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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

報道1930  

2024-03-28 03:17:39 | 日本語文法

 

>二階元幹事長「不出馬」で考える スウェーデン82%、日本36.5 これが日本の“おじさん政治”を生む【報道1930

>政治とカネに揺れる旧態依然とした日本の政界。

85歳の議員が“次の選挙に出ない”と発言したことがニュースになったりする。   

>年齢が不出馬の判断に影響したのかという記者の問いに「年齢の制限があるか?」「お前もその年齢になるんだよ。ばかやろう」と凄んだ自民党の二階元幹事長だ。   

>一方、フランスに34歳の首相が誕生している。   

>大統領もまだ46歳(就任時は30代)。   

>進むフランスと“おじさん政治”が続く日本との差は何なのか…。

>「同じ議員同士なら年齢や経験に関係なく平等に発言する」   

>世界ではLGBTも含め年齢、ジェンダーを超えたリーダーたちが政治に多様性を花開かせている。   

>日本で“多様性”といえば、自民党青年局が企画した、いわゆる“過激パーティー”が思い浮かぶ。

>そもそも不祥事でもなければ話題にもならない、自民党青年局とは…?   

1955年に設立された、原則45歳以下の議員の集まり(当選回数など他にも規則はあるが)だ。   

>とはいえ地方では議員不足などもあって、46歳以上の議員が所属している県連がほとんどだ。   

>愛媛県連には67歳の青年局員もいる。   

>広辞苑で『青年』と引くと“145歳から245歳云々”とある。   

>そもそも被選挙権が25歳からの日本では、文字通りの青年局は成立しない。   

>日本政治の世界では「4050は鼻垂れ小僧」という世界だが、フランスで34歳の首相が出たと聞けば、何がそんなに違うのか気になる。   

 

それは人間序列の有無ですね。   

 

>日本とフランスの政治・文化の比較研究を専門とする先生に話を聞いた。   

>ちなみにフランスの首相は選挙で選ばれるのではなく、大統領が任命する。

>三重大学 ティエリー・グットマン教授    

>「マクロン大統領はイメージ戦略に優れている。    

>(新首相の)アタル氏は若いだけじゃなく同性愛者。   

>だから“若さ+同性愛者(を選ぶ)進んでる国”、(彼を任命した)進んでる大統領…というイメージ戦略が大きかったと私は見ている」   

>フランスでは若者票の獲得が課題となっている。   

>若返りは首相だけでなく、野党・国民連合の党首バルデラ氏も28歳だ。   

>また、フランスが若い指導者を認める理由のひとつに歴史的背景があると、グットマン教授は言う。   

>三重大学 ティエリー・グットマン教授   

>「(革命で王政を打倒した歴史から)平等意識は高い。    

>フランス人たちは、その人が自分より年上だからあるいは経験が長いから自分は黙ってその人の言うことを聞く、っていう意識はあまりない。   

 

フランスは序列社会ではありませんね。   

 

>同じ議員同士なら年齢や経験に関係なく平等に発言する。    

>その場で“この人鋭いこと言ってる”、“賢いこと言ってる”と目立つ。   

>そして目立った人は次に抜擢され、また目立って。    

>ポストが上がっていく。    

>アタルさんはその典型」

>「息子が選挙運動で変な選挙違反にでも関わったら人生終わっちゃう」   

>一方、日本の政界で若手が伸びない理由として、グットマン教授は3つの問題を挙げた。   

>ひとつは出馬に必要な供託金300万円だ。   

>得票率10%を獲得しないと没収される。   

>もうひとつは2週間という選挙期間。   

>短い時間では、知名度のある現職が有利だという。   

>そして、もうひとつはアジア地域の特性にあるという。   

>三重大学 ティエリー・グットマン教授   

>「東アジアということで(日本も)儒教の影響は強いでしょうね。   

>“年上を尊敬する”日本ではどの分野にも年功序列的なものがあって…年上がリーダーになることは当然っていう文化…。   

>“自分は若いのにこんな発言しちゃいけないな”という自己検閲が無意識にブレーキをかける…」   

 

日本語には階称(言葉遣い)がある。自己検閲が無くては話ができない。   

 

>その中でも自民党は保守。   

>儒教的な古い日本の影響を強く受けている政党だから若者が伸びにくいのだろうと、グットマン教授は語った。   

>立憲民主党の寺田議員は、若者が政界に進出できない理由のひとつに“地元づきあい”を挙げる。   

>立憲民主党・政倫審筆頭幹事 寺田学 衆議院議員   

>「特に地元活動は、どこに顔を出した、お祭りに顔を出した、催事場に顔を出した、街頭に立っていた…そういうフィジカルプレゼンスをとにかく出さないと知名度向上につながらない…これが若い人たちに“政治、ムリ”って思わせている…」

 

日本人はノンポリ・政治音痴ですからね。    

 

>自民党・政治刷新本部幹事 牧原秀樹 衆議院議員   

>「若者から意見を聞いた時に供託金を挙げる人は多かった。   

>県議なら6070万かな、でも国会議員は300万。   

>比例も兼ねると600万円になる。   

>自民党は党が出しますが、政党によっては自分で出せっていうところもある(無所属なら当然自腹)。   

20代は無理ですよね…」   

>そしてもうひと最近の傾向として、政治にかかわると大変な目に遭うかもしれないと敬遠する若者が増えていると、牧原議員は言う。   

 

日本人には世界観がない。だから、議論が出来ない。   

 

>自民党・政治刷新本部幹事 牧原秀樹 衆議院議員   

>「かつては選挙運動に学生ボランティアに参加していただいたんですが、最近は親が断ってくる。   

>“息子が選挙運動で変な選挙違反にでも関わったら人生終わっちゃうから”とか…」   

>共同通信 久江雅彦 編集委員兼論説委員   

>「いちばん大事なのは、投票率ですよ。   

>1970年代までは若者の投票率も60%くらいあったんですよ。   

>どんどん下がって今3分の1ですよ。   

>被選挙権も(選挙権同様)18歳に合わせれば自分に身近な人が出るって、投票率も上がってくると思う…」

 

そうですね。我が国には何でもあるが、ただ夢と希望だけがない。残酷なものは過去のない老人と未来の無い若者である。         

 

>確かに日本の直近の総選挙でも、投票率は70代が72.3%なのに対し、20代は36.5%と低い。

 

70代は義理で投票しますからね。20代には義理がない。義理があっても無くても政治音痴はかわらない。         

 

>ところが、20代の投票率が実に82%という国がある。   

>政治に関わりたいなら?“政党の青年組織に入ります”   

>北欧・スウェーデンの国会議員の平均年齢は約46歳(日本は約58歳)。閣僚の平均年齢は45歳、最年少閣僚は26歳だ日本は(62.4歳)。

>選ばれる側が若いように、選ぶ側も若く20代の投票率が82%だという。    

 

選ぶ側と選ばれる側には年齢の対応がありますね。   

 

>なぜスウェーデンでは“若い政治”が実現したのだろうか?   

>駐日スウェーデン大使館 ヨハン・フルトクイスト 参事官   

>「スウェーデンでは若い人たちの投票率が、他のどの年齢層よりも高い。   

>この国では非常に早い時期、幼い頃から有権者となり、民主主義のプロセスに参加することを奨励するシステムを築いてきた。   

>私が初めて模擬選挙に参加したのは9歳の時で、1985年の選挙だった。   

>実際の選挙と全く同じだった。   

>投票用紙を持って封筒に入れて、秘密の投票所に行って投票用紙を箱に入れた。   

>今では子供たちが投票によって学校の決定にかかわることが許されることも増えてきた。   

>例えば校庭にどんな遊具を置くとか、給食で何を出すとかね…」   

>スウェーデンでは選挙権・被選挙権ともに18歳だが、それ以前から政治に参加できるシステムが整っている。   

>駐日スウェーデン大使館 ヨハン・フルトクイスト 参事官   

>「スウェーデンの17歳の子に“政治に関わりたい、あるいは選挙に出たいならどうすればいい?”と聞けば、ほとんどの人がこう答えるでしょう。

>“政党の青年組織に入ります”。そうすることで、もし望めば政治的なキャリアを追求したり、より高いレベルで政治に関与することができる。   

>そういう意識が高いのだ」   

>スウェーデンでは若者が票田になっていて、そのことが政治を変えたとフルトクイスト参事官は言う。   

>駐日スウェーデン大使館 ヨハン・フルトクイスト 参事官   

>「社会の半分に過ぎない男性、あるいはもっと小さなグループである老人だけに焦点を当てることだけでは当選できない。   

>だから若者が選挙に参加し投票することで、その変化が加速した…」   

>先日、スウェーデンのような政治を目指そうというイベント『民主主義ユース・フェスティバル』が東京で開かれた。   

>その会場にいた若者にマイクを向けた。

>「政治家は権力やお金がたくさんある悪いことをしているイメージ」(18歳・高校生)   

>「政治に興味を持っていることに対して冷笑的な目線を向けられることがつらい。   

>どこかの政党に凄く熱心なわけではないのに、思想が強いとか変な考えに染まっちゃったみたいに取られる…」(27歳・大学研究所勤務)   

 

日本人には現実 (事実) ばかりで、非現実 (考え・哲学) がない。我々は何処の行くのかという哲学的命題は想定外になっている。      

 

>「今の若者は本当に政治に関する意識が低いと思う。   

>おかしいなと思ったことについて、自分が変えてみようって意識を持ったらいいと思う」(15歳・中学生)   

 

日本人には意思が無い。意思のあるところに方法がある。 Where there’s a will, there’s a way.   

 

>この声を聞く限り、意識の高い子がいないわけではないようだ。   

>ニュース解説 堤伸輔氏(フォーサイト元編集長)   

>「『冷笑的な目線を向けられることがつらい』、これは日本社会に本当にある傾向だと思う。   

>これはずっと戦後のいろいろな制約、はっきり言って右からも左からもかけられて生まれた。   

>この15歳の子の意識の高さに思わず頼もしく思ってしまったのですが、実はイギリスはいま、16歳を選挙権年齢にしようというキャンペーンが始まっている。   

>イギリスは4つの連合ですが、地方選挙では、すでに2つの地域は16歳で投票できる。   

>いずれ総選挙もそうなっていくでしょう。   

>この15歳の子は、外国から見たらこんな若い子がこんなことを言うのかという例外的なものではなくなっているということを、もうちょっと日本は知っておかなければならない」   

 

英米の高等教育は現実だけの人間を現実プラス非現実の人間に変える。わが国には大人の教育がない。       

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。これは政治に必要である。日本人の場合は、無哲学・能天気にためにノンポリ・政治音痴になっている。これでは冴えた政治は行われない。

 

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

 

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

 

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

 

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)       

 

BS-TBS『報道1930325日放送より)


つんく♂さん 孫泰蔵さん  

2024-03-27 17:54:06 | 日本語文法

>音楽家、プロデューサーのつんく♂さん、連続起業家としてさまざまな事業を手がける孫泰蔵さんの対談。   

>2023年、つんく♂さんが『凡人が天才に勝つ方法 自分の中の「眠れる才能」を見つけ、劇的に伸ばす45の黄金ルール』、孫泰蔵さんが『冒険の書 AI時代のアンラーニング』をそれぞれ刊行。   

>お互いの著書を読み、仕事論からAI時代の話まで、深い話は尽きることなく盛り上がりました。   

>今回は、海外から見た「日本企業のちょっと異質な習慣」について話し合います。   

>「工夫が生まれない土壌」が問題   

>つんく♂:ハワイに住んでいると特に思うんですが、最近は世界的なインフレもあって、日本がどんどん厳しい状態になっているような気がします。   

>孫さんが見た「日本企業の欠点」みたいなものはありますか?   

>孫:大企業のサラリーマンって、とりあえず言われたことをやっていれば昇進していくじゃないですか。   

 

そうですね。それはエスカレーター式昇進ですね。   

 

>残念ながら、そこには工夫がない。   

>むしろ変な工夫をして失敗すると「おまえ、何やっとんじゃ」と言われる。    

>だからそれで余計なことをしないほうがいいみたいな空気がある。   

 

雉も鳴かずば撃たれまい。    

 

>でも、つつがなくやっていれば、年功序列で給料が増えていく。   

>このように、世界のビジネスからかけ離れているのに、それでいいみたいな感じの雰囲気がまだまだあるんです。   

>だから、日本はダメになってしまったと思います。   

>つんく♂:やっぱりそういうのって、日本特有なんでしょうか。   

>孫:たとえばオンラインミーティングで、日本人はずらーっと入ってきて、一言もしゃべらず抜けていく。   

>他の国だとあり得ないです。   

>つんく♂:あるある。   

>たしかにそうですね。   

>外国人が驚く日本人のオンラインミーティング   

>孫:普通に考えれば、話すことがなければ会議に出席する必要はないし、出席したからには、どんどん発言して自分の価値を出していかないと周りからも認めてもらえない。   

>なのに、日本人は黙って入って、黙って出ていく。   

 

そうですね。日本人は無哲学・能天気ですからね。   

 

>そういうのを見ていると、僕、ちょっと気持ちが悪いんです。   

>たとえば10人中3人だけが一生懸命話して、あとの7人はただいるだけ。   

>しかも画面の向こうで他のことをしていたりしてね。   

>つんく♂:話している側のテンションも下がりますよね。  

>孫:僕は「参加しないなら入ってくるな」って思っているんですが、日本ではそれが当たり前で、悪いことだとも思っていない。   

 

日本人は義理で参加していますね。   

 

>「会議に出ました」なんて言われても、「発言しないなら出ていないのと同じ」って言いたくなります。   

>つんく♂:そういう人たちに、「イエスかノーか。   

>これについてどう思うか」って発言を求めていったら、どうでしょう。   

>孫:名指しで聞けば何か言うでしょうが、玉虫色の適当な発言しかしないことも多いでしょうね。   

>「そんなの聞いてない」は通らない   

>つんく♂:僕は大会社の経営者になったことがないからわからないけど、「またあいつが面倒くさいこと言ってきた。   

>だから会議が長引くねん!」みたいなこともあるのかな。   

>経営側から見れば、イエスマンが多いほうがラクというか。   

 

イエスマンが多ければ共産党大会のようなものですね。   

 

>孫:たしかに、そういう面もありますよね。   

>でも、本当に実のある話をしているのは、実は数人だから、なら数人だけで決めちゃえばいいって思いますよ。   

>つんく♂:会議で発言しない人にかぎって「いや、そんな話は聞いてないよ」みたいに言いがち(笑)。   

>孫:その通りです。   

>他の国だと、意見も言わない人が「俺の知らないところで勝手に決めるな」なんて言う資格はないんですよ。   

>だって、何もしていないんだから。   

>つんく♂:いわゆる「俺に話を通せ」っていう人たちですね。   

>孫:日本では現場も知らない上の人が「ちゃんと報告しろ」と言ってきて、「それにはこういうリスクがある」「何かあったらどうするんだ」とか、現場感のない横槍を入れてくる。   

>それでフリーズして物事が進まないことってよくありますよね。   

 

いいがかりによる災いですね。   

 

>つんく♂:めっちゃありますね。   

>日本企業はシリコンバレー出入り禁止   

>孫:ここだけの話ですが、ITスタートアップの世界では、シリコンバレーに世界の才能が結集しています。   

>以前は日本企業がよく視察に来ていましたが……。   

>今では「日本企業というだけで出入り禁止」の企業がたくさんあります。   

>つんく♂:え? なぜですか?   

>孫:話を聞くだけ聞いて「勉強になりました」と帰っていくからです。   

>つんく♂:デパートでさんざん試着や試食だけして、何も買わないお客さんみたいな……。   

>孫:そうです。   

>何も買わない、何も決めない。   

>「楽しかったです」「おいしかったです」とつまんで帰るだけ。   

 

無哲学・能天気ですね。   

 

>それが20年くらい続いて、「日本企業は僕らの時間だけ奪って帰っていく」と悪名高いんです。   

>つんく♂:90年代ぐらいはまだよかったでしょうけれどね。   

>孫: 90年代は日本企業もまだ勢いがあったし、お金も出せた。   

>残念ながら、失われた20~30年と言われる中で、そうなってしまいました。   

>意思決定にも時間がかかる   

>つんく♂:それって日本だけですか?

>孫:日本が著しいです。   

>たとえば韓国企業は少し前までは日本っぽさがありましたが、サムスンのような財閥系であっても、後継者はアメリカで教育を受けた若い世代に替わりつつある。   

 

アメリカでの教育が大きいですね。   

 

>しかも創業家の後継者だからこそ、ズバッと判断できるという面もあります。   

>日本はそれすらないんです。   

>つんく♂:たしかに、ないですね。   

>孫:そう。   

>わけです。   

>「みんなで決めよう」からの「聞いてないよ〜」で、判断に時間がかかる。   

>つんく♂:どうしてそういうのが生まれちゃうんでしょう。   

>孫:先ほどの会議で発言しない人って、興味がないんだと思うんです。   

>だったらそこから抜けて、興味のある仕事をやればいい。   

>「聞いてない」と言う前に、自分の好きなことをやればいいんですけどね。   

>その仕事が好きな人、興味がある人同士で集まれば、「これでいいかな」「うん。いいね」って、サクサク進められると思うんですけどね。   

>つんく♂:日本には、まだまだそれができない「風通しの悪さ」があるのかもしれませんね。

 

各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.    

 

つんく♂:日本には、まだまだそれができない「風通しの悪さ」があるのかもしれませんね。   

 

わが国には人手不足はあっても頭脳不足はない。日本人は大切なところに頭を使っていないからである。  

日本人は思考を停止している。 だから、日本人には現実 (事実) があって非現実 (考え・哲学) がない。それで、日本文化には形式 (儀式) があって内容 (教義) がない。

それで、我々はその分余計に形式に拘る事になる。  

内容が無いのであるから拘る形式もつまらぬことになる。   

いいがかり(a false charge) とは、つまらぬことを口実にして無理をいう事である。まっとうな事が存在しなければ、つまらぬ事もつまらぬ事ではすまされない。だから、無理はいじめになる。    

鳥なき里の蝙蝠である。(優れた者のいない所では、つまらない者が幅を利かすということ。) 日本人はこの言いがかりに日常的に苛まれている。他人の目恐怖症により精神的に疲れている。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 


吉国幹雄氏 1/2

2019-10-03 14:30:30 | 日本語文法

>78548 次代に繋がる言葉の用法、
>吉国幹雄 ( 52 講師 ) 04/09/28 PM10 【印刷用へ】
(略)
> 日本語の用法の特徴は三つある。
>●言語中心 ●一語文 ●題目の「は」
>まず、前者の二つについて
>●述語中心
> 「日本語の特徴(16269)」にもあるように、西洋言語が主語中心の文脈であるのに比して、日本語の文はしばしば主語が省略される。

そうですね。日本語は、高文脈文化 (high context culture) の言語ですからね。

>主語が発話者であったり、文脈から予想されるのなら主語は不要である。>本源社会の日本人にとっておそらく必要な共認内容は行為そのもの(どうする)にあるのであって、元来「誰が」に力点はない。

そうですね。日本語・日本人には、個人主義の理解が行き届いていませんね。

>大主語(行為の主体)は「みんな」なのだろうから。

‘世の中は、、、、’ という発想法のようですね。

>⇒匿名社会(名ナシ・顔ナシ)をこじ開ける転換期には明確な主語は必要とされる場合も多いだろうが、少なくとも共認充足の場では発話者の主語など使わないほうがいいだろう。

困ったものですね。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

>●一語文
>かつて「サンゴ族」と称された人々がいた。 >仕事で疲れて帰宅するや「お茶!(または酒!)」、次に「めし!」、食事を済ませると「風呂!」と宣言し、入浴が終わると翌日に備えて就寝。

‘サンゴ’ とは、’茶 (酒)・飯・風呂’ の三語のことですね。

> 今時、こんな旦那達は稀有の存在となっているが、何も新社会において奨励する気は毛頭ない。>ただ、よく耳にすることだが現在、「お茶!」というのは息子娘達で、そのたびに「お茶がどうしたの? 人にものを頼むならちゃんと言いなさい!」と嘆き指導するのが世の中の主婦達(場合によっては主夫達)のよう… >「お茶!」「お茶。」「お茶?」「お茶…」 > 上記はちゃんとした文の構造を呈している。

そうではないでしょう。文 (sentence) には、主部 (subject) と述部 (predicate) が必要ですね。
全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。
矛盾を含まない文章は、全て正しい考えを示している。だから、正解は一つではない。考えの内容は、人様々である。だから、正解も無数にある。

>日本語では一語文は幼児だけのものではなかった。>子供も大人も頻繁に使う文型である。 >日本人は生まれたときから死ぬときまで日常的に一語文を使いつづける世界でも特徴的な民族だそうな。

そうでしょうね。わが国は、高文脈文化 (high context culture) の国ですからね。

> 一語文は共認関係(期待・応合関係)なしでは成立しない。>潜在思念や深層部分(期待)を、表層的な一語発話から聞き手は言語化されない文脈をわかっているからこそ応合できる。

それは、忖度 (推察) によるものですね。聞き手の勝手な解釈ですね。現実直視になっていないでね。これでは、議論にならないですね。

>阿吽の呼吸とは何も夫婦間の話ではなく、日本人はもともと備えているものなのだろう。

そうですね。日本人には、意思 (will) がない。意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本人には意思がない。だが、日本人には、恣意がある。
意思は文章になる。だから、意味がある。恣意は、バラバラな単語 (小言・片言・独り言) のままで存在するから、文章にならない。だから、意味がない。
英文法には、時制がある。だから、英米人には、意思がある。意思には意味があるから、議論の対象になる。意思疎通も可能である。相手の理解が得られる。相手との連帯感ができる。
日本語文法には、時制がない。日本人には、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。恣意 (self-will) には意味がないから、議論の対象にならない。相手の理解が得られない。相手との間に疎外感ができる。意思疎通はないが、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) がある。意思決定 (理性判断) はないが、恣意決定 (盲目の判断) がある。これは、非常に危険なことである。リーズン (理性・理由・適当) が無いので、説明責任が取れない。兎角、この世は無責任。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。
自由とは、意思の自由のことである。欧米人は、自由を求めている。だが、恣意の自由は、認められない。恣意の自由は、’自由のはき違え’ として、禁止されている。だから、わが国においては、’不自由を常と思えば不足なし’ が現在においても通用している。



精神年齢が低い人

2018-12-02 20:45:39 | 日本語文法


>1精神年齢が低い人の特徴
>・1-1基本的に他力本願
>[精神年齢が低い=中身が子供]ということなのでそのまま年齢だけを重ねると、親がやってくれる代わりに他人がやってくれるのを望みます。

そうですね。他力本願・神頼みですね。

>・1-2被害者意識の塊
>自己中な困った行動の根底にあるのは「私は悪くない。私は被害者。私を守って。」という被害者意識になります。

そうですね。日本人には意思がないので、加害者意識もない。だから、私は悪くない。あるのは、被害者意識ばかりです。

>・1-3自己責任の意識が全く無い
>「周りがそうしろと言ったから」>「あの人に言われた通りにしただけ」>などと、自分に落ち度が無いように立ち振る舞います。

そうですね。死刑執行人と同じですね。人は死んでも、彼らは殺人罪に問われない。彼らには、殺意というものがないからである。だから、自分には落ち度がない。

>2精神年齢が低くなる原因
>・2-1両親からの愛情不足
>子供は親の愛情が感じれないとそれを受け取るために色んな手を模索します。>その注目の集め方として自分が被害者になることによって親からの注目を集めるパターンがあります。

そうですね。自傷行為などもありますね。

>・2-2両親の過保護
>本当ならば子供の自立を促さなければならない部分も親が干渉してしまい、子供が親に頼りきったまま大人になってしまう訳です。>社会に出るまでずっと親の判断、親の保護下、親の責任の下で育ってきたので、いざ自分の判断を求められた時に決断できません。

そうですね。侍従に判断を任せきりにして偉くなった人は、いざ自分の判断を求められた時に決断できません。

>・2-3他人と正面から向き合ったことが無い
>自分の気持ちが中心で、自分の感情に支配されて、自分の基準が世の全てだと思っています。

恣意 (私意・我儘・身勝手) の人間になりますね。

>本来は他人と向き合う経験をすると「自分の基準は他人には通用しない」というのが分かるはずなんです。

相手を説得するには、‘あるべき姿’ の世界が必要ですね。

>・2-4自己理解が甘い
>精神年齢が低い人は自分の感情に支配され、ワガママになったり、すぐに感情的になったりします。

そうですね。日本人には、恣意 (私意・我儘・身勝手) があるので、我儘になりやすいですね。恣意は、ばらばらな単語 (片言・小言・独り言) で存在し、文章にならない。文章にならないものは意味がなく、矛盾も指摘できない。したがって、対話の対象にはならない。
英米人には、意思があるので我儘になりにくい。恣意は受け入れられない。
意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) というものがないので、未来時制もない。したがって、日本人には意思がない。
聞き手は、忖度 (推察) により話し手の内容を代弁するが、忖度は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。だから、議論にならない。話者の独りよがりもおさまらない。’お前らに、俺の腹の底が読めてたまるか’ と述べている。

>他人と深く関わるには/相手の気持ち/相手の立場/自分の伝え方/自分の感情などをしっかり考える必要があり、その体験がとても重要です。

優れた人間関係には、意思疎通が必要であるが、日本人には意思がないので、恣意疎通 (阿吽の呼吸) にならざるをえない。鳥なき里の蝙蝠か。(優れた態度のないところで、つまらぬ態度が幅をきかすこと。)

>3精神年齢が低いとどうなるか
>・3-1見える範囲が狭くなる

日本人には、世界観 (非現実の三世界) がないので見える範囲が狭くなっています。

>子供って自分の感情や欲求が全てですよね。

そうでしょうね。子供は、調教されていないアニマルのようなものですね。

>つまり視点が「自分の感情と今ココ」しかないんです。>周りにいませんか?

いますね。日本人全体が、子供ようですね。マッカーサも、日本人を12歳の少年に見立てていました。
日本語では、現実の内容しか文章にならない。だから、写生画のような言語であります。現実の内容は、見ることができるので、’本当’ の事であるとして信頼されています。非現実 (考え) の内容は、見ることができないので、これは ‘嘘’ になります。誰も嘘つきにはなりたくないから、自己の考えは述べません。受け売りばかりが盛んです。言語による自己表現が難しく、自己実現に難渋しています。

>仕事や上司などの愚痴しか言わない人。>こーいう人はまず経営者の視点がありません。>人の上に立つ上司の視点もありません。>職場環境も長期的に考えたらプラスかもしれなくても、長い目で見る視点がありません。

日本人は、自己表現・自己実現に難渋していますね。

>今ココの感情だけで生きているので、今イライラするならそれだけで不幸だと感じます。

そうですね。‘まだか、まだか、まだか’ と待っている。不幸ですね。

>3-2相手の立場や気持ちが分からない
>要は相手を冷静に見る余裕が無いので、自分の感情のままに行動し、空気の読めない言動をしてしまいます。

忖度を使っていては、相手を正確にとらえることはできませんね。日本人にはリーズン (理性・理由・適当) の概念がないので、理性で感情を抑えることも難しいですね。相手の顔色だけを読むのではアニマル風ですね。

> ~後略~


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大志を抱け

2018-11-16 00:31:22 | 日本語文法


>国を動かしている者たちを、昔はお上(かみ)と呼んでいた。

そうですね。序列社会を作って上意下達でやっていましたね。

>現代なら、官僚、学者、マスコミ、政治家等が、それに相当する。>彼らこそ、この社会を差配し統合してきた統合階級であり、見た通り全員が受験エリートである。

試験制度で序列順位を得ていますね。

>しかし、彼らは、この40年間の間に、返済不可能な1000兆円もの借金を国家に積み上げてきた。>無能の極みと言わざるを得ない。

1000兆円は、返済が必要なのですかね。

>その上、最近では原発、医療、TPP、さらには消費税増税に非正社員の激増と、国民生活は窮迫してゆく一方である。>どうやら彼らは、己の地位と利権を守ることしか頭にないらしい。

彼らは、無哲学・能天気ですからね。

>もちろん、心ある学者は「市場拡大の誤り」を指摘し、心ある医者は「医療の罪」を告発しているが、何れもごく一部でしかない。>従って、国民大衆も、そろそろ腹を括(くく)る必要がある。>すなわち、『もはや、お上(かみ)は頼りにならない』。

そうですね。カミ頼みは良くない。自分自身の頭で考える必要がありますね。

>それどころか、利権に塗(まみ)れた受験エリートたち(官僚、学者、マスコミ、更には医者)は、今や国民生活に害を与えるだけの存在に成り果てた。

受験が、悪の根源ですかね。彼らには、教養というものがないのでしょうかね。

>従って、『今や、お上(かみ)は全く信用できない』。

権威主義は恣意的 (私意・我がまま・身勝手) ですから、信頼できませんね。

>とりわけ不正選挙は、民主主義の根幹を破壊する暴挙であり、上記の現象も含めて、今、社会の至る所で秩序の崩壊が進行中であると認識すべきだろう。

民主主義の運営も難しいですね。

>言い換えると、今、社会は再び全面的に不整合な世界へと戻りつつある。

序列秩序も崩壊しましたしね。

>従って、秩序崩壊の危機を感じ取った人々の潜在意識では、すでに未知収束の強い力が作動し、不整合な世界への収束と自考が始まっている。>その結果、自給自足のイメージに近い自給志向(自分で賄(まかな)う)や自考志向(自分で答えを出す)が強く生起してきた。>とりわけ’12年末の不正選挙以降、人々の自給・自考志向は加速度的に急上昇している。

自給・自考には、社会性はないのですかね。

>今や職場では(=社会に出れば)、自考力が全てとなり、自考する力のない者は淘汰され、生きてゆけない時代を迎えている。>しかし、明治以来、学校教育によって「教える→分かったつもり→自考停止」の悪循環を繰り返してきた結果、現代人の自考力はとことん衰弱してしまっている。

そうですね。思考停止と暗記万能でどうにもなりませんね。これでは、天下の秀才ばかりが輩出します。

>どうする?>今、社会は秩序崩壊の危機に瀕(ひん)している。

新しい社会の建設が必要ですね。

>しかも、お上(かみ)は頼りにならない、全く信用できない。

権威主義に基づいた上意下達は、昔のやり方ですね。民信なくんば立たず。

>とすれば、自分たちの手で社会を守ってゆくしかない。>そして、その為には、まずこの世界(の構造)を掴(つか)み切る必要がある。

そうですね。我々日本人は、考える人になる必要がありますね。

>だから、少年よ、大志を抱け。

Boys, be ambitious for the attainment of all that a man ought to be. (少年よ、こうあらんと思う全てのことの達成に貪欲であれ)

>『社会を守る』⇒『世界を掴む』等の大志を胸に抱けば、その大志が持続的な未知への収束と自考力を育んでくれる。

世界観 (world view) を持つことができれば、’あるべき世界’ の内容も提唱できますね。
ところが、日本人には世界観がない。世界観は非現実の内容であって、時制 (tense) のある文章内容として、過去・現在・未来の非現実の三世界で表現されます。
日本語には時制がないので、日本人には世界観 (非現実) の内容もない。だから、自分自身の ’あるべき姿’ の公表もできない。それが切ない・苦しい。

>勉強をする目的も、全ては『社会を守る』⇒その為に『世界を掴む』ためである。

世界を掴むためには、世界観が必要です。英語には時制があるので、英米人には世界観がある。だから、英米流の高等教育を受けると自分自身の世界構想を発表できる。考えが、global (全地球的) にも, universal (普遍的) になる。

>しかし、多くの生徒が(大人もそうだが)、「しんどい」「厄介」「面倒」「関係ない」等の言葉で自己を正当化し、自考課題から逃げ回っている。

問題の解決には、考え (非現実) の内容が必要ですね。考えの内容は、見ることができない。だから、理解が必要である。すると、理解に頭を使わなくてはならないから、「しんどい」「厄介」「面倒」「関係ない」等の想いが思わずこみあげてくる。頭脳労働は、疲れるのである。

>それは、多くの生徒(大人)にとって、勉強(仕事)が、嫌でもやらなければならない強制課題に成ってしまっているからである。

日本人には、意思がない。意思は、未来時制の文章内容である。日本語文法には、時制というものがないので、未来時制もない。だから、日本人には意思がない。
意思のあるところに、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思のない人は仕方がないので、無為無策でいる。すると、周囲から強制課題が与えられることになる。受け身の姿勢には夢と希望がない。
英語を学んで、自分自らの考えを発表しようではあませんか。そうすれば、我々日本人の道は拓けます。


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