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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

危険な判断

2015-12-29 21:18:40 | 教育
>世界で一番偉い、つまり世界で最も権威のある人はだれか。それは皇帝が一番偉くて、法王、王様、大統領、首相の順に続きます。
>各国首相はアメリカ大統領に頭を下げます。各国首相やアメリカ大統領は英国女王やローマ法王、天皇陛下に頭を下げます。英国女王はローマ法王や天皇陛下に頭を下げます。ローマ法王は天皇陛下に頭を下げるのです。
>エリザベス女王は天皇陛下と同席するときは上座を譲ります。アメリカ大統領は晩餐会には最高儀礼のホワイトネクタイで出席します。アメリカ大統領がこの歓迎の仕方をするのは天皇陛下とローマ法王と英国君主のみです。つまり、アメリカ大統領に最敬礼させられるのは世界でこの3人だけなのです。我が国日本に天皇陛下がいなければ日本の権威は失われてしまうのです。英国女王やアメリカ大統領でさえ敬う天皇陛下を日本人が敬うことが出来ないというのはどういうことなんでしょう。教育で教えないからです。

民主主義は、最低の政治形態である。だが、これを凌駕する政治形態は、まだ見つかっていない。だから、見つかるまで、民主主義を続ける。
新しい社会の建設には相手との話し合いが必要である。だが、意思が無ければ、意思疎通ははかれない。日本語は伝達手段が貧弱である。相手の協力が得られにくい。孤立無援・孤軍奮闘の状態になり、ついに自分さえ善ければと決心する。独りよがりでは他者に対する指導性を発揮できない。外国人と協力しあって未来社会を建設することが難しい。
日本語をローマ字表記にして、非漢字圏の人たちにも我々の国語を親しんでもらうとよい。漢字は特亜三国内で行き止まりになっている。我が国が世界規模の活躍を期待されている時代に、漢字による伝達方法は地球規模の広報活動に適していない。

日本語の階称 (言葉遣い) は、文法ではない。だが、序列社会の生活上の必要であるので、上下判断は日本人の強迫観念になっている。ものの上下を知らずして、正常な判断ができるはずがないと考えられている。だから、日本人には、’上とみるか、下とみるか’ の判断が重要で、国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。この思いは超国家主義 (国粋主義) の歌にも語られている。例えば、
日本、良い国・清い国 世界に一つの神の国。 日本、良い国・強い国 世界に輝く偉い国。
かくして、日本人のメンタリティにより序列社会は形成されてゆく。

日本語がローマ字表記になれば、外国人も加わって文法に関係のない階称の使用も次第に衰えてゆくであろう。日本人の序列思考も弱まって行くことであろう。かくして、人間平等の社会が我が国にも外国にも広まることであろう。

現実界の上下は、千変万化する。非現実界の上下は不変である。だが、日本人は、非現実の内容の取扱いが極めて拙い。
現実界の内容を基準にとって物事を判断すると、周章狼狽は避けられない。神の国が突然四等国になったりするからである。
現実の内容を判断の絶対基準にすることは危険である。間違いのもとになる。



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見てきたような嘘の価値

2015-12-25 10:32:56 | 国際・政治
我が国の問題として人口減少がある。難民を受け入れて、話の通じない人たちが我が国の社会に増えるのは困る。
わが国には、多数の技術研修生が海外より派遣されてきている。彼らは話すことはできても、漢字交じりの和文に難渋している。
日本語をローマ字表記にしたら非漢字圏の人たちにもより簡単に日本語を親しんでもらうことができる。話ができる。日本人の考えを理解してもらえば、日本人の意見を支持してもらう機会も増え、日本人は指導力を発揮する機会が増える。さすれば、我が国も世界に対してさらに大きく貢献をなすことができる。
日本語のローマ字化は、我が国の人口問題と言語の問題の双方を良い方向へと導いてくれる。
意思の無いところに方法は無い。意思決定に難渋する国民性にも問題がある。優柔不断・意志薄弱では改革は遅々として進まない。思い切った改革断行には、考え方の質の違いに注目しなくてはならない。

日本語脳では ‘来るべき世界’ が想定できない。だから、その生活には、その日暮らしの観がある。’移行すべき未来社会’ の内容が一向に見えてこない。一寸先は闇か。
未来のことを現在時制で語れば、それは英文法上では正しい考え方には成らない。だから、英米人には、正しい考え方を植え付けるための高等教育が必要である。かくして、彼らは哲学博士 (Ph. D.) の生産国になった。学問を求める世界中の若者は、英米の高等教育機関に向かっている。
日本人は、現在のことしか語らない。現実と非現実を混ぜ合わせたら、その内容はダジャレになるからである。現実の外に出て真面目になる機会がない。かくして、我が国は、漫画・アニメ大国になった。お笑いを求める世界中の庶民は、日本の製品を買い求める。

現実と非現実を区別することなく語れば、それは矛盾である。時制も無く、非現実を表す文章を作ることができなければ、非現実の考え自体を停止せざるを得ない。そうでなければ、正しい考えは作れない。
‘だって、本当にそう思ったのだから、仕方がないではないか‘と言い訳する。矛盾のあるなしを問題にしない。だから、正しい考え方というもの自体が存在しない。矛盾を指摘して考えの間違えを指摘することもできない。かくして、我が国は歌詠みの世の中になっている。
日本語の考えには、現実と非現実の区別が無い。というよりも、現実だけがある。
非現実の内容は、雑念として、常に脳裏から払拭されている。非現実は、この世の嘘にしかならない。現実離れがしていては信じられない。精神統一が必要である。だから、日本人の考えには深みが無い。洞察力が無いので、創造の世界に対する開発が進まない。

恐竜時代には、人間は誰一人住んでいなかった。それにもかかわらず、英米人は見てきたような嘘 (非現実) を書く。その能力は、どうしたら得られるのか。それが我々の問題である。

徒競走のやり方は、’追いつけ追い越せ’ である。これは、同次元の努力を積み重ねて行う序列の競争である。
実社会の競争には、これとは違う異次元の競争がある。先進国に ‘追いつけ追い越せ’ という文明開化の競争は、それである。
追いつく過程と、追い越す過程では、努力の質が違う。追いつく努力は先進国を模倣すること。
追い越す努力は発展途上国自身の創造による。質の違いが進歩の壁になっている。
現実の内容を再現して見せれば、それは模倣である。非現実の内容を実現すれば、それは創造である。
特亜三国 (日本・中国・韓国) の言語には、時制が無い。非現実の内容を文章にすることができない。だから、その励みも勢い現実の内容に集中する。つまり、模倣の次元だけに限られる。模倣の競争は創造に比べたら格段に易しいので参入者も多い。偽物も多く出回り、それだけに競争は厳しくなる。模倣の努力と自己満足で自己を正当化するだけの世の中はむなしい。新しい個性豊かな創造のゆとりある競争社会を求めよう。

戦争は異次元の競争である。それを同次元の競争と捉える民族の末路は厳しい。<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族敗退の過程は見て取れる。以下にその内容を引用して終りとする。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)



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ローマ字化

2015-12-16 22:47:00 | 教育
2015年12月16日(水)
>看護師の国家試験では、日本語を母語としない外国人向けに、試験時間の延長や問題文の漢字に振り仮名をつける特例措置を設けている。今年度合格率が下がったことに対して、厚労省は「結果を分析し、新たな外国人支援策が必要であれば検討したい」としている。

私の友人である南ア出身のLさんは、今、日本語を学んでいる。漢字を覚えようと努力しているが、非漢字圏出身の彼らに漢字を学ばせても、一向にはかどらない。そこで、私は気がついた。
彼らの持てるローマ字に関する知識をフルに活用して、世界に日本語の普及を図るべきであると。それには日本語をローマ字表現に切り替えたらよい。ローマ字圏の人々にも、容易な方法で日本語を覚えてもらい、日本人の考え方を深く理解してもらえば、気楽に話ができ意思疎通も向上する。そして、日本人の活動できる世界の範囲は現今よりはるかに広いものになる。近代技術は漢字圏 (特亜三国) に源が存在するわけではない。横文字の文化に乗って欧米からやってきたのである。だから、我が国のローマ字化により外国人の技術習得に支障がでることはない。我が国の政治指導者には、ぜひ日本語のローマ字化を実現させていただきたい。

我々は、 英語も満足に話せなければ、日本語でも外国人に通じない。言語は日本人の非鎖国障壁となっている。日本語のローマ字化は外国人の支援策というよりも開国のための日本人向け支援策であるといえよう。




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天下の秀才と試験地獄

2015-12-13 21:31:51 | 教育
>「阿吽の呼吸」察する「感」、虫の声、動物の鳴き声も、音を文字化でき日本人誰もが一瞬でわかる。日本語は最高ですね。

反知性主義ですか。趣味は論拠にはならない。議論はできない。

> 日本人を否定しながら意志を持たない日本人を卑下するから、あなたの世に敵ができる。

日本人を否定するのではない。悪いところを改めるのが良い。
意思を示す必要はありますね。敵対する必要はないでしょう。

> 誰もがわかる意志を持つことは、反する意思を持つ者を安易に敵につくりあげること。

世界観比べをして、お互いに大同を提示する。小異を捨てて、大同につく建設的な話し合いをする。協力者が得られる。反する意思の人とも自由に話し合ったらよいでしょう。意思の代わりに恣意を示せば、不倶戴天の敵になるでしょう。

> 意志があるからすぐれているなど愚かな西洋の哲学者の名言だが、その西洋人の哲学者の人生を見れば
人生ハチャメチャのキチガイばかりか、実践で成功し幸せになった人はいないのでは?

‘学者に金持ちなし’ でしょうね。
無哲学・能天気でありながら、実践的に成功する生活とは、どのようなものになるのですか。成金の生活か。

> 哲学者の生き様や人生にあこがれる人などいるのだろうか?いないでしょ。

それならば、正しい考え方もできないでしょうね。英米流の高等教育を受ける必要もないですね。その行き着く先は哲学博士 (Ph. D.) ですから。我が国に、英米留学がはやらないのも、哲学が原因ですね。
あるべき姿の哲学を持たなければ、自分自身の判断基準がない。だから、その基準を外から注入しなければならなくなる。それが、修身教育である。為政者・教育者は、若者に徳目の暗記を競わせる。天下の秀才と試験地獄ができる。他人個人の考えなどに興味を持たなくなっている。矛盾を含まない内容は、すべて正しい。だが、彼らに議論はできない。議論すべき問題は、正答・誤答の問題にすり替えられている。こんな調子だから、個人主義は育たない。特亜三国の特色か。

> 日本人が西洋人のまねをして意志を持つなど一長一短。

意思のあるところに方法がある。無意思・無為無策ではいられない。優柔不断・意志薄弱では、社会の指導者として役立たない。日本人社会は、烏合の衆となる。理解を伴わない真似事は、猿まねというのでしょうね。

> 西洋人のように下品になるし、日本人から見てどれほどよくもないことなど無理して西洋人にそっくりになる必要などない。むしろ西洋人が日本人のまねをするべきである。と俺は思うがね。そうすれば戦争やテロも核もなくなるし、戦争やテロのように暴力で意見が違う人の者を奪う悪い文化は西洋人がはじめたことであるのだから。

西洋人の良くないことを日本人が真似するのは善くないことですね。
日本人の良いところは、西洋人もまねたら良いでしょう。
力は正義である。強者の怒りは抑止力になる。
神の怒りに触れてはならない。米第七艦隊は、友愛の海の守護神になれるか。






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贖罪のこと

2015-12-12 21:27:15 | 国際・政治
>ご存知ない方は、ぜひ覚えていただきたい言葉があります。それはウォーギルトインメーションプログラム・WGIP(War Guilt Information Program)です。ウォーギルトインメーションプログラムとは、大東亜戦争後の昭和20(1945)年からサンフランシスコ講和条約発効によって日本が主権回復を果たした昭和27年までの7年間の占領期間に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領政策として行った、戦争への罪悪感を日本人の心に植えつける宣伝計画です。
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>GHQは、日本解体を行うため、戦前の価値観を一掃していきました。

GHQは、日本人のメンタリティについて深い理解がなかったので、表面的な価値観一掃に終りました。

>日本文化の根底に有るものも壊していき、そして、特に顕著に行ったことは過去の戦争への贖罪意識を高めることです。

日本文化の根底には、日本語脳の働きがあります。意思は未来時制の文章内容でありますが、日本語には時制が無く、日本人には意思がありません。意思に基づく行為には加害者意識 (罪の意識) を伴うが、意思の無い人間の行為には深刻な罪の意識を伴わない。日本人はアニマルのようなものか。罪の意識にさいなまれることもなければ、魂の救済を求める贖罪も必要としません。

>戦争そのものは、いいこととは思いませんが、当時、欧米列強を始めとして多くの国が戦争が、国策の一手段でした。
>そんな中、日本だけが未だに自虐意識を払拭できないでいることは、なぜなのか、強く疑問に感じます。

罪の意識のない人間に贖罪は理解できない。それを強要すれば、結果は自虐の強要になる。だから、日本人は、今なおGHQの占領政策に強く疑問を感じています。

>過去に何があったのか、紐解いていけば、その答えが見つかるでしょう。

過去に何があったのかを、日本人が理解することは難しい。日本語には時制が無いので、過去の世界を過去時制の文章内容で、過不足なく再現することはできない。日本人には、未来は夢、過去は幻のごとくに見えていて、雑念のようなあやふやなものになっています。だから、特段の考察が及ばない。


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