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現実に埋没しないこと

2016-02-11 16:37:12 | 政治
> 平成17年の中央教育審議会答申「我が国の高等教育の将来像」で示された言葉で,21世紀は,いわゆる「知識基盤社会(knowledge-based society)」の時代であると述べている。「知識基盤社会」とは,「新しい知識・情報・技術が政治・経済・文化をはじめ社会のあらゆる領域での活動の基盤として飛躍的に重要性を増す社会」であると定義している。

我々は見ればわかる世界に住んでいる。
だが、見てもわからない世界もある。
考えを深めれば、その見てもわからない世界が見えてくる。
その知力を洞察力 (insight) と呼ぶ。

考えを深めるにはどうしたらよいか。
考えは文章になるが、見えるものを表す文章と、見えないものを表す文章がある。
見えるものを表す文章は、実況放送・現状報告の内容である。その内容は頭の外にある。
見えないものを表す文章は、考えの内容である。その内容は頭の中にある。

現実の学問は実学 (技術) になる。非現実の学問は哲学になる。
我が国は技術を発展させて技術立国・経済大国になった。
英米は哲学を発展させて、哲学博士の生産国になった。

過去の恐竜時代には、人は誰も住んでいなかった。だのに、恐竜の生態を述べる人がいる。
現在でも、分子は小さいので目に見えない。だのに、分子反応を説明する人がいる。
未来のほうき星はまだ現れていない。だのに、その出現を予言する人がいる。

恐竜も、分子も、ほうき星も、現実ではない。これらの非現実の内容が信じられるのはどうしたわけか。それは、文章の内容 (考え) になっているからである。矛盾のない考えだからである。文章があれば意味もある。矛盾が無ければ、その意味が通じる。そして、その考えは正しいものと公認される。

現実だけを語る人は低俗な人である。非現実な内容を語る人は高尚な人である。教養ある人である。
言語に時制が無ければ、現実だけになる。この窮屈な世界から逃げ出すことはできない。閉塞感に満ちた生涯を送ることになる。
時制のない言語で非現実の内容を表現しようとすると、その内容は矛盾を含んだものになって、空想・妄想となる。我が国では、この方面が発達して漫画・アニメの大国になった。

現在の内容には現実 (形而下) と非現実 (形而上) のものがある。同形だから、両者の区別が難しい。
例えば、’人間は万事不平等である’ は現実・形而下の内容である。
‘人は生まれながらにして平等に作られている’ は、非現実・形而上の内容である。
前者は真面目な話になる。だが、後者は口実・綺麗ごととして使われていて、日本人には心底信じられていない。だから、真面目になれない。曲学阿世の道具立てになっている。
非現実の内容に矛盾が無ければ、それは理想・’あるべき姿’ になる。実現の可能性があるので希望に満ちた生活ができる。政治家のあり方である。
非現実の内容に矛盾があれば、それは絵空事になる。実現の可能性はない。目的を失った一生を送ることになる。政治屋の暮らしぶりである。小異に関わる激論・抗争でその生涯を終える。

言語に時制があれば、過去・現在・未来の非現実な三世界を独立した世界として語ることができる。さすれば、理想的な世界を個人的に選択する自由ができる。我々は、あるべき姿の世界の実現に向かって努力することが可能になる。かくして個人主義・自由主義の基礎が理解される。

非現実な世界を想定できなければ、現実に埋没した不自由な人間になる。閉塞感にさいなまれた浅はかな身動きのとれない人間になる。詰め込み主義の人間では、その知識を主体的に自由に使いこなす人間にはなれない。
山本七平は「『空気』の研究」のなかで、詰め込み主義により得られた知識の役に立たないことを指摘している。
「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いている。空気とは、’現実への埋没’ を指している。埋没の状態では、現実の窮地から抜け出すことはできない。

我々には教養が必要である。英米の大学では教養教育 (liberal education) をする。世界中のエリートの学生は英米の大学に留学することを熱望している。政治家には哲学が必要である。政治家たちの国際会議は、英米大学の同窓会のようになるであろう。この中で無哲学・能天気の人間は孤高の人となる。そうでなければ、世界を相手に孤軍奮闘することになるであろう。世界観の内容に関する議論のできないことが悲劇になる。

日本語には時制がない。だから、日本人は浅薄に見える。時制のある英語にも教育の力を傾ける必要がある。
日本語を学びやすい、親しみのある言語にしなければならない。それには、カナ漢字表記をローマ字表記するのが良い。問題はたちどころに解決する。日本語で文章を書く能力が増す。非漢字圏の研修生の我が国の資格試験の合格率は目に見えて上がる。日本語による文章の普及は日本技術の伝搬とあいまって人類の力を増大させる。

人間は言語を使う動物である。だから、生活上における言語の役割はきわめて重要である。
我が国内への英語普及の問題も、国際社会への日本語普及(ローマ字表記) の問題も、我が国民が現実に埋没しないことが解決のカギになる。目先・手先の事柄ばかりにとらわれない、高尚な日本人になることが我が民族の道である。



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