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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

山口周氏 4/4

2020-05-31 02:55:52 | 文化

>  つまり、インターネットが登場したことで、むしろ私たちは「孤立化・分散化」する恐れがある、ということです。

なれ合い・談合はやりにくくなりましたね。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」  

>  民主主義は、自分とは違う立場の人がいる、自分とは違う政治的態度の人がいる、ということを認識し、受け入れることで初めて成立します。

そうですね。各人に哲学は必要です。Everyone needs a philosophy. その内容は相手に尋ねてみなければ分からない。ですから、対話・議論が重要になります。

>もし、インターネットの登場によって、自分と同じような人だけでどんどん凝り固まって孤立化していくような社会が生まれることになれば、それは間違いなく民主主義の危機を招くことになります。

そうですね。なれ合いに対する危険の察知と予防対策が必要ですね。

>  インターネットは民主主義を強固にすると能天気に考えている人が多いようですが、インターネットという新しいテクノロジーが、オールドタイプの行動様式と結び付けば、それはむしろ民主主義の根底を危うくするものです。

そういう事になりますね。

>  残念ながら、これはすでにアメリカ・ヨーロッパ・日本において顕著に進行している事態ですが、もしこのようなトレンドがこのまま進むことになれば、私たちはインターネット登場以前よりもはるかに「隔絶した世界」を生きることになります。

そうですね。我々は無哲学・能天気で肩を寄せ合って暮らす日本人の習慣からますます離れてゆきますね。

>  しかし、現在の世界はますます価値観が多様化しており、また多くの人が生涯にさまざまな組織やコミュニティと関わって生きていかねばならなくなっています。

価値観の多様化に対応するためには我々日本人は語学の能力を延ばす必要がありますね。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、言語における時制の大切さを深く理解する必要があるのではないでしょうか。
我々日本人が時制の使い方を習得すれば、自分自身の世界観 (world view) を展開して公表も可能になります。さらに自己の意思 (will) の表明も可能になり、国際的な活動の当事者としての活躍も可能になります。
さまざまな組織やコミュニティと関わるためには語学の能力が欠かせません。

>  このような時代にあって、自分と価値観のフィットする「わかりあえる者」たちだけでコミュニケーションをループさせ、その外側にいる人々を「わからない」と切り捨てることは、私たちの人生から豊かな「学びの契機」を奪い去ることになります。

そうですね。‘話せばわかる’ ということですね。’切り捨て御免’ は受け入れられませんね。

>  私たちには短兵急に「わかる」ことを求めるのではなく、逆に排他的に「わからない」と切り捨てるわけでもなく、じっくりと他者の声に耳を傾け、共感するというニュータイプの行動様式が求められています。

そうですね。安請け合いと切り捨ては不誠実そのものですね。我々は ‘考える人’ (the thinking man) にならなくてはならないのでしょうね。これはニュータイプの行動様式なのかな。


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山口周氏 3/4

2020-05-31 02:07:48 | 文化

>より深いコミュニケーションによって、相手との対話から深い気づきや創造的な発見・生成を起こすには、「要するに◯◯だ」とパターン認識し、自分の知っている過去のデータと照合することは戒めないといけないのです。 >  容易に「わかる」ことは、過去の知覚の枠組みを累積的に補強するだけの効果しかありません。 >本当に自分が変わり、成長するためには、安易に「わかった」と思わず、相手の言っていることを傾聴し、共感することが必要になります。

そうですね。だが、それは難しいですね。’心ここにあらざれば視れども見えず’ ですからね。

>③につづく
>349646 【山口周】「容易にわかる」ことは本当は最も危険なことだ③>紀伊谷高那 ( 34 大阪 会社員 )  19/09/24 PM08 【印刷用へ】
>【山口周】「容易にわかる」ことは本当は最も危険なことだ③  >(リンク)より転載
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>■「わからなさ」の重要性 他者は気づきの契機である
> 自分を変えるきっかけになるのは「わからない」という状況です。 

そうですね。考えの内容は人様々ですからね。

>この「わからなさ」の重要性を「他者」という概念を軸足にして、生涯にわたって考察し続けたのが、20世紀に活躍した哲学者のエマニュエル・レヴィナスでした。 >  レヴィナスのいう「他者」とは、文字通りの「自分以外の人」という意味ではなく「わからない者、理解できない者」という意味です。 >なぜ、そのような「他者」が重要なのでしょうか。 >レヴィナスの答えは非常にシンプルです。 >それは、「他者とは『気づき』の契機である」というものです。 

だから、他者との対話・議論は大切なのでしょう。

>  自分の視点から世界を理解しても、それは「他者」による世界の理解とは異なっている。 >このとき、他者の見方を「お前は間違っている」と否定することもできます。

全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。矛盾を含んでいない文章は、すべて正しい考えを表している。だから、正しい考えは一つではない。考えは、人様々である。だから、正解は一つではなく幾らでもある。

>実際に人類の悲劇の多くは、そのような「自分は正しく、自分の言説を理解しない他者は間違っている」という断定のゆえに引き起こされています。

そうですね。悲劇の多くはこのような独裁者の独断専行によるものですね。

>  このとき、自分と世界の見方を異にする「他者」を、学びや気づきの契機にすることで、私たちは今までの自分とは異なる世界の見方を獲得できる可能性があります。

そうですね。貴重な勉強の契機になりますね。

>  インターネットが登場したことで「世界が小さくなった」と、よく言われますね。>確かに、それまで往復に数ヵ月かかることもあった外国との郵便文書が、送信ボタンをクリックすれば一瞬で届く電子メールに取って代わられたことを考えれば、確かに物理世界についてはそのように表現できるかもしれません。

そうですね。我々はインターネットの出現により重宝しています。

>  しかし、私たちの心象風景に映写される精神世界は、本当に縮まっているのでしょうか?  

通信機器の伝送能力と人間の読解力では次元が違いますね。関係ないでしょうね。

>  自分と似たような教育を受け、自分と似たような政治的態度をもち、自分と似たような経済的水準にある人たちばかりとつるみ、お互いの意見や行動に対して「いいね!」を乱発し続けるようなオールドタイプの行動様式は、私たちの精神世界を「わかりあえる者たち」だけの閉じたものにし、その外側にいる「わかりあえない者たち」を断絶する、あるいはそもそも「存在しないこと」にしてしまう可能性があります。

そうですね。異教徒を皆殺しにする思い付きのようなものですね。
日本人には意思がない。だが恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。意思は未来時制の文章内容であるが、恣意はバラバラの単語 (片言・小言・独り言) のままで存在する。文章内容になった意思には意味があるが、文章にならない恣意には意味がない。日本人には、意思疎通 (相互理解) は無くて、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) は豊富にある。議論・対話は意味をなさないが、談合 (腹の探り合い) はある。意思決定 (理性判断) はできないが、恣意決定 (盲目の判断) はやっている。リーズン (理性・理由・適当) が無いので失敗の説明責任はとれないが、感傷の表現は持っているので事後に歌を詠む。これにより ‘事足れり’ とする。だから、けじめのない社会となっている。事後の反省が無いので、原因除去に追悼は役立たない。それで、歴史は繰り返す。この道は、いつか来た道。ああそうだよ。
意思は未来時制の文章内容である。しかしながら、我が日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本人には意思 (will) がない。


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山口周氏 2/4

2020-05-31 01:40:45 | 文化

>  20世紀に活躍したハンガリー出身の物理学者・社会学者であるマイケル・ポランニー(*3)は「我々は、自分が語れること以上にずっと多くのことを知っている」と言い表しています。 >  今日では、この「語れること以上の知識」を私たちは「暗黙知」という概念で日常的に用いていますが、言葉によるコミュニケーションでは常に、この「こぼれ落ち」が発生していることを忘れてはなりません。

そうですね。暗黙知は議論・対話の対象にはなりませんね。

>②につづく
>349645 【山口周】「容易にわかる」ことは本当は最も危険なことだ②>紀伊谷高那 ( 34 会社員 )  19/09/24 PM07 【印刷用へ】
>【山口周】「容易にわかる」ことは本当は最も危険なことだ②  >(リンク)より転載
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>■「要するに」は、パターンに当てはめるだけの最も浅い理解
>  さて、話を元に戻せば、この「要するに〇〇ってことでしょ」という聞き方には当の聞き手にとっても問題があります。 >なぜなら、過去に形成されたパターンに当てはめて短兵急に理解したつもりになってしまうことで、新たなものの見方を獲得したり、世界観を拡大したりする機会を制限してしまうことになるからです。 >  変化の激しい今日のような時代にあって、このような行動様式は学習を阻害するものであり、まさにオールドタイプのパラダイムと断じるしかありません。

そうですね。

>  私たちは、無意識レベルにおいて、心の中で「メンタルモデル」を形成します。 >メンタルモデルというのは、私たち一人一人が心の中に持っている「世界を見る枠組み」のことです。 >そして、現実の外的世界から五感を通じて知覚した情報は、そのメンタルモデルで理解できる形にフィルタリング・歪曲された上で受け取られます。 > 「要するに○○でしょ」というまとめ方は、相手から聞いた話を自分の持っているメンタルモデルに当てはめて理解しているに過ぎません。>しかし、そのような聞き方ばかりしていては、「自分が変わる」契機は得られません。

そうですね。

>  MITのオットー・シャーマーが提唱した「U理論」においては、人とのコミュニケーションにおける聞き方の深さに関して、4つのレベルがあると説明されています。
> 【レベル1】自分の枠内の視点で考える  > 新しい情報を過去の思い込みの中に流し込む。 >将来が過去の延長上にあれば有効だが、そうでない場合、状況は壊滅的に悪化する
>【レベル2】視点が自分と周辺の境界にある > 事実を客観的に認識できる。 >未来が過去の延長上にある場合は有効だが、そうでない場合は本質的な問題にたどり着けず対症療法のモグラ叩きとなる
>【レベル3】自分の外に視点がある > 顧客の感情を、顧客が日常使っている言葉で表現できるほど一体化する。 >相手とビジネス取引以上の関係を築ける
>【レベル4】自由な視点 >  何か大きなものとつながった感覚を得る。 >理論の積み上げではなく、今まで生きてきた体験、知識が全部つながるような知覚をする
> これら4段階のコミュニケーションレベルのうち、「要するに○○でしょ」とまとめるというのは、最も浅い聞き方である「【レベル1】ダウンローディング」に過ぎないということがわかります。
>  このような聞き方では、聞き手はこれまでの枠組みから脱する機会を得ることができません。

非現実の内容は、頭の中にある。だから、外から見ることができない。ただの話である。その話の内容を知るには文法に従って文章を理解するしかない。これは、骨の折れる仕事である。だから、日本人は、通常 ‘理解’ をしない。その代わりに忖度 (推察) を使って間に合わせている。しかし、忖度と理解は似て非なるものであるために要注意である。忖度は聞き手の勝手な解釈であるために、話者には何の責任もない。両者の間に齟齬が生じても議論にもならない。聞き手には現実直視ができていない。話し手の文章の内容を理解できていない。
山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘しています。
「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いています。


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山口周氏 1/4

2020-05-31 00:52:22 | 文化

>349644 【山口周】「容易にわかる」ことは本当は最も危険なことだ①>紀伊谷高那 ( 34 会社員 )  19/09/24 PM07 【印刷用へ】
>【山口周】「容易にわかる」ことは本当は最も危険なことだ①  >(リンク)より転載
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> 【オールドタイプ】要約し、理解する > 【ニュータイプ】傾聴し、共感する
>■「容易にわかる」ことで新しい発見を失っている 

我々は上面 (うわつら) の解釈で全てを済ませているのでしょうかね。

> いわゆる頭のいい人は、言わば足の早い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこともできる代わりに、途中の道ばたあるいはちょっとしたわき道にある肝心なものを見落とす恐れがある。――寺田寅彦  

そういう事ですね。

>  世界がどんどん曖昧で複雑で予測不可能になることで、私たちの「わかる」という感覚もまた揺さぶられることになります。 >  私たちは過去の経験に基づいて形成されたパターン認識能力によって目の前の現実を整理し、理解しようとします。

昔操った杵柄ですかね。

>しかし、ますます「VUCA化していく社会」において、短兵急にモノゴトを単純化して理解しようとすれば、すでに変化してしまった現実に対して、過去に形成されたパターンを当てはめて、本来は「わからない」はずの問題を、さも「わかった」ように感じてしまい、現実に対して的外れな対応をしてしまう可能性があります。[Volatility, Uncertainty, Complexity, and Ambiguity] 

そうですね。それは ‘思い込み’ というものでしょうね。

>  特に20世紀の後半においては、要素還元的にモノゴトを単純化して要領よく対処するというオールドタイプの行動様式が「有能さの証」だとされてきたため、いわゆる「優秀な人」とされている人ほど、このミスを犯しがちになります。 >  しかし、千変万化の止まることがないVUCAな世界において、過去に学習したパターンを当てはめて短兵急に「ああ、あれね。わかってる」と考えたがる性癖は大きな誤謬につながる恐れがあります。

‘はやとちり’ ですね。

>  なぜオールドタイプが、すぐに「わかった」と言いたがるかというと、そうすれば評価されるということを経験的に知っているからです。

それは、世俗的な ‘上と見るか・下と見るか’ の判定をする社会の慣行によるものですね。
日本語には階称 (言葉遣い) というものがあります。ですから、’上と見るか・下と見るか’ の世俗的な評価は大切です。

>現在の社会では「飲み込みが早い」とか「物わかりがいい」といったことを無批判に礼賛する傾向があり、オールドタイプはまさにこの傾向を一種のバイアスとして利用しているわけです。

序列社会 (上下社会・縦社会)のつまらない慣行ですね。

>  特にこういうタイプがたくさん生息しているのが、筆者が長らく関わってきたコンサルティングの業界です。 >この業界の人々には特有の口癖がいくつかありますが、なかでも「要するに○○ってことでしょ」という口癖は、その筆頭といえるものです。 

そうですね。分かりの良い人という証拠にしてもらいたいのですね。

>  コンサルタントは、物事を一般化してパターン認識することで「アタマが良いね」と褒められるのが大好きな人種ですから、人の話を聞くと、最後にこのように「まとめたい欲」を抑えることがなかなかできません。

‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な序列判定の行われる社会においては、他から褒められることは非常にうれしいことです。これにより相手の態度が自分に有利な方向に変わるはずです。こうした褒め言葉が当人の向上心を大きく満足させることになります。

>  しかし、相手の話の要点を抽出し、一般化してすぐにまとめようというオールドタイプの行動様式は、現在のように環境変化の早い状況では、2つの観点で問題があります。
>  まず、対話という場面において、話し手が一生懸命にいろいろな説明を交えて説明したのちに、最後に相手から単純化されて「要は○○ってことでしょ」と言われれば、たとえそれが要領を得たものであったとしても、何か消化不良のような、あるいは何か大事なものがこぼれ落ちてしまったような感じがするものです。

それはそうですね。

>  私たちが日常的に用いている「言語」はとても目の粗いコミュニケーションツールです。>したがって、私たちは、自分の知っていることを100%言語化して他者に伝えることが原理的にできません。>つまり「言葉」によるコミュニケーションでは、常に「大事な何か」がダラダラとこぼれ落ちている可能性がある、ということです。

それはありますね。


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天木直人氏 1

2020-05-30 04:28:38 | 文化

>357251 支持率急落でも安倍政権を退場させられない政治の機能不全(天木直人のブログ) >孫市 ( 43 会社員 )  20/05/29 PM09  
(略)
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> きょう5月24日の毎日新聞が衝撃的な世論調査結果を発表した。 >  それによれば安倍政権の支持率が27%に急落し、不支持率が64%に跳ね上がったという。 >  おそらく、これに続く他のメディアの世論調査も同様の数字になるだろう。>  明らかに国民は安倍政権に代る政権を求めているということだ。

そうでしょうね。

>  普通なら、自民党が安倍首相を引きずり下ろしてあらたな体制で出直すところだ。 >  普通なら野党が即座に解散・総選挙に追い込むところだ。 >  そしてこれまでのメディアなら、率先してそのいずれかを主導するところだ。>  ところが、そのいずれも起こりそうもない。 

政治活動は低調ですね。

>  あるのは安倍批判だけだ。

日本人には意思がない。だが、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。意思は文章内容して存在するが、恣意はバラバラな単語 (片言・小言・独り言) のままで存在し文章にならないから意味も無い。只、不満だけがある。

>  これほど国民にとって不毛で不幸な事はない。

そうですね。意味をなさないのは不幸なことですね。

>  この期に及んでも、国民を救う政治が出て来ないのだ。

無哲学・能天気の国民による政治哲学の払底ですね。

>  これを要するに、戦後の政治が根本的に間違っていたということだ。 >  どこが間違っていたのか。 >  やはり、米国の占領下で上から民主化された矛盾を、戦後の政治が、75年経っても、ついに克服できないままきょうに至った事が間違っていたのだ。

そうですね。日本人には意思がない。だから、能動が無く受動ばかりの生活になる。上からの民主主義になるのも無理のないことですね。
意思は未来時制の文章内容である。しかるに我が日本語の文法には時制というものが存在しない。だから、日本人には意思がない。優柔不断・意志薄弱に見える。

>  いま我々が直面している問題は、国民が、国民の為の政治を実現してくれる政党、政治家を見つけられるかどうかだ。

他力本願・神頼みですね。マスコミがあらゆる選択肢を提案すべきですね。

>  これを要するに、日本という国が、歴史上はじめて民主革命できるかどうかだ。 >  どうすればそれができるのか。

機序の理解が必要になりますね。日本語と英語の両言語を良く学び、言語における時制の大切さを深く理解する必要がありますね。
日本人が時制の使い方を手に入れれば、自己の意思も表明できるし、自己の世界観を公表することも可能になります。さすれば、我々は広く国際社会の信頼を獲得することができます。自己の意思を表明すれば、当事者・関係者となることが可能です。表明しなければ傍観者にとどまります。ですから、言語能力は大切です。

> それは、革命につきものの暴力や階級闘争とは無縁のやり方で行う、日本しか出来ない革命だ。

我々国民が頭脳明晰であれば、それは可能ですね。

>  具体的には、一般国民より能力とこころざしのある者たち(つまり一般国民が、彼ら、彼女ら、だったら政治を任せてもいいと思う者たち)が、自分のためではなく国民の為に本気で政治をする(国民の税金を私物化しない証として、一般国民の平均収入以上の収入や特権を求めない)、そういう人たちが政治家になれるシステムをつくることだ。

そうですね。処世術 (現実) に長けた者ではなくて、政治哲学 (非現実・考え) の内容のある者を育てる必要がありますね。

>  そしてその時に、彼らを結束させる(つなぎとめる)不可欠な政治哲学こそ、平和憲法の精神である。

政治には政治哲学が必要ですね。我々も無哲学・能天気ではいられない。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.    

>  すなわち、外にあっては軍事覇権大国のいずれにもつかず、大多数の国家が願う平和共存の先頭に立つ精神であり、内にあっては弱者の側に立つ政治だ。 >  これこそが、平成天皇の、あのお言葉に呼応する精神なのだ。

力は正義です。 Might is right. 自分に力がなくては弱者の側に立つことも難しいです。

>  明治天皇を一握りの政治家たちがつくった万世一系の天皇制を否定し、国民自らがつくる象徴天皇制を民主国家に両立させる。 

英国流ですかね。

>  米国から押しつけられた民主主義を拒否するのではなく、それを逆手にとってより良い民主主義につくり変えるのだ。

日本人には意思がない。だから受け身の体験しか得られない。

>  その民主体制こそ日本が世界に誇れる政治体制である。 >  はたして、それを言い出し、実現しようとする人物が出てくるだろうか(了)

またもや ‘他力本願・神頼み’ ですね。

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>(転載おわり)


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