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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

先の大戦 2/2

2020-08-31 16:15:20 | 文化

 

>また、日本が欧米諸国の植民地支配を認め、人種の不平等を容認すれば、日本一国は私権を持つ人間としての扱いを受け続けることができたかといえば、これもまた疑問です。  

 

日本人には ‘あるべき姿’  (things as they should be) の内容というものがないのではないでしょうか。

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン)   

 

>大陸における権益を放棄した時点で、日本は弱腰とみなされ、強く要求すれば日本がこれを飲むという状況になれば、日本にはその後も次々と無理難題が押し付けられ、おそらくは結果として日本自体も解体され、分割統治され、植民地支配されることになり、日本人は日本人としての文化性さえも、完全否定されることになったことでしょう。 

 

何か被害妄想じみていますね。日本人には自信が無く、はそれほど欧米に対して卑屈になっていたのでしょうか。それならば、欧米人とまともな交渉ができない状態にあったのでしょうね。 

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)  

 

>つまり、昭和16年12月の時点では、もはや日本には戦うしか選択の余地がなかったといえるわけです。 

 

わが国の政治家は何をしていたのですかね。 

日本人には意思がない。英語においては ‘意思’ は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力が不足している。困った時には他力本願・神頼みをすることになっている。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)    

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)  

 

>まさに当時永野修身元帥が述べたように、>「戦えば亡国、戦わざるも亡国」 >であったわけです。

 

軍人は戦うより他に役割はないですね。 しかし、政治家には戦わなくてもよい知恵があるはずです。この国がひっくり返った時にも責任者は出なかった。とかくこの世は無責任。    

彼を知り己を知れば百戦危うからず。 (孫子・謀攻)   

 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)     

 

 

 

 


先の大戦 1/2

2020-08-31 15:53:19 | 文化

 

>歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに  >小名木善行です。>早いもので、もう8月のみそかになりました。

>8月はどうしても戦争に関する記事が多くなりますが、先の大戦を振り返るとき、やはり天皇による終戦の御聖断が、その後の日本と世界にきわめて大きな影響をもたらした。>このことは、私達はあらためて大事なこととして学ぶべきことであるように思います。  

 

そうですね。天皇による敗戦の決断により日本国民の一億総玉砕は避けられましたね。ありがたいことです。もっと決断が早ければ犬死をする人も少なくて済んだことでしょう。何しろ、テクニカル・ノックアウトの状態の戦闘がミッドウェイ海戦 (1942.6.5-7) の後長く続きましたから。    

 

>第二次世界大戦の始まりは、昭和14年9月1日のドイツ軍によるポーランド侵攻からとされています。  

 

ドイツは植民地支配に反対して開戦したのではないですね。  

 

>日本が参戦したのは、それから2年以上も経った昭和16年12月8日のことです。  

 

日本がドイツと共闘を始めたのは、御都合主義 (機会主義) によるものでしたかね。   

 

>その2年間日本が何をしていたのかというと、ひたすら戦争回避の道を探っていました。 >つまり日本は、それほどまでに戦争回避を願っていたということになります。  

 

わが国は、‘他力本願・神頼み’ でしたかね。 日本人は言葉が不自由なためでしょうかね。静観が得意ですね。  

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調している。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」 

 

>では、最終的に日本がこのとき、戦争に突入しない道はなかったのかといえば、答えはNOです。  

 

何か運命論のような感じがしますね。’死ぬしかない’ といった感じですね。 

これは、日本人の思考停止の状態に問題があるのではないでしょうか。 

見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の非現実の内容は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。

現実の内容は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。楽ちんである。正解はただ一つである。

非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は ‘理解’ をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。

理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。 

 

>日本が大陸における利権のすべてを放棄し、欧米諸国の有色人種国のすべてに対する植民地支配を認め、かつ彼らのために戦うという道を選んでいれば、日本に生き残りの可能性はあったかもしれません。  

 

相手の提案を全て呑むのではなく、我が方からも対案を出していろいろと議論を重ねるべきでしたね。話し合っていれば戦争は避けられたかもしれません。  

 

>しかし、もしそのような道を日本が選択していれば、間違いなく言えることは、21世紀になった今日においても、世界は欧米諸国による植民地支配が行われていたでしょうし、有色人種には一切の私権が認められず、白人諸国の奴隷、もしくは家畜として生きるしか選択肢がない状況が続いていたでしょう。  

 

欧米諸国の要求を丸のみしなくてもある程度譲歩をすれば、敗戦に陥るよりは我が方の損害が少なくて済んだことでしょうね。  

 

>このことは、有色人種であれば、人としての尊厳が認められず、あくまで家畜としてのみしか生きることが許されないことを意味します。>家畜であることを拒否すれば、待っているのは死だけです。   

 

家畜・社畜には希望がありませんね。 独断専行することなく考えの幅を広く持つことが必要ですね。それには英米流の高等教育が役に立つことでしょう。さすれば、人間としての尊厳も増すことでしょう。      

 

 

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ねずさん 2/2

2020-08-31 10:00:52 | 文化

 

>そして現実に戦争が起こり、負ければ何が起きるかといえば、女性や子供たちなど、もっとも暴力に弱い者たちにそのシワ寄せ、つまり悲惨が及びます。 >小町園の悲劇は、その現実を私たちに語りかけてくれます。  

 

敗戦の悲惨さは、日本人が海外に出てよく知っているはずですね。それにも関わらず、わが国は自ら進んでドンパチをやりました。     

 

>戦争によるドンパチも悲惨を招きます。 >しかし戦争は、負けた後にもっと大きな悲惨を招きます。 

 

そうですね。悲惨は覚悟の上での戦争ですね。   

 

>いつも思うのです。 >世界の常識は、「力こそ正義」です。

 

そうですね。勝てば官軍ですね。Might is right. わが国においては薩長勢力が勝利して明治政府が樹立されました。    

 

>しかし本当は、「力は正義のためにこそ用いる」のが正しい。  

 

先の戦争においてわが国は力により自己の正義を通そうとしたのではないでしょうか。   

 

>正義というのは秩序のことです。>その秩序を、いたずらに力に頼ることなく、どこまでも民衆の幸せを求めて築いてきたのが、日本の歴史です。  

 

そうですね。 日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。階称を使い分けるには世俗的な ‘上と見るか・下と見るか’ の判断が必要である。ものの上下は個人により様々である。

‘上と見るか・下と見るか’ の判断には、勝負の成績が用いられる。弁慶と牛若丸の上下関係のようなものである。近頃の日本人では、偏差値などが都合の良い資料・構造となっている。

日本人は義理 (序列関係から生じる個人的な義務) を果たすために力を出す。日本人にとって、義理を果たすことは実に ‘やりがい’ のある事である。周囲の者の言葉から、序列順位向上の効果が実際に聞こえてくる。

日本人の礼儀作法は、序列感に基づいて定められている。だから、序列なきところに礼儀なしである。  

 

>そしてその日本を護ろうとして多くの血が流れ、敗戦に至りました。  

 

わが国は、力に頼ることなく民衆の幸せを築くことを止めたからですね。   

 

>いまの日本は、力が正義の国になりつつあります。 >そしてそのことは、民衆の幸せではなく、一部の大金持ち、一握りの政治権力者たちだけの政治的経済的優位を形成します。

 

それは資本主義によるひずみでしょうね。   

 

>現に、末端の社員と社長の給料格差は、ほんの半世紀前までは10倍、限度が20倍とされていたものが、いまではなんと10万倍が相場なのだそうです。 >国の人口の1%の人が、GDPの50%を独占する。 

 

兎角、資本主義国は金持ち本位の政治になりますね。   

 

>果たしてそれが民主主義といえるものなのでしょうか。

 

共産主義にすれば富は均等になるでしょうね。それにはそれで、また別の問題がありますね。      

 

>世の中の大建直しが始まったといわれるようになって、何年もたちます。 >はじめは懐疑的だった人たちも、コロナショック以降は、誰もがそのことを実感するようになりました。 

 

その構想など何処にもないですね。とかく、この世は無責任。     

 

>過去の歴史に学び、私たちはこれからの未来を担う責任を自覚する。  

 

日本人には世界観がありませんね。ですから、過去・現在・未来の世界を分けて考えることができません。ですから、次の世界に移行する考えが存在しない。   

日本人には意思がない。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力が不足している。困った時には他力本願・神頼みをすることになっている。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

日本人には意思がない。そして、意思の無い人には責任がない。ちょうど死刑執行人のようなものである。人は死んでも彼らは殺人罪に問われない。彼らには殺意という意思がないからである。

意思の無い世界には、西洋流の責任も無い。イザヤ・ベンダサン=山本七平訳の<日本教について>の中で、日本語の責任について以下のように述べられています。

‘、、、、、「責任」という日本語には、「応答の義務を負う=責任(レスポンシビリティ)」という意味は全くないのみならず、「私の責任だ」といえば逆に「応答の義務がなくなる」のです。、、、、’ (引用終り)

‘兎角、この世は無責任’ という事か。

 

>それこそが大切な、日本人らしい、未来をひらく力です。  

 

未来の内容は我々の想定外になっているのではないでしょうか。来年のことを言えば鬼が笑う。   

我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、考えの幅をさらに広げることが必要ではないでしょうか。さすれば、信頼がさらに増すでしょう。  

 

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ねずさん 1/2

2020-08-31 09:32:09 | 文化

 

>歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに  >小名木善行です。

 (略)

>「戦争反対、世界を平和に」、おおいに結構だと思います。 >けれど、それゆえに勇敢に戦い散って行かれた先人たち、国を守るためにその時点で真剣に悩み考え行動した先輩や父祖たちを、あとになって、ただ「負けたから」と貶め、冷静に日本を見つめなおそうとする人たちに「右翼」とか「差別主義者」とかレッテル貼りし、声高に非難し貶める行為は違うと思います。  

 

そうですね。 彼らは被害者であると同時に加害者ですね。 

 '敗因について一言いはしてくれ。我が国人が あまりの皇国を信じ過ぎて 英米をあなどつたことである。我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである'  (昭和天皇)   

 

>なぜならそのようないたずらに対立を煽る行為そのものが、争いを招き、ひいては戦乱を招くものであるからです。  

 

対立ばかりでは、敗因の内容はつかめませんね。真摯な考察を疎んじ、争いを好むのは困った性質ですね。   

 

>戦後生まれの私たちは昭和20年8月15日を終戦記念日と呼びます。 

 

それは、わが国の敗戦の日ですね。  

 

>終戦とは「戦いの終わり」を意味します。>この日は日本が戦闘行為を自主的に停止した日です。>間違えてはならないのは、「終戦=戦争の終結」ではないことです。

 

敗戦を終戦と日本人が勝手に読み替えたのでしょう。敗退を転進と呼ぶようなものですね。ネガティブをポジティブに解釈するから、現実直視は難しくなります。

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏 (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎・上> (The Enigma of Japanese Power) の<”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落のように述べています。(p.54)

、、、、、日本の社会でいう “現実” (リアリティ) とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき “リアリィティ” だからである。そしていうまでもなく、望ましいと想定されるイメージは、そのときその人の属するグループの利益と一致することが多い。 、、、、、 

西洋では、現実はそうやすやすと管理されたり、意のままに作り変えられたり、相談で決められたりするものとは、考えられていない。つまり、こうあるべきだという任意の考えによって左右されるものとは考えられていない。事実、西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。ギリシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫いてつねに強調されてきた戒めが一つあるとすれば、それは、「矛盾を育むなかれ」ということである。この戒めは、論理、数学、科学の根本法則である。(引用終り)

 

>現にその後の日本は占領されています。 

 

勝ったら日本は占領しますね。負けたのだから日本は占領されますね。  

 

>占領というのは戦争行為の一部です。 >つまり日本は戦闘行為を自主的に終わらせたのであって、戦争そのものはその後も続いたのです。 >では戦争の終結はいつかというと、形式的には昭和27年4月28日のサンフランシスコ条約発効の日です。 >形式的というのは、書面上はそうだということです。 

 

そうですね。  

 

>実質的には、いまだ日本には米軍基地があります。 >つまり日本への占領状態は継続しているわけで、その意味では戦争はまだ終わっていないのです。 

 

それは、違いますね。それは国と国との約束事によるものですね。今日の占領状態は、わが国が軍隊を持つことなく国の安全を確保するための方法です。      

 

>良い悪いではなくて、それが事実です。 >だから米軍出て行け!も違うと思います。   

 

考えは人により様々ですからね。   

 

>いまの東亜情勢の中では、中共の軍事的横暴をかろうじて抑えているのが東亜に展開された米軍基地だからです。  

 

そうですね。中国は伝統的な覇者の国です。覇権を求めて支配地域を周辺諸国に拡大してゆきます。中国人の愛読書は覇者の物語です。         

 中国人には ‘発想の転換’ (paradigm change) というものは期待できませんからね。  

 漢人 (中国人) は漢字を発明した。彼らは自分自身の考えを表すための文字を作った。だが、外国人の考えを表すための文字を彼らは作らなかった。だから、彼らは漢文の読書をしても外国人の影響は受けることがない。自分たちから発信のみが可能である。だから、伝達は外向きの一方通行である。中華思想 (自己中心主義) は治らない。  

 

>このため米軍基地のある東亜の各国では、中共のスパイたちがさかんに「米軍基地出て行け」と煽っています。 >日本もそのなかのひとつです。 

 

そうですね。本国政府の指示に従うのは彼らの義務になっているようですね。   

 

>いたずらに対立を煽る。 >このことこそ戦争や虐殺や悲惨を招く最大の「政治工作」です。   

 

そうですね。彼らの活動を恐れて用心しているのは日本ばかりではないようですね。     

 

 

 

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立憲民主くん 

2020-08-30 16:55:56 | 文化

 

> 立憲民主党系のTwitterアカウントに、立憲民主くん(@rikken_minshu)というものがある。

>プロフィール欄には「#硬式(こうしき)アカウント & #飛行式(ひこうしき)アカウント」と書いてあり、存在そのものを曖昧にしつつ、自分で茶化しているようにも思える。 >その立憲民主くんのツイートが大炎上だ。

 

そうですね。真面目な話ではないですね。 

     

>1980年6月12日、大平正芳首相死去(70歳)、2000年5月14日、小渕恵三首相死去(62歳)、2020年…    安倍晋三首相(現在65歳)、20年おきに起こった総理大臣の健康問題。 >安倍さんは十分に気をつけて欲しいですね。 by 立憲民主くん > まるで、二度あることは三度あるとでも言いたいかのようなツイートだ。 

 

なるほど、80年、00年、20年と3回目ですね。   

 

>人の生死を軽々しく取り上げ、さも安倍総理が亡くなることを予言するかのようなツイートは批判を呼び、「立憲民主くん」はこのツイートを削除し、逃亡している。  

 

不謹慎なツイートですね。   

 

>ご指摘とお叱りを受けているツイートは、報じられている安倍首相の健康問題について、在職中に急病で死去された故大平、小渕両首相の事例を紹介し、決して若くはない安倍さんを心配するつもりで記したのですが、却って「不謹慎」だと受け取られたようです。 >お詫びの上、当該ツイートは削除いたします。>立 憲 民 主 く ん (@rikken_minshu) August 26, 2020  

 

削除が良いですね。  

 

> 「安倍さんを心配するつもり」だったのだそうだ。>単純にお詫びと削除をすればまだマシだが、「安倍さんを心配するつもりで記した」と、見え透いた釈明をするあたり、人としての素養が十分に備わっていない人物と見受けられる。

 

推察に熱がこもりますね。’類は友を呼ぶ’ ですかね。   

 

> 批判の中で最も真っ当だと思われるのが、ルーピー内閣で内閣官房副長官を務めた旧民主党出身の松井孝治氏である。>首相に限らず、また公職にあるかないかに関わらず、人の健康ましてや生き死にに関わる問題について軽々に揶揄するような書き込みは政党関係者であろうとなかろうと問題。 

 

そうですね。  

 

>かつての民主君の中の人は党の職員。 >今はその方が立憲、国民いずれの所属か、中の人として継続活動中か存じませんが猛省願います。>— Koji Matsui 松井孝治 (@matsuikoji) August 26, 2020  

ね。  

 

> 松井氏が、立憲民主くんのアカウント保持者が党の職員である可能性を示唆し、旧民主党出身者である細野豪志も「書いているのが誰か想像はつく」と書いていることから、党の非公式アカウントではあるものの、限りなく党に近い存在である可能性は高いだろう。 

 

党員の品性の問題ですね。   

 

>立民党の公式アカウントが「当該アカウントに速やかに適切な対応を求める申入れを行いました」と発信した後にツイートが削除されている“連動性”もその証左だ。> パヨクというのは一般的に、「人権」が大好きな人種だ。>安倍内閣のせいで言論や表現の自由が蔑ろにされると叫ぶが、自分たちは品性のない発言を繰り返し、安倍バッシングによって言論や表現の自由を謳歌している。  

 

お互い様なのですかね。    

 

>彼らの言動は、どこか、南鮮の反日無罪と似ている。 

 

心がこもっているからでしょうね。   

 

>南鮮が日本に対するヘイトをシステムとして肯定しているように、パヨクは安倍総理を含む政敵に対しては何を言っても問題ないと、勝手な前提を設けているのだ。  

 

不道徳解禁の状態ですね。どうかわが国の政治から身を引いてもらいたいですね。      

 

> 立憲民主党は間もなく解党するようだが、解党して新党を作ったところで、中にいるメンバーはほぼ同じ。   

 

新党にあるのは議員の離合集散だけですね。  

 

>看板を掛け変えるだけである。  

 

まさか、’羊頭を掲げて狗肉を売る’ のでないでしょうね。   

 

>彼らが新党になって「まっとうな政治」をキャッチフレーズにすることはないだろう。>新鮮味がないし、第一、「変わっていない」という印象を与えるだけだからだ。  

 

各人に哲学が必要であります。Everyone needs a philosophy. 日本人には哲学がない。政治家には政治哲学がない。政治哲学がないと政治音痴になる。   

‘周りの影響を受けずに、真に独立した考えができる知識人がいない。’ ( グレゴリー・クラーク)   

 

>しかし、現在の立民党が「まっとうな政治」を標榜しているのであれば、この「立憲民主くん」のアカウントは整理し、けじめをつけることだ。

 

まっとうな政治が必要ですね。   

 

> 当の所属議員を見ていると、党の職員にも「品格」や「人格」を期待するのは無理だと思うが、努力だけはすべきだろう。  

 

 'どのような状況にも普遍的に通用する真理や法則、基本概念や倫理がありうるという考え方が、日本にはほとんど存在しない。'  (カレル・ヴァン・ウォルフレン)   

 

>(略)

 

 

 

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