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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

博士号取得者  

2024-04-29 17:25:59 | 文化

>オトナンサー   >文科省が「博士数を3倍に増やす」というが博士号の取得者の就職が困難を極めるワケ   近畿大・島崎敢 (しまざき・かん) によるストーリー・   1日・   

> 文部科学省が326日、2040年に人口100万人当たりの博士号取得者数を2020年度の約3倍に引き上げる目標をまとめた「博士人材活躍プラン~博士をとろう~」を公表しました。   

> 同省によると、「博士人材活躍プラン」は、大学院の改革を進め、より多くの学生が博士課程に進むことを目指すとともに、産業界と連携し、博士号取得者の社会進出を支援することで、社会に技術革新をもたらすのが目的とのことです。

> 一方、事故防止や災害リスク軽減に関する心理的研究を行う、近畿大学生物理工学部・准教授の島崎敢さんが、自身の経験を基に、この計画の課題を指摘します。

>博士向けの求人が不足   

> 文科省が、2040年に人口100万人当たりの博士号取得者数を2020年度の約3倍にし、世界トップレベルに引き上げるという既視感がある目標を掲げました。   

> 日本の科学技術を発展させるには、研究開発力を持った博士は多いに越したことはありません。   

>しかし、文科省はこれまでも同様の取り組みを続けてきており、大学院生の数は1990年代初頭のすでに3倍近くに上っています。

> 一方、博士号取得者向けの求人は3倍にはなっていないため、博士の就職難が深刻化してきた経緯があります。   

>この状況を打開しつつ、博士人材活用プランを成功させるためには、単純計算で博士の求人を1990年代の9倍にする必要があるのです。

 

そうでしょうね。しかし、わが国においては人手不足はどこにでもあるが、頭脳不足は聞いたことが無い。手先・目先の仕事に頭脳がいらないからでしょう。      

 

> 文部科学省 科学技術・学術政策研究所が2022年、2018年度に日本の大学の博士課程を修了した人を対象に、2020年時点の雇用状況などを調査した報告書(※1)を公表しました。   

> この報告書によると、博士課程を修了した人の67.2%が「正社員・正職員」として働く一方、28.9%が「契約社員、任期制研究員」「パートタイム労働者」「派遣労働者」といった非正規雇用に就いていたということです。   

> 文科省の「博士人材活躍プラン」は、単に博士号取得者数を増やすだけでなく、彼らが活躍できる場を確保することも重要な柱としています。   

>しかし、少子化の影響で大学は今後15年間で100校近くが閉鎖されるという予測もあり、博士人材の主な受け入れ先であった大学のポストは減少していくばかりです。

> 従って、民間企業の求人を今の何倍にも増やさねばなりませんが、専門分野を深く狭く極めた博士人材は、逆に言えばつぶしが利かない人材でもあります。   

>その上、賃金の高い彼らを、民間企業がそんなにたくさん求めるだろうかという疑問も残ります。   

 

民間が博士を望んだわけでもない。 博士は政府の育成計画によるものであるから政府の研究費で雇ったらよいでしょう。   

 

> ポストが限られているのに博士が計画通り増えれば、需給バランスが崩れ、博士の待遇の悪化を招いてしまうかもしれません。   

>実際、こうした事態はすでに起こり始めているように思います。   

>就活時に大量の書類を作成   

> さて、博士の量産が加速していく中で、当事者の博士たちはどのような影響を受けてきたのでしょうか。   

>ここでは、当事者の一人でもある私が博士の就職活動について実情を紹介しようと思います。   

> なお、個人の経験を多く含むため、「違う」と思う人もいるかもしれません。   

>また、優秀な人材を増やすという方向性は間違いではないと思いますので、文科省の取り組みを一方的に否定する意図はありません。   

> 理化学研究所などの国内トップクラスの研究所でも、研究者の8割近くが任期付きの有期雇用で働いており、研究職では若手の人は滅多に終身雇用をしてもらえないのが実情です。   

>実際に、私も35年程度の有期雇用職を転々としてきました。   

>ちなみに、この業界では40代までは若手扱いで、場合によっては50代でも若手と呼ばれることがあります。   

 

大器晩成ということですかね。   

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに発達する言語能力を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制 (tense) を活用して非現実の内容を文章に表現する訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得させようとする仕組みである。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。

哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本語は現実の内容だけを表す言語である。日本式の判断だと、見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。嘘ばかり (きれいごと) を語っては学習に力が入らない。だから思考停止になっている。日本人は相変わらず無哲学・能天気の民となっている。わが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。  

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっている。これらは高等教育の賜物である。

当の日本人の若者はいまなお国内の序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。難関出身者が序列社会で優位に立つ話ばかりで持切りである。注意力不足で井の中の蛙になっている。国際取引で印欧語族の知識人を相手にして苦戦を強いられることになる。   

 

現実は只ひとつ。それに比べて、非現実 (考え) は無数ある。論文の内容は一人一人違っている。考えは人人により違うからである。矛盾を含まない文章は全て正しい考えを示している。内容の違いは個性の表れである。それで個性豊かな社会が形成される。         

序列競争は没個性でなくてはならない。異次元の戦いであっては競争に不公平が起きるからである。学生は他人の受売りとその後追いで受験戦争に備える。同次元で序列を激しく争う結果、金太郎飴のような同じ顔をした若者が続々と輩出される。序列には色がない。だから没個性の社会が形成される。           

だがしかし、細い序列の階段を昇り詰めることを人生の成功と考えない方が良いですね。成功の道は多岐にわたると考えるべきですね。       

トットちゃん (黒柳徹子氏) のように小さい時から自分の好きなことだけをやっていれば、仕事に興味深々で神経は集中して能率は上がるし、それ相当の成果が期待できますね。その上、個性豊かな社会が形成されます。     

 

 

 

 


大釈敏夫氏  

2024-04-29 03:23:56 | 文化

>毎日新聞   >穏やかに逝った101 沈黙から一転、語り続けた戦争と平和   >毎日新聞 によるストーリー    >4 時間 •   

> 戦後79年を前にまた一人、大切な証言者の声が失われてしまった。   

>第二次世界大戦終結後、旧ソ連によってシベリアに抑留された三重県伊勢市の大釈(だいしゃく)敏夫さんが4日、亡くなった。   

1月に誕生日を迎え、101歳だった。   

>全国強制抑留者協会の県支部長を務め、抑留体験を語り続けていた大釈さん。   

 

彼は貴重な語り部でしたね。   

 

>過酷な体験を語ると必ず「戦争はしてはいけない」と平和を訴えていた。   

 

そうですね。もう戦争は懲り懲りですね。   

 

> 県支部は21日、津市久居野村町の陸軍墓地公園で、2006年から続く慰霊祭を行い、抑留者を悼んだ。   

>抑留体験者や遺族ら約40人が参列。   

>降りしきる雨の中、黙とうをささげ、シベリアで力尽きた600人以上の県出身者の名前が刻まれている「平和の礎」の碑に献花した。   

 

600余名各位のご冥福を祈ります。   

 

> 出席予定だった大釈さんの遺影を抱いて参列した長女の田岡恵子さん(70)は、父の支部活動に寄り添ってきた。   

>「温厚で話をするのが好きだった」と生前を懐かしみながら、身の回りのことも自分ででき、家族に世話になることもなく、穏やかに逝ったことを明かした。   

> 大釈さんは1923年に現在の度会町に生まれた。   

18歳で開拓団として旧満州へ渡り、45年に鞍山の高射砲部隊に入隊。   

>終戦間際に侵攻してきた旧ソ連軍と交戦し、捕虜になった。   

48年に帰国後は、「写真で父が戦地へ行っていたことは知っていたが、戦争について語ることはなかった」と田岡さんが振り返るように、家族にも抑留されていた当時のことは口を閉ざした。   

 

そうでしょうね。辛い体験を語ると、その辛い思いが蘇ってくるので苦しみますからね。   

 

> 沈黙から一転、語るようになったきっかけは、70代に大病を患ってからだという。   

>「亡くなった戦友のことを伝えるために話さないといけない」と大釈さんは抱いた使命感を明らかにしていた。   

 

もうこりごりだの体験話だけでは戦争の予防策としては不十分ですね。    

 

欧米人には意思がある。

意思のある人間には加害者意識がある。   

これが高じると罪の意識となる。だから、病める魂の救済を求める必要のある人も出て来る。   

深刻な反省に至ることも多い。だから彼らは原因究明に力を入れる。彼らにとって失敗は必ずしも時間の無駄ではない。   

必ず原因究明の成果が予防策に反映されて進歩を伴っている。      

 

日本人には意思が無い。  

意思の無い人間には加害者意識がない。

罪の意識もない。有るのは被害者意識ばかりである。被害者・犠牲者だらけはでどうしようもない。          

深刻な反省にいたらないから失敗から何も学び取ることができない。この不勉強が致命的である。   

 

> 抑留者は厳しい自然環境の中、強制労働が課され、満足な食事も与えられず、飢えに苦しんだ。   

>厚生労働省の調査によると、約575000人の抑留者のうち、約55000人の死亡が認められている。   

>帰国を願いながら、かなわなかった仲間たちへの思いが、大釈さんを突き動かした。   

 

彼は気分・雰囲気・感情の問題につき動かされたのですね。   

 

> 講演の際、台本は用意しなかった。   

>寒さに耐えながら重労働に従事し、食事は水のような薄い味のスープと一切れのパンのみ。   

>仲間たちが次々に息絶えてしまう極限の状態に追い込まれ、自らも死を覚悟した経験を、時を経てもあふれてくる感情から出てくる言葉で紡いだ。   

 

それは歌詠みになりますね。   

 

> 田岡さんは「みなさんが熱心に話を聞いてくれることがうれしかったんだと思う」と精力的に活動を続けた父の心中を推し量った。   

 

そうでしょうね。本当にご苦労さんでしたね。わが国にも深刻な反省の持ち主が現れるとよいですね。    

 

>印象に残っているのは23年夏に伊勢市の中学校を訪れたときのこと。   

>戦争をしてはいけないと訴えた父の姿から、「未来ある子どもたちにつらい思いをさせてはいけない」という強い意志を感じた。   

 

残酷なものは未来の無い若者と、過去のない年寄りですね。   

 

日本人には意思が無い。   

たとえば【英対する開戦の詔勅】であるが

洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ

まことにやむをえざるものあり。あにちんがこころざしならんや。

開戦はまことにやむをえないことで、私の本意ではない。

 

すると一体誰の本意で我が国の意思決定が為されたのでしょうか。    

国民がやむを得ない反応だけをする人たちの群れであっては万事休すですね。

意思のある所に方法 (仕方) はある。Where there's a will, there's a way.

我々は心を入れ替えなければならないでしょうね。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。  

 

> 23年の慰霊祭で大釈さんは「私たちが受けた同じような悲劇が二度と起こらないよう、一層の努力を傾けます」と述べた。  

 

我々日本人は自らの意思を示す必要がありますね。意思のある所に方法 (仕方) はある。原因究明が第一ですね。その次がその予防策ですね。      

 

>田岡さんは父の言葉を思い出し、混沌(こんとん)とする現代の国際情勢を重ね合わせ、「外国で戦争が起きている。   

>(体験者として)戦争はやってはいけないと、もっと伝えてほしかった」。   

 

他力本願・神頼みでは平和は我々の所へはやって来ないでしょうね。  

 

>父のように体験談を語ることはできないが、遺志を継ぐように「これからも慰霊祭に参列する」と遺影に誓った。   

 

我々には深刻な反省が必要ですね。  

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。     

 

>【下村恵美】   

 

 

 

 

 

 

 


近藤統義氏  

2024-04-28 14:08:23 | 文化

<視点>「政治とカネ」裏金事件 違和感だらけの派閥 政治部・近藤統義    2024221 0600分   

> 自民党の派閥の多くが解散を宣言した。   

>半年前に政治部に異動してきたばかりで、特段の感慨はない。   

>その短い間に抱いた違和感を、反省も込めて記録しておきたい。   

> 政治資金パーティーを巡る裏金事件で、派閥の所属議員らが一斉に立件された先月19日。   

>岸田派が説明の場を設けるというので、議員会館の一室に向かった。   

>テレビカメラはなしで、会場に入るのは岸田派の取材を担当する記者だけ。   

>派閥幹部は冒頭、さらりと口にした。   

>「記者懇(談)という形でお願いします」。   

>違和感その1だ。   

> 「懇談」とはすなわち、懇(ねんご)ろな会談。   

 

同じ釜の飯を食う馴れ合いのことですね。恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) ですね。       

 

>記者会見とは性格が異なり、発言者を特定せずに報じる場合もある。   

>永田町や霞が関でよくある取材形式だが、事件の重さに照らせば懇談はないだろう。   

 

そうですね。  

議論をすれば喧嘩になります。   

和を以て貴しとなす

してみれば懇談ですね。   

 

>始まってみれば、質疑を重ねる会見と同じ形になったものの、世論に向けて丁寧に説明しようという意識は希薄に感じた。   

> 違和感その2。   

>岸田派の元会計責任者は2018年からの3年間で、約3000万円のパーティー収入を政治資金収支報告書に記載しなかった。   

>立派な虚偽記入罪だ。   

>だが、幹部はこう言った。   

>「いわゆる裏金に該当するものはありません」。   

>頭がくらくらした。   

> その説明はこうだ。   

>岸田派はお金を全て預金口座で管理している。   

>収入も支出も全て口座に記録がある。   

>不記載だった収入も口座に残っている。   

>だから、裏金とは言わない―。   

>私的に流用したり、自由に使えるよう不正にため込んだりしたのとはわけが違うと主張したいようだった。   

> 裏金の定義は一つではない。   

>ただ、いま問われているのは政治資金規正法の違反である。   

 

そうですね。   

 

>「政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われる」ための法律だ。   

>私たちの監視の目が及ばないお金は「表」か「裏」か。   

>答えは明白ではないか。   

 

そうですね。裏金ですね。   

 

> 最後に違和感その3。   

>これが最も大きいかもしれない。   

> 昨年10月から岸田派の担当になった。   

>所属議員たちは週に1度集まり、昼食をともにしながら意見交換する。   

>貴重な取材機会の一つで、会合後に弁当が余っていれば記者にも回ってくる。   

>代金は派閥持ち。   

>初めは面食らった。   

> 居心地の悪さを感じつつ、うな重やすき焼き弁当を食べながら議員の話を聞いたこともある。   

 

政治家は記者の餌付けをするのですね。馴れ合いの基を作るのですね。議論を抜かして話し合いをする。      

 

>政界の文化と言えば聞こえはいいが、世間の目にはどう映るだろう。   

>こうした関係性のもとで、政治資金のずさんな取り扱いを見抜けなかった。   

>今となっては自分の行動も甘かった。   

 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。    

 

> ある世論調査では国民からの信頼感が最も低い機関・団体が国会議員、それに次ぐのがマスコミだ。   

 

そうでしょうね。国会議員とマスコミは同じ穴のムジナですからね。   

 

>「政治とカネの問題を是正することは政治文化を変えること」。  

 

政治家は自己の政治哲学の為に動くもの。政治屋が無哲学であれば、金の為に動くのみ。   

 

>政治資金に詳しい専門家のこんな言葉も聞いた。   

>その文化を形作るのは有権者であり、メディアでもある。   

 

そうですね。しかし有権者はノンポリ・政治音痴ですからね。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく世の人を教え導く人) が必要である。わが国のジャーナリストはその要請に応える必要がある。事実の山と木鐸不在だけであっては立つ瀬なし。‘それがどうした’‘それでどうした’の問いに答えが出せない。我々には絶望の未来が待っている。今こそ我が国民は自覚すべき時である。      

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

>政治の信頼を取り戻す道筋をともに考え続けたい。   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。   

 

 

 

 


規正法改正  

2024-04-28 03:06:47 | 文化

>読売新聞   >規正法改正、隔たりあらわ自民案に公明も「ゼロ回答だ」   >読売新聞によるストーリー・   >18時間   

> 26日に議論が始まった衆院政治改革特別委員会では、政治資金規正法改正を巡り、与野党の主張の隔たりが浮き彫りになった。   

>岸田首相(自民党総裁)は今国会中の改正実現に強い意欲を示しているが、自民案に対しては、野党だけでなく、公明党も批判的で合意への道のりは険しい。   

>■自民案 公明も批判的   

>■強い危機感   

> 「政治資金の問題に端を発し、自民に極めて厳しい声が寄せられている。   

>結党以来の深刻な状況にあるという強い危機感で取り組んでいる」   

> 首相は26日、東京都内での会合でこう述べ、派閥の規正法違反事件を受け、法改正による再発防止と信頼回復を急ぐ考えを示した。   

 

意思のある人間は加害者意識を体験する。罪の意識もある。だから深刻な反省に至ることもある。真面目人間である。信頼できる。         

日本人には意思が無い。意思の無い人間には加害者意識がない。罪の意識もない。深刻な反省に至ることもない。だから強い危機感も綺麗事でしかない。  

罪を知らない人間は子供のようなものである。信頼感がない。信無くば立たずである。       

 

> 特別委では、自民の大野敬太郎氏が、政治資金収支報告書に関する「確認書」作成の義務化をはじめとする議員本人への罰則強化や、収支報告書に対する第三者監査の強化などの自民案を説明し、理解を求めた。   

> これに対し、立憲民主党の笠浩史氏は「抜け道が残るような小手先の見直しはもはや許されない」と反発した。   

>立民は確認書について、「会計責任者の処罰が確定しなければ、誰も処分されない」(蓮舫参院議員)などと反対している。   

 

日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任もない。だから、日本人の責任者捜しは難しい。      

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)   

 

>■慎重姿勢   

> 規正法改正を巡っては、議員個人が政党から受け取る政策活動費(政活費)のあり方や、政治資金パーティー券購入者の公開基準の引き下げも焦点となっている。   

>自民はいずれも「プライバシーの確保」や「政治資金の多様性」の観点から見直しに慎重姿勢だ。   

> 立民や日本維新の会など野党4党は、政活費の禁止で一致している。   

>政治資金パーティーでは、立民が全面禁止を主張し、維新は購入者全ての公開を求めている。   

>維新の浦野靖人氏は特別委で「自民の金権体質を根底から解決するためには、パーティーのあり方や政活費に触れないわけにはいかない」と主張した。   

 

日本人は思考を停止している。しかし、政治家には政治哲学が必党である。    

‘我々はどこから来たのか  我々は何者か  我々はどこへ行くのか’ といったような哲学的命題を考えてみる必要がありますね。   

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )   

 

>■会期延長論も浮上   

> 公明の石井幹事長は26日の記者会見で、パーティー券購入者の公開基準引き下げと政活費の使途公開に関し、「改革の方向性がしっかりと示される形で与党案をまとめていきたい」と語り、自民に注文を付けた。   

>公明幹部は「今の自民案ではゼロ回答だ」と漏らし、与党協議での譲歩は難しいとの考えを示した。   

> 今国会の会期末(6月23日)までは残り2か月を切っており、参院での審議も考慮すると日程は窮屈になっている。   

>自民内からは「会期を延ばすことがあってもいい」(渡海政調会長)などと、会期延長論も浮上している。   

 

それでどうした。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく世の人を教え導く人) が必要である。わが国のジャーナリストはその要請に応える必要がある。事実の山と木鐸不在だけでは立つ瀬なし。‘それがどうした’‘それでどうした’の問いに答えが出せない。我々には絶望の未来が待っている。今こそ我が国民は自覚すべき時である。      

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

 

 

 

 

 

 


衆院政治改革  

2024-04-27 03:01:12 | 文化

>日刊ゲンダイDIGITAL   >自民はやっぱり反省ゼロ「衆院政治改革特別委員会」 ついに初開催も野党も呆れるグダグダぶり   >日刊ゲンダイDIGITALによるストーリー・   >10時間   

>「政治家の言い訳を二度とさせない」「法令順守の意識の徹底が必要」――。   

>自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件を受けて設置された「衆院政治改革特別委員会」が26日、初めて開催された。   

>今国会の焦点の一つでもある政治資金規正法改正について自民、立憲民主両党などが意見表明した。   

>「今国会中に制度改正を必ず実現する。   

>政治家の言い逃れを二度とさせないためにいわゆる連座制の導入が必要だ」   

>同委員会で自民党の大野敬太郎議員(55)はこう声を張り上げていたが、野党議員は冷ややか。   

>それはそうだろう。   

>野党案がそろって議員本人の責任を明確化するための「連座制」導入を主張しているのに対し、自民案は収支報告書が適正に作成されたことを示す「確認書」の提出を議員に義務付け、会計責任者が処罰され、議員の確認が不十分と判断した場合は刑罰を科し、公民権を停止するという内容だからだ。   

>「連座(制)もどき」「なんちゃって連座制」「全くヤル気が感じられない」——。   

>野党議員が呆れるのも無理はない。   

>大野氏は「政治家の言い逃れを二度とさせない」と言っていたが、今の状況を見る限り、自民党が本気で裏金事件を反省しているとは思えない。   

 

日本人には意思がない。意思の無い人間には加害者意識がない。罪の意識もない。だから深刻な反省には至らない。蛙の面に小便であろうか。   

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使のものよりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。 

 

>■派閥の解散届を出したのは1団体のみ   

>「宏池政策研究会、志師会、清和政策研究会、近未来政治研究会、平成研究会について、確認を致しましたところ、昨日、423日現在で政治団体の解散届けは提出されておりません」   

 

日本人には哲学がない。だから、政治家には政治哲学がない。ノンポリ・政治音痴ではどうにもならない。    

わが国は数合わせの論理で政治を動かすしかない。派閥はその為の手段である。だから派閥は解散できない。   

 

24日の参院予算委員会。   

>総務省担当者の答弁は、岸田文雄首相(66)が1月下旬に表明した党派閥の「解散」が全く進んでいないことを明らかにした。   

>最大派閥「安倍派」(清和政策研究会)や二階派(志師会)などの派閥を舞台に繰り広げられた裏金作り。   

>岸田首相は唐突に「派閥解消」を打ち出し、自身の岸田派(宏池政策研究会)の解散を表明。   

>以降、安倍、二階、森山、茂木の各派閥もこれに続いた。   

>政治資金規正法では、政治団体を解散した場合、代表者および会計責任者であった者は、解散の日から30日以内に解散や解散年月日を届け出る必要があるが、岸田首相が解散を打ち出してからすでに3カ月経つのに、いまだに解散届すら出ていないわけだ。   

26日になって、近未来政治研究会(森山派)がようやく東京都選挙管理委員会に解散届を郵送したというのだが、遅すぎると指摘せざるを得ない。   

 

日本人には意思がない。だから意思をまとめる努力が見られない。何事にも’Too slow, too late’ である。     

 

>《泥棒が何をエラソーに再発防止策なんて言っているの》   

>《この期に及んでも抜け穴を探している自民案に意味あるのか》   

>《このまま派閥も解散せず、ほとぼりが冷めたら復活する。今は死んだふり》   

 

全ては漫画の世界の出来事ですね。お陰様で、我が国は漫画・アニメの大国になりました。       

 

>カネの流れを透明化し、違法、脱法行為を犯したら刑事罰を処す――こんな当然で簡単な事を決めるのに一体どれだけ時間をかけているのだろうか。   

 

日本人には毛が三本足りない。    

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに発達する言語能力を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制を活用して非現実の内容を文章に表現する訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得させようとする仕組みである。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。

哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本語は現実の内容だけを表す言語である。日本式の判断だと、見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。嘘ばかり (きれいごと) を語っては学習に力が入らない。だから思考停止になっている。日本人は相変わらず無哲学・能天気の民となっている。わが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。  

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっている。これらは高等教育の賜物である。

当の日本人の若者はいまなお国内の序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。難関出身者が序列社会で優位に立つ話ばかりで持切りである。注意力不足で井の中の蛙になっている。国際取引で印欧語族の知識人を相手にして苦戦を強いられることになる。