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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

名誉ある地位

2016-07-31 00:25:43 | 国際・政治
>それはまだ18歳で、その名前は平凡な「日本会議」である。だが、日本で最も強力な圧力団体の1つとして、国家主義の、実際、露骨に修正主義の要求事項を掲げている――戦時の日本による、西側植民地主義からの東アジアの「解放」の称賛、軍隊の再建、左翼教師から洗脳された学生への愛国主義の教え込み、戦前の古き良き時代に行われたような天皇崇拝――である。

横文字文化は、我が国には浸透しない。愛国主義は、最も安易な国民への説得法である。
ヘルマン・ゲーリングの言葉を引用すれば、以下の様になる。

勿論、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単な事だ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ。(引用終り)

だから、平和国家を自認する国民を、戦争国家の国民にすることも可能である。

><戦後の占領は民主主義をもたらした>として米国をほめるどころか、日本会議の支持者たちは、<占領およびそこから生まれたリベラルな憲法は日本を去勢した>と言う。奇妙なことにこの団体は、日本のメディアにほとんど注目されていない――その強い影響力が政治の中枢で増大しているというのに。

自由 (liberal) であるとは、相手の異なる考えを認め、相手の異なる習慣を容認する事である。
しかるに、我が国の伝統である素読・暗記の勉強法は、異口同音の練習・強化に他ならない。
両者は、水と油の違いである。努力の方向が異なっている。だから、大和民族には、アングロ・サクソンの考え方は通じない。

>日本会議は影の影響力を持っている――280以上の地方支部があり、3万8000人の会費支払い会員を抱え、政治支配層に深く入り込んだネットワークを持っている。元最高裁判所長官が前の代表だった。国会議員のほぼ3分の1が、この団体の議員連盟の会員であり、また安倍晋三(首相)内閣の閣僚19人のうち半分以上が会員だ。安倍氏はこの団体の「特別顧問」である。


もう一度、大和絵の夢でも見たいのでしょう。

>その攻撃力は、日本を「普通の国」にすることに捧げられている――と主要支持者の桜井よしこは言う。教育は、輸入された西洋的権利という概念を薄め、国家と天皇への義務を強調すべきだ、というわけだ。日本は再軍備し、中国に対して紛争領域を断固として守り、そして、紛争解決の手段としての戦争を放棄した1946年憲法を廃棄すべきだ――と日本会議は言う。目的は、日本の「真のオリジナルな特質」を反映することだ――とそれは言う。


国粋主義 (超国家主義) の復活を目指しているのでしょうね。序列社会への愛着か。

>日本会議は、恐るべき動員能力を持っている。10年前、それは360万人の署名を集めた――教育基本法を改正して、子どもへの愛国教育を義務化するためだ。この要請を持った法律の制定が、1期目の不名誉な首相任期中(2006~07年)の安倍氏の数少ない達成の中の1つだった。会議のメンバーは常に、日本の戦時中の侵略を悪く見せるあらゆることを不満としてきた――例えば、戦争犯罪の展示会を請願や電話で総攻撃した」

日本人は、見栄と外聞に特にこだわるようです。国際社会において、名誉ある地位を占めたいのでしょう。お山の大将になる夢のようなもの。小さな身体に大きな望み。復古調というのでしょうね。はたして、日本人の魂は蘇りを見せるのか。

相変わらずの無哲学・能天気を披露する。新しい国際社会に関する夢がない。相手と自分の住む世界を考えない。相手と世界観に関する対話がない。大同がなくて、建設計画がない。’自分さえ善ければ・・・・・’ と考える。だから、国粋主義になる。英米の高等教育とは疎遠である。民度の低さが、我々日本人の根本的な問題である。この足かせの解決が必要である。


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未来のこと

2016-07-30 17:06:06 | 政治
私の父は、先の大戦中フィリピンで玉砕した。だから、私は、遺族であり遺児である。最近は、年齢を感じることもしばしばで、父の墓の手入れも滞りがちである。同病相哀れむ遺族会の会員も老人ばかりで、今にも会は消え入りそうな状態である。墓への若者の表敬訪問などはない。私たち夫婦には子供が無いので、父の墓はそのうちに無縁仏の墓になる。’無縁仏の墓は、他人が勝手に処分したら裁判で負けます’ と和尚さんが丁寧に教えてくれた。全国に草生す状況にある戦死者の墓が数多くあると想像するが、政治家はこうした墓の現状をどのように考えているのであろうか。

我が市・○○では米国の□□市と姉妹都市の関係を結んでいて、毎年、若者を中心とした友好訪問団をアメリカに送りだしている。その中には、アーリントン国立墓地の表敬訪問も含まれている。’敵国の兵士の墓に表敬訪問をすることはないではないか’ と引率者に質問をしてみると、’あすこは、観光に良いところだから’ という答えが返ってきた。’ならば、我が国でも、やったらどうか’ の話には乗ってこない。お門違いだということであろう。国による墓地の管理も我々遺族も望むところだ。国の指導者にもぜひ永代供養をしてもらいたい。外国の若者にも、多数表見訪問してもらいたい。

日本人のメンタリティでは、個人の発言というものは実況放送・現状報告の内容になる。異口同音で個性ある ’あるべき姿’ の考察はない。あるべき姿は、’今はない姿’ である。こうした非現実の内容を日本語で話せば、それは真っ赤な嘘ということになる。これは、’嘘・本当’ の世界に住む者の判断の仕方である。だから、嘘つきと間違えられぬために、’あるべき姿’ ・’非現実の内容’・’自分の考え’ は常に差し控えられている。その結果、現実に閉じこもることになる。保守主義と言うのか現実の殻を脱皮できない。右にも左にも動かない。お変わりなければ、天下泰平ということか。

この次、国家の安全を脅かすような一大事が起こって、若者の命が必要になった時には、この国の指導者は何と言って命の代償を説明するのか。我が国の自衛隊は、何のために存在するのか。自衛隊は、戦死者の墓を警備しなくてはならない。それが国を守る証となる。現今の平和の時代には、それは考えられないことなのか。’備えあれば、憂いなし’ というが、我が国には備えはないのか。’宵越しの金は持たぬ’ のが仕来りか。我が国は、ひ弱な花か。

我々日本人は未来をしぶとく生きなくてはならない。そのためには、個人の多様性を育む教育がこの国には必要である。一本の答えで国の方針が決まるといった場合、それが間違いであると判明した時には、どのような結末になるのであろうか。’とかく、この世は無責任・・・’ となるのか。責任ある個人を名指しできる社会が必要である。




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人類の進歩

2016-07-28 02:45:34 | 教育
単語は構文がなくては文章にならない。文章にならない単語は、意味のないまま、ドロドロしたものになって腹の底にたまる。そして、腹芸の原動力になる。意味がないので、相手の腹を探る。腹を割っても文章は出てこない。考えにならない。意味もない。アニマルの様なものか。

文章があれば、意味もある。
文章が無ければ、単語は意味を構成することなく、矛盾も存在しない。発言は常にうやむやである。
全ての考えは文章になる。文章にならないものは、考えではない。
日本語には、時制が無いので、実況放送・現状報告の内容ばかりである。考えの内容を示す構文がない。和文は現実の内容ばかりである。現実の内容は頭の外にある。非現実の内容は頭の中にある。二つの次元の違った内容が存在することを日本人は意識できない。

実況放送・実況放送の内容に疑念を生じたら、事実関係調べをすればよい。没個性の答えが出る。無哲学・能天気の励みである。
考えの内容に疑念が生じたら、その矛盾を指摘したらよい。矛盾のない考えは、すべて正しい。個人の個性 (考え) を認める。これは、多様な個性の共生を可能にする基礎である。英米人の高等教育である。このような教育のある国には、共生の可能性をめがけて外部からの移民・難民が押し寄せる。現実の生活においては、住民のメンタリティ (考え方) を一致させる必要がある。だが、その方法はまだ開発されていない。だから、文化の衝突が起こって、社会が混乱する。英国は英語を守って、国が滅びたか。学者に金持ちなしか。

哲学 (非現実) の内容を現実の世の中に実現させることができれば、それは創造に成功したことになる。人間固有の知力を発揮したことになる。これは人類の進歩である。我々には進歩が必要である。辛抱強く、その方策を練らなくてはならない。


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違和感

2016-07-17 01:48:40 | 教育
>最近の若者は、人の役に立ちたいという思いが強いと思うし、物事には一生懸命に取組む人が多いので、これらは可能性だし、プラスだと思うのですが、一方で、おとなしく、待ちの姿勢が多いことなど、決して活力があるとは見えない、という話も聞きます。

日本人には、意思がない。意思は未来時制の文章内容で、日本語には時制がない。だから、日本人には意思がない。意思のない人の働きは、牛馬の働きようなものになる。ボランティア (志願者) にはならない。だから、せつない。
意思が無ければ、能動がない。受動ばかりの生活では、待ちの姿勢になる。活力がない。

>江戸時代までは、ほとんどの人たちは村落共同体に属しており、個人の生き様は集団の安定、存続と切り離すことの出来ない関係にありました。今の個人主義とは程遠いので、核家族で育った現在人にはイメージしにくいかもしれませんが、よくよく考えれば、個人主義が入ってきたのは、たかだか明治以降。日本人のDNAには、人の役にたってなんぼ・・という感覚が強く有りますが、バブルが崩壊して以降に生まれ育った若者には、それが普通の感覚として再生されて来た様です。

個人個人一人ひとりに哲学が必要です。非現実の内容は、個人個人で違うから、その違いを尊重する個人主義が大切です。
哲学があれば、個人主義が生きてくる。昔のように無哲学・能天気でいては、個人主義は絵に描いた餅のようなものです。
日本人には、世界観がない。世界観は哲学で、非現実の内容です。時制のない言語 (日本語) では、非現実の文章は作文できません。だから、世界観は日本人の頭の中にはありません。来るべき世界の内容を、熱意を持って論ずることができません。だから、夢と希望のない生活が続きます。

世界は英語主導で動いています。英語を習得しましょう。さすれば、現代社会に対する違和感は薄れてくるはずです。
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暗記脳

2016-07-15 04:04:51 | 教育
>学校での「理解させる教育」が、近代観念を刷り込む(=染脳する)ために在ること、即ち理解脳=暗記脳を形成することで本来の思考を停止させ、頭を錆付かせるために在ることを知らなければならない。316676

同感です。
他人の考えた筋道を、ただ暗記することだけでは、創造力の育成には繋がりませんね。
では、なぜ日本人は暗記に力を入れるのですか。

日本語は、実況放送・現状報告のための言語で、発言が個人的に違った内容になることはありえない。
現実の内容は、過不足なく成り立っている。見ればわかる世界の内容である。現実的である。
だから、日本人は、現実肯定主義者になっている。

本来の思考をさせると、個人個人で内容が違ったものになる。頭の中の内容 (非現実) は、頭の外の内容 (現実) とは必ずしも同じにはならないから、現実離れがしている。個人の考えを大切にする方針が、個人主義である。没個性的な社会で個人主義を力説すれば、利己主義と間違えられる。
現実肯定主義の日本語脳では、非現実の内容を考えることが難しい。誰にも信じられない。
日本式の考え方で行けば、現実の内容であれば、それは正しい。そうでなければ、その発言は嘘である。

近代観念というのは、哲学である。哲学は、非現実の内容である。これは本来の思考である。
日本人は、非現実の内容を考えることはできない。というのも、非現実の内容を搭載する構文が日本語にはないからである。非現実の内容は、時制のある文章の内容になる。だが、日本語には時制がない。だから、日本人には非現実の内容もなく、哲学もない。近代社会においても、無哲学・能天気を持続している。

考えることのできない内容を頭に詰め込むには、うのみにするしかない。そして、理解したと見せかけるのである。だから、猿まねの理解は、本当の理解ではない。日本語を使っていては、時制を獲得できない。本来の理解には至らない。我が国には、その難点を教える人がいない。日本語脳の持ち主には、その難点を理解する人も存在しない。

>懸念されるのは、自民党の憲法草案で基本的人権を巡り、*天賦人権性が否定されていることだ。これは近代の人権観念の端的な否定であり、見過ごせない。立憲主義、人権、民主主義といった近代憲法の諸概念は欧米由来のものであり、これらを後に受け入れた日本を含む国々では反発を呼ぶこともある。しかしこうした諸原理自体は、多様な個人の共生を可能にする基礎であり、普遍的なものとして受け入れなければならない。 
(京都大学教授 曽我部 真裕) 

*天賦人権説 (てんぷ じんけんせつ) 人間はうまれながらにして、平等の権利をもっているとする説。16世紀末にいわれはじめ個人主義・自由主義的国家観のもととなる思想。


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