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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

負のスパイラル  

2021-02-27 11:46:59 | 文化

 

>内田樹「日本社会の生きづらさに“現状維持”を望む若者 負のスパイラルの始まりだ」 >連載「eyes 内田樹」 >内田樹2020.12.2 07:00AERA#内田樹

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> 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。

>時事問題に、倫理的視点からアプローチします。

>*  *  *

>「若者ほど内閣支持」という見出しを見て胸を衝かれた。 >毎日新聞が117日に行った世論調査によると、内閣支持率は全体で57%だが若い世代ほど高い。 >1829歳では支持率が80%、30代が66%。 >以下しだいに下がって、80歳以上が45%で最低。

 

若者の方が現実肯定主義の傾向が強いですね。   

 

> 首相の日本学術会議新会員の任命拒否についても、1829歳は「問題だとは思わない」が59%に達した。> 今の日本は若いほど政府の主張に理解を示していることがわかる。 

 

政府に理解ではなくて丸投げでしょうね。   

 

>年齢が低いほど現状肯定的になり、変化を嫌うというような現象を私は70年生きてきてはじめて見た。

 

伝統的に何事もお変わりなきことが良いことで・・・・。未来に関しては、一寸先が闇に見えます。      

 

> 識者によると、若い人にとって今があまりに生きにくい時代なので、「これ以上悪くならないように」という願いが彼らを現状維持に向かわせるのだという。 

 

そうですね。他力本願・神頼みですね。   

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)   

 

>生まれてからずっと年々日本社会は生きづらいものになってきた。>であれば、これから先もさらに生きづらい社会になるに違いない。  

 

自由とは、意思の自由の事である。だが、日本人には意思がない。そして、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。恣意の自由は何処の国でも認められていない。’自由のはき違え’ となるからである。 だから、昔からの ’不自由を常と思えば不足なし’ のままでいる。 

 

>それならいっそ現状のままの方がましだ……というのは帰納的推理としては合理的である。>より悪く変化するよりは現状維持。

 

そうですね。それは、社畜・家畜の精神ですね。    

 

>「知らぬ仏より馴染みの鬼」という理屈にはそれなりの説得力がある。

 

なれ合いが日本人の本分ですからね。なれ合いをするなら理解せずに済む。頭を使わない人間は、思考停止と判断の丸投げで生活をやり過ごしている。だから、日本人は政治音痴ですね。受け身の人生ですから政策による被害者ばかりが多く出る。      

日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている。’  (ウスビ・サコ)   

 

> これは政権担当者にとってはまことに耳よりな情報である。>この理屈でとおせるなら、これから先、政府は「国民がより生きにくくなるような政策」を選択的に採用すればするほど、若い人たちはいっそう現状肯定的になり、政権基盤はいっそう安定することが期待できるからである。

 

そうですね。現実肯定主義の国民により日本の保守政権は安定していますね。日本人はどの世界へも移行しようとは思わない。日本語の文法には時制 (過去・現在・未来) というものがないから、日本人に別世界の内容は想起できませんね。政権担当者と国民が力を合わせて自分たちの墓穴を掘っていますね。  

 

> そう考えると、国民に痛みや犠牲を求め、基本的人権の制約をめざす政党の方が、国民に高福祉や市民的自由を約束する政党よりも若い人たちに好感されているという事実が理解できる。> 月額7万円渡すだけで、年金も生活保護も打ち切るという提案も、おそらく若い人たちのうちには相当数の支持者を獲得することができるのだろう。

 

そうですね。   

 

> 国運が衰微し、勢いが失われ、生活が貧しくなると、国民の自己評価もそれにつれて下がる。>するとその低い自己評価にふさわしい「冷遇」を受け入れることがクールでリアルな生き方だと信じる人が増えてくる。>日本はそういう「負のスパイラル」に入り始めたようである。 

 

そうですね。貧すれば鈍するですね。負のスパイラルですね。     

 

>内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

>AERA 2020127日号

 

 

 

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自分の言葉 2/2  

2021-02-26 13:09:28 | 文化

 

>彼らの何れもが、自分の頭で考え抜いたものではなく、世論や官僚の意見を足して2で割るようなものでしかなく、従って国民の心を捉えられるような響くものがない。

 

そうですね。日本人には世界観がありませんからね。

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。       

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性がない。それで、個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。

 

>ドイツのメルケル首相やニュージーランドの首相の言葉が国民はもとより全世界の人々に感銘を与えているのは、借り物ではない自分の言葉で語りかけているからに他ならない。

 

‘All men are created equal.’ (人はみな平等に造られている) と言えば、その人は尊敬される。A  

人間万事不平等と言えば、ただの人になる。

Aは考え (非現実) の内容であるが、Bは現実の内容である。

人々は、非現実の内容を待ち望んでいる。非現実の内容を現実の内容に変換できれば、その人は創造力を発揮したことになるからである。  

東京五輪パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長 (元首相) 女性がたくさん入っている理事会の会議は、時間がかかりますBタイプの発言をしたらどうなるか、結果は皆さんご存知の通りである。   

 

見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の非現実は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。

現実の内容は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。だから、考える必要はない。これは楽ちんである。正解はただ一つである。これは人とアニマルが共有する非言語の世界である。

非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。理解は人間だけが持つ言語の世界である。

理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。

 

>その差は、対象の広さ、国民を、相手を思いやる心の有無に規定される。

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国内外の社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層大きな貢献が可能になるでしょう。

 

 

 

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自分の言葉 1/2  

2021-02-26 11:14:50 | 文化

 

>363351        借り物ではない自分の言葉

>阿留毘 ( 71 会社員 )         21/01/07 AM02 【印刷用へ】

>年末から年始にかけて、引きずっていた風邪がぶり返したので、外出も出来ず、寝ながらNHKや民放のドキュメント番組などを観て過ごす結果となった。 >その中で、先ず気づかされたのが、戦後日本(人)の劣化で、それは政治(家)の世界で顕著で、特に外交交渉などに於ける優柔不断さや結論先延ばしの逃げの姿勢である。

 

カレル・ヴァン・ウォルフレン 氏 (Karel van Wolferen) は、<日本・権力構造> (The Enigma of Japanese Power) <世界にあって世界に属さず>の中で日本の交渉能力について下記の段落のように述べています。

アメリカ政府はとくに、中曽根を含む日本の歴代首相との交渉を通し、日本の場合には、政府の公式首長であれ他の誰であれ、実効性のある交渉は不可能だと気づかされた。他の多くの国も今世紀を通して分かったのは、日本の交渉者とは実質的な交渉はできないということだった。日本の交渉者が交渉不能なのは、交渉者のどんな言葉に対しても本国で反対される可能性がつねに存在するためだ。この難しさが、日本に対する戦前の欧米諸国の態度を大方決めたのだった。ある日本外交史の専門家が要約するように-戦前の日本ほど、国際的信頼を得たいという強迫観念にかられながら、世界中から信頼されなかった国はない。交渉の失敗を考えることすらこわがっていたにもかかわらず、日本の指導者も交渉者も交渉は最小限にとどめたし、考えもこり固まっていたので、非難されることは必然的だった。・・・・交渉という交渉で、指導者も外交官もあやまちをくり返すまいと意識して努力したにもかかわらず、結果は何度も何度も同じ落とし穴に落ち込んでしまうのだった。(引用終り)      

 

>それを許している根本原因が我々の側にあることも間違いない。

 

そうですね。日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)   

 

>近いところでは1か月程前に行われた日中の外相会談後の共同記者会見で王毅外相から真逆の日本漁民による尖閣の中国領海内における不法操業問題が一方的に指弾されたとき、茂木外相が一言も反論もせず愛想笑いを浮かべていた様子が報道され、世論の反発を招いていたが、竹下派であればしょうがないなどと、妙な納得をして、そのうちに忘れてしまうのが日本人の悪い癖である。

 

それは中国人には見られない日本人の悪い癖ですね。    

 

>そのような外相しか持つことが出来ない我が国の責任は、専ら国民の側にもあり、我々自身が自分の頭で常に考え、答えを出していく訓練を日々積み重ねる以外にない。

 

まったく、そうですね。

日本人には意思がない。意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。

意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り)

‘兎角、この世は無責任’ という事か。

自己の意思を表せば当事者・関係者になる。表さなければ傍観者にとどまる。意思表示の無い日本人は常に傍観者にとどまっていて、孤高の人になっている。孤立無援になりやすい。わが国は、世界の中にあって、世界に属していない蚊帳の外。

 

>日中国交正常化以降の50年弱の歴代の首相の交渉結果と周辺状況についてもドキュメンタリーは放映されていたが、天安門事件後の日本政府の国際世論を無視した外交は、宇野首相から海部首相の時代であるが、天皇の政治利用など如何に将来に禍根を残すことになるかの思慮に全く欠けた政治判断と言わざるを得ない。 >その後の、橋本首相(本人のハニトラ問題や上海領事館員の国家機密漏洩阻止自殺問題)や民主党政権下の管首相(中国漁船船長釈放問題)などは論外としても、小泉首相や安倍首相にしても、米中二股外交など危なっかしい限り。 

 

日本人は、自己が確立していないからでしょうね。司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」    

 

 

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尖閣侵入 2/2  

2021-02-26 05:02:45 | 文化

 

> 尖閣諸島は、歴史的にも国際法上も日本固有の領土であり、中国側の言動は国際秩序を踏みにじるものだ。  

 

中国は言論などものともしない。時間がくれば天安門事件のように戦車で言論を踏み潰すだけである。中華思想は自己中心的である。そして、彼らの考えかたは、昔から変わっていない。

中国は中原の鹿を追う伝統的な覇者の国である。覇者の物語は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。独断専行に陥りやすい。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。   

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    

東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     

南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 

西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。

北てき (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。

 

> こうしたなか、海保と米沿岸警備隊の巡視船は21日、東京・小笠原諸島周辺で合同訓練を実施した。   

 

我が国は、自分では立てないので常にあんにい’ (アメリカ) に手を引かれて行動しますね。   

日本人は自分では判断できない。日本人には意思がない。意思決定 (理性判断) ができないので、恣意決定 (盲目の判断) をしなくてはならない。有事に際してこれでは困る。だから、アメリカに国防を丸投げする。自主性がない。禁治産者のようなものか。     

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

 

>違法操業する外国漁船の取り締まりを想定した訓練だったが、中国の暴走阻止を意識していたことは明らかだ。  

 

我が国は、いつもアメリカさんに手を引かれてよちよち歩きをする国である。   

 

> 米国事情に詳しい福井県立大学の島田洋一教授は「米国が『主権』という言葉を使い、日本の立場を支持したことは評価する。     

 

あくまでも、他力本願・神頼みですね。自分自身で主権は守れない。いつもアメリカの親切を評価しなくてはならない。      

 

>ただ、日本が尖閣を実効支配する現状を受けた常識的な対応だ。  

 

そういってみせるのは、ごまめの歯ぎしりですね。   

 

>日本は期待し過ぎず、うまく利用すればいい。 

 

日本は地球に迷い込んだ孤児のようなものですね。自己の世界観を持つことができない。だから、常にアメリカさんが頼りです。ただ乗りははできないものかと考えている。             

 

>海保と米沿岸警備隊の合同訓練を受け、米軍や自衛隊も加えた連携を深めるべきだ。  

 

アメリカさんに手を引かれてわが国はよちよち歩きを始めるのか。 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。    

 

>海保の軍事組織としての機能を否定した海上保安庁法第25条の改正も必要だ」と語っている。

 

アメリカの防衛には陸軍、海軍、空軍、海兵隊、沿岸警備隊の5軍に宇宙軍が加えられましたね。    

イザヤ・ベンダサン は、<日本人とユダヤ人> の中で、安全について次の様に述べています。

個人の安全も一国一民族の安全保障も、原則は同じであろう。しかし、日本では、カキに果たして殻が必要なりや否やで始まるから、知らせないこと、知らないことも、安全には必要だなどという議論は問題にされない。さらに防衛費などというものは一種の損害保険で、「掛け捨て」になったときが一番ありがたいのだ、ということも (戦前戦後を通じて) 、日本では通用しない。(引用終り)    

 

 

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尖閣侵入 1/2  

2021-02-26 04:40:37 | 文化

 

>「中国船の尖閣侵入、物理的な損害をもたらす」米が日本支持、中国批判 識者「常識的な対応だ。日本は期待し過ぎず、うまく利用を」  > 2021/02/25 17:12

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> 米国が、中国への強硬姿勢を明確にした。 

 

我が国の中国への強硬姿勢は出ないのでしょうかね。      

 

>中国海警局の船が周辺海域への侵入を繰り返している沖縄県・尖閣諸島について、国防総省が「日本の主権」を支持し、中国を批判したのだ。 

 

ありがたいことですね。アメリカさんのお陰です。   

・・・・・平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。というお念仏は現実離れした発想でしたね。 諸国民の公正と信義ではなくて、アメリカさんの公正と信義でしたね。    

 

>さらに、尖閣周辺の海を守る海上保安庁を援護するように、海保の巡視船と米国の沿岸警備隊の巡視船が合同訓練を実施し、日米連携を印象付けた。

 

アメリカの沿岸警備隊は軍隊ですからね。力により公海及び合衆国の管轄が及ぶ水域上、水面下、および上空におけるあらゆる連邦法の執行またはその支援を任務としていますね。平和ボケした海保の巡視艇とは違いますね。  

 

>

> 「米国は尖閣の主権をめぐる日本の立場を支持する」>「中国海警局の船が尖閣周辺の日本領海に侵入を繰り返すと、誤算が生じ、物理的な損害をもたらす恐れがある。 >中国にはそうした行動を避けるよう要求する」 >「米国は同盟国やパートナー諸国とともに、インド太平洋地域での法に基づく秩序を強化する」 > 国防総省のジョン・カービー報道官は23日の記者会見でこう語った。  

 

実に嬉しい知らせですね。何事もアメリカさんのお陰です。      

 

> 習近平国家主席率いる中国が今月1日、海警局に外国船舶への武器使用を認める「海警法」を施行し、尖閣周辺の緊張が高まっていることを強く牽制(けんせい)した。 

 

中国は、周辺諸国に脅しをかけてきますね。弱小諸国はみな震え上がっています。      

 

> これを受け、茂木敏充外相は24日の記者会見で、「尖閣は米国の対日防衛義務を定めた日米安全保障条約5条の適用範囲でもあり、今般のカービー氏の発言も、こうした方向と軌を一にするものだ」と評価した。 

 

他力本願・神頼みですね。独り立ちはできないものですかね。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。これは、子供のようなものである。日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。現実の内容だけであれば、'現実' '現実' の上下判断になり現実肯定主義の中に埋没せざるを得ない。だから、どっちもどっちだの結論になる。日本人の場合はこれである。非現実の内容は人様々である。非現実の内容がなければあるのは現実だけで、その正解は一つである。       

わが国のマスコミも現実の内容をただ垂れ流す。現実の正解はただ一つであるから、どんぐりの背比べで個性が見当たらない。それで、個人主義が何であるかを理解することが難しい。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、誰からも信頼されない。世界観に基づく協力者が得られないので内外の社会に貢献する度合いが限られる。

 

> 日米連携に対し、中国外務省の汪文斌副報道局長は記者会見で、「釣魚島(尖閣諸島の中国名)は中国固有の領土だ。日米安保条約は冷戦の産物で、地域の平和と安定を脅かすべきではない」と強弁した。 

 

力をつけた中国は、中華思想による独断に自信を示しましたね。   

 

 

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