。」
「父さん、母さん、身体に気を付けてね・・」
「千鶴、無理をするなよ。腹の子と、桜の事を頼む。」
「はい・・」
こうして歳三は、家族と故郷に別れを告げた。
一方王宮では、王となった世子・チョンスが、また女官に折檻をしていた。
「殿下、おやめ下さい!」
「えぇい、離せ!」
「あと何人女官を殺せば気が済むのですか、殿下!?」
そう言って内侍・ヨンスが女官をチョンスから引き離したが、彼女はすでにこと切れていた。
「これで五人目か・・」
歳三達を乗せた船は、都に着くまで幾つもの港に停泊しては、女達を乗せた。
彼女達は港で家族と涙を流しながら別れを惜しんだ。
「坊や、坊や!」
「ユジン、心配するな!息子は俺がちゃんと育ててやるから!」
泣きじゃくる赤子を抱いた若い夫が、そう叫んで妻を見送った。
女達とその家族の涙を乗せ、船が漸く港へと着いたのは、歳三が故郷を出て三日経った頃だった。
これまで陸路で五日かけて都まで向かっていた歳三は、水路だとこんなに早く着くのかと驚いてしまった。
途中で嵐に遭い、船酔いに苦しめられ、居の腑の中の物を空にした、快適とは程遠い船旅であったが、山賊や猪、熊などに遭ってしまう陸路よりいい。
歳三が蒼褪めた顔で周囲を見渡すと、皆自分と同じような顔をしていた。
「さぁ、もうじき都だ、それまで頑張れ!」
船が港に着くと、それまで船底の隅に固まり己の不幸を嘆いていた女達は、我先にと空気を吸いに甲板へと向かった。
「ここが、都か・・」
港から一望できる都の光景は、峠を越えた先に見るそれとは全く違った。
船から降りた女達は、それぞれの故郷の役人達によって、滞在先である妓楼へと案内された。
長旅の疲れを癒す間もなく、歳三達はある両班の接待へと駆り出された。
それまで商人の妻や主婦として生きていた彼女達に、妓生の真似事など出来る筈もなく、両班は彼女達の酒の注ぎ方が悪いと始終不機嫌だった。
「もう良い、酒は飽きた!今宵の伽の女をここからわしが選んでやろう!」
彼はそう言うと、震えている女達の中から、一番若い娘の腕を掴んだ。
「どうか、ご勘弁ください!」
「えぇい、このわしに選ばれた事を光栄に思わぬか!」
「嫌ぁ、父さん、父さん!」
涙を流しながら抵抗する娘を見た歳三は堪らず二人の間に割って入った。
「旦那様、夜伽の相手ならわたくしが致しますので、どうぞこの娘をお許し下さい。」
「ほ、ほぅ・・」
両班はそう言うと、娘の腕を放した。
「ありがとうございます!」
「後は俺が何とかするから、お前ぇは向こうに行って休んでいろ。」
「は、はい・・」
娘を先に部屋へと帰らせた後歳三が両班の部屋に行くと、彼は歳三の姿を見るなり抱きついてきた。
歳三は両班の首を軽く絞めて気絶させた後、部屋から出た。
一夜明け、歳三はいつものように朝早く起きて妓楼の厨房へと向かった。
そこには、自分と同郷の者達が、忙しく働いていた。
「あら、あんたも来たのかい?」
「えぇ、じっとしていると嫌な事ばかり考えてしまいますから。」
「そうだね。」
歳三は女達と共に朝食を作り、それを皆で囲んで食べた。
「こうしていると、うちの人がちゃんとご飯食べているのか気になるわぁ。」
「わたしもよ。お務めを終えて帰ったら家がなくなっているんじゃないかって心配で・・」
そんな他愛のない話をしながら、歳三は故郷に残していった妻と娘の事を想った。
「皆、揃ったな?」
 役人は歳三達を王宮へと連れて行った。
前王存命中は美しく清澄な空気に満ちていたが、今は暗く淀んだものへと変わっていた。
「王様のお成り~!」
歳三達が一斉にひれ伏すと、真紅の龍袍を纏った青年が現れた。
(あれが、世子様・・)
 インス大妃が、“王の器にはふさわしくない”と称した青年の顔を、歳三はちらりと見た。
噂を聞いてどんな悪党顔をしているのかと思っていたが、精悍な顔立ちをしていた。
だが、その瞳は虚ろで、蛇を思わせるかのように冷たい。
(余り目をつけられぬようにしねぇとな。)
歳三はそう思いながら、チョンス王が去っていくのを見送った。
「そなた、名を何と申す?」
突然頭上から声を掛けられ、歳三が俯いていた顔を上げると、そこにはチョンス王の姿があった。
「蘭(ナン)と申します。」
「そなた、何か余に言いたい事があるようだな?」
「では、申し上げます。今この王宮に集まっている女達は、皆故郷に夫や子、父母を残した妻や母、娘達なのです。どうか、彼女達を一刻も早く故郷にお帰し頂きますよう・・」
「貴様、余に刃向かうのか!」
歳三の言葉に激昂したチョンス王は、そう叫ぶと彼に刃を向けた。
「この場でわたくしを斬り伏せ、わたくしの屍を越えて女達が故郷に戻れるのならば、本望でございます。」
歳三はそう言葉を切ると、目を閉じて死の瞬間を待った。
だが、チョンス王は癇癪を起こし、剣を投げ捨てて何処かへ行ってしまった。
「何、それは本当か!?」
「はい、あの方の忘れ形見である女が現れました・・」
「桜、薪割りをしていたの?」
「えぇ。」
「怪我でもしたらどうするの?」
「父様はいないし、母様はお腹が大きいから家の事はわたしがやらないと。」
「そうだけど、勉強はどうするの?」
「女は学問が出来ても、科挙は受けられない。だから・・」
「自分で自分の才能を潰しては駄目。塾に行きながらでも、家事は出来るわ。」
「わかったわ。」
歳三が宮中へ上がってから半年が過ぎようとしていた。
彼らの文は月に数通程度来ており、その内容は自分達家族を案ずる内容ばかりだった。
『桜、お前には自分の才能を諦めないでほしい。』
桜は、家事をこなしながら塾通いを続けた。
あれ程彼女を苦しめていた疫病は、都で流通していた薬が地方にも流通するようになり、その薬を飲んだので治った。
「桜、元気になったんだな。」
「まぁね。どうしたのヤンジュン、家で何かあったの?」
「うん・・父ちゃんが、母ちゃんの代わりに家の事をやっているけど、家の中は滅茶苦茶だし、もう三日も何も食べていないんだ。」
「だったらうちに来れば?」
「いいのか!?」
「困った時はお互い様、でしょ?」
「ありがとう!」
朝鮮中の女が宮中に召し上げられてからというものの、家事を全て取り仕切っていた彼女達に代わって、夫達がそれをする事になったが、上手くいかなかった。
「新しい王様がやる事は滅茶苦茶だよ。母ちゃんに早く戻って来て欲しいよ。」
ヤンジュンは三日振りの飯を掻き込むようにして食べた後、そう言って溜息を吐いた。
「わたしも、父様に早く戻って来て欲しい。」
「なぁ、もうすぐ赤ん坊が産まれるんだろう?どうするんだ?」
「産婆さんが来てくれるから大丈夫よ。」
「そうか。」
そんな事を桜とヤンジュンが話していると、勝手場の方から千鶴の呻き声が聞えて来た。
「ヤンジュン、産婆さんを呼んできて!」
「わかったよ!」
千鶴が男の子を産んだのは、その日の夜の事だった。
「これからは、わたし達が力になるからね。」
「ありがとう、ございます・・」
桜からの文で息子の誕生を知った歳三は、安堵の表情を浮かべた。
「何か、良い事でもあったのですか?」
「あぁ。娘から文が来て、息子が昨夜生まれたと・・」
「それは喜ばしい事ですね。」
「今からでも、家に帰りたい。」
「そう思っていらっしゃるのは、あなただけではありません。」
ユニョクはそう言ってニンニクの皮を剥きながら溜息を吐いた。
その隣で歳三は、包丁で魚を上手に捌いていた。
宮中で歳三達は、水刺間に配属され、皆緋色のチョゴリ(上着)に、濃紺のチマ(スカート)という揃いの韓服を着ていた。
「まさか、土方様が台所仕事も出来るとは、惚れ直しましたわ。」
「娘を身籠った時、嫁が床に臥せりましてね、その時に家事がいかに大変なのかを思い知らされましたよ。」
「それにしても、王様はいつわたし達を家へ戻して下さるのでしょう?」
「さぁ・・」
「蘭、大妃様がお呼びよ。」
「わかりました、すぐに参ります。ではユニョクさん、後で。」
「えぇ・・」
歳三がインス大妃の元へと向かうと、彼女の部屋の中から彼女が誰かと口論している声がした。
「もう一刻の猶予もありませぬ!早く兵を動かさねば・・」
「時期尚早過ぎると申しているであろう!」
「ですが・・」
「くどい!」
歳三が聞き耳を立てていると、中から青い官服を着た男が部屋の中から出て来た。
「そんな・・まさか・・」
男はそう言って歳三を見た後、慌てて去っていった。
「大妃様、蘭です。」
「入れ。」
「失礼致します。」
歳三が部屋に入ると、インス大妃は溜息を吐きながら頭を掻いていた。
「先程の方は、どなたです?」
「あれは、王妃の親戚・・義弟にあたるユン=オギョエだ。それにしても、良く化けたものだな?」
「いつから、気づいておりました?」
「お前が王様に刃を向けられた時からだ。そなたの凛とした強さは、母親譲りなのだな。」
「大妃様、わたくしの母をご存知で?」
「あぁ。そなたの母は、今の王様のご生母・ユラ氏の妹君である、モラン様だ。」
「何かの間違いではありませぬか?わたしの母は、五つの時に亡くなったと、祖母から聞きましたが・・」
「それは、育ての母であろう。そなたは産まれてすぐに刺客から命を狙われ、モラン様の乳母が、そなたを育てたのだ。」
「そのような事、母から一度も聞いておりませぬ。」
「ユラ氏とユン氏は、今の王様の地位を脅かす者には容赦せぬ。そういえば、モラン様が生前愛用されていた裁縫箱があったな。」
「どのような物でしたか?」
「美しい螺鈿細工が施された物だ。」
「それならば、娘に渡しました。」
「そうか。土方よ、決してユラ氏にはそなたがモラン様の遺児だという事は気取られてはならぬぞ。」
「はい、大妃様。」
「よい、下がれ。」
思わぬ時に己の出生の秘密を知ってしまった歳三は、インス大妃の部屋から出た瞬間、深い溜息を吐いた。
(とんでもねぇ所に来ちまったな・・)
これからは、余り目立つような事はせずに、黙々と仕事をしなければー歳三がそう思った矢先、事件が起きた。
「大変よ、繍房の女官が連れて行かれたわ!」
「何ですって!?」
「何でも、王様の夜着に毒針を仕込んだとか・・」
「そんな・・」
長年針仕事を生業にしてきた歳三にとって、それは俄かに信じ難い話だった。
己の命同然である道具を、殺人に使うなんて。
「宮中は伏魔殿です。このような事は、“良くある事”ですよ。」
「そうなのか?」
「わたし達も、気を付けなければ・・」
「そうだな・・」
捕盗庁に連行されたその女官は、その日の内に拷問で死んだと聞き、歳三は戦いた。
そんな中、前王の喪明けを祝う宴が宮中で開かれた。
「あ~、忙しい!」
歳三がそんな事をつぶやきながら包丁で野菜を刻んでいると、そこへ内侍府長官・チェ氏がやって来た。
「そなたが、蘭だな?王様がお呼びだ、来い!」
「は!?」
突然チェ氏に歳三が連れられた所は、妓生達の支度部屋だった。
「早く準備をせよ!」
(一体何だってんだ!?)
水刺間で宴の準備をしていた歳三は、突然チェ氏に妓生の支度部屋へと連れて行かれ、そのまま急いで支度を済ませた。
「こちらです、どうぞ。」
「一体何が起きていやがる!?」
「申し訳ありません、他の妓生達が・・」
「とりあえず案内しろ、王様の元へ!」
「は、はい・・」
チマの裾を軽く払いながら、歳三は女官と共に王の私室へと向かった。
「王様、蘭が参りました。」
「入れ。」
チョンス王は、傍らに数人の妓生達を侍らせ、酒を飲んでいた。
「王様、わたくしに何のご用でしょうか?」
「蘭、そなた今度の騒ぎをどう思う?」
「どう、とは?」
「あの女官・・余の服に毒針を仕込んだ女は、余を殺そうとしたのか?」
「さぁ、わたしにはわかりかねます。」
「何ぃ!?」
「人の心などわからぬもの。」
歳三がそう言ってチョンス王を見ると、彼は乾いた声で笑った。
「面白い、気に入ったぞ。」
「王様?」
「そなたの望みを言うてみよ。何でも叶えてやろうぞ。」
「では、ひとつだけ・・」
「桜、お帰りなさい。」
「母様、誠は?」
「漸く寝てくれたわ。」
そう言った千鶴の両目の下には、黒い隈が出来ていた。
弟・誠は癇が強い子で、夜は母と交代して泣き止ませようとしても、一晩中泣き叫ぶ。
その所為で、千鶴と桜は寝不足に悩まされていた。
「歳三さんが居てくれたらいいのに・・」
「父様に会いたいの、母様?」
「えぇ。」
「わたしもよ・・母様、父様に会いたい。」
桜がそう言って空に浮かぶ月を眺めていると、何処からか父の声が聞こえたような気がした。
父に会いたい余りに、父の声が聞こえてしまったのだろうか―桜がそんな事を思いながら戸口の方を見ると、そこには王宮に居る筈の父の姿があった。
「父様、本当に父様なの?」
「あぁ・・ただいま。」
「お帰りなさい、父様。」
桜はそう言うと、歳三に抱き着いた。
「歳三さん・・」
「ただいま、千鶴。長い間留守にして済まなかった。」
「お帰りなさい・・」
歳三は、妻と娘を優しく抱き締めた。
「王様、失礼致します。」
「スヒョンか。」
王の寝室に入って来たのは、彼のお気に入りの妓生・スヒョンだった。
彼女は妖艶な笑みを浮かべ、王にしなだれかかった。
「あの者を、王宮に出しても良いのですか?」
「あぁ。あやつはここで起きた事を決して口外せぬと誓ったから、大丈夫だ。」
「まぁ、そうですか。それならば、安心ですわね。それよりも王様、あの裁縫箱は見つかりましたか?」
「いいや。叔母上はあの裁縫箱を生前大事にされていた。今度人を集め、王宮中の土を掘り起こさねば・・」
「そのような手間のかかる事をなさらなくとも、王宮以外の場所を探せば良いのです。」
「王宮以外の場所、だと?」
「人は本当に大切な物ほど、特別な場所に隠しておくものですわ。」
「大切な場所、か・・」
「王様、何処にいらっしゃるのです、王様!」
バタバタと慌しい足音が聞こえたかと思うと、ユラ氏が部屋に入って来た。
「母上、どうなさったのです?」
「大変です・・あの裁縫箱が見つかりましたよ!」
「何ですって!一体何処にあるのですか!?」
「それは・・」
王妃は、息子の耳元で裁縫箱のありかを教えた。
「まぁ、誠は歳三さんに抱かれると大人しくなるのですね。」
「そうか?」
「やっぱり、父様の方がわたし達より寝かしつけが上手いわ。」
「まぁ、色々コツがあってだな・・」
「そうなのですか。」
「二人共、誠は俺が見とくから寝ていろ。」
「わかりました。」
「お休みなさい、父様。」
「あぁ、お休み。」
歳三が息子を寝かしつけ、彼と添い寝していると、何かが自分に近づいて来る気配がした。
(何者だ?)
歳三は、枕の下から護身用の簪を取り出すと、息を殺しながら扉の前に立った。
暫くすると、黒い影がまるで幽鬼のように扉の前に浮かび上がった。
歳三は、扉を開けると黒衣の男の首をへし折った。
「歳三さん、どうかなさいましたか?」
「いや、何でもねぇ。」
歳三は黒衣の男の遺体を荷車で運び、それを近くの海へと投げ捨てた。
「王様、悪いお知らせでございます。あの男の元へ放った刺客が、殺されました。」
「何!?」
(あの男、一体何者なのだ・・)
―良いですか、この裁縫箱のそこに隠してある物を、決して渡してはいけませんよ。
育ての母・エスクが歳三にそう言いながら、裁縫箱の底に隠してある、“ある物”を見せた。
それは、美しい翡翠の簪だった。
―これは、あなたのお母上の形見なのですよ。
“どうして、俺の母様はエスクではないのか?”
―いつか、わかる日が来ますよ。
そこで、歳三は夢から覚めた。
(何で、あんな不思議な夢を・・)
「父様、どうしたの?」
「嫌、何でもない。それよりも桜、随分と刺繍が上手くなったな?」
「そう?だって繍房を手伝うには、針仕事が出来ないと駄目でしょ?」
「そうだな。なぁ桜、あの裁縫箱は何処にある?」
「あぁ、あれは父様の部屋にあるわ。」
「そうか。」
「何故、そんな事を聞くの?」
「少し、確めたい事があるんだ。」
歳三は家を出て、久しぶりに店を開けた。
「あらぁ、久しぶりにお店、開いたのねぇ。」
「助かったわぁ。」
「婚礼用の簪、あるかしら?」
「この前あそこに置いてあった簪、あるかしら?」
店を開けた途端、女性達が口々にそんな事を言いながら店に入って来た。
「皆さん、都に居る筈では?」
「いいえ。わたし達はお役御免になったのよ。」
「お役御免に?」
「えぇ。何でも王様の余りの横暴ぶりに、大妃様が苦言を呈されたそうよ。」
「そうですか・・」
一体何がどうなっているのかはわからないが、何はともあれ女達が故郷に戻れてよかったと、歳三は思った。
帰宅し、彼が早速自室の机の上に置かれている裁縫箱の底から、翡翠の簪を取り出した。
翡翠の簪の先についている金剛石の飾りに、かすかに血のような汚れが残っている事に歳三は気づいた。
「ヤンジ、居るか?」
「へぇ、何のご用で?」
「これと同じものを、作ってくれねぇか?代金は幾らでも弾む。」
「わかりました。」
数日後、歳三が店番をしていると、そこへ一人の女がやって来た。
「そなたに話がある、ついて参れ。」
「わかりました。」

歳三が女に連れて行かれたのは、町外れにある民家だった。

にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へ
にほんブログ村
コメント

運命の華∞1∞

2024年04月18日 | FLESH&BLOOD 昼ドラオメガバースパラレル二次創作小説「運命の華」
「FLESH&BLOOD」二次小説です。

作者様・出版社様とは一切関係ありません。

オメガバースパラレルです、苦手な方はご注意ください。

もう二度と会えない貴方に、最期に会いたいと思うのは我儘なのでしょうか。

貴方と会い、共に歩み、愛し合った日々。

そのどれもが、僕にとっては宝石のように美しく大切なものとなりました。

もう一度、貴方に会えたらどんなにいいのか―

「東郷さん、おめでとうございます、元気な男の子ですよ!」

まるで全身を炎で焼かれるかのような激痛の後、この世に産まれ落ちたのは、金髪碧眼の天使だった。

その生命の重みを胸に抱いた時、涙が止まらなくなった。

“カイト”

耳朶を震わせ、胸を高鳴らせた声。

自分を慈しみ、愛してくれた大きな手。

そして何よりも、自分を愛しく見つめた、晴れた日の海の様な、美しい蒼い瞳―ジェフリー=ロックフォードの存在は、今も海斗の中で生き続けている。

(あぁ、この瞳・・貴方と同じ色の瞳を持った子が、死に掛けた俺の魂を救ってくれた・・まるで、不死鳥の様に。)

二度と会えなくても、僕は大丈夫。

だって、僕には、貴方の瞳を持った魂の分身が居るから。

いつか貴方と会えるその日まで、僕はこの子と生きてゆくよ。

さようなら、ジェフリー。

さようなら、この世で最も愛した人。

息子を抱きながら、海斗は胸の前で三回拳を叩いた。

“俺の全ては、貴方のもの”

時折、冷たい潮風が頬を撫でる。
(何もないな・・)
幾度も母から生前聞かされていた通り、ホーの丘には何もなかった。
「やっと着いたよ、母さん。」
俺はそう言うと、そっと服の上から首に提げている母の形見であるシー・チェストの鍵にそっと触れた。
「ジェフリー君、お母さんが!」
母が死んだ日の事を、良く憶えている。
その日、学校の授業が終わって教室で帰り支度をしていると、母の親友・森崎和哉が教室に入って来た。
「母さん!」
母の病室に着いた時、母は苦しそうにしていた。
「海斗、ジェフリー君が来たよ!」
「ジェフリー・・」
「母さん、俺はここに居るよ!」
母にそう呼びかけると、母は俺の手を握った。
「会いたかった・・ジェフリー、お願い、俺を見て・・」
母はその時、俺ではない“誰か”を見ていた。
「ジェフリー・・」
「カイト、俺はここに居るよ。」
「良かった・・」
母は、静かに息を引き取った。
母の葬儀の後、俺は母の書斎から一枚の手紙を見つけた。
そこには、自分の遺灰はプリマスの海に撒いて欲しいという旨が書かれていた。
「君が、プリマスに行くべきだ。これは君にしか、出来ない事だから。」
こうして俺は、母との思い出が詰まった地・プリマスへと向かった。
「やぁ、君がカイトの息子さんだね?はじめまして、わたしはJPコナー、カイトとは生前親しくしていたよ。」
プリマスで、いやこのイングランドでJPコナーの名を知らない者は居ない。
世界的に有名な、石油産業をはじめとする大企業のオーナー。
「初めまして、ジェフリーと申します。」
「ここで立ち話もなんだから、近くのレストランで食事をしながら話そうか?」
「はい。」
JPは、俺に色々と興味深い話をしてくれた。
16世紀のイングランドにタイムスリップした事、そして母も同じ体験をした事。
「JP、俺の父親は誰なんですか?」
「16世紀に活躍したフランシス=ドレイクの部下であり伝説の海賊、ジェフリー=ロックフォード。スペインの無敵艦隊をアルマダの海戦で海の藻屑にした英雄、それが君の父親だ。」
「そんな・・」
「信じられないと思うが、カイトは、わたしと同じ体験をしたんだ。ホーの丘でタイムスリップして16世紀のイングランドでロックフォード船長と出会い、恋に落ち、結ばれた。」
「もしそれが本当ならば、何故母は21世紀に戻ったのですか?」
「君のお母さんは、当時死病とされていた肺結核に罹っていた。そして、その病を治す為に現代へと戻った。カイトは、愛する人と別れる辛さは、己の半身を引き裂かれるかのように辛かっただろう。やがてカイトは肺結核を治し、16世紀へと戻った。ジェフリーと運命を共にし、生きる為に。」
「でも、母は戻って来た。」
「ジェフリー、君はまだ若いから、心から愛する者との別れが辛い事はまだわからないだろう。」
「母は、最期に、俺を通して“誰か”を見ていました。」
「ジェフリー=ロックフォードの肖像画は、見た事があるかね?」
「はい、母が書斎に飾っていました。俺と瓜二つの顔をしていて驚きました。」
母の遺品整理をしている時、俺はある物を見つけた。
それは、羊皮紙で書かれた手紙の束だった。
そこに書かれている物は、美しい装飾文字で書かれていた。
「この手紙を、あなたに見て欲しくて、連絡したんです。」
「これは、君の父親がカイトに宛てたラブレターだよ。内容は、“お前を愛している”、“片時も離れたくない”・・」
余りにもベタ過ぎる内容に、俺は思わず飲んでいたコーヒーを噴き出しそうになった。
「JP、色々とありがとうございました。」
「いつでもおいで。君が知らなかったご両親の話をしてあげよう。そういえば君はバース検査は受けたかね?」
「はい。αでした。」
この世には、α・β・Ωという第二性・バースがある。
俺の母は、Ωだった。
Ωは繁殖に特化した“劣等種”で、三ヶ月に一度ある発情期(ヒート)を迎えると、αをフェロモンで誘う為、長い歴史の中で迫害されて来た。
法整備され、社会的地位が向上しても未だに差別や迫害の対象になっている21世紀―それよりも医療福祉面に於いて最悪な16世紀で母がどう生きていたのかを知りたかった。
母の遺灰を海に撒いた後、俺は母がタイムスリップしたというホーの丘へと向かった。
丘を暫く歩いていると、俺は何かが光っている事に気づいた。
光っているものへと近づくと、それはやがて俺を包み込んだ。
(嘘だろ!?)
助けを呼ぼうにも、声が出なかった。
やがて俺の意識は、闇に包まれていた。
「ジェフリー、こっちよ!誰か倒れているわ!」
耳元で喚く声、そして幾つかの足音。
「ナイジェル、ジンを寄越せ!」
「アイ。」
急に喉が焼けるような痛みに襲われ、俺の目の前には黒の眼帯をしている男と、胸元が大きく開いたドレス姿の女が、俺を見つめていた。

「リリー、ナイジェル、気が付いたか?」

月明かりを受けて美しく輝く金髪。
そして、宝石のような蒼い瞳。

「父・・さん?」

「カイト、大丈夫か?」
「ちょっと、疲れが溜まっただけ。」
海斗は、最近体調がおかしい事に気づいた。
微熱、強い眠気、倦怠感―それはまるで、肺結核の初期症状に似ていた。
それに、食欲が全く湧かなかった。
「どうした、坊主?もういいのか?」
「うん・・」
ジョーが作ってくれた鶏肉のスープを、海斗は半分残してしまった。
「一度、トマソン先生に診て貰おう。」
「うん・・でも、発情期かもしれないし・・」
「そうか。」
数日後、海斗はジェフリーに白鹿亭へと連れて行って貰った。
「カイト、あなた妊娠しているわ。」
「妊娠・・」
「あなたがΩだという事を知っているのは、わたしとジェフリー、ナイジェル、キット、そしてグローリア号の皆と、トマソン先生、ドレイク閣下だけ。ウォルシンガムはあなたとジェフリーを監視する事をやめたけど、この前みたいな事が起きる可能性がある。それに、16世紀の医療と21世紀の医療は全く違う。」
「俺に、また21世紀に戻れって・・ジェフリーと別れろって?そんなの、嫌だ!」
「カイト・・」
リリーは、震える海斗の背を優しく擦った。
「俺は、ジェフリーと別れたくない!もう離れ離れになるのは嫌だ!」
「ジェフリーに妊娠を隠す事は出来ない。じっくりと二人で話し合って。」
「わかった・・」
リリーの話を海斗から聞いたジェフリーは、海斗にこう言った。
「カイト、子供を産んでくれ。」
「でも、あなたはどうするの?」
「俺の事は心配するな。」
ユアン、マーシー、ルーファス、グローリア号の皆は、海斗の妊娠を祝福してくれた。
「余り身体を冷やすなよ!春になったとはいえ、まだ寒い日が続くんだからな。」
「ありがとう。」

海斗は、ジェフリー達と穏やかな日々を過ごしていた。

一方、ネーデルラント総督邸の地下では、21世紀に居る筈の森崎和哉の姿があった。

「目が覚めたかい?」
水を顔に掛けられ、和哉が目を開けると、目の前には金色の瞳をした悪魔が立っていた。
「ここは?」
「ネーデルラント総督邸の地下牢さ。君はジパング人だろう?前にリスボンで君と同じジパング人の少年と会ったからね。」
「あなたは、海斗を知っているのですか?」
「その様子だと、カイトを知っているようだね?まぁ、彼は肺病で亡くなったようだけど・・」
「海斗は生きていますよ。僕は彼を取り戻しに来たんです、未来から。」
「へぇ、面白そうな話だね。」
ラウル=デ=トレドは、フェロモンを和哉に向かって放ったが、彼は全く動じなかった。「無駄ですよ。僕には、海斗という番が居ますから。」
「そう、それは残念。君はどうして未来から来たの?」
「僕を狂人扱いしないんですか?」
「私は、君に興味が湧いた。だから聞かせておくれ、君の話を。」
和哉はラウルに、海斗の結核が治り、彼が16世紀に戻った事を話した。
「カイトは生きているのか。だったら、復讐しがいがあるね。」
和哉はカッとなって、ラウルの胸倉を掴んだ。
「海斗には手を出さないでください。僕は海斗とジェフリーとの仲を引き裂ければいいのです。」
「気に入った。」
ラウルはそう言って笑うと、その身に纏っていた漆黒の僧衣を脱ぎ捨てた。
「無駄だと言ったでしょう?」
「安心おし。私は子が産めないΩだから、何もこの身には宿らないさ。」
「子を産めないΩ?」
「身の上話をするのは後にして、今は楽しもうか。」
そう言って己の背を撫でるラウルの白い手が、獲物を捕らえようとしている蛇に和哉は見えたような気がした。
「カズヤ、これからよろしくね。」
(海斗、僕は君を取り戻す為なら、何だってする。この魂を悪魔に売り渡してでも、僕は君を愛したい。)
海斗は酷い悪阻に襲われ、水以外の食べ物を一切受け入られなくなってしまい、その身体は日に日に痩せていった。
「カイトを元の時代に戻すだと!?本気で言っているのか、ジェフリー?」
「カイトと良く話し合って決めた事だ。」
「カイト、お前はそれでいいのか!?」
「もう、決めた事なんだ。」
「嫌だ、俺は・・」
「俺だって、21世紀に戻りたくない!でもこれは、俺一人の問題じゃない。」
海斗はそっと下腹を撫でた。
「今まで俺を支えてくれてありがとう、ナイジェル。あなたの事は忘れないよ。」
「そんな、今生の別れみたいな事を言うな・・」
(俺は、いつもあなたの事を傷つけてばかりだ、ナイジェル・・)
「カイト、俺の魂は必ず、お前を見つけ出す。」
「ナイジェル・・」
海斗が21世紀へと戻る日が近づくにつれ、ジェフリーは書斎に引き籠もるようになった。
「ジェフリー、入ってもいい?」
「あぁ。」
海斗がジェフリーの書斎に入ると、彼は何かを小箱の中に入れていた。
「それは何?」
「向こうに着いたら開けてくれ。」
「わかった・・」
夏至の夜、海斗達は月明かりを頼りにジェフリーの屋敷から出て、ホーの丘へと向かった。
「やっと会えたね、海斗。」
そこには、昏い笑みを口元に湛えた和哉の姿があった。
「和哉、どうして・・」
「君はずっと僕の傍に居るんだ・・永遠に!」
和哉はそう叫ぶと海斗の腕を掴んだ。
「ジェフリー!」
母は、燃えるような赤い髪をしていた。

母の地毛は黒だったが、赤は一番好きな色だからと、母は嬉しそうに笑って俺に話してくれた。
母は、俺の事を大切に育ててくれた。
住み慣れたイングランドを離れ、母国・日本での慣れない生活にストレスを感じていただろうに、一切俺には弱音や愚痴を吐いたりしなかった。
どんなに仕事が忙しくても、母は毎日手作りの弁当を作ってくれたし、学校行事にも欠かさず参加してくれた。
金髪碧眼という俺の容姿は、黒髪ばかりの日本では目立った。
その所為で、中学校に入学してから、俺は毎日生活指導の教師から目をつけられた。
母は俺の髪が地毛だと何度も学校に説明したが、学校は、“黒髪にすればいい”との一点張りだった。
母は日本を離れ、イングランドで再び俺と暮らす事になった。
イングランドの学校生活は、日本のそれとは全く違った。
他人に迷惑を掛けていなければ、髪の色や髪型、下着の色などを詮索してくる教師は居なかった。
母は、週末になると休みを取って、俺をプリマスへと連れて行ってくれた。
「ここが、父さんと別れたホーの丘だよ。」
「どうして、父さんと別れたの?心から愛していたんでしょう?俺の所為?」
「そうじゃないよ・・」
母が辛そうな顔をしていたので、俺はそれ以上何も聞けなかった。
その後だった、母が病に倒れたのは。
主治医である和哉おじさんが言うには、母さんは俺を産む前に結核に罹った事があり、完治した筈のその菌が、再び母さんの肺の中で暴れ出したのだという。
「海斗を助けるには、生体肺移植しかない。でも適合するドナーが現れるまで時間がかかるし、それまでに海斗の体力が持つかどうか・・」
目の前に突き付けられた厳しい現実に、俺は愕然とするしかなかった。
「ジェフリー・・」
「母さん・・」
「ごめんね、お前を独りにさせたくないのに・・」
「大丈夫だよ、母さん。」
「そう、良かった。」
母さんが入院して、俺は母さんと分担していた家事を全てやる事になった。
学校が終わると、俺はいつもスーパーに寄って食材を買い、二人分の食事を作った。
「ありがとう、ジェフリー。」
「味は余り保証しないけれど、母さんが喜んでくれるだけでも嬉しいよ。」
母は、俺の料理を喜んで食べてくれた。
俺は、母が喜ぶ顔が見たくて、クッキーを焼いて母に持って行ったりしていた。
そんなある日の事、俺がいつものように母の病室に行こうとした時、中から母と誰かが言い争う声が聞こえて来た。
「お願いだカイト、私と一緒にアメリカに来てくれ!」
「俺はこのまま、イングランドで死んだっていい!俺の魂は、死んだのも同然なんだから!」
「そうか・・お前の心は、もうロックフォードのものなのだな。」
「お願いだから帰って、ヴィンセント。」
暫くすると病室から、一人の男が出て来た。
「お前は・・」
彼は俺の顔を見た後、何かを悟ったような顔をして、宝石のような美しい翠の瞳から一筋の涙を流した。
母が死んで一ヶ月が過ぎた頃、俺は和哉おじさんと母さんの墓参りに行った。
すると、母の墓には美しいマリーゴールドの花束が供えられていた。
その花束を見た時、俺はあの翠の瞳をした男を思い出した。
「ん・・」
「坊や、気が付いたの?」
ゆっくりと目を開けると、俺はベッドに寝かせられていて、俺の周りには、ホーの丘で会った人達が立っていた。
「ここは・・」
「動かないで、あなたは頭を強く打っているみたいだから、暫く横にならないと・・」
「あなたは、誰ですか?」
「わたしはリリー、“白鹿亭”の女将よ。それと、わたしの隣に居るのは、ナイジェル=グラハム、グローリア号の航海長よ。」
「あなたが、あのナイジェル・・」
「俺の事を、知っているのか?」
「はい・・母が良く、あなた達の事を話していたので・・」
「もしかして、あなたは・・あの時の・・」
リリーの表情を見た俺は、ここが何処なのかすぐにわかった。
16世紀―母が父と出会い、生きた時代。
「あぁ、何て事・・昔カイトと話していたのよ、あなたはきっと、ジェフリーに似た男の子だって。やっぱり、カイトの予言は的中したのね!」
「カイトは、元気にしているのか?」
「母は、一月前に亡くなりました。」
「そうか・・」
ナイジェルは、俺の言葉を聞いた後、涙を流した。
「これを必ず、ナイジェルに渡してくれって、母さんが・・」
俺はそう言うと、ジーンズのポケットからトパーズのペンダントを取り出した。
「これは・・」
「母さんがあなたの幸運と健康を祈っているって・・もしあなたに会う事が出来たのなら、必ずこれを渡してくれって・・」
「そうか。お前、名前は?」
「ジェフリーと申します。」
「ジェフリーか。父親と同じ名前だと呼びづらいな。お前、幾つだ?」
「14です。」
「“ジュニア”という年ではないわね。」
「あの、父さんは今何処に?」
「ジェフリーなら、今こっちに向かっているわ。」
「そうですか。」
俺がそう言った時、一人の男が部屋に入って来た。
「ジェフリー、この子が・・」
「お前がここへ来たって事は、カイトはもう・・」
「亡くなる前に、母とあなたを会わせてあげたかったです。」

―ねぇ、見てよあれ。
―子供が可哀想。

それは、ジェフリーの六ヶ月健診の帰りに、電車の中で海斗がジェフリーをあやしていた時の事だった。
ヒソヒソと、女性二人組が海斗の方を見ながら話をしていたが、話の内容は想像しなくてもわかる。
(他人に迷惑かけてねぇのに。)
出産して暫く経ってから、海斗は黒の地毛が斑になった髪を美容室で赤く染めた。
母親になったのなら、子供の為に尽くし、お洒落などすべきではないというカビが生えた古臭い考えが日本には未だ残っているようで、海斗はジェフリーを連れて外出する度に周囲から非難めいた視線を送られた。
「ママの髪はどうして赤いの?」
「ママは、赤い髪が好きだからだよ。」
「ふ~ん。」
イングランドで長年暮らしていた海斗にとって、日本での子育てはとても息苦しくて窮屈なものとなった。
頼れる家族や友人も居ない。
いつも仕事や家事、育児追われていた海斗は、いつしか自分に発情期が来なくなっている事に全く気付かなかった。
「ねぇ、ジェフリー君ってきっとαだと思うわ。」
「そ、そうかな?」
「だって、あんなに可愛くてスポーツ万能だし、人気者だし・・」
この会話を、ママ友と何度もした事だろう。
バース性が何であろうが、本人が自分らしく生きればそれでいいと、海斗は思っている。
しかし、バース性への差別や偏見は、21世紀になっても未だに残っている。
Ωであり、様々な差別や偏見に苦しんで来た海斗は、社会に未だ蔓延る、“α至上主義”思考にモヤモヤしてしまう。
「ママ、どうしたの怖い顔して?誰かに何か言われた?」
「ううん、何でもないよ。」
「ママ、誰かに言われたら、俺がそいつをぶっとばしてやるから。」
「ありがとう、ジェフリー。その気持ちだけで嬉しいよ。」
「ママ、今日は二人でハンバーグ作ろう!」
「うん!」
ジェフリーと手を繋いで、海斗は近所のスーパーへと買い物に行った。
「ママ、お菓子買ってもいい?」
「いいよ。」
ずっとこんな幸せが続くと思っていた。
だが―
「東郷さん、最近発情期が来たのはいつですか?」
「10年位前ですかね・・」
「発情期を迎えないΩは、病気に罹りやすくなるんですよ。」
「そんな・・」
「現代の医学は進歩していますから、大丈夫ですよ。」
「はい・・」
海斗は不安を抱えながらも、ジェフリーと暮らしていた。
ジェフリーは成長するにつれて、父親に少しずつ似て来ている。
外見だけではなく、性格も。
もしジェフリーが自分と瓜二つの顔をした息子と一緒に暮らしたら、どんな反応をするだろうか。
(やっぱり、驚くかなぁ。)
仕事が休みの日、海斗がそんな事を思いながら紅茶を飲んでいると、テーブルの上に置いてあったスマートフォンがけたたましく鳴った。
「はい、東郷です。」
『もしもし、こちら・・』
ジェフリーが頭髪検査を受けて、教師から指導を受けたのは何度目だろう。
『地毛証明書』を学校に提出したが、状況は変わらなかった。
「もうこれ以上・・」
「先生、俺は何度も言いましたよね?この子は、地毛だって。」
「しかしですね、学校側としては・・」
「もういいです。ジェフリー、行くよ。」
「母さん!?」
「もうこんな所には居られません。今までお世話になりました。」
海斗はジェフリーを連れて日本を離れ、イングランドに戻った。
イングランドでの暮らしも、楽ではなかった。
しかし、今まで暗い表情を浮かべていたジェフリーが、どんどん明るくなっていくのを見て、海斗は自分の選択が間違っていないと信じた。
ずっと、ジェフリーと一緒に居られると―彼がやがて自分の元から巣立つその日まで居られると、海斗は思っていた。
しかし、運命は残酷だった。
突然職場で喀血して倒れた海斗は、病院に搬送され、医師から難治性の肺結核だと告げられた。
「通常ならば、抗生物質で治療する事が出来ますが、東郷さんの場合は、生体肺移植しか助かる道はありません。」
「そんな・・」
「長くても半年、短くても三ヶ月もてば・・」
海斗は自分に残された時間を、自分の為に使う事にした。
(ジェフリー、あなたにもう一度会いたかったよ。)
書きなれない16世紀の文字で海斗が最愛の人に宛てた手紙を書いていると、病室のドアが誰かにノックされた。
「どうぞ。」
看護師が入って来たのかと思った海斗だったが、病室に入って来たのは、漆黒のスーツを着こなした黒髪翠眼の美青年だった。
「ヴィンセント・・どうしてここに?」
「カイト、やっと会えた。」
美青年―ヴィンセントことビセンテ=デ=サンティリャーナは、そう言うと海斗を抱き締めた。
「止めて、俺は・・」
「お前の病気の事は知っている。カイト、私と一緒にアメリカへ来てくれ。」
「嫌だ。」
「何故だ?アメリカに行けば、お前は死ぬ事はないんだ!」
「俺はこのまま、イングランドで死んだっていい!俺の心は、死んだのも同然なんだから!」
「そうか・・お前の心は、もうロックフォードのものなのだな。」
ビセンテは、そう言うと涙を堪えた。
「お願いだから帰って、ヴィンセント。」
ビセンテは、海斗の病室から出た時、一人の少年とぶつかった。
「済まない、怪我は無いか?」
「はい・・あの、俺の顔に何かついていますか?」
「いや・・」

その少年は、かつて剣を交えたあの憎いイングランドの海賊、海斗の想い人であるジェフリー=ロックフォードと瓜二つの顔をしていた。

(カイト、私がお前を救う事は出来ない・・だがせめて、お前の魂が迷う事無くロックフォードの元へ行けるよう、神に祈ろう。)

ビセンテは少年に背を向け、静かに歩き出した。
その日以来、彼は二度と海斗に会いに行かなかった。

にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へにほんブログ村
コメント

囚われの愛 1

2024年04月17日 | 天上の愛地上の恋 オメガバースパラレル二次創作小説「囚われの愛」
「天上の愛 地上の恋」二次小説です。

作者様・出版社様とは一切関係ありません。

二次創作・オメガバースが苦手な方はご注意ください。


2020年、アメリカ・NY。

世界中で謎のウィルスが猛威をふるい、ロックダウンされた地区で暮しているアルフレート=フェリックスは、忙しなくパソコンのキーボードを叩きながら、ある小説を仕上げようとしていた。
それは、自分の高祖父にあたる同姓同名の司祭―厳密に言えば元司祭だが―が、第一次世界大戦後、身寄りのない孤児達にその生涯を捧げた彼の足跡と功績を描いたものであった。
「ふぅ・・」
アルフレートはブルーライトカットの眼鏡を外して溜息を吐いた後、すっかり冷めてしまったコーヒーを流しに捨てた。
空腹を覚えた彼は、冷蔵庫の中からパンとチーズを取り出して簡単なサンドイッチを作ると、それを一口齧った。
数日前に近くのスーパーで買い物を済ませたばかりだというのに、冷蔵庫の中にはワインとパン、そしてチーズしか残っていない。
この僅かな食糧でこのロックダウン期間中を乗り切る事が出来るのか―アルフレートがそんな事を考えていた時、誰かがアパートの呼び鈴を鳴らした。
「どちら様ですか?」
自衛の為に所持している拳銃をデスクの引き出しから取り出したアルフレートは、恐る恐る拳銃を構えながらドアチェーンを解除した。
「わたしだ、アルフレート。」
「ルドルフ様・・」
恋人の顔を見た途端、安堵の表情を浮かべた。
「物騒なものを下ろせ。」
「すいません・・」
「最近、連絡が来ないから、心配してみたが・・元気そうで安心した。」
「ルドルフ様、どうしてこちらへ?」
「そろそろ、抑制剤が切れる頃だと思ってな。」
ルドルフはそう言うと、アルフレートに抑制剤が入った袋を手渡した。
「ありがとうございます。」
「今、何をしていたんだ?」
「高祖父の生涯を題材に小説を書いていたんです。」
「そうか。」
ルドルフは、アルフレートの為に持って来た食糧を冷蔵庫に入れていると、ワインボトルが一本入っている事に気づいた。
「これ、空けていいか?」
「いいですよ。今夜は、飲みたい気分なんです。」
アルフレートは小説の執筆を中断すると、ルドルフと共に軽い夕食を取った。
「その本は?」
「これは、高祖父の日記です。」
古い革張りの日記帳をアルフレートから受け取ったルドルフは、日記帳の内表紙に一枚の写真が貼られている事に気づいた。
その写真には、司祭服姿のアルフレートの高祖父と、軍服姿の自分の高祖父の姿が写っていた。
「これは・・」
「高祖父がかつて勤務していたアウグスティーナ教会で見つけました。まさか、隣に写っておられるのがルドルフ様の高祖父様だったなんて、驚きました。」
「わたしもだ。」
ルドルフは、そう言うと写真に写っている自分の高祖父―ルドルフ=フランツ=カール=ヨーゼフ=フォン=オーストリア、オーストリア=ハンガリー帝国皇太子を見た。
「アルフレート、明日付き合って欲しい所があるんだが、いいか?」
「はい。」
翌日、アルフレートがルドルフと共に向かったのは、ルドルフの自宅にある書斎だった。
「高祖父の書斎に、こんな本があった。」
「“Ω迫害の歴史”・・ルドルフ様の高祖父様は、αだったのですか?」
「あぁ。それに、お前の高祖父とわたしの高祖父は、恋人同士だったのかもしれないな。」
「何故、それがわかったのですか?」
「高祖父が南米で農園を経営していた事は知っているだろう?その頃の写真に、君の高祖父と写っている写真が多いし、それに、ペアリングが見つかった。」
ルドルフがアルフレートに見せたペアリングは、互いの誕生石が嵌め込まれ、“from R to A”と裏に彫られていた。
「アルフレート、わたしの高祖父とお前の高祖父との関係を軸に書いてみたらどうだ?」
「面白そうですね。」
ルドルフの助言を受け、アルフレートはルドルフの書斎を時折借りながら、小説の執筆に励んだ。
だが―
「わからない・・」
「何が、わからないんだ?」
「何故、あなたの高祖父が、身分を捨て、わたしの高祖父と暮らしたのだろうと・・」
「そこが最大のミステリーだな。少し休め、根詰めると疲れるぞ。」
「わかりました。」
アルフレートは、暫く小説の執筆を休み、ルドルフと共に高祖父達の故郷であるウィーンで休暇を取る事にした。
「何だか、この街は100年以上経っても変わらないな。」
「ええ・・」

にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へ
にほんブログ村
コメント

桜巫女 1

2024年04月17日 | FLESH&BLOOD 和風ファンタジーパラレル二次創作小説「桜巫女」
「FLESH&BLOOD」の二次小説です。

作者様・出版社様とは一切関係ありません。

海斗が両性具有設定です、苦手な方はご注意ください。

性描写あり、苦手な方はご注意下さい。


チリン、チリン―

何処からか、鈴の音が聞こえて来た。
誰かが、自分に向かって何かを言って来たが、聞こえなかった。

「巫女様、起きて下さい。」
「ん・・」
海斗が眠い目を擦りながら布団から起き上がると、傍に控えていた女官達が海斗の髪を梳いた。
「準備はよろしいですか?」
「うん・・」
「では、参りましょう。」
その日は、この集落で一年に一度行われる大きな祭りがあった。
「桜巫女様だ~!」
「桜巫女様~!」
神輿に乗せられた海斗が社の奥から出て来ると、村人達が歓声を上げた。
美しく着飾った海斗が村人達に向かって桜の花弁を散らすと、彼らは一斉に拝んだ。
「ありがてぇ、ありがてぇ!」
そんな様子を、遠くから一人の青年が撮影していた。
「あれが、桜巫女様か・・」
熱気に包まれた神社を、青年は後にした。
「お客様、お帰りなさい。」
「さっき神社へ行って来たが、凄い人だかりだった。」
「まぁ、今日は祭りですからね。」
「桜巫女様というのは、あの集落でどんな存在なんだ?」
「特別な存在なんですよ。桜巫女様は、あの集落にとってなくてはならないものなんです。」
「そうか・・」
その日の夜、海斗は社の奥にある自室で眠っていた。
するとそこへ、一人の男が中に入って来た。
彼は部屋に入ると、躊躇いなく海斗が寝ている布団の中に潜り込んだ。
「ん、あぁ・・」
男の手が海斗の身体をまさぐる度に、彼女は甘く喘いだ。
肉同士がぶつかり合う音、淫らな水音が部屋の中に響いた。
「はぁ、あぁっ・・」
男の熱い楔が己の最奥に打ち込まれ、彼の欲望が迸るのを感じながら、海斗は意識を失った。
「ん・・」
「無理をさせて、済まなかった。」
「いいえ・・」
男は面布越しに、翠の瞳で海斗を見つめた。
彼の名は、ビセンテ。
元は名家出身だったが、訳有ってこの集落で暮らし、海斗の身の回りの世話をしている。
「また夜に来る。」
ビセンテは海斗の部屋から出ると、顔を覆っている布を剥ぎ取った。
海斗を抱く時は、彼女に顔を見せてはならないという“しきたり”を守らなければならなかった。
何故なら、海斗は―この地を守る桜巫女は、神聖な存在だからだ。
(二十一世紀・・わたしが生きていた“時代”よりも何もかも進んでいるというのに、古いまやかしが存在しているとは・・)
神社の石段を少しずつ降りながら、ビセンテは海斗と出会った時の事を思い出していた。
あれは、イングランドとの戦いに敗れ、冷たい海に放り出された。
意識が朦朧としながらも見知らぬ浜辺に辿り着いたビセンテは、そこで海斗に助けられた。

ビセンテは、主に己の命を救ってくれた事に感謝した。

にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へにほんブログ村
コメント

鼈甲の簪 第一話

2024年04月11日 | FLESH&BLOOD 昼ドラオメガバース遊郭パラレル二次創作小説「鼈甲の簪」
「FLESH&BLOOD」の二次小説です。

作者様・出版社様は一切関係ありません。

海斗が両性具有設定です、苦手な方はご注意ください。

二次創作・BLが嫌いな方はご注意ください。

オメガバースに嫌悪感を抱かれている方は閲覧しないでください

―見て母さん、花嫁さんだ!
幼い頃に見た花嫁の髪を美しく飾る鼈甲の簪に海斗は心を奪われた。
―綺麗ねぇ。海斗、あなたもいつかお嫁に行く時に、あの簪を挿すのよ。
―うん!
あの頃はまだ、海斗は自分が簪を作る職人になるとは思っていなかった。
「海斗、何処に居るの!?」
海斗は、夜明け前に家を飛び出し、ある場所へと向かっていた。
そこは、海斗が住むお屋敷街から川を隔てた、お歯黒長屋と呼ばれる所だった。
「ジェフリー、居るの!?」
「何だ、誰かと思ったらお前か。」
長屋の中から顔を出したのは、海斗の恋人で絵師をしているジェフリー=ロックフォードだった。
長い金髪をなびかせ、衿を抜いた着流し姿の彼は、そっと海斗を中へと招き入れた。
「どうした、また母親と喧嘩したのか?」
「俺、もうあの家に居たくない!」
海斗はそう叫ぶと、ジェフリーの胸に顔を埋めた。
「カイト、お前の気持ちは良くわかる。だが、今は感情的になるな。」
「わかった・・」
「今夜はここに泊まるか?余り大した物はないが、飯位は作れる。」
「ありがとう。」
その日の夜、ジェフリーは海斗に家出した理由を尋ねると、彼女はこう答えた。
「ババア・・母さんが、女学校を卒業したら結婚しろって言うんだ。俺は、簪を作りたいのに・・」
「そうか。」
海斗の母・友恵は、良妻賢母の手本のような女性だと、以前海斗から聞いた事があった。
友恵は、女の幸せとは結婚して子を産み、家を守る事だと考えていて、女が手に職を持って働くというのは、彼女にとっては非常識な事だった。
現に海斗が通う女学校は、良妻賢母の花嫁学校だった。
「簪職人になるとしても、職人になるのは簡単じゃないぞ。俺だって今は絵師として成功しているが、それまでは長い下積み生活を送っていた。」
「俺はただ単に親に反抗しているだけじゃない、俺は自分の足で立って、親が敷いた道じゃなくて、自分で見つけた道を歩きたいんだ。」
「そうか、お前がそう思っているのなら、俺は応援するぞ。」
「ありがとう、ジェフリー。」
海斗はそう言うと、ジェフリーに抱き着いた。
「おいおい、そんな事をしたら、襲っちまうぞ?」
「あなたは、そんな事しないでしょ?」
「バレたか。」
そんな二人の様子を、破れた障子越しから一人の男が見ていた。
男は、東郷家で庭師見習いとして働いていた使用人だった。
過去形なのは、彼が海斗を襲おうとした所を友恵に見つかり、解雇されたからだった。
暫く中の様子を覗いていた男は、金髪の男が海斗の上に覆い被さるのを見た後、その場から去った。
「痕、つけないで・・」
「わかっているよ。」
長屋の外まで溢れ出そうな海斗のフェロモンを受け、ジェフリーの雄の本能が爆発した。
「愛しているよ、カイト・・」
「俺もだよ、ジェフリー・・」
二人が裸で抱き合っている頃、友恵は苛々しながら海斗の帰りを待っていた。
「奥様、奥様!」
「何よ、うるさいわねぇ。」
「お久し振りです、奥様。わたしの事を覚えていらっしゃいますか?」
「お前は・・」
解雇した使用人が居間に現れ、友恵は彼の全身から漂う悪臭に顔を顰めた。
「今日は奥様にいい話を持って来ましたよ。」
「誰か、この者を早くここから追い出しなさい!」
男は東郷家の裏口から外へと叩き出され、フケだらけの頭を掻き毟りながら、夜の闇の中へと消えていった。
「じゃぁ、また来るね。」
「あぁ、待ってる。」
長屋の前でジェフリーと別れ、朝帰りをした海斗は、案の定友恵から厳しく叱られた。
「あの絵師の男とは別れなさい!」
「嫌だ!」
(母さんは、俺の事なんて何も考えていないんだ!)
そんな事を思いながら海斗は女学校から出て帰宅している途中、道端に胸を押さえて苦しそうにしている女の姿に気づいた。
「大丈夫ですか?」
「お気になさらず。すぐに治まりますから。」
「でも・・」
「本当に、大丈夫ですから。」
「え?」
女は口端を上げて笑った後、間髪入れずに海斗の鳩尾に拳を叩き込み、彼女を気絶させた。
「この娘で間違いない?」
「あぁ、ご苦労さん。」
男は女に金を渡すと、気絶した海斗をある場所へと運んだ。
そこは、色恋と愛憎が渦巻く遊郭だった。
「おお~い、居るかい!」
「うるさいねぇ、誰かと思ったらあんたかい。またうちに金を集りに来たのかい?」
「そんなんじゃねぇよ、開けろってば!」
満楼の女将・英子は大きな溜息を吐いた後、裏口の戸を開け海斗を背負った男を中へ入れた。
「その娘は?」
「掘り出し物さ。」

にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へにほんブログ村
コメント

愚者の花嫁 第1話

2024年04月11日 | FLESH&BLOOD ハーレクインロマンスパラレル二次創作小説「愚者の花嫁」
「FLESH&BLOOD」の二次小説です。

作者様・出版社様とは一切関係ありません。

海斗が両性具有設定です、苦手な方はご注意ください。

「カイト様、おはようございます。」
「おはようございます。」
この日、ロレンシア公爵家は、特別な朝を迎えていた。
「カイト、何ですかその髪は!アンナに直して貰いなさい!」
「え~!」
海斗の義母・マリーは、海斗にそう言うと彼女の自室から出て行った。
(何だよ、たかが見合いの為にそんなに張り切る事じゃないだろうに。)
この日、ロレンシア公爵家の令嬢・アナスタシアと、この国の皇太子であるジェフリーと見合いをする事になっている。
アナスタシアは、マリーに似た美貌の持ち主で、淑女のお手本のような、聡明で控え目な女性だった。
だがその義理の妹である海斗はアナスタシアとは正反対で、花嫁学校は入学したその日の夜に脱走し、マリーがそのショックで寝込んでしまった事があった。
得意なのは乗馬と剣術、裁縫と刺繍だけ―そんな海斗を、世間は“ロレンシア家の恥さらし”と呼んでいた。
だがそんな世間の評判などクソくらえと思っている海斗は、姉の大事な見合いの日など知ったこっちゃなかった。
しかし、この見合いを必ず成功させたいマリーは、海斗をアナスタシアの付き添いとして指名したのだ。
「え~!」
「いい、決してアナスタシアの邪魔をしては駄目よ!」
「わかったよ!」
(あ~、面倒臭い。)
アンナに髪をきつく結ばれ、海斗は余りの痛さに悲鳴を上げた。
「さぁ、次はコルセットを締めますからね。」
マリー以上にこの見合いの成功を願っているアンナはそう言うと、海斗を寝台の傍へと移動させ、彼女が着ているコルセットの紐をきつく締めた。
「痛いって!」
「我慢なさい!」
コルセットをきつく締められ、海斗は時折苦しそうな息を吐きながら姉の見合いに臨んだ。
「皇太子様が、お見えになられました。」
「もうすぐ、ロレンシア邸に着きますよ。」
「あぁ・・」
鬱陶し気に前髪を搔き上げながら、アゼリア王国皇太子・ジェフリー=ロックフォードは馬車の窓から外を見た。
「少しは興味がある振りをしたらどうだ?」
「だったら、あんたが見合いをすればいい。アナスタシア嬢とあんただったら気が合いそうだしな。」
「ふん・・」
見合いの付き添いでジェフリーの向かい側に座っていたのは、彼の異母弟であるビセンテ王子と、彼の小姓であるレオだった。
独身主義者であるジェフリーが見合いをする事になったのは、彼らの祖母にあたる皇太后・エリザベスのあるひと言からだった。
「妾ももう長くない。せめて死ぬ前に曾孫を抱きたいものじゃ。」
皇太后の言葉に真っ先に反応したのは、彼女の重臣達だった。
頑健で結婚適齢期の二人の王子が居るのだから、相手さえ見繕えば、結婚などすぐに出来るだろうと、彼らはそう単純に思っていた。
しかし、現実はそんなに甘くなかった。
無神論者で男色家のジェフリーは、皇太子という立場でありながらも結婚に全く興味を持っていなかったし、ビセンテ王子は恋愛に対して淡白過ぎだった。
そんな現実を突きつけられたエリザベスの重臣達は慌てて家柄と血筋の良い娘―即ちロレンシア公爵令嬢・アナスタシアを見つけ、ジェフリーと彼女の見合いを急遽行う事になったのであった。
「アナスタシア嬢には、妹君が一人居るそうだ。」
「どんな方なのですか?」
「噂によると、入学した花嫁学校にその日の夜に脱走し、社交界では、“ロレンシア家の恥さらし”と呼ばれている程、風変わりな娘だそうだ。その上、赤毛故に気性が荒いらしい。」
「へぇ・・」
ジェフリーの蒼い瞳が煌めいたのを見たビセンテは、すかさず彼に釘を刺した。
「あなたが今からお会いする方は、アナスタシア様であって、彼女の妹君ではないのですよ。」
「わかったよ・・」
ジェフリー達を乗せた馬車がロレンシア邸の前に停まると、使用人達が総出で彼らを出迎えた。
「皇太子様、こちらです。」
「皇太子様、お目にかかれて光栄です。」
客間に入って来たジェフリー達に向かって、アナスタシアは優雅にカテーシーをした。
姉に倣ってカテーシーをしようとした海斗だったが、コルセットがきつくて出来なかった。
「カイト、ちゃんとしなさい!」
「コルセットがきつくて出来ないのよ、お姉様。」
「皇太子様、妹の無礼をお許し下さい。」
「別に構わないさ。」
見合いは、滞りなく終わった。
「あ~、疲れた。」
「カイト、あなたはもっとお淑やかに出来ないの!?」
「あら、俺は見合いの間に一言も喋りませんでしたけど?」
「もういいわ!」
アナスタシアはそう叫ぶと、浴室から出て行った。
昔から、彼女と仲が良くなかった海斗は、この見合いが成功し、彼女が未来の皇后となって欲しいと思った。
(俺は、こんな身体だし・・)
浴槽の中で身体を洗っていた海斗は、己の身体を見て溜息を吐いた。
海斗は、男女両方の性を持っている。
初潮を迎えて以来、豊満になってコルセットを締める度にきつく感じるようになった乳房と、それと反比例して小ぶりになった男の象徴。
男でも、女でもない自分を、愛してくれる人間なんていない。
海斗はそう思い込んでいた。
しかし―
「え、それ本当なの、お母様!?」
「えぇ。今夜王宮で開かれる舞踏会に招待されたわ。カイト、くれぐれも皇太子様に失礼しないようにね。」
「わかったよ、お母様。」
同じ頃、皇太子の執務室でジェフリーが苦手な書類仕事を終えて欠伸を噛み殺していると、執務室の扉がノックなしに勢いよく開かれた。
「皇太子様、一体どういうつもりなのですか!?」
「何をそんなに怒っている?俺はちゃんと結婚すると言っただろうが。」
「相手がアナスタシア様なら問題ありません!何故、妹君のカイト様なのです!?」
「俺は慎ましい淑女よりも、じゃじゃ馬で一筋縄ではいかない跳ねっ返り娘の方が、俺は好きなんだ。」
「今からでも考え直して下さい。あの娘にはこの国の皇后は務まりません!」
「そんなの、やってみないとわからないだろ?」
ジェフリーはそう言うと、羽根ペンを回した。
「全く、あなたという方は・・」
ビセンテは、溜息を吐いた。
腹違いの兄であるジェフリーの性格を、ビセンテは彼が子供の頃から熟知していた。
ジェフリーは、自分でこうと決めたら頑として動かない性格だった。
嫌なものは嫌だ、型に嵌められたくない。
王家の為、王国の為にと常に己を律し、国に尽くして来たビセンテとは正反対だ。
「いいでしょう。あなたがそのつもりならば、わたしにも考えがあります。」
ジェフリーはビセンテの言葉に答えない。
これ以上話す事は無い―ビセンテはマントの裾を翻すと、ジェフリーの部屋から出て行った。
「ビセンテ様。」
「レオ、舞踏会の準備を。」
「シー、マエストロ。」
「ここは、船上ではないのだぞ。」
「すいません、つい癖で・・」
レオはそう言って頬を赤く染めた。
「全く、皇太子様は一体何をお考えなのか・・あの赤毛の跳ねっ返り娘を王家に迎えるなど・・」
「僕達は何もできませんよ。問題は、あの方が彼女を気に入るか、ですよ。あの方は、気難しいから・・」
「お祖母様は―皇太后様は気難しい方だが、どのような身分でも、受け入れて下さる方だ。」
「あぁ、確かにそうでしたね。覚えていますか、僕がこの王宮に来た日の事を。」
「覚えているとも。」
ビセンテは、ふとレオが王宮へやって来た日の事を思いだしていた。
レオは、田舎騎士の家で生まれ、海軍でめざましい活躍をしているビセンテの事を聞き、レイノサから遥々王都へとその身ひとつでやって来たのだった。
「お願い致します、僕をあなたの小姓にして下さい!」
全身垢と泥に塗れ、凄まじい悪臭を漂わせたレオは、ビセンテの前に跪いた。
ビセンテは、レオの美しい蒼い瞳に宿る情熱に気づき、彼を小姓として傍に置いておく事に決めた。
垢と泥で汚れた身体を洗うと、美しい糖蜜色の髪と、雪のような白い肌があらわれた。
レオは、ビセンテの小姓となってから、只管勉学や剣技に励んだ。
ビセンテは、そんなレオを実の弟のように可愛がった。
仲睦まじい二人の様子を見た、彼らが恋人同士なのではないかと、事実無根の噂をばら撒いていた周囲の人間達は、皇太后の鶴の一声で一蹴された。
「仲睦まじい事は良き事じゃ。」
気難しく、情け容赦ない性格で知られるエリザベス皇太后だったが、気を許した相手となれば身分関係なく受け入れてくれる懐の深い一面がある。
「これから、忙しくなりますね。」
「あぁ。」
ビセンテとレオがそんな事を話しているのと同じ頃、ロレンシア公爵家ではひと騒動起きていた。
「何故、あなたなの!わたくしではなく、どうしてあなたが皇太子様の御心を掴むのよ!」
生まれてから物心がつき、社交界デビューを果たして以来、アナスタシアは未来の皇后となる事を目標に生きて来た。
それなのに、ただ付き添いとして同席していただけの海斗が、ジェフリーの心を掴んだのだ。
その日から、アナスタシアと海斗の関係に深い亀裂が入った。
「カイト様、入りますよ。」
「俺、姉様のお見合いに付き添わなきゃ良かったかな。」
「過ぎた事はどうにもなりませんわ。これからの事を考えませんと。」
「そうだね・・」
その日の夜、王宮で皇太后主催の舞踏会が開かれた。
―あ、あの赤毛・・
―あの恥さらしが、どうしてこんな所に?
氷のような視線が、海斗の全身に突き刺さった。
海斗の隣には、アナスタシアが憤怒の表情を浮かべて立っていた。
「皇太子様のお成り~!」
美しいブロンドの髪をなびかせながら広間に入って来たジェフリーの姿を貴婦人達から一斉に黄色い悲鳴を上げた。
そのジェフリーの後ろに控えていたのが、エリザベス皇太后に寄り添うように歩いているビセンテとレオだった。
ジェフリーは青地に金糸の刺繍を施され、レースをふんだんに使った夜会服姿だったが、対してビセンテは襞襟にレースがついた、黒の夜会服姿だった。
―ジェフリー様の婚約者が、今夜発表されるのですって。
―皇太子様の御心を掴んだのは、どんな方なのかしら?
―それは、決まっているわよね・・
海斗は周囲の視線に耐えかねて、その場から立ち去ろうとしたが、アナスタシアがそれを許さなかった。
「何処へ行くの?」
「姉様・・」
「あなただけ逃げ出そうなんて、許さないわよ。」
そう言った彼女のブルーの瞳には、仄暗い光が宿っていた。
「みんな、今夜は来てくれてありがとう!」
ジェフリーがそう言って貴婦人達に手を振ると、彼女達は黄色い悲鳴を上げた。
中には、気絶する者も居た。
「今日はみんなに報告したい事がある。俺はこの度、カイト=ロレンシア嬢と婚約する事になった。」
―え・・
―アナスタシア様ではなくて?
海斗は、そっと大広間から抜け出すと、人気のない中庭へと向かった。
(これからどうなるのかな、俺・・)
先程の、自分を見つめる貴族達の冷たい視線を思い出した海斗は、この先王宮で暮らしていけるのかと心配になった。
「カイト様、こちらにいらっしゃったのですね。」
「あなたは・・」
「皇太子様が・・兄上があなたをお待ちしております。」
ビセンテ王子はそう言うと、海斗の腕を掴んで大広間へと向かった。
「カイト様、さぁ・・」
「先程取り乱してしまって申し訳ありませんでした、皇太子様、皇太后様。」
もう、逃げられない。
ならば、堂々と立ち向かわなければ。
「美しい赤毛だね、生まれつきかえ?」
「はい。」
「ほぉ、鮮やかな緋色じゃ。腕の良い洗髪師でも、美しい色にはこのようには染められぬ。」
「そうですか?」
「ジェフリーから、そなたの事を聞いたぞ。見合いの時にコルセットがきつくてカテーシーが出来ぬと言ったそうだな?それは、本当か?」
「はい。先程逃げ出したのは、俺なんかが皇太子妃に相応しくないと思ったからです。」
「その理由は?」
「俺が、ロレンシア家の恥さらしだからです。」
海斗がそう言った瞬間、周囲がざわめいた。
「面白い事を言う。そなたのようにはっきりと物を言う娘は、社交界には相応しくないが、それを言うのならば妾もジェフリーも同じ事。そなたなら、これから上手くやれるだろうのう。」
「え・・」
「これから、宜しく頼むぞ。」
「はい・・」
舞踏会から数日後、ロレンシア公爵邸の前に一台の馬車が停まった。
「カイト様、皇太后様の命により、お迎えに上がりました。」
「お義父様、お義母様、今まで育てて下さりありがとうございました。」
義理の両親―養父母に別れを告げた海斗が馬車に乗り込もうとした時、黒髪の巻き毛を揺らしながら、一人の少女が海斗の元へとやって来た。
「ヘンリエッタ、どうしたの?」
「カイトお姉様、もう会えないの?」
「そんな事ないよ。」
海斗は自分に懐いている末妹・ヘンリエッタの頭を撫でた。
こうして、海斗は長年暮らしていた実家を離れ、王宮で暮らす事になった。
「あの、皇太子様は・・」
「皇太子様は、外出されております。わたしは今日からあなた様の教育係を務めさせて頂きます、ビセンテ=デ=サンティリャーナと申します。」
「よろしく、お願い致します・・」
ビセンテは、海斗を未来の皇后に育てるべく、海斗が王宮へやって来たその日から、厳しいお妃教育をした。

(はぁ、疲れた・・俺、こんな所で暮らせんの?)

海斗は寝台に大の字になって寝転がると、そのまま朝まで泥のように眠った。

「カイト様、おはようございます。」
「おはようございます。」
海斗が寝台の中で寝返りを打っていると、寝室に女官達を連れたビセンテが入って来た。
「え、今何時?」
「朝の5時です。」
「もう少し、寝かせて・・」
シーツの中へと海斗が潜ろうとした時、ビセンテがそれを勢いよく剥がした。
「何すんだよ!」
「“何をなさるの”です。未来の皇后ともなろう御方が、そのような粗野な物言いは今後お控え下さい。」
「わかったよ。」
「“わかりました”。」
「わ・か・り・ま・し・た!」
「よろしい、では顔を洗って、歯を磨いて下さい。」
(あ~、いつまでこんなの続くんだろう?)
洗顔と歯磨きを終えた後、海斗はビセンテと朝食を取る事になった。
 しかし、そこでもビセンテに事あるごとに監視された。
「脇を閉めて!スープは音を出して啜らない!」
四六時中、ビセンテに一挙手一投足を監視され、息が詰まりそうだった。
海斗が王宮の中で唯一出来る気晴らしは、刺繍と乗馬、そして絵を描く事だった。
 数少ない私物の中に、画材道具を持って来て良かった―海斗はそう思いながら、白いカンバスの上に王宮を描き始めた。
王宮にやって来た時、この美しい白亜の宮殿を自分の手で描きたいと思っていたので、すぐに描けて良かった。
「これで良し、と・・」
海斗が王宮の絵を描き上げた時、ビセンテが部屋に入って来た。
 彼は、緑の瞳を大きく見開いたかと思うと、海斗の絵を見て溜息を吐いた。
「これは、あなたがお描きになられたものですか?」
「はい・・」
「素晴らしい。」
「あの、怒らないのですか?」
「いいえ。ミューズの恩寵を受けておられるあなた様を、どうして怒る事が出来ましょう?」
案外、融通が利く男だ―海斗がそう思い掛けていた時、ビセンテの顔が少し険しくなった。
「何ですか、寝癖を放置したままにするなど・・」
前言撤回、やはり彼とは気が合わない―海斗は完成した絵をイーゼルから外した後、鋏を持って浴室へと向かった。
「カイトはどうした?」
「存じません。」
「お前が苛めるから、部屋に引き籠もったんじゃないか?」
「苛めるなど、人聞きの悪い事を!わたしは・・」
「ビセンテ、そなたは少しやり過ぎる所がある。」
「少し、カイトの様子を見に行って構いませんか、お祖母様?」
「許す。」
「では、失礼して・・」
ジェフリーが椅子から立ち上がろうとした時、女官達の悲鳴が廊下から聞こえて来た。
「何があった?」
「カイト様が・・」
ジェフリーが海斗の部屋のドアをノックすると、部屋の主からは何の返事も無かった。
廊下で待っていても埒が明かないので、ジェフリーは部屋のドアを蹴破った。
「皇太子様・・」
そう言って自分を見つめた海斗の髪は、腰下までの長さがあったものが、首の後ろに届くか届かないかの長さになっていた。
「成程、そういう事か・・」
この時代、女性―上流階級の女性達は、腰下から膝下までの長髪を美しく保ち、その髪を美しく飾る事が常識であった。
女官達が悲鳴を上げたのは、女の命である髪を切った海斗の行為が信じられなかったのだろう。
「何故、髪を切った?」
「手入れしやすい為です。毎日、顔が突っ張る位きつく髪を結ばれるのは堪りませんからね。」
「そうか・・」
「どうですか?おかしくありませんか?」
「いや、俺は人の価値を外見ではなく、その人柄で見る主義でね。」
「そうですか・・」
(面白い娘だ。)
知れば知る程、惹かれる。
「何たる事・・」
ジェフリーと共にダイニングに入った海斗の髪を見たビセンテは、飲んでいたワインで噎せそうになってしまった。
「その髪はどうしたのかえ?」
「自分で切りました。」
「何と、大胆な事をしたものじゃ。女の命である髪を自ら切るとは。」
「わたくしの身体はわたくしのもの、誰の指図も受けませんわ。」
「ますますそなたが気に入ったぞ、カイト。切った髪はどうした?」
「箱に入れております。」
「妾の鬘用に使わせて貰おう。そなたの美しい赤毛は、この世に置いて唯一無二のものだからな。」
「有難き幸せにございます。」
海斗が女の命である髪を切ったという話は、瞬く間に社交界中に広がった。
「何という事をしたのよ、あの子は!うちの家名に泥を塗るつもりなのかしら?」
「でも、カイトお姉様らしいですわ。」
ヘンリエッタ、部屋へ行きなさい。」
「はぁい。」
ヘンリエッタがダイニングルームから出て行く姿を確めると、マリーは夫を見て彼にこう尋ねた。
「あなた、アナスタシアの事はどうなさるおつもり?あの子はあれから自分の部屋に引き籠もったまま出て来ないのですよ!」
「今は、時間が必要だ。」
「何を悠長な事をおっしゃっているの!このままあの子が結婚出来なくなったら、あなたの所為ですからね!」
マリーのヒステリックな金切り声を聞きながら、アナスタシアは自室をこっそりと抜け出し、厩舎で愛馬に話し掛けていた。
「わたしも、お前のように自由に生きられたらいいのに。」
愛馬のジュリアス―栗毛の馬は、主の言葉を聞きそれに賛同するかのように鳴いた。
アナスタシアはジュリアスに乗ると、屋敷の裏口から外に出て、近くにある公園へと向かった。
外は凍てつくような寒さだったが、部屋に引き籠もっていたアナスタシアにとっては、冷たい空気は心地良いものだった。
公演まであと少しという所で、彼女は一人の男とぶつかりそうになった。
「済まない、お怪我はありませんか?」
「はい・・」
「良かった。」
そう言って自分を見つめる青年の瞳は、美しく磨き上げられたエメラルドを思わせるかのような、鮮やかな緑をしていた。
「わたしの顔に何か?」
「美しい瞳をしていらっしゃるなと・・」
「それは、貴女も同じですよ。星空を全て宿したかのような蒼い瞳だ。わたしはビセンテと申します、あなたは・・」
「前に一度、お会いしておりますわ。」
ビセンテとアナスタシアは、暫く馬上での会話を楽しんだ後、それぞれの家へと帰っていった。
「アナスタシア、何処へ行っていたの?」
「遠乗りに行っていましたわ。」
「そう、気晴らしをする事は良い事よ。」
マリーはそう言うと、アナスタシアに一通の招待状を手渡した。
「これは?」
「皇太子様とカイトの結婚式よ。欠席するのなら・・」
「いいえ、出席するわ。あの子の幸せを、近くで見たいの。それに、あの方と会えるし。」
「あの方?」
「いいえ、何でもないわ。」
ジェフリーとの婚礼を控え、海斗は忙しくなった。
衣装選び、招待客リストの作成、やる事が山程あって、海斗は気が狂いそうだった。
そんな中、海斗に一人の青年が訪ねて来た。
「久し振りだね、海斗。」
「和哉・・」
彼は、海斗の孤児院仲間・森崎和哉だった。
「どうして・・」
「ここに来たかって?君の実家を訪ねたら、君がここに居るって聞いたんだ。これ、結婚祝い。」
「ありがとう。」
海斗が和哉から受け取った物は、小さなダイヤモンドのペンダントだった。
「カイト様~!」
「ごめん、もう行くね。」
「会えて嬉しかったよ。」

そう言った和哉の瞳に暗い光が宿っている事に、海斗は気づいていなかった。

海斗とジェフリーの婚礼の日は、雲一つない晴天だった。

「まぁ、今日は素敵な日になりそうね。」
「ええ。」
新婦の姉であるアナスタシアは、ペールブルーのドレスを着ていた。
彼女は、皇太子妃となる妹の花嫁付添人を務める事になっていた。
「昨夜は良く眠れたの、カイト?」
「うん・・」
「皇太子様と、お幸せにね。」
花嫁の控室で、アナスタシアはそう言って海斗に微笑んだ後、彼女と抱き合った。
「カイト様、そろそろお時間です。」
「わかりました。」
ウェディングドレスの裾を女官達に持って貰いながら、海斗はジェフリーと共に馬車へと乗り込んだ。
「良く似合っているぞ。」
「ありがとう。」
ジェフリーと共に馬車から降りた二人は、大聖堂の前で沿道に並んでいた人々から祝福の喝采を受けた。
二人の婚礼は、伝統に則って恙なく終わった。
大聖堂から王宮へと戻る二人のパレードを、ビセンテは騎乗して警護した。
「今日は、騒がしいわね。」
「ええ、今日は皇太子様のご婚礼の日ですから。」
「そう・・」
遠くから聞こえて来るパレードの喧騒に耳を澄ませながら、喪服姿の貴婦人は溜息を吐いていた。
(寡婦でなければ、今頃王宮の舞踏会に参加できたでしょうに。)
彼女の名は、ラウル=デ=トレド。
一月前に、夫が戦死し、寡婦となった。
今彼女が考えている事は、これからどう生活するかではなく、今夜の舞踏会の招待状が、何故自分宛に届いていないのかという事だった。
(夫が居ないと、わたしは宮廷に出入りできない。)
宮廷に出入りできなければ、流行のファッションやグルメ、美容の情報が得られなくなる。
それは、宮廷に生きるラウルにとっては耐え難いものだった。
(何としてでも、宮廷に・・)
「奥様、失礼致します、お客様が・・」
「お通しして。」
「失礼致します、ラウル様。」
部屋に入って来たのは、宮廷の儀礼官であるハットン卿だった。
「まぁハットン様、忙しいのにいらっしゃるなんて・・」
「ラウル様、この招待状をあなた様の元に届けるのを忘れてしまいました、申し訳ございません。」
「あら、わたくし寡婦になったので招待状が来ないのかと、不安になっていましたのよ。」
「では、わたくしはこれで失礼致します。」
「わざわざ招待状を届けて下さって、ありがとう。」
その日の夜、王宮では皇太后主催の舞踏会が開かれていた。
その主役は、婚礼を終えたばかりのジェフリーと海斗だった。
獅子と不死鳥の刺繍を金糸で施された真紅のドレス姿の海斗は、一際美しかった。
ドレスと同じ色の髪には、ペリドットとダイヤモンドのティアラが飾られていた。
そのティアラは、皇太后・エリザベスが結婚式の際につけていた物を、海斗が譲り受けたのだった。
「良く似合っておるぞ、カイト。」
「ありがとうございます。」
「カイト、結婚おめでとう。」
「ありがとう、姉様。」
「皇太子様、妹の事を宜しくお願い致しますね。」
そう言ったアナスタシアの顔は、何処か幸せそうだった。
「アナスタシア様、またお会いしましたね。」
「ビセンテ様・・」
「一緒に踊って頂けませんか?」
「はい、喜んで。」
―まぁ、ビセンテ様だわ・・
―お似合いの二人ではなくて?
遠巻きにビセンテとアナスタシアのダンスを見ていた貴婦人達が、そんな事を扇子の陰で囁き合っていた時、一人の喪服姿の貴婦人が大広間に入って来た。
「まぁ、あの方は・・」
「彼女を、ご存知なのですか?」
「あの方は、ラウル=デ=トレド様、パルマ公のご親戚筋に当たられる御方よ。」
「確か、一月前に夫が戦死されて、寡婦となられたのではなくて?」
女官達がそんな話をしていると、喪服姿の貴婦人はエリザベス皇太后に挨拶をしていた。
「ラウルよ、よう来てくれた。」
「皇太后様、わざわざわたくしを招待して下さってありがとうございます。」
ラウルは恭しい様子でエリザベスの手の甲に接吻すると、海斗を見た。
(何?)
暫く全身を舐め回されるかのような、執拗な視線を彼女から浴びた海斗は、恐怖の余り、ジェフリーの背後に隠れた。
「ラウル様、余り妻を怖がらせないで下さい。」
「あら、ごめんなさい。とても珍しい赤毛だったので、つい見惚れてしまいましたの。」
ラウルはそう言った後も尚、じっと海斗を見つめて来る。
淡い褐色の瞳が、シャンデリアの光を受け、美しくも禍々しい黄金色に輝いた。
「素敵なティアラですわね。」
「ありがとうございます。」
「あぁ、このような華やかな場で黒玉(ジェット)しか身に着けてはならぬというなんて、寡婦という身分がこれ程までに恨めしいと思った事はありませんわ。」
そう言って溜息を吐いたラウルは、再び海斗を見た。
「皇太子妃様、そろそろ・・」
「皇太后様、わたくしはこれで失礼致します。」
「そうか。今日は色々と忙しかったから、部屋に戻ってゆっくり休むといい。」
「はい。」
女官達を従えて、海斗が大広間から出て行く姿を、周囲の貴族達は感嘆の溜息を吐きながら見送った。
「疲れた・・」
金糸で刺繍されたドレスを脱ぎ、女官達によってコルセットを緩めて貰った海斗は、夜着に着替えもせず、下着姿のまま寝台の中に入った。
「まぁ皇太子妃様・・」
「だって、朝から疲れてもうクタクタなんだもの。ねぇアメリア、ラウル様の事は知っているの?」
「あの方の事は、色々と存じ上げておりますわ。」
そう言ったアメリアの顔が、微かに曇った事に海斗は気づいた。
「あの方は、色々と黒い噂がある方ですの。」
「黒い噂?」
「ええ、密貿易に関わっていらっしゃるとか・・」
「俺、あの人に見られていたような気がするんだけれど・・」
「あの方は、ご自分の獲物を見極めていらっしゃったのですわ。」
「どういう意味?」
「わたくしが皇太子妃様にお伝え出来るのは、ラウル様は、悪魔の化身のような方ですわ。」
「そう・・」
「明日も、色々と忙しくなりますから、ゆっくりお休みになってください。」
「わかった、お休み。」
天蓋が閉められ、海斗は朝まで夢も見ずに眠った。
同じ頃、皇太子の結婚に沸く王都から離れた北東部の町・リエルでは、ある事件が起きていた。
「ひぃ・・」
「頼む、命だけは・・」
「もう、遅い。」
まるで中世の頃から抜け出してきたかのような、奇妙なマスクをつけた男は、そう言うと命乞いをする者達の額を躊躇いなく撃った。
「そっちは、片付いたか?」
「あぁ。」
「誰にも顔を見られていないか?」
「あぁ。」
「そうか。」
賊達は、夜明け前に血塗られた貴族の屋敷を後にした。
「次は、誰を殺す?」
「さぁな。」
「赤毛の皇太子妃だ。」
激しく揺れる馬車の中で、一人の男はそう呟くと、皇太子の結婚を報じる新聞記事を広げた。
そこには、美しいペリドットとダイヤモンドのティアラを髪に飾った海斗の写真があった。
「これから何処へ行くつもりだ?」
「決まっている―王都だ。」

男達を乗せた馬車は、王都へと向かっていた。

にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へにほんブログ村
コメント

狼と一角獣 第1話

2024年04月09日 | 薄桜鬼 異世界昼ドラファンタジーパラレル二次創作小説「狼と一角獣」
薄桜鬼の二次小説です。

制作会社様とは関係ありません。

二次創作・BLが嫌いな方は閲覧なさらないでください。

その日は、凍えるような冬の日だった。

―急ぎなさい、歳三!早くしないと、“あいつら”が来てしまうわ!
―母様、どこへ行くの?
―行けばわかるわ。さぁ、わたしの手を握って。いい、絶対に母様の手を離さないで!

冷たい風が吹きつける中、歳三は母の手を握りながら峠を越えようとしていた。
あと少しで峠を越えられると思った時、遠くで何かが光るのを歳三は見た。

―いたぞ!
―あそこだ、捕まえろ!

数頭分の馬の嘶きと、男達の怒声が徐々に自分達の方へと近づいてきている事に気づいた歳三は、怯えた顔で母を見つめた。

―歳三、今から言う事を一度しか言わないから覚えておきなさい。どんなに辛い時や苦しい時があっても、生きることを諦めないで。

母はそう言うと、首に提げていたロザリオを外し、それを彼の首に提げた。

―あの洞穴の中へ逃げなさい。
―母様はどうするの?一緒に行こうよ。
―あなたは生きて、わたしの分まで。

そう言うと母は、歳三を洞穴の中へと残して、吹雪の中へと消えていった。

―母様~!

これが、歳三にとって最愛の母と過ごした、最後の記憶だった。

―母様、早く戻って来ないかなぁ・・

寒さと空腹に震えながら、歳三は只管母が戻って来るのを待った。
しかし、いつまで経っても、母は戻って来なかった。
いつしか歳三は、疲れた所為か眠ってしまった。

暫くして、急に暑くなって来たので彼が目を覚ますと、自分が狼の毛皮のようなものに包まれている事に気づいた。
辺りを見渡すと、その毛皮の持ち主が琥珀色の瞳で歳三を見つめて来た。
恐怖で固まっている歳三に向かって、狼は薄紅色の舌で彼の顔についている汚れを舐め取ってくれた。

歳三に、新しい“母”が出来た瞬間でもあった。

雪山の洞穴で母と別れた歳三は、その日から新しい“母”となった狼達と暮らすようになった。
狼達は、人間に対して警戒心が強かったが、何故か彼らは人間の子供である歳三を、“護る者”だと判断し、群れの中で大切に彼に狩りの仕方を教え、愛情深く育てた。
歳三も、狼達を尊敬し、慕った。
母を亡くし、孤独に震えていた歳三は、ずっと狼達との暮らしが続けばいいと思っていた。
だが、狼達との幸せな暮らしは長くは続かなかった。
春を迎え、色とりどりの花が山を彩り始めた頃、歳三は狩りを終えて狼達と共に巣へと戻ろうとしていた。
だが、その途中で彼は一番遭遇したくない敵―人間と会ってしまった。
「あなた、何処から来たの?」
そう自分に尋ねて来た人間の小さな雌こと女児は、紅茶色の瞳をクリクリとさせながら歳三に近づいて来た。
彼はこれ以上近づくなと女児に威嚇するかのように、いつも身に着けていた狩猟用のナイフを彼女に突き付けた。
ナイフを見た彼女が怯えてその場から立ち去るのを見送った後、歳三は“家族”の元へと戻った。
(何だ、この臭い?)
巣が近づくにつれ、歳三の自然で鍛え抜かれた鋭い嗅覚が、血と炎の臭いを捉えた。
歳三の前には、人間によって惨殺された“家族”の遺体が転がっていた。
(母さん・・)
「何だ、こんな所にガキがいるじゃねぇか!」
「へへ、こんな上玉が隠れていたとはな!狼の毛皮と一緒に売り飛ばしちまおう!」
「う~!」
歳三は怒りの余り男達に向かっていったが、多勢に無勢だった。
気づいたら彼は、口に猿轡を噛ませられた上で、荷馬車の中で転がされていた。
一体男達が何処へ向かおうとしているのか、歳三は知る由もなかった。
激しく揺れる荷馬車は、やがて王都へと辿り着いた。
「お前達か、珍しい物を売りに来たのは?」
「へぇ。山の中にある、狼のねぐらに潜んでいた所を捕まえました。上玉ですよ。」
男達は、そう言うと麻袋から歳三を出した。
目隠しを外され、歳三は一瞬自分が何処に居るのかがわからなかった。
 だが、自分の前に居る女が高貴な身分に属している者だと、歳三は彼女がつけている香水の匂いでわかった。
「お前は・・」
女は、歳三の顔をみて、美しい顔を少し歪めた後、パンパンと軽く手を打った。
すると奥から、揃いの服を着た娘達が次々と出て来た。
「この者を浴場へ。」
「はい。」
女の命令を受けた娘達は、嫌がる歳三を浴場へと連れてゆき、七年間彼にこびりついた汚れを落とした。
すると、それまで狼の糞尿で汚れていた歳三の雪のような白い肌と美しい黒の髪が現れ、娘達はその美しさに思わず息を呑んだ。
「何だと、あの子が生きていただと!?」
「これからどうなさいますか、陛下?」
「だがその子が、我が国の王子であるという証拠がないであろう。それに、敵勢力が送り込んで来た暗殺者かもしれぬ。」
国王・ディルクはそう言うと、少し苛立ったかのように爪を噛んだ。
「例の子供が持っていたものです。」
「それは、エミヤのロザリオ・・」
ディルクには、十人の妃と、三人の愛妾との間にそれぞれ十人の子を儲けていた。
ディルクが溺愛していたのは、王宮に行儀見習いの為に女官としてやって来た歳三の母・エミヤだった。
エミヤは辺境の地で育った、没落貴族の娘だった。
だが、身分が低くても、いつもエミヤは凛として美しかった。
それは、女遊びに長けていたディルクの目には新鮮に映った。
エミヤとディルクが出会ったのは、春を告げる舞踏会の夜の事だった。
美しくドレスで着飾ったエミヤに欲情したディルクは、その唇と純潔を奪った。
エミヤははじめディルクを警戒していたが、やがて彼と共に過ごす内に、心を開いていった。
しかし、エミヤの存在を快く思わないディルクの妃達から、エミヤは酷い嫌がらせを受けた。
その時、エミヤはディルクの子を身籠っていた。
ディルクには十人の子が居たが、王家の継承権を持つ男児は二人だけで、あと七人は継承権を持たぬ王女だった。
エミヤの腹の子が男であるのならば、自分達の地位が危うくなる―そう思った妃達は、エミヤを腹の子諸共始末しようとした。
ディルクが狩りで不在の時を狙い、第二王妃・ティリアがエミヤに毒入りの茶を飲ませようとしたが、失敗に終わった。
何度も命の危機に晒されながらも、エミヤは元気な男児を産んだ。
それが、歳三である。
 ディルクはエミヤ母子の為に離宮を建てたが、国民の税金の一部を建築費用に充てた事により、エミヤは一部の国民から、“毒婦”と呼ばれるようになった。
エミヤは、歳三が三歳の時、彼を連れて王宮から抜け出した。
だがティリアが差し向けた追手に捕らえられた後、刑場の露と消えた。
「あの子に・・わたしの坊やに会わせて!」
処刑前夜、エミヤはティリアに歳三に会わせて欲しいと懇願したが、ティリアはそれを鼻で笑うと、一枚の血が滲んだハンカチを彼女に投げて寄越した。
「あの子は、もう居ないわ。」
「あ・・嫌よ、そんなの!」
「あはは、良い気味!」
「何ですって、あの女の子供が生きていた!?」
「はい。何でも、あの女が捕らえられる直前に、洞穴の中に子供を隠していたそうで・・」
「じゃぁ、殺すしかないわね。いずれこの国は、アンドリューが王となって治めるの。だから、邪魔者には消えて貰わなくちゃ!」
奴隷商人によって王宮に献上された歳三は、かつて母と暮らしていた離宮で再び暮らすようになった。
だが、長い間文明社会から切り離され、森の中で狼達と暮らしていた歳三にとって、人間社会への復帰は困難を極めた。
文字の読み書き以前に、彼は言葉を理解し、話す事が出来なかった。
その為彼には三十人もの家庭教師がつき、服の着方やトイレでの排泄の仕方など、生活に必要最低限の知識を徹底的に彼に叩きこんだ。
彼はまるで水を得た魚のように、ありとあらゆる知識や教養を学び、それを己の中へと消化していった。
「あの子はどうしているの?」
「歳三様なら、健やかにお育ちになられましたよ。」
「そんな下らない事は報告しなくていいの!」
「も、申し訳ありません。」
「まぁいいわ、引き続きあの子の監視をして頂戴。」
「かしこまりました。」

離宮で歳三が暮らし始めて、五年の歳月が過ぎた。
歳三は十五歳となり、離宮で暮らし始めた時よりも背が高くなった。

―見て、歳三様よ・・
―素敵な方だわ・・

普通に王宮の廊下を歩いているだけでも、歳三は貴族の令嬢達から熱い視線を注がれていた。
それもその筈、エミヤの美貌を受け継ぎ、贅肉が一切ない美しい筋肉を持ち、その上聡明であるというから、彼女達が歳三に熱を上げるのは当然と言えば当然だった。

「歳三様、またこんなに恋文が来ましたよ!」

そう言いながら読書をしている歳三の前に、うんざりしたような顔をしながら恋文の山を押し付けてきたのは、彼の小姓である市村鉄之助だった。

「もう勘弁して下さいよ!僕だって暇じゃないんですから!」
「丁度良い、暖炉の火がもうすぐ消える所だったんだ。」

歳三はそう言って自分の前に置かれている恋文の山を両手で掴むと、それらをまとめて暖炉の中へと放り込んだ。

「歳三様・・」
「あぁ、漸く暖かくなった。」
「そんな事をしていたら、いつか後ろから刺されますよ?」
「望むところだ。」
「それにしても、歳三様の奥方となられる方は色々と苦労される事でしょうね。」
「何言っていやがる、俺は一生独り身でいい。今まで独りで暮らして来たんだ、今更他人と一つ屋根の下で暮らせるか。」
「・・それを僕に言いますかね。」
鉄之助は溜息を吐いてそう言った後、コーヒーを主のティーカップに注いだ。
「はぁ、やっと終わった。」
歳三は読んでいた本を閉じると、それを鉄之助に手渡した。
「歳三様、陛下がお呼びです。」
「わかった、すぐ行く。」
離宮を出た歳三がディルクの元へと向かう途中、彼は第二王子・アンドリューと擦れ違った。
「おや、珍しいな、お前がこんな所に来るなんて。」
「どうせ父上に媚を売りに来たのだろう?あの娼婦の母親のように・・ぐぁっ!」
「すいません、耳元で何やらコバエがうるさく飛んでいたもので、つい・・」
「この無礼者!」
「行くぞ、鉄之助。」
「はい。」
背後でうるさく何かを喚き散らしているアンドリューを無視して歳三が鉄之助と共にディルクの執務室の中へと入ると、執務机では何やら気難しい顔をしながら何かを読んでいる彼の姿があった。
「父上、歳三が参りました。」
「歳三、この書類にサインしろ。」
「は?」
ディルクが歳三に突き付けたのは、長い間敵対関係にあったアティカ王国王女との婚姻証明書だった。
「父上、これは一体・・」
「我がラドルク王国と、アティカ王国とは長年敵同士である事はお前も知っているだろう。」
「えぇ。それと俺の結婚とどんな関係があるのですか?」
「我々はこれまで対立し、多くの血を流してきた。」

ディルクが治めるラドルク王国と、アティカ王国は、対立する狼族と一角獣族がそれぞれ治めていた。
二つの民族は異なる宗教・文化・言語を有していた。
それ故に、領土拡大を狙う両国は、幾度も武力衝突を繰り返してきた。
そんな事態を重く見た国際連盟は、両国と両民族の和解・融合策として両民族の王族同士が婚姻という“条約”を締結する事を提案したのだった。
そこで成人していない歳三に白羽の矢が立ったのだった。
「何故、俺なのですか?」
「わたしは、お前を心から愛しているし、信じている。だから、わたしの役に立ってくれるな、歳三?」
「父上が、そうお決めになったのならば、俺は従うだけです。」
「いいのですか、こんな・・」
「断っても、あいつは俺の事なんか何も考えちゃいねぇよ。まぁ、俺と結婚する相手はとてつもなく不幸だという事だな。」
歳三はそう言うと、自嘲めいた笑みを口元に閃かせた。
幼少期に一人だけ広大な雪山に取り残され、狼と共に生きて来た歳三は、母を死に追いやり、自分を蔑ろにしている父王に対して憎しみしか抱かなかった。
「それで、相手は?」
「アティカ王国の第三王女・千鶴様です。何でも、母親を幼い頃に亡くし、王宮では王女でありながらも使用人と同じ扱いを受けていらっしゃるとか・・」
「へぇ・・」
自分に宛がわれる結婚相手が自分と同じ境遇である事を知り、興味が湧いた。
「山崎、居るか?」
「はい。」
「その第三王女の事を調べろ。」
「かしこまりました。」
「歳三様、どちらへ?」
「気晴らしに遠乗りに行って来る。」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ。」
「すぐ戻る。」
王宮を出た歳三が愛馬に跨り向かった先は、“家族”と暮らしていた山だった。
狼達の冥福を祈った後、歳三は母と別れた洞穴の前に立った。
あの時、母は悲しそうな顔をしていた。
もう自分が逃げられないと、わかっていたからだろうか。
暫く歳三が感傷に浸っていると、洞穴の中で何か光る物を見つけた。

(何だ?)

ハンカチでその光る物を歳三が拾い上げると、それは美しいルビーの指輪だった。
よく見ると、指輪の裏には何かが彫られてあった。

“愛する娘へ”

「歳三様、お帰りなさいませ。」
「この指輪の持ち主を調べろ。」
「かしこまりました。」

山崎は、歳三からルビーの指輪を受け取ると、すぐさまその持ち主を調べた。
すると、すぐにその持ち主がわかった。

「これは、千鶴王女様の物ですよ。」
「何と・・」
「まぁ、正確に言えば千鶴様のお母君の物でした。」
「そうですか・・」

山崎が王宮へと戻り、歳三に指輪の持ち主の事を報告すると、彼はニヤリと笑ってこう言った。

「この指輪は、婚礼の日に彼女に渡す。」
「では・・」
「彼女がどんな女なのかは知らねぇが、この結婚に俺は全てを賭けるつもりだ。もうこれ以上、あいつの好きにはさせねぇ!」

一方、アティカ王国の王宮では、一人の少女が凍えるような寒さの中、庭園で雑草取りをしていた。
彼女の名は雪村千鶴、地味な黒のワンピースという服を着ているが、彼女はれっきとしたアティカ王国第三王女である。
母親の身分が卑しい所為で、千鶴は義理の姉王女達のように美しいドレスも宝石も持っていなかった。
唯一持っていた母の形見であったルビーの指輪も、狩りの最中になくしてしまった。

「あら、遅かったわね。」
「申し訳ございません。」
「次はこれをお願いね。わたくし達は音楽会に行かなければならないから。」
「わかりました。」
「陰気臭い子を、どうして歳三様が選ばれたのかしら?」
「本当よねぇ。」
姉王女達がまるで世間話のように自分の陰口を叩いているのを聞くのは、もう慣れた。
縫い物を終わらせ、千鶴は溜息を吐いた。
「千鶴姉様、どうしたの?」
「アルフレッド、ここに来てはいけないと言ったでしょう?」
王宮の、天井裏にある千鶴の部屋に入って来た少年は、アティカ王国王太子・アルフレッドだった。
彼は千鶴をいじめる姉王女達の弟であったが、性格は彼女達と全く似ておらず、時折こうして千鶴の部屋を訪ねて来ては、他愛のない話を花を咲かせていた。
「姉様、お嫁に行ってしまったら、もう会えなくなってしまうの?」
「いいえ、そんな事はないわ。結婚しても、時々会いに来てくれてもいいのよ。」
「本当!?」

敵国の王子と結婚すると言っても、その実千鶴は“敵国へ自ら人質になりにゆく”のと同じ事だった。

(陛下は、わたしが邪魔だから、敵国へと嫁がせるのだわ・・)

陰鬱な気持ちを抱えながら、千鶴は婚礼の日を迎えた。

「さようなら、元気でね。」

千鶴は一度も姉王女達の方を振向く事なく、婚礼馬車へと乗り込んだ。

「とてもお似合いですわ、千鶴様。」
「ありがとう。」
母親の身分が低いとはいえ、父王は一国の王女である千鶴の為に一応婚礼の支度は調えてくれたようで、馬車も美しい装飾が施された新品だった。
「まぁ、見てごらんよ。王女様の婚礼行列だよ。」
「美しいねぇ。」
王宮から出て来た千鶴の婚礼行列を一目見ようと、沿道には沢山の人が集まった。
「千鶴様は、幸せになれるの?」
「さぁ、どうだろうね。」
王都を出た千鶴達は、アティカとラドルクの国境付近にあるティルラ山へと差し掛かった。
 ティルラ山は、“魔女が棲む山”として知られており、これまで多くの旅人の命を奪って来た難所である。
「姫様、足元にお気をつけくださいませ。」
「わかったわ。」
馬車から降りた千鶴達は、寒さに震えながら切り立った崖の上を歩いた。
漸く彼女達が下山できたのは、その日の夕方の事だった。
「姫様、早く身体を温めませんと・・」
「そうね。」
麓にある宿場町で、千鶴達は宿屋に入ると、暖炉の前で身を寄せ合い、冷えた身体を温めた。
「それよりも、アグネスは何処に居るの?」
「さぁ・・」
千鶴達は姿を消した侍女を捜しに宿屋を出たが、闇の中からけたたましい笑い声が森の方から聞こえて来た。
「何、今の!?」
「行ってみましょう!」
千鶴達が森へと向かうと、そこには全裸で踊り狂うアグネスの姿があった。
彼女は、完全に正気を失っていた。
「しっかりして!」
 何とかアグネスを宿屋まで連れて行き町医者を呼んだが、彼女はもう手の施しようがなかった。
「何てこと・・」
「どうして、こんな・・」
「彼女は低体温症に罹っていました。ティルラ山で彼女はもう手遅れの状態だったのでしょう。」
町医者はそう言うと、力になれずに済まないと、千鶴達に詫びた。
千鶴達はアグネスの遺体を引き取り、近くにある教会の墓地に埋葬して貰った。
「アグネス、安らかに眠ってね。」
「わたし達を見守ってね。」
アグネスの墓前に花を供えた後、千鶴達は旅を続けた。
「あと少しですわ、姫様。」
「えぇ。」

(あの船に乗れば、わたしはこの国には二度と戻らないわ。)

ティルラ山を越え、港に辿り着くまで、千鶴達一行は行く先々で国民達の歓迎と歓声を受けた。

「姫様、万歳!」
「アティカ、万歳!」

だが彼らから歓迎され、祝福の言葉を贈られる度に、千鶴の心は深く沈んでいった。

(わたしは、この国の為に出来る事はないのかしら?)

そう思いながら、千鶴は家事の合間に姉王女達の目を盗んで王宮図書館に通い詰め、経済学や帝王学、化学や植物学など、幅広い分野の本を読み漁った。
しかし、どれだけ知識を身に着けても、父王は千鶴を閣議に出席させなかった。
“女は王宮に籠もって刺繍やダンス、噂話に興じていれば良い”という考えを持っている父王は、“余計な知恵”がつかぬよう、千鶴を他国へと嫁がせたのであった。
相手国の、夫となる王子は、“狼に育てられた野蛮な王子”だという。
王宮では、“毛むくじゃらの大男”だとか、“背骨が曲がった醜いあばた面の男”だとか、女官達が針仕事をしながら王子の姿を噂し合っているのを聞いた事が何度かあった。
そして彼らは決まってこう言うのだ。

“可哀想な千鶴様”と。

わかっていた、自分が王宮中から憐れまれ、疎まれている事に。

千鶴の母は、父王の正妃・マルティナの侍女だった。
父王が母に一目惚れし、母は千鶴を身籠った。
そして、千鶴が産まれた。
千鶴は、産まれてすぐ実母と引き離され、王宮のはずれにある塔に幽閉された。
誰も居ない、暗い塔の中で千鶴が友人と呼べたものは、塔に住み着いていたネズミの一家だけだった。
千鶴は七歳の時、初めて父王とその妻子に会った。

「はじめまして・・」
「陰気臭い子ね。」

父王の正妃・マルティナはそんな言葉を千鶴に投げつけると、そのまま娘達を連れてダイニングルームから出て行った。
「気にするな。」
「はい・・」
それからというものの、千鶴はマルティナから王宮の雑用を言いつけられ、いつしか彼女は王女ではなく使用人と同じような扱いを受けるようになった。
「ドレスより似合ってない?」
「そうよ。母親が侍女だから、血は争えないわね。」
姉王女達は事あるごとに母親の出自を持ち出しては、千鶴を馬鹿にした。
それを諫める者も、叱る者も居なかった。

(母様は、どうしてわたしを捨てたの?どうしてわたしを産んだの?)

王宮で陰鬱な生活を送っていた千鶴の唯一の気晴らしは、遠乗りだった。
王宮から離れて静かな森の中で動物達と戯れる事が、千鶴にとっては唯一の癒しだった。
ある日、千鶴がいつものように森の中を歩いていると、近くの茂みの中から一人の少年が現れた。
彼は全身が狼の糞尿に塗れており、悪臭を漂わせていた。
「何処から来たの?」
千鶴がそう少年に尋ねると、彼はまるで狼のように唸り、腰に帯びていたナイフを自分に向けて来たので、彼女は慌ててその場から逃げた。
それ以来、少年とは一度も会っていない。
「姫様、起きて下さい。」
「ん・・」
馬車に揺られ、いつの間にか眠ってしまったらしい。
「もうすぐ、船が来ますよ。」
「えぇ・・」
千鶴達は港でラドルク王国行きの船へと乗ろうとしたが、荒天の為出航は数日後になると言われたので、彼女達は港近くの尼僧院の世話になる事になった。
しかし、そこには先客が居た。
尼僧院の入口には、焚火の周りで暖を取っている数十人の武装した若者達の姿があった。
「彼らの相手をしてはなりませんよ、姫様。」
「えぇ・・」
長旅の疲れが出たのか、尼僧院の中に入った千鶴達は、宛がわれた部屋の中で泥のように眠った。
パリン、という音がして千鶴達が起きたのは、夜中の三時頃だった。
「何でしょう?」
「さぁ・・」
侍女の一人が外の様子を見に行こうとした時、野太い男達の下卑た笑い声と尼僧達の悲鳴が聞こえた。
それを聞いた千鶴達は、何が起きているのかを瞬時に悟った。
「ここに居ては危険です!」
「でも、どうすれば・・」
「彼らがここに来るまで、逃げましょう!」
外は激しい嵐が吹き荒れ、千鶴達は何度も強風に吹き飛ばされそうになりながらも、暴漢達が居る尼僧院から少し離れた洞窟の中へと避難した。
「ここで夜を明かしましょう。」
「はい・・」
千鶴達は尼僧院から持って来た毛布にくるまり、嵐が収まるまで待った。
「姫様、あれを・・」
「まぁ、何て事・・」
洞窟の中から外の様子を見た千鶴達は、荒れ狂う海の中へと次々と投げ出されてゆく女達の悲鳴を聞き、思わず耳を塞いだ。
一夜明け、港は昨夜の荒天が嘘のように雲ひとつなく晴れていた。
「アティカの千鶴王女一行は、間もなく港へ着くようです。」
「そうか。」
歳三は、自室の執務室で山崎の報告を聞きながら、あのルビーの指輪を、執務机の引き出しから取り出した。

漸く、この指輪を持ち主の元に返せるのだ。

「そう、例の王女が・・」
「どうなさいますか?」
「放っておきなさい。」
「はい・・」

(不運な子ね・・まぁ、わたしには関係のない事だけれど。)

婚礼の日、千鶴ははじめて夫となる王子と会った。

自分の前に立っているのは、毛むくじゃらの大男でも醜いあばた面の男でもなかった。
雪のように白い肌、宝石のように美しい紫の瞳を持った美男子だった。
その美しさに、千鶴は思わず見惚れてしまった。

(嘘みたい・・この方が、わたしの旦那様なんて・・)

「姫様?」
「ごめんなさい、ボーッとしてしまったわ。」
「さぁ、お召し替えをなさいませんと。」
「わかったわ。」

長旅の泥と汗にまみれたドレスと身体で婚礼に出るなどあってはならないと思った千鶴は、侍女達に連れられて控室へと向かった。

「あなたが、トシのお嫁さんになる方?」
「はい、あのう・・」
「はじめまして、わたしはエリーゼ、トシの三番目の姉よ。」

歳三の三番目の姉・エリーゼに招かれ、千鶴は彼女主催のお茶会に出席した。

「長旅の疲れが取れない内に、こんな所に呼び出してしまってごめんなさいね。」
「いいえ・・」
「あなたには、トシの事で伝えておかなければならないの・・彼の生い立ちについて。」
「狼に、育てられたと聞きました。」
「そう、トシは狼に育てられたの。母親を殺されて、広大な雪山に独り取り残されたのよ・・奴隷商人に見つかるまでね。」
「そんな・・」
「あの子は、今は立派に人間社会に溶け込んでいるようだけれど、人間不信というか、人間嫌いな所があるの。あなたに対して冷たい態度を取るかもしれないけれど、余りあの子を嫌いにならないで頂戴。」
「はい、わかりました。」
「あなたも、今まで辛い思いをしてきたのでしょう?」
「わたしは母に捨てられ、父や姉達に疎まれながら育ちました。王女ではなく、使用人のような扱いを長年王宮で受けて来ました。なので、色々と至らない点があると思いますが、これから宜しくお願い致します。」
「こちらこそ、よろしくね。」
エリーゼはそう言うと、千鶴の手を優しく握った。
エリーゼの部屋から出て、控室へと戻る途中で、千鶴は一人の女性と擦れ違った。
女性は華やかなドレスと髪飾りで己の美しさを際立たせており、彼女が身分の高い者であるという事は一目でわかった。
「陰気な子ね。あの子も可哀想に。」
その女性と擦れ違った時、耳元で彼女にそう囁かれた千鶴は、暫くその場から動けなかった。
「お綺麗ですわ、千鶴様。」
「ありがとう。」
鏡の前で、千鶴は花嫁姿の自分を見た。
そこには薄化粧を施され、純白の花嫁衣装を纏い、ルビーのティアラをつけた美しい王女の姿があった。
「さぁ、お時間ですよ。」
「わかったわ。」
彼女達にヴェールの裾を持って貰いながら、千鶴は馬車へと乗り込み、新郎が待つ教会へと向かった。
久しぶりの慶事に、長い間紛争や内戦が続いて疲弊しきっていた国民の心は歓喜に湧いた。

「見ろ、花嫁行列だ!」
「何と美しい・・」

王宮から教会までの道中、花嫁を乗せた婚礼行列を一目見ようと、沿道には多くの市民達が集まった。

「着きましたよ。」

侍女達から支えられながら馬車から降りた千鶴は、ゆっくりと新郎が待つ祭壇の方へと歩いていった。

純白の軍服姿の新郎は、自分よりも美しく見えた。

「神の名の下に、この二人を夫婦とする。」

千鶴と歳三は、神の前で永遠の愛を誓い合った。

「指輪の交換を。」
「司教様、お待ち下さい。」

歳三はそう言うと、リングケースの上にルビーの指輪を置いた。

それは、千鶴が狩りの最中に失くしたと思っていた母の形見の指輪だった。

「これは・・」
「この指輪を、三年経って漸く元の持ち主に返せる。」

そう言った歳三の笑顔は、美しかった。

あぁ、この人となら幸せになれる―千鶴は直感でそう思った。

厳粛な雰囲気に満ちた結婚式が終わり、王宮では二人の結婚を祝う舞踏会が開かれた。

―お似合いのご夫婦ね。
―えぇ、本当に。

「あんな陰気な花嫁のどこがいいのやら。わたくしの方が・・」
「いくら美容にお金を掛けても、若さには勝てませんわ。」
「あなた、わたくしに喧嘩を売っているつもり?」
「わたくしは事実を述べただけですわ。年増の嫉妬は見苦しいですわよ?」

図星を指され悔しそうに歯噛みするティリアを見て、エリーゼは満足気に笑いその場を後にした。

「母上、どうかされたのですか?」
「何でもないわよ!」

(許せない・・この世で一番美しいのは、このわたくしよ!)

舞踏会が終わり、千鶴と歳三は新婚初夜を離宮で過ごす事になった。

「あの・・本当にわたしのような陰気な者が、あなたの妻に相応しいのでしょうか?」
「相応しいのかどうかは、周りではなく俺が決める。それに、自分を卑下するような事を言うな。」
「はい・・」
「まぁ、お前ぇが母国の王宮でどんあ扱いを受けて来たのかは簡単に想像出来る。」
「エリーゼ様から聞きました、あなた様の生い立ちを。」
「そうか。俺は十歳の時に奴隷商人に売られて王宮に来るまで、狼に育てられた。あいつらは言葉を話さなかったが、心は通じ合えた。それに、動物は無駄には人を殺さねぇ。」
歳三はそう言うと、馬車の窓から外の風景を眺めた。
王都から少し離れた場所で歳三と母は暮らしていた。
父王はたまに顔を見せに来たが、家族団欒といったものを歳三が体験した事はなかった。
(さてと、そろそろかな・・)
歳三がそう思いながら、目を少し閉じていると、突然馬車が大きく揺れた。
「どうした!?」
「申し訳ございません、車輪が泥濘に嵌ってしまいました!」
「お前はここで待っていろ。」
「はい。」
車内に千鶴を待たせ、歳三は降りしきる雪の中、御者と共に二人がかりで泥濘に嵌った馬車の車輪を動かした。
彼らが離宮に辿り着いたのは、深夜一時過ぎだった。
「千鶴様、どうぞあちらへ。」
「はい・・」
千鶴は緊張した面持ちで支度部屋へと入った。
(これから、この方に抱かれるのだわ・・)
今まで異性と話した事も、手を繋ぐ事もなかった。
そんな自分に、歳三は失望してしまわないだろうか―そんな事を思いながら鏡台の前に座り、髪を梳いていた千鶴は、廊下で女官達が話している内容を聞いてしまった。

―かなり地味な方だったわね。
―不釣り合い過ぎじゃない?
―胸もないし、ねぇ・・

やはり、自分は歳三に相応しくない。

千鶴がそう思った時、歳三が部屋に入って来た。
「あの・・」
「今夜は、お前を抱かねぇ。」
「わたしに、魅力がないからですか?
「違う。」
「では・・」
「考えてみろ、初めて会った男女が床を共にできると思うか?」
「あ・・」
「そんな関係になるのは、互いの事を知って仲を深める事が普通だろう。」
「そう、ですね。」
「あいつらには、ある事ない事言いふらすなと言っておいたから、安心しろ。」
「はい。」
「へぇ・・あの子が、そんな事をねぇ。」
「まだお世継ぎ誕生には期待しない方がいいかと。」
「ふん、まぁいいわ。これから面白くなっていきそうだし。」
ティリアはそう言うと、ワインを飲み干した。
口がさない女官達が、二人の新婚初夜の事を話したので、その話はたちまち宮廷中に広まった。

―ねぇ、本当なの?
―“あの”歳三様が、ねぇ・・
―信じられないわ。

歳三が経験豊富な事を知っている女官達は、陰で千鶴の事を、“夫に相手にして貰えない可哀想な女”と笑っていた。
千鶴は自室に引き籠もるようになり、歳三との会話は少し挨拶を交わす程度のものとなった。

「失礼します、千鶴様。」
「鉄之助君、どうしたの?」
「いえ、歳三様が一緒に遠乗りへ行かないかと・・」
「すぐに支度するわ。」

先程まで陰鬱な表情を浮かべていた千鶴は、鉄之助の言葉を聞いた途端明るくなった。

「お前は、馬が好きなのか?」
「えぇ。王宮の中は息苦しくて、遠乗りする事だけが唯一の気晴らしでした。」
「俺もだ。今度弓術大会が開かれるんだが、お前も出てみないか?」
「いいのですか?」
「あぁ。ここへ来てから、お前にも気晴らしが必要だと思ってな。」
「嬉しいです。」
「後で俺の部屋に来てくれ。お前ぇに渡したい物があるんだ。」
「わかりました。」

遠乗りから王宮へと戻った千鶴が歳三の部屋へと向かう途中、一人の少女が彼女の前に立ち塞がった。

「あなたね?アティカから来た陰気な女というのは?」

少女はそう言うと、無遠慮に千鶴の粗末なドレスを見た。

「王族ではなくて、使用人なのかと思ったわ。」
「あらリズ、あなたがこんな所に来るなんて珍しいわね。」
「エリーゼ姉様・・」
「ラテン語の先生が、呼んでいらしたわよ。」
「どうして、そんな事を・・」
「また試験で赤点を取ったのでしょう?」
「行くわよ!」

少女は千鶴に背を向けると、侍女達を連れて慌しくその場から去って行った。

「あの子の事は気にしなくていいわよ。」
「あの方は?」
「あの子はリズ、ティリア様の姪よ。きっと歳三の花嫁であるあなたの事を探りに来たのね。」
「わたし、王女には見えないですよね?こんなに地味なドレスを着ているのは、わたしだけですもの。」
「歳三の部屋へ早く行きなさい、きっとあなたの事を待っていると思うわ。」
「はい・・」

歳三の部屋のドアをノックしようとした千鶴は、中から賑やかな笑い声が聞こえて来た事に気づいた。

「失礼します、千鶴です。」
「おう、千鶴か、入れ。」

歳三の部屋に入ると、そこには色とりどりの美しい布が広げられていた。

「あの、これは?」
「お前のドレスを何着か仕立てて貰おうと思ってな。」
「はじめまして、仕立屋のカルロスと申します。」
「はじめまして・・」
「お美しい肌をしていらっしゃいますね。あなたには、暖色系のドレスが似合いそうです。」
「え?」
「カルロス、こいつに似合うドレスを何着か作ってくれ。」
「かしこまりました。」
「あの、わたしはこのドレスで・・」
「良い訳ねぇだろう。いいか、お前ぇはここの使用人じゃねぇ、俺の女房なんだ。惚れた女を美しく着飾らせたいのが、男としての性だろうが。」
「まぁ・・」
「トシゾウ様のおっしゃる通りです。ダイヤモンドの原石は美しく磨かなければ光りません!」

カルロスはそう言った後、両手を打ち鳴らした。
すると、揃いのスーツ姿の美女達が部屋に入って来た。

「彼女はわたくしの優秀な弟子達、ヴィーナスの申し子達です。」
「まぁ、あなたが・・」
「可愛らしい方。自己紹介が遅れました、わたくしはミミ。そして、こちらが双子の姉のリリですわ。」
「以後、お見知りおきを。」
「は、はぁ・・」
「さぁ、千鶴様、全てをわたくし達に委ねて下さいませ。」
「よろしくお願い致します。」
「こちらこそ。」

その日の夜、国王主催の舞踏会が王宮の大広間で開かれた。

「ねぇ、あの陰気な方は来るかしら?」
「地味なドレスしか持っていないのですから、恥ずかしくて出席出来ないのかもしれませんわ。」
「そうね。」

リズと侍女達がそんな事を話していると、大広間に歳三達が入って来た。

歳三は、純白の軍服姿だった。
そして彼の隣に居るのは、美しいアメジストのティアラを扱った千鶴の姿があった。
彼女は宝石を鏤(ちりば)めた純白のドレス姿で、凛としていて美しい雰囲気を纏っていた。

(あれが、今日会った女なの?)

「まぁ、あなた本当に千鶴さんなの!?」
「はい。」
「そのドレスと宝石、トシからプレゼントされたのね!とても似合っているわ!」
「ありがとうございます。」
「トシ、あなた達二人共お似合いよ。」
「う、うるせぇ!」
「あら、顔が赤くなっているわよ!」

(本当にお似合いよ、あなた達。)

歳三と千鶴がワルツを贈っている姿を見つめながら、エリーゼは嬉しそうに笑った。

「陛下のお成り~!」

ディルクがティリアと共に大広間に入ると、そこには美しく着飾った歳三の花嫁の姿があった。

「陛下、どうなさったのですか?」
「いや・・」

ティリアはディルクの視線の先に千鶴が居る事を知り、その美しさに彼女は思わず目を見張った。
白貂を織り込んだ、サファイアとアメジストを鏤めた美しいドレスは、千鶴の白い肌に映えており、その頭上に輝くティアラも、彼女の美しさを際立たせていた。
彼女と初めて会った時、木綿のくたびれたドレス姿の彼女を見たティリアは、彼女が王宮に新しく入った使用人かと思ってしまう程、地味だった。
だが今はどうだろう、彼女は美しいドレスを纏い、威厳に満ちていた。
そして彼女の美しさに、周囲の者達は見惚れているようだった。

(悔しい・・あの小娘が注目を浴びるなんて・・)

今まで、宮廷の中で注目を浴びて来たのは自分だった。
それなのに―

「何ですって、あの子があの娘に贈り物を?」
「はい・・」
「あの娘を、わたしより目立たせてなるものですか!」

ティリアは千鶴が弓術大会に出場するという事を聞き、良からぬ事を考えた。

「これを、あの娘の馬の鞍に仕込みなさい。」
「そのような事、出来ません。」
「お前、実家の母親の具合が悪くて、薬代が高くかかるそうね?」
「そ、それは・・」
「悪いようにはしないわ。お前も、お前の母親も。」

ティリアはそう言って蒼褪める女官に、待ち針を渡した。

弓術大会の日を迎え、王都は熱気と興奮に満ちていた。

「アティカのあの方が、大会に出られるみたいよ?」
「あの陰気な娘が、弓や馬を扱えるのかしらね?」
「身の程知らずな娘だわ。」

そんな周囲の嘲笑を吹き飛ばすかのように、千鶴は大会で好成績を収めた。

「あの娘があんなにいきいきとしている姿を見るのは初めてだわ。」
「えぇ、そうですわね。」
「リズ、あなたはトシを千鶴に取られて嫌なんでしょう?」
「そ、そんな事はっ!」
「この際だからはっきり言っておくわ。自分がされて嫌な事は、他人にしてはいけないわ。そんな事をすれば、、周りから嫌われてしまうわよ、あなたの伯母様のようにね。」
「な・・」
怒りで顔を赤く染めながら絶句しているリズをその場に残し、女官達ともにエリーゼは厩舎へと向かった。
「あなた、そこで何をしているの!?」
「申し訳ありません!ティリア様に命じられて・・」
千鶴の馬の近くで不審な動きをしていた女官は、そう言って泣き出した。
「あの婆、見境がなくなって来たわね。」
「どう致しましょう・・このまま彼女を放っておく訳にはいきませんわ。」
「わたしに考えがあるわ。」
エリーゼはそう言うと、女官の耳元に囁いた。
「まぁ、ちゃんとやったのね?」
「はい・・」
「そう。」
ティリアは馬に乗って走り出したが、森の中に架かる橋を渡ろうとした所で、異変に気付いた。
耳障りな羽音を立てながら、雀蜂の大群が彼女を襲った。
彼女はパニックになった馬に振り落とされ、頭から泥水の中に突っ込んでしまった。
「何なのよ、もう!」
泥だらけになりながらティリアが王宮に戻ると、彼女は観客達の笑い物となった。
「ほら、あんなに惨めに笑われたくないでしょう?」
「伯母様・・」
「あぁ、悔しい!わたくしが一番注目されるべきだというのに!」
「伯母様、全身泥パックで少しは肌が潤いましたか?」
「リズ、あなた何を・・」
「わたくし、伯母様のようになりたくありません。自分の衰えと向き合えず、他人を貶す事でしか生き甲斐を見出せない惨めで哀れな人生を送りたくありませんわ。」

リズから痛烈に批判されたティリアは、ショックで数日寝込んだ。

「ふん、あれだけ底意地悪い癖に、意外とヤワなんだな。」
「歳三様・・」
「まぁ、あの婆が大人しくなればいい。」

歳三はそう言うと、せっせと羽根ペンを動かした。

弓術大会から数日経った後、“ある噂”が王都に広まった。

それは、T伯爵家令嬢との縁談が持ち上がっているというものだった。

「何処からそんな話が?」
「ティリア様の嫌がらせでしょう。」
「T伯爵家の娘といえば、あの勝気でわがままな女か。」
「全く、あの婆には大人しくして貰いたいものですね。」
鉄之助はそう言うと、溜息を吐いた。
「歳三様、千鶴様がお見えです。」
「わかった。」
「土方さん、失礼致します。」
「千鶴、どうした?」
「あの、一緒に遠乗りを・・」
「わかった。」
「最近、千鶴様との関係が良くなりそうですね。」
「ええ。あの方達との間に子供が授かればねぇ・・」
「それはまだ先の話ですよ、エリーゼ様。」
「そうね。」
エリーゼはそう言うと、少し冷めた茶を飲んだ。
「さっき、歳三様に縁談が来たというお話を聞きました・・」
「あんな下らねぇ噂に、お前が悩む必要はねぇ。」
「ですが・・」
「もうこの話は終わりだ。」
「はい。」
遠乗りから二人が王宮へと戻ると、一人の少女が彼らの元へとやって来た。
その少女が、T伯爵家令嬢だと歳三は一目でわかった。
彼女は美しいブロンドの髪を揺らしながら、歳三を見た。
「トシゾウ様、お会いしたかった!」
千鶴を無視した少女―T伯爵家の娘・ロザリアは、そう言うと歳三に抱き着こうとしたが、歳三はロザリアを無視した。
「ロザリア殿、何か勘違いされているようですが、俺はもう妻帯しております。」
「あら、では隣に居らっしゃるのが奥様ですの?てっきり侍女なのかと思いましたわ。」
ロザリアは少し馬鹿にしたような顔をして千鶴を見た。
「あら、誰かと思ったら、未だ独り身のロザリア様ではありませんか。」
ロザリアの前に現れたリズは、そう言って小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「リズさん、あの・・」
「お前ぇ、どうしたんだ?悪い物でも食ったのか?」
「いいえ。わたくし、あの方のようにはなりたくないので、心を入れ替える事にしましたの。チヅル様、今までの無礼な態度をお許し下さいませ。」
「まぁ、お前がそう言うのなら、信じよう。」
「ありがとうございます。」
「行くわよ!」
ロザリアは歳三に無視された事に腹を立て、取り巻き達を連れて廊下から去っていった。
「あいつの事は気にするな。」
「はい・・」
ロザリアは、歳三の事が気に入らないのか、嫌がらせをするようになった。
しかし、リズがロザリアの嫌がらせに気づき、その証拠を取っていた。
「あら、わたくしの刺繍針がないわ!」
「まぁ、本当ですか?」
「大変ですわね。」
取り巻き達が大袈裟に騒ぎながら、ロザリアの刺繍針を捜そうとしていた。
「もしかして、この刺繍針ではなくて?」
リズはそう言うと、前もってロザリアの取り巻き達が千鶴の裁縫箱の中に入れてあったロザリアの刺繍針をそこから取り出し、“拾った振り”をしてロザリアに手渡した。
「まぁ、何処でそれを?」
「廊下に落ちていましたわ。誰かが怪我をしないように拾って差し上げましたの。」
「あら、ありがとう。」
そう言ってリズから刺繍針を受け取ったロザリアの笑みは、少し引き攣っていた。
「チヅル様を傷つける方は、いくらロザリア様でも許しませんわ。」
「リズ、あなた・・」
「ご機嫌よう。」
「リズさんも来ていたのですね。皆さん、揃った所ですから始めましょうか?」
「わたくし達は、これで失礼致します!」
「ロザリア様、お待ちください!」
ロザリア達の後を追おうとした千鶴は、リズに止められた。
「放っておきなさい。」
「ですが・・」
「あの方は、チヅル様が嫌いなのです。」
「わたし、あの方に何かしましたか?」
「いいえ。この世には、理由がなくても人を嫌う方がいるのですわ。」
自分よりも年下の少女にそう諭された千鶴は、暫くその場に立ち尽くしていた。
「そうか、そんな事が・・」
その日の夜、千鶴は歳三にそんな事を話すと、彼は溜息を吐いた。
「まぁ、王宮って所は、魔窟だからな。王宮には、色んな考え方を持った奴等が居る。そんな奴等が、俺の母親を殺した。俺は必ず、母親の仇を討つ。」
「わたしに、何が出来ますか?」
「ただ傍に居てくれるだけでいい。」
「はい・・」
歳三と千鶴が眠っている時、彼らの寝室に一人の女官が忍び込んだ。
彼女は千鶴に近づくと、隠し持っていた短剣を彼女目掛けて振り下ろした。
だがその刃が届く前に、歳三が女官の首を絞め上げた。
「言え、誰から命じられてこんな事を?」
「アイリス様です・・」
「こいつを殺せと、アイリスが確かに命じたのか?」
「はい・・」
(敵はティリアだけだと思っていたが、まさかアイリスも敵だったとはな・・)
執務室で歳三は明かりもつけずに、アイリスと初めて会った事を思い出していた。
アイリスはディルクの第三王妃で、ティリアと敵対関係にあった。
 歳三が王宮で暮らし始めた頃、彼はエリーゼと共に遠乗りへ来ていた。
「どう、王宮での暮らしは?」
「山に帰りたい。あいつら、みんな嫌い。」
「トシ・・」
エリーゼは、暗い顔をしている年の離れた弟を見た。
「あいつら、俺の悪口ばかり言う。あいつら、俺が化物だって・・」
「あなたは、化物なんかじゃないわ。」
「みんな、俺の事嫌ってる。」
「そんな事ないわ。」
「どうしたら、みんなに好かれるようになる?」
「みんなから無理に好きになって貰わなくてもいいの。あなたが好きなようにおやりなさい。」
「わかった!」
遠乗りから二人が王宮へと戻ると、そこではディルクの生誕を祝う宴が開かれていた。
「あら、誰かと思ったら、山で育った子ね?」
「ティリア様、何かわたくしに用かしら?」
「あなた、相変わらずわたくしに向かって生意気ね?」
「わたくし、あなたを尊敬していませんもの。わたくし達に何も用がないのなら、そこを退いて下さる?」
「何の騒ぎです?」
睨み合うティリアとエリーゼの前に現れたのは、アイリスだった。
彼女はブルネットの髪を揺らしながら、碧緑色の瞳でティリアを睨んだ。
「またお前が二人を挑発したのね?」
「わたくしの方が立場が上よ。」
「金で買った爵位なんて、犬の糞以下よ。二人共、おゆきなさい。」
「はい・・」
王宮に馴染めず、貴族の子供達に虐められていた歳三を、何かと気遣い優しくしてくれたのは、アイリスだった。
「あなたには才能があるの。それを皆、気づかないだけ。」
「本当?」
「そうよ。」
アイリスは歳三が刺繍の才能がある事に気づき、彼に刺繍を学ばせた。
孤独に満ちた生活の中でも、針仕事をしたり読書をしたりすれば心が満たされる事に歳三は気づいた。
刺繍したハンカチを見て、歳三は満足そうに笑った。
「まぁ、素敵なハンカチね。自分で作ったの?」
「はい。」
「これ、わたしに下さらない事?」
「いいのですか?」
「いいわよ。あなたの最初の作品ですもの。」
そう言ったアイリスは、歳三に優しく微笑んだ。
その時の、彼女の笑顔は演技ではなかった。
心からの、笑顔だった。
(あの人は、俺を信じ、優しくしてくれた。それが、偽りだったなんて・・)
翌朝、歳三は執務室で書類仕事をしていると、そこへアイリス付の女官がやって来た。
「歳三様、アイリス様がお呼びです。」
「わかった、すぐに行くとアイリス様に伝えろ。」
「はい。」
歳三はアイリスの元へと向かう途中、リズと千鶴が楽しそうに話をしながら刺繍をしている姿を見た。
「あの二人なら、大丈夫そうね。」
「はい。」
「アイリス様の元へ行くの?」
「彼女に会って、聞きたい事があるのです。」
「そう・・」
アイリスは、執務室で歳三が初めて作ったレースのハンカチを見ていた。
あの頃、歳三は自分にとって、“庇護すべきもの”だった。
だが、今は違う。
「アイリス様、歳三様がいらっしゃいました。」
「そう・・通しなさい。」
「失礼致します。」
「朝早くから呼び出して済まなかったわね、トシ。あなたに、話したい事があるの。」
「俺もです。アイリス様、昨夜俺達の寝室に刺客を放ったのは・・」
「わたしです。あなたの妻は、やがてこの国の脅威となる存在です。」
「あなたは、変わってしまわれた・・」
「人は変わるものです。」
そう言ったアイリスの、自分に向けた碧緑色の瞳は、冷たかった。
「失礼します。」
「さようなら、トシ。あなたと会う事はないでしょう。」
「えぇ。」
執務室の扉が閉まった時、アイリスは執務机の上に置いていたレースのハンカチを掴むと、それを躊躇いなく暖炉の中へと放り投げた。
それは、瞬く間に灰と化した。
「アイリス様は、どんなお方なのですか?」
「アイリス様は、とても美しくて賢い方です。ですが、敵に回すと厄介な方ですわ。」
「そう・・ですか。」
「どうかされましたか、千鶴様?」
「いいえ。」
「ここは、魔窟ですわ。優しい顔をして人を騙す方ばかりです。」
「まぁ・・」
二人の姿を、アイリスは何かを考えこんだ様子で執務室の窓から眺めていた。
「これから、どうなさいますか、アイリス様?」
「“どう”とは?」
「あの娘を、始末しますか?」
「いいえ、今はしないわ。あの娘を始末するかどうかは、わたしが決めるから、お前達はくれぐれも娘に手を出してはなりませんよ。」
「・・はい。」
「陛下、どうかなさったのですか?余り、お食事の量が・・」
「ここの所、風邪をひいてそれが長引いてな・・」
「まぁ、それはいけませんわ。後で医師を・・」
「その必要はない。」
ディルクは食事を残したまま、ダイニングから出て行った。
彼はそのまま寝室に引き籠もり、七日間そこから出て来なかった。
「陛下、ティリアです。」
「寝ていらっしゃるのでは?」
「そんなの、おかしいわ。」
ティリアはディルクから渡された彼の寝室の合鍵を使ってその中に入ると、ディルクはワインが少し入ったグラスを握り締めたままうつ伏せになって息絶えていた。
「きゃぁぁ~!」
「陛下~!」
「あの毒は、処分したわね?」
「はい・・」
「そう。暫く、身を隠していなさい。」
「はい・・」
「下がりなさい。」
(全く、あの男とティリアをまとめて始末しようと思っていたのに。)
アイリスは舌打ちした後、ティリアの元へと向かった。
「ティリア様・・」
「アイリス様、陛下が、陛下が・・」
「このハーブティーを飲んで落ち着いて下さいませ。」
「ありがとう。」
睡眠薬が入ったハーブティーを飲んだティリアは、そのまま深い眠りに落ちていった。
(さてと・・)
アイリスは深呼吸した後、”仕事“に取り掛かった。
「きゃ~、誰か来て!」
「アイリス様、一体・・」
「ティリア様が、ティリア様が!」
―ティリア様がお亡くなりに・・
―陛下の後を追って、毒を・・
―何と・・
「陛下とティリア様が、立て続けに亡くなられるなんて・・」
「何だか、におうな。」
「えぇ。」
歳三と鉄之助がそんな事を話していると、突然彼の執務室に武装した男達が雪崩れ込んで来た。
「何だ、てめぇら!?」
「土方歳三、貴様を陛下とティリア妃殺害の容疑で逮捕する!」
「何だと、何の証拠があって・・」
「連行しろ!」
「あいつに、千鶴に伝えてくれ、俺は何もしていないと!」
「歳三様・・」
千鶴は、鉄之助から歳三が連行された事を聞いて、ショックで気を失った。
「千鶴様、気が付かれましたか?」
「軽い貧血を起こされたそうです。暫く横になって下さいませ。」
「はい・・」
「大丈夫、きっと歳三様の疑いは晴れますわ。」
「そうね・・」
「そうか、あいつが・・」
「アンドリュー様、どうなさいますか?」
「拷問にかけろ。あいつが罪を認めるまで、徹底的にやれ。」
「はい。」
地下牢へと連行された歳三を待ち受けていたのは、苛烈な拷問だった。
「まだ、あいつは吐かないのか?」
「はい。」
「では、あいつの妻を連れて来い。」
歳三が連行されてから、二月が経った。
千鶴は、月のものが遅れている事に気づいた。
「おめでとうございます、ご懐妊されていますね。」
「それは、確かなのですか?」
「はい。」
(ここに、歳三様との子が・・)
千鶴は、まだ目立たない下腹をそっと撫でた。
「何だと、あいつの妻が!?」
「はい。」
「あいつの拷問は中止だ。」
「ですが・・」
「歳三さん!」
「ただいま、千鶴。」
「お帰りなさいませ。」

千鶴は、そっと歳三の手を、己の下腹に宛がった。

「お前、まさか・・」
「はい・・」
「そうか。」

「あの娘が、懐妊した?」
「はい。彼女を診察した侍医が、間違いないと・・」
「そう。」
アイリスは、美しい繻子で飾られた扇子で顔をあおいだ。
「あの娘を、殺しますか?」
「そのような事をしなくても、誰か他の者がそれをしてくれるでしょう。」
「は、はぁ・・」
「それに、トシは次期国王になる身、彼を蔑ろにしてはいけません。」
「わかりました。」
長年アイリスに仕えて来た侍女は、そのまま何も言わずに彼女の部屋から辞した。
―あの方が、次期国王に?
―そんな馬鹿な事が・・
地下牢から解放された歳三は、王宮内の自室で療養生活を送っていた。
苛烈な拷問によって痛めつけられた歳三の身体には、全身にその痕跡が残っていた。
特に酷かったのは、右足だった。
「歳三様、ご気分はいかがですか?」
「あぁ、少しは良くなった。」
「右足の傷も、少しは良くなりましたね。」
鉄之助は歳三の右足に巻かれている包帯を解きながら、その下に隠された醜い傷痕を見た。
「今日は、部屋の隅から隅まで歩いたぜ。」
「それは良かったです。」
「千鶴はどうしている?」
「千鶴様なら、エリーゼ様の元で過ごされております。」
「そうか。」
エリーゼならば、千鶴の事を守ってくれる事だろう。
アイリスの耳にも、千鶴が妊娠している事が入っているのかもしれない。
彼女の動向が気になるが、今は拷問によって痛めつけられた心身の健康を取り戻す事が歳三にとって一番大事な事だった。
「今日もよろしく頼む、鉄。」
「わかりました。」
歳三が鉄之助の下でリハビリに励んでいる頃、千鶴はエリーゼの元で過ごしていた。
故国の王宮では実の家族と共に過ごしていても感じられなかった心地良さを、千鶴は嫁ぎ先の王宮で感じていた。
幼い頃に母と死別し、第三王女でありながらも使用人同然の生活を送っていた千鶴だったが、ラドルクへ嫁いで来てからは、エリーゼからは礼儀作法やダンスなどを教わり、政治・経済・外国語などを学び始め、充実した日々を送っていた。
「トシはどうしているの?」
「毎日リハビリに励んでいます。」
「そう。千鶴ちゃん、体調はどう?」
「悪阻は治まりました。少し、身体がだるいですが・・」
「余り無理しないようにね。」
「はい。」
エリーゼの部屋から出た千鶴は、廊下でアイリス達と擦れ違った。
「あなたが、チヅルね。」
「はい、あの・・」
「丁度いいわ、あなたに色々と聞きたい事があるのよ。」
「わたしに、ですか?」
アイリスに話し掛けられ、千鶴は思わず身構えてしまった。
しかし彼女は千鶴に優しく微笑み、次の言葉を継いだ。
「安心して、わたしはあなたに危害を加えたりしないわ。遠い所から嫁いで来て、色々と不安な事があるでしょう?」
「ええ・・」
「そうだ、明日お茶会を開くから、あなたもいらっしゃい。」
「よろしいのでしょうか、わたしのような者が・・」
「あなたは次期王妃となられる御方。この王宮であなたを蔑ろにする者など居ないわ。」
そう言ったアイリスの碧緑色の瞳は、優しい光を帯びていた。
「歳三様、千鶴です。」
「入れ。」
千鶴が歳三の部屋に入ると、彼は鉄之助に身体を支えて貰いながら腹筋をしていた。
「暫く身体が鈍っちまったからな、少し身体を動かさねぇとな。」
「お元気になられて、良かったです。」
「悪阻はもう治まったのか?」
「はい。それよりも、先程アイリス様からお茶会に誘われました。」
「アイリスが?」
「断った方が、よろしいでしょうか?」
「いや、断ったらアイリスの気を悪くする。俺も行こう。」
アイリスは、千鶴付きの侍女から、千鶴がお茶会に出席するという旨が書かれた手紙を受け取った。
「アイリス様・・」
「安心なさい、あの子のお茶に毒なんて入れないわ。」
「はぁ・・」
アイリス主催のお茶会には、エリーゼやリズ、そして彼女の考えに賛同する者達が招待されていた。
「アイリス様、本日はお招き下さりありがとうございます。」
「トシ、チヅル、良く来たわね。さぁ、こちらにいらっしゃい。」
「はい・・」
―どうして、あの二人が・・
―アイリス様は一体何を考えていらっしゃるのかしら?
「今日あなたをここへ招待したのは、戴冠式の事を相談する為よ。」
「戴冠式ですか・・」
「あなたは、次期国王となる資格が充分にあるわ。」
「アイリス様・・」
「トシ、わたくしを許して。わたくしは、あなたの事を誤解していたようね。」
「は、はぁ・・」
突然のアイリスの心変わりに、歳三は戸惑うばかりだった。
「アイリス様、アンドリュー様が・・」
「通しなさい。」
「アイリス様、一体どういう事なのですか!?」
「お茶会の事?二人を招待したのは、わたしがそうしたかったからよ。」
「そんな・・」
「この国を救えるのは、トシだけよ。」
アイリスはそう言ってアンドリューを睨んだ。
「何故そこまで、あいつに肩入れするのです?」
「エミヤに頼まれたのよ。いつかトシが成長したら、彼を支えてくれとね。」
「何だと!?」
「あなたは、自分が何故王位に就けないのか考えた事は無いの?もしかしてあなた、王子だというだけで王位が自分のものになると、馬鹿な事を考えているのかしら?」
「そ、それは・・」
「あなたは、王に相応しくないわ。だから、あの二人を王宮から追い出そうなんて思わない事ね。」
アンドリューは、アイリスの言葉にぐうの音も出なかった。
「アイリス様、アンドリュー様の事はどうなさいますか?」
「放っておきなさい、馬鹿はいずれ自滅するわ。」
千鶴が安定期を迎えた頃、ラドルク次期国王・歳三とその妃・千鶴の戴冠式が行われた。
「大丈夫か?」
「はい・・」
「漸く、この日を迎えられたのですね。きっと天国のエミヤ様もお喜びの事でしょう。」
「あぁ、そうだな・・」
王宮の前にある広場では、新しい国王の誕生を祝いに、多くの国民が集まっていた。
「神の名の下に、この者に王冠を授ける。」
歳三の漆黒の髪の頭上に、エメラルドと柘榴石が嵌め込まれた王冠が輝いた。
「新国王陛下、万歳!」
「新国王陛下に神の祝福を!」
新国王夫妻が王宮のバルコニーへ出ると、国民達が二人に祝福の言葉と歓声を送った。
「これから、忙しくなりますね。」
「あぁ。千鶴、余り無理をするなよ。」
「はい、わかりました。」
「王妃様、そろそろお召し替えをなさいませんと・・」
「わかった。」
千鶴が女官達と共に広間から去っていく姿を見送った歳三は、妙な胸騒ぎに襲われた。
(何だ・・)
「陛下、アイリス様がお呼びです。」
「わかった。」
アイリスは、喪服姿だった。
「アイリス様、その格好は・・」
「わたくしは、この国を去ります。」
「何故です?」
「トシ、あなたはわたしの息子同然の存在です。今まであなたを、エミヤ、あなたのお母様の代わりに見守り、育てて来ました。しかし、もうあなたにわたしは必要ありません。」
アイリスはそう言うと、歳三を抱き締めた。
「これからどちらへ行かれるのですか?」
「故郷へ。もうわたしの帰りを待ってくれる家族は居ないけれど、漸く帰れます。」
「お元気で。」
「あなたも。」
アイリスは、そのまま一度も振り返る事もなく、王宮を後にした。
ラドルク王国南西部にあるブリュレ―。
そこが、アイリスの故郷だ。
漁業と鉄鉱業で栄えていた町は、黄金期を過ぎた今となっては廃墟ばかり建ち並ぶゴーストタウンとなっていた。
(すっかり、変わってしまったわね。)
アイリスはドレスの裾を翻しながら、目的の場所へと向かった。
そこは、廃坑となった炭鉱跡地だった。
「誰か居るの?」
「アイリス、来てくれたのか。」
しわがれた声と共に、一頭のドラゴンが姿を現した。
「長い間会いに来られなくて、ごめんなさいね。」
「いいのだ。儂はもう永くはない。だからそなたに会えて良かった。」
「今日、わたしは実の姉妹のように仲良くしていたエミヤの息子が王になったのをこの目で見たわ。」
アイリスはそう言った後、激しく咳込んだ。
口元を覆った白いレースのハンカチは、赤く染まっていた。
「アイリス・・」
「もう、わたしには思い残す事はないの。だから・・」

“わたしも、連れて行って”

「わかった。」
「今までずっと独りだったけれど、もう怖くないわ。」

そう言ったアイリスの口元には、笑みが浮かんでいた。

(トシ、この国の未来をあなたに託すわ。だから、また会うその日まで、さようなら。)

アイリスが静かにこの世を去ってから半月経った後、千鶴は元気な男女の双子を産んだ。

にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へ
にほんブログ村
コメント

この夜を止めてよ 第1話

2024年04月09日 | FLESH&BLOOD 転生昼ドラ不倫パラレル二次創作小説「この夜を止めてよ」
「FLESH&BLOOD」の二次小説です。

>作者様・出版社様は一切関係ありません。

海斗が両性具有設定です、苦手な方はご注意ください。

二次創作・BLが嫌いな方はご注意ください。

カチカチと、時計を刻む音が室内に響き、海斗は徐にベッドから起き上がった。

シーツの中から這い出ようとした海斗を、太くて逞しい男の手が、その中へと引き摺り込んだ。

「もう帰るのか?」
「うん。そろそろあの人が帰って来る頃だから。」
「そうか。」
蒼い瞳が、名残惜しそうに海斗を見つめた。
「また、連絡するね。」
「あぁ。」
シャワーを浴びて服を着た海斗は、ジェフリーを部屋から残して、ホテルから出て行った。
誰にも見られていない―そう思っていた海斗だったが、考えが甘かった。
「まさか、と思っていたけれど、やっぱりね。」
背後から冷たい声がして海斗が振り向くと、そこにはジェフリーの妻・ラウル=デ=トレドが立っていた。
全身をハイブランドで固め、獲物を狙う蛇のように黄金色の瞳で海斗を睨みつけた彼女は、有無を言わさず海斗の腕を掴み、海斗をホテルの地下駐車場へと連れて行った。
「乗って。家まで送るよ。」
「どうしてここが・・」
「わかったのかって?君達を泳がせておいたのさ。安心おし、この事は誰にも話さないから。」
「その代わりに、あんたの言いなりになれって?」
「これ、これ。打てば響くとはまさにこの事だね。」
ラウルはそう言うと、海斗を見た。
「あの時、わたしを虚仮にした報いは、ちゃんと受けて貰うよ。」
邪悪な光を放つ悪魔の瞳に見つめられ、海斗は思わず持っていたショルダーバッグを握り締めた。
「じゃぁ、連絡するよ。」
やがてラウルが運転する黒のフェラーリは、海斗と彼女が住むタワーマンションの地下駐車場に停まった。
「海斗。」
「あなた、今日は帰りが遅い筈じゃぁ・・」
「仕事が早く終わったんだよ。」
海斗の夫・実は、そう言うと海斗と共にエレベーターの中に入ると、海斗のワンピースの中に潜った。
「こんな所、誰かに見られたら・・」
「君が欲しい・・」
「部屋に着くまで、待って・・」
部屋に入ると、実は海斗を玄関先に押し倒した。
「どうしたの、今夜は積極的だね?」
「別に。」
いつもは淡白な実が、その日に限って激しく海斗を求めて来た。
「海斗、そろそろ子供を作らないか?」
「どうして?この前子供は作らないって話し合った筈でしょう?」
「実は、お袋が孫の顔を早く見たいって・・」
「加奈さんに産んで貰えばいいんじゃない。」
「海斗、君・・」
「ごめん、シャワー浴びてくるね。」
海斗は自分を抱き締めようとする実の手を邪険に振り払うと、浴室ん入った。
実が不倫をしている事は、半年前から知っていた。
相手は、海斗の後輩でこのマンションの10階に住んでいる奥山加奈。
いつも可愛い服やメイクをして、ショートカットでパンツスタイルの海斗とは対照的な加奈は、実とマンション内のパーティーで会った。
以前から加奈が実に対して好意を抱いている事を知っていた海斗は、わざと彼らを二人きりにさせた。
(俺、いつの間にこんな腹黒い人間になっちゃったんだろう・・)
実とは、互いの親同士が決めた政略結婚だった。
共働きだし、子供が居ないので互いに没交渉でいられて気楽だった。
(ジェフリーと再会した時は、嬉しかったなぁ。)
ジェフリーと海斗は、前世では恋人同士だった。
恋人同士として過ごした記憶を持ったまま再会した二人だったが、ラウルとジェフリーが結婚している事は意外だった。
(世間って、狭いんだな・・)
そんな事を思いながら海斗が身体を洗っていると、ジェフリーに愛された部分が熱くなっている事に気づいた。
(もう・・)
男女両方の性を持つ海斗は、熱くなった部分を自分で慰めた。
海斗が浴室から出て、洗面所で髪を乾かしていると、玄関のドアが誰かに開けられる音が聞こえた。
(誰だろ、こんな時間に?)
海斗がそっと洗面所兼浴室のドアを少し開けると、実と加奈が居間のソファでセックスをしていた。
(俺が居るってわかっているのに、良くやるよね・・)
海斗はスマートフォンで二人の行為を撮影した後、そのまま浴室から出て寝室に入った。
二人の事をいつ公にしようかと迷っている海斗だったが、自分も不倫しているのに二人を責める資格は無いと思った。
(もう、実さんは夫婦ではいられない。)
海斗が深い眠りに就いた頃、タワーマンションの屋上でラウルは一人の主婦に詰め寄られていた。
「どうして、絶対に儲かるって言ったじゃない!」
「この世に、“絶対”という言葉はないんだよ。それに、お前みたいな人間が、わたしは一番嫌いなのさ。」
「止めて、何をするつもり!?」
「怯える事はないさ。まぁ、お前は“用済み”だけどね。」
翌朝、海斗は警察車両と救急車のサイレンで目を覚ました。
(何だろ・・)
―30階の太田さん、自殺ですって。
―可哀想に、詐欺で無一文になって・・
海斗が葬儀会場に行くと、参列者の間からそんな声が聞こえて来た。
「カイト、ちょっといいか?」
「ジェフリー・・」

にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へ
にほんブログ村
コメント

禁断の果実 1

2024年04月09日 | 薄桜鬼 不倫昼ドラハーレクインパラレル二次創作小説「禁断の果実」
「薄桜鬼」の二次創作小説です。

制作会社様とは関係ありません。

二次創作・BLが嫌いな方は閲覧なさらないでください。

一部性描写含みます、苦手な方はご注意ください。

「おめでとう!」
「お幸せに~!」
晴天の空に響く鐘の音を聞きながら、雪村千鶴はタキシード姿の新郎を、切ない表情を浮かべながら見ていた。
その隣に立てたのは、自分の筈だったのに。
何故、もっと早くに会えていなかったのか。
悔やんでも仕方が無い事なのに、どうしてもそんな事を思ってしまう。
千鶴の視線を感じたのか、新郎は紫紺の瞳を彼女に向けた後、そのまま新婦と共にリムジンへと乗り込んだ。
「千鶴ちゃん、大丈夫?」
「うん。」
「そんな顔して、そう言われても信用できないわ。」
鈴鹿千は、そう言うと千鶴の肩を叩いた。
「恋の悩みなら、聞くわよ?」
「うん・・」
恩師であった土方歳三の結婚式に参列した後、千鶴は適当な言い訳をして披露宴を欠席すると、駅前の大型ショッピングモールの中にあるフードコートで、千と向かい合って座った。
「どうして、わたしじゃなかったんだろうって、思っちゃったんだ。」
「わかるよ、その気持ち。土方先生と千鶴ちゃん、ラブラブだったものね。」
「そうかな?」
「周りもさ、二人がそのまま結婚するって思っていたのよ?千鶴ちゃんが大学に入ってから、土方先生毎日送り迎えしていたし、合コンにもサークルの飲み会にも来ていたものね。千鶴ちゃん、あの頃幸せそうだったし・・」
「昔の事よ、そんなの。」
千鶴と歳三は、高校時代から恋人同士だった。
歳三は千鶴に対して少し過保護な所があったが、それでも彼と一緒に居られるだけで幸せだった。
大学を卒業した千鶴は、社会人として慣れない仕事に奮闘している内に、歳三と連絡を取り合う事が次第に少なくなっていった。
「自業自得、だよね。きっとあの人、わたしに飽きて・・」
「それは違うわよ、千鶴ちゃん。」
千はそう言うと、千鶴の手を握った。
「土方先生ね、千鶴ちゃんと急に連絡が取れなくなって心配していたのよ。」
「そうなの・・」
あの頃―千鶴が社会人として忙殺されている中、実家から母が倒れたという連絡を受け、実家がある福島へと向かった。
「残念ですが、お母様は肺癌のステージⅣです。手術は出来ませんので、今後は抗癌剤での治療を・・」
それからは、東京と福島の実家を往復する日々を送った。
仕事と母の看病で、千鶴の心は次第に疲弊していった。
母が亡くなったのは、クリスマス=イヴだった。
千鶴は母の葬儀を終えて自宅に戻った後、そのまま仕事を一週間休んだ。
漸く心身共に健康を取り戻した千鶴の元に、歳三が結婚するという知らせが届いたのは、奇しくも母の命日と同じ、クリスマス=イヴだった。
本当は、出席したくなかった。
だが、歳三の顔を見ておきたかった。
その隣に、自分が立っていなくても。
「もう帰ろうか?」
「うん。お千ちゃん、今日は本当にありがとう。」
フードコートの前で千と別れた千鶴は、時間がまだあるので映画館へ行く事にした。
そこには、前から観たかった映画が上映していた。
身分違いの同性同士が結ばれるというラブ・ストーリーなのだが、千鶴はいつしか相手役の俳優を歳三と重ねていた。
悲劇的な結末を迎えた二人の物語が終わり、千鶴はハンカチで目頭を押さえながらエンドロールを観終わった後、席を立った。
「千鶴ちゃん。」
「沖田さん・・」
「どうしてここに居るのかっていう顔しているね?まぁ、土方さんの結婚式なんてつまんなかったから、途中で抜け出して来たんだ。」
「そう、ですか。」
「ねぇ、もしかして泣いているの?」
「いいえ。この涙はさっき観た映画の所為です。」
「誰もそんな事聞いていないよ。でもさ、土方さんは酷いよね、いくら家と会社の為に好きでもない女と政略結婚するなんて。」
「それ、本当ですか?」
「あれ、知らなかったんだ。まぁ、あの人は肝心な事はいっつも言わないよね。」
総司は一気にそう捲し立てた後、スーツが汚れるのも構わずフライドポテトの油で汚れた手をスーツのズボンになすりつけた。
「土方さんの実家、最近業績が悪くてね、厚労省の官僚と政略結婚するかわりに、君と別れるよう、相手の親から迫られたんだ。」
だからさ、と総司は千鶴の耳元でこう囁いた。
“奪っても、いいんじゃない?”
「そんな事・・」
「あのさぁ、いい加減自分に素直になりなよ?土方さんは、千鶴ちゃんの事をまだ好きだと思うよ。」
「え・・」
「僕が伝えたかったのはそれだけだから、じゃぁね。」
総司はそう言うと、ヒラヒラと千鶴に向かって手を振って去っていった。
“奪っても、いいんじゃない?”
帰宅し、パーティー用に少し派手に塗ったマスカラとアイライン、アイシャドウを落としながら千鶴は浴室で溜息を吐いた。
もう自分の恋人ではなくなった男を、奪えなんて。
総司は、一体何を考えているのだろう―そう思いながら千鶴がドライヤーで髪を乾かしていると、バッグの中に入れていたスマホがけたたましくLINEの着信を告げた。
(え・・)
画面には、“歳三さん”と表示されていた。
「はい・・」
『出てくれねぇんじゃねぇかと思った。』
そう言ったあの人の声は、震えていた。
「どうして・・」
『総司から、俺の事情は聞いただろう?』
“今度、二人きりで会わねぇか?”―千鶴は、あの人からの誘いに、迷いなく“はい”と答えた。
待ち合わせ場所は、渋谷のハチ公前だった。
千鶴はクローゼットから藤色のワンピースと白のピンヒールを取り出すと、朝起きて顔を洗ってから念入りに化粧をした。
「待ちましたか?」
「いや、今来た所だ。」
そう言った歳三は、白の開襟シャツに水色のジャケット、ブルーデニムと黒のスニーカーという、ラフな格好だった。
「あの、これから何処へ?」
「着けばわかる。」
歳三は、愛車のRX7に千鶴を乗せて、学生時代に良くデートをしていた遊園地へと向かった。
「うわぁ、懐かしい。」
「ここ、今月末で閉園なんだと。」
「そうなんですか・・」
「まぁ、こういったこぢんまりとした遊園地がなくなるのは寂しいが、最後に、お前と二人だけで楽しもうと思ってな。」
「歳三さん・・」
「そんな顔をするな。」
ジェットコースターやメリーゴーランド、ゴーカートなどの乗り物をひと通り楽しんだ後、二人が向かったのは、観覧車だった。
「ここから見る景色も、見納めだな。」
「はい。あの、奥様には・・」
「あいつは、親から俺とお前の関係を聞いて知っている。まぁ、向こうにも男が居るからな。」
「え・・」
「俺達は、互いの利害が一致した、ただそれだけの理由で結婚しただけだ。あいつは、“愛していない女と一緒に居るよりも、昔の恋人と会った方が楽しいでしょ?”って、俺を送り出してくれたんだ。」
「じゃぁ、歳三さんは・・」
「お前の事を、今でも愛している。」
そう言った歳三の瞳には、迷いがなかった。
遊園地から出た二人は、近くにあるラブホテルへと向かった。
「あの・・」
「何だ、ここまで来て怖気づいたのか?」
「いいえ・・」
それ以上、歳三と一緒に居るのが気まずくて、千鶴は浴室へと向かった。
(嫌だ、さっき手を握られただけで・・)
千鶴がシャワーを浴びながらそっと自分の陰部に触れると、そこは既に濡れていた。
「千鶴、入るぞ。」
「えっ」
浴室のドアが開けられ、腰にタオルを巻いた歳三が中に入って来た。
「そんなに驚く事はねぇだろう?お互いの裸を見るのは初めてじゃねぇんだから。」
歳三はそう言って笑うと、千鶴の中を指で激しく掻き回した。
「ああっ、ダメ!」
「濡れている癖に、何を言っていやがる。」
歳三は千鶴の陰核を激しく弾いた。
「そろそろだな・・」
歳三は己のものにコンドームをつけると、千鶴の中へと入った。
子宮を奥まで貫かれ、千鶴は潮を吹いて絶頂に達した。
歳三は千鶴がイッても、激しく彼女を責め立てた。
「ああ~!」
コンドームに包まれた歳三のものが自分の中で爆ぜるのを感じた千鶴は、ゆっくりと彼が自分の中から出て行くのを感じて思わず溜息を吐いた。
「どうした、まだ足りねぇか?」
「もっと、欲しいです・・」
「しょうがねぇな・・」
その日、二人は朝まで愛し合った。
「別れたくねぇな。」
「わたしもです。」
歳三は千鶴を彼女の自宅に近い最寄駅まで送った後、そのまま帰宅しようとしたが、千鶴を帰したくなくて、人気のない立体駐車場に車を停めた。
「ん、やぁぁ!」
「お前の愛液でシートがビチョビチョだぜ?」
歳三は千鶴を騎乗位で下から激しく突き上げると、コンドーム越しに彼女の子宮へ欲望を吐き出した。
「また会おうか?」
「はい・・」
その日は身体の火照りは止まらず、仕事が終わって帰宅した後、千鶴は初めて自分を慰めた。
「歳三さん・・」
歳三は、今どうしているのだろうか。
自分を抱いた時のように、妻を抱いているのだろうか。

(会いたい、歳三さん・・)

千鶴の目から、涙が一筋流れた。

「おはようございます。」
「おはよう、千鶴ちゃん。昨夜はよく眠れた?」
「うん。」
「今日は大事なプレゼンだものね。大事な日の時こそ、しっかり睡眠を取らないとね。」
「そうね。」
千鶴はそんな事を同僚と話していると、そこへ自分達の上司である歳三が部屋に入って来た。
「みんな、もうプレゼンの準備は出来たか?」
「はい。」
「そうか。」
この日、千鶴達の会社は社運を賭けた会議を開く予定だった。
例年ならば会議室で全社員が集まるのだが、コロナ禍でリモート会議という形で開くことになった。
「何だか、はじめてから色々とわからねぇな・・」
「部長、ここはわたしに任せて下さい。」
千鶴はそう言うと、手早くズームの設定をした。
「助かったぜ。」
「いいえ。」
社内初のリモート会議は、滞りなく終わった。
「はぁ、疲れた!」
「みんな、お疲れさん。これは俺の奢りだから、好きな物食ってくれ!」
「ありがとうございます~!」
「部長、太っ腹!」
昼食時、歳三は千鶴達の分のランチを奢ってくれた。
「部長って、厳しい所もあるけれど、みんなに優しいよね。」
「そうだね。」
「まぁ、最近結婚したけれど、奥さんと余り上手くいっていないみたい。」
「へぇ・・」
「外に男が居るっていう噂よ。」
「そうなの。」
女というものは、噂好きな生き物だなと、千鶴はカフェオレを飲みながらそう思った。
「お疲れ様です。」
「お疲れ様~」
終業後、千鶴が更衣室から出ようとした時、外の廊下で誰かが言い争う声が聞こえて来た。
「今日は大事な日なのよ、わかっているの!」
「あぁ、わかっているよ。」
「じゃぁ、どうしてそんな日に仕事を入れるのよ、信じられない!」
「あのなぁ、俺にだって仕事があるんだよ!」
更衣室のドアからそっと廊下を覗くと、そこには歳三が妻と思しき女性と激しく口論している姿があった。
“奥さんと上手くいっていないみたい。”
ランチの時の、同僚の言葉が千鶴の脳裏に甦った。
暫く千鶴が更衣室の中で二人の様子を見ていると、彼らは既に廊下から去った後だった。
(気まずいなぁ・・)
そう思いながら千鶴がエレベーターを待っていると、そこへ一人の女子社員がやって来た。
「あら雪村さん、まだ居たの?」
「えぇ、ちょっと仕事が溜まっていて・・」
「そう。今日は、電車で帰るんだ?」
「そう・・だけど。」
「へぇぇ・・部長に車で送って貰えばいいのに。」
女子社員はそう言って意地の悪い笑みを浮かべると、千鶴の前から去った。
「ただいま・・」
 会社から出て自宅マンションがある最寄駅までいつもは電車で片道一時間位かかるというのに、その日は人身事故があり、その所為で一時間も遅れてしまった。
千鶴がマンションの部屋に帰宅したのは、夜の十時過ぎだった。
帰宅するなり千鶴は疲れた身体を抱えながらシャワーを浴びた後、そのまま髪を乾かさずに眠ってしまった。
翌朝、彼女は誰かが玄関のドアをノックしている音で目が覚めた。
(誰だろ、こんな朝早くに・・)
そう思いながら千鶴がインターフォンの画面を見ると、そこには見知らぬ男性が映っていた。
千鶴が恐怖で息を潜めていると、その男性は舌打ちして去っていった。
暫く恐怖で千鶴は動けなかったが、もしかしたら廊下であの男が待ち伏せているのかもしれないと思うと、不安で出勤出来なかった。
なので、体調不良だと適当な嘘を吐いて、その日は会社を休んだ。
すると、歳三からLINEが来た。
『大丈夫か?』
『はい、実は・・』
千鶴が今朝起きた事を歳三にLINEで報告すると、彼は、“今から行く”という返事を送って来た。
『来ないでいいです。』
『わかった。』
それから、歳三からのLINEは途絶えた。
「雪村さんが風邪で休むなんて珍しいよね。」
「本当ね。」
女子社員達がそんな話を給湯室でしているのを、外回りから帰った相馬主計が密かに聞いていた。
「土方部長、少しよろしいでしょうか?」
「どうした?」
「さっき、給湯室で・・」
「女の陰口なんざ、放っておけ。」
「ですが・・」
「そんな下らねぇもんに振り回されても、仕事の役にも立たねぇだろうが。」
「はい・・」
歳三がキーボードを忙しなく叩いていると、妻からのLINEが十件程来ていた。
そこには、“今どこ?”、“誰と居るの?”、“返事くらいしてよ”というものばかりだった。
いちいち返信しても面倒なので、歳三はそのままスマホを鞄の中に放り投げた。
「もう、どうして出てくれないのよ!」
「放っておきなさいよ。」
「でも・・」
「あの人にとっては、義理の兄の子供の誕生パーティーなんて興味ないのよ。」
「そうよ。婿養子の癖に生意気ね。」
「皆さん、そろそろ始めましょう。」
歳三の妻・理恵は、母親達と共に甥の誕生パーティーの会場であるホテルへと入っていった。
その日の夜、歳三が帰宅したのは深夜一時過ぎだった。
「歳三さん、最近お忙しいようだけれど、家族の集まりにも顔を出して下さないと困るわぁ。」
「すいません・・」
「あなたがこの家に入れたのは、この家の為になると思ったからなのよ。少し貢献して下さらないと・・」
「はい・・」
「本当に、わかっているのかしらねぇ?」
義母の嫌味に耐え切れなくなった歳三は、そのまま家から出た。
「理恵、まだ子供は出来ないの?早くお母さん達に孫の顔を見せてくれないと・・」
「うるさいわね、わかっているわよ!」
理恵はそうヒステリックに叫ぶと、そのままダイニングから出て行った。
「静枝、お前は二人に干渉し過ぎだ。」
「我が家がおかしくなったのは、歳三さんの所為よ!」
「止さないか、そんな事を言うのは。」
「早く孫の顔が見たいわ。」
理恵の母・静枝はそう言うと溜息を吐いた。
「おはようございます。部長、今日は早いですね?」
「あぁ。今日は色々とやる事が多いんでな。」
歳三はそう言うと、千鶴にLINEを送った。
『今日は、大丈夫か?』
『はい。』
千鶴がスマホをバッグの中にしまっていると、そこへ一昨日話しかけて来た女子社員がやって来た。
「雪村さん、風邪はもういいの?」
「はい。」
「へぇぇ、てっきり嘘吐いて土方部長と密会しているのかと思ったぁ。」
「変な事、言わないでください!」
「あらぁ、ごめ~ん。」
その女子社員はそう言うと、そのまま何処かへ行ってしまった。
(何なの、あの人・・)
「雪村先輩、おはようございます!」
「おはよう、相馬君。忙しいのに、昨日は休んでしまってごめんね。」
「いえ、いいんです。」
「今日、部長は?」
「部長は、今日取引先の方と会食するそうです。」
「へぇ、そうなの。」
「それよりも先輩、さっき何か言われませんでした?」
「別に何も。どうかしたの?」
「実は昨日、給湯室で雪村先輩の事、先輩達が話しているのを聞いちゃったんです。」
「どうせまた下らない噂話でしょう。気にしない、気にしない。」
「そう、ですね。」
相馬にそう言って気にしない素振りを見せた千鶴だったが、先程の女子社員とのやり取りを思い出しては、少しモヤモヤとした思いを抱えながら仕事をした。
「さてと、昼飯どうします、先輩?」
「う~ん、どうしようかなぁ?」
「あ、千鶴ちゃん!」
「沖田さん、お久しぶりです。」
「二人共、お昼まだでしょう?最近新しく出来たビュッフェレストランが出来たんだけれど、行かない?」
「はい・・」
「ねぇ、土方さんの奥さんと、千鶴ちゃん会った事ある?」
「いいえ。」
「まぁ、上司の奥さんなんかとは滅多に会わないよねぇ。あ、このレストランで、土方さんの奥さんが良く男と密会しているんだよね。」
「え!?」
「別に驚くことないでしょ。」
「沖田さん、土方部長とは一体・・」
「土方さんと僕は、道場仲間。ま、実の兄みたいな存在だけどね。」
「そうなんですか・・」
千鶴達がランチを楽しんでいると、レストランに一組のカップルが入って来た。
「ほら、あの人が土方さんの奥さん。」
「綺麗な人ですね・・」
「でもかなりトゲがありそうだよねぇ。」
「沖田さん、失礼ですよ!」
「あ、ごめ~ん。」
総司がそう言って笑いながらコーヒーを飲んでいると、千鶴は少し怯えた顔をしながら突然周囲の様子を窺い始めた。

「どうしたの、千鶴ちゃん?」
「雪村先輩?」

にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へ
にほんブログ村
コメント