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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

受験勉強をしていない

2016-08-31 21:44:37 | 教育
>“夢の繊維”(原料に石油を使わず微生物とDNAによる人工クモの糸)の量産化に成功した慶応義塾出身の開発者と、“魔法の紙”(木も水もいらない。石から紙をつくる)の開発者中卒。元大工見習い)の共通点は、受験勉強をしていない事!
>「受験勉強をしてこなかったので、時間がありすぎて小・中学校で「何のために生きるか」まで考えた。深堀りせざるを得なくなってしまう。しかも勉強もしない。本当に必要とされない人間になってしまう危機感だけはあったが、勉強にはつながらなかった。」
> 「大工の現場で10年20年後を考えた時、「このままだったら」というのがすごくあった。残りの人生について深く考える時間がすごくあった。」
>という言葉が印象的です。

非現実の内容を現実の世界において実現すれば、それは創造したことになる。個性的な仕事をしたことになる。
現実の内容は誰にも共通であるが、非現実の内容はそれぞれに個性的である。
画一的な内容の教示を受けて、その暗記に専念していても、個性的な結果にはつながらない。
まあ、マニュアル組労働者の育成にはなるか。
だから、国定風の指導教育は、出来るだけ少ないほうが良い。
かくして、受験勉強廃止となるか。


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お人好し

2016-08-30 23:28:31 | 国際・政治
>日本人は、とにかくお人好しで騙されやすいのが最大の弱点です。「オレオレ詐欺」などという犯罪は日本人の「人の好さ」に付け込んだ犯罪で、日本特有のものといっても過言ではないでしょう。物事を疑う習慣のない人がパニック状態に追い込まれると、簡単に騙されます。これは日本人が、政治的プロパガンダに乗せられやすいことを意味します。

現実の内容は見ればわかる。非現実の内容は見ることもできない。
話の内容は非現実である。非現実の文章は、矛盾が無ければ正しい。矛盾があれば、間違っている。
日本人は、非現実の文章内容を理解できない。日本語には、非現実の文章が無いからである。
だから、文中の矛盾の有無も現実の内容でないものは判断できない。
個人の意見 (非現実) は現実の内容そのものではないので、実況放送・現状報告の内容だと思い込めば、それは間違いになる。
非現実の内容の判断は他力本願・神頼みにせざるを得ない。判断に自主性は無く、付和雷同する。民度が低い。

>日本人のもう一つの弱点は、とにかく権威ある職業や組織(学者、医師、弁護士、大企業、大手マスコミなど)から発せられる情報であれば、ほとんど疑うことなく、すべてを信じる傾向があるということです。

権威主義があり、上意下達を励行する。序列社会のしきたりですね。
先生が手本を持っている。生徒は先生に教えを乞うて後生大事にその内容の暗記に励む。これにより序列順位を上げて出世する。身を立て、名をあげ、やよ励め。

>このような、「お上」には逆らわず、「長いものには巻かれろ」という感覚は、決して日本人が、純粋無垢で従属的だったからではないと私は考えています。むしろ、かつての日本の権力者や大商人というものが、伝統的に庶民の信頼を勝ち得ていたからではないでしょうか。庶民は、権力者を信じて付いていけば決して悪いようにはならない、と感じていたのです。

日本人は、自ら ‘あるべき姿’ の世界を発想できない。純粋無垢は、無哲学・能天気の言い替えに過ぎない。だから、従属的にならざるを得ない。下の者ほど割が悪い世の中。意思が無ければ、方法がない。何事も諦めが肝心です。不自由を常と思えば不足なし。

>『古事記』の「因幡の白兎」、あるいは「海幸彦・山幸彦」などの神話、仁徳天皇の「民のかまど」の逸話、数多くある「恩返し」の昔話などから、日本という国は太古の昔から、「正直で誠実に、そして慈悲深く仲良く暮らしていれば、きっと良いことがある」と教えられ、それを信じることのできる社会が、現実に存在したのです。

善政ばかりの世の中であったのかな。そうであれば、一揆などは起こらなかったでしょう。

>このようななかで、歴代天皇はもちろんのこと、将軍や大名、あるいは武士にせよ、大商人にせよ、農村の長にせよ、世の中のリーダーは民の信頼を決して裏切ってはならないと考え、逆に民は、権威あるリーダーに全幅の信頼を寄せて精進しさえすれば、いつか必ず報われるというコンセンサスがあったのではないでしょうか。

理屈抜きで、そうなのでしょうね。
堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで、恣意 (私意・我がまま・身勝手) の実現に励めば、南の島に雪が降る。
この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。とかく、この世は無責任ということか。



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高等教育の必要性

2016-08-29 00:50:52 | 政治

初等教育は、読み書きパソコン。中等教育は、職業教育により、マニュアル組の労働者を作る。高等教育は、高尚な教養教育により、ノンマニュアル組の労働者を作る。

日本語の時制のない文章は、現実の内容を表す。実況放送・現状報告の内容を表す。
その内容は頭の外にある。だから、見ればわかる。民の理解は必要ない。すべてが過不足なく成り立っている。
民の発言内容が異口同音になる。一億一心か。同音により民は安心感を得る。一億総玉砕の決行か。
力を持つものが守護神となる。力は正義である。他力本願・神頼みの暮らしをする。
無事息災を願う。くわばら、くわばら。

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。

英語の時制のある文章は、非現実の内容を表す。過去・現在・未来の考えを表す。過去の世界は、過去時制と過去完了時制で全てを表すことができる。現在、未来についても、同様にして、限りなくその内容を展開できる。かくして、世界観を持つ。
その内容は頭の中にある。だから、見てもわからない。文章内容の理解が必要である。話の中に矛盾のあるなしを自分で判断しなくてはならない。矛盾があれば、正しい考えではない。その矛盾を取り除けば、正しい考えになる。だから、話し合いにより、助け合いにより、我々は正しい考え方という有意義な結果を得ることができる。

今の世は民主主義の世の中である。民の力が世界を動かす。理性判断のできる民の理解が必要である。内容が高尚なので民には高等教育が必要である。
小異 (現実) を捨てて、大同 (非現実) につくことにより、合意形成を得て大同団結する。協働作業により、未来 (非現実) 社会の実現を可能にする。夢と希望のある生活をして、民は幸せをつかむことができる。

‘人間万事不平等’ といえば、それは現実のこと。
‘人は生まれながらにして平等に作られている’ といえば、それは理想 (非現実) の内容である。
世の中の酸いも甘いもかみ分けて、したり顔をして、この人生を終わるのか、それとも、見果てぬ夢 (理想) を追いかけて努力の末に一生を終えるのか、それが我々の問題である。
能動が無ければ、世の中は変わらない。指導者として、人々の期待を担うわけにはいかない。国際社会において、名誉ある地位を占めることもできない。だから、我々は現実肯定主義者ではいられない。

>懸念されるのは、自民党の憲法草案で基本的人権をめぐり天賦人権性が否定されていることだ。これは近代の人権観念の端的な否定であり、見過ごせない。立憲主義、人権、民主主義といった近代憲法の諸概念は欧米由来のものであり、これらを後に受け入れた日本を含む国々では反発を呼ぶこともある。しかしこうした諸原理自体は、多様な個人の共生を可能にする基礎であり、普遍的なものとして受け入れなければならない。 (曽我部真裕 京都大学教授)



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対話

2016-08-27 18:35:06 | 文化
>日本では対話とか意味のある会話がほとんど話されないと思いませんか。

同感です。腹にたまっているものは、整理がつかないから話されないのでしょうね。

>日本人は対話が本当は好きじゃないのですよ。

そうですね。’ああいえば、こう言う’ という結果になりますからね。

>ケンカになりますからね。

つかみどころのない人間を相手にしていては、喧嘩の対象にしかならないでしょう。

>しかし創造性が養われるのはテーゼとアンチテーゼのこの対話のなかですからね。

日本人は、唯一の正解の存在を信じているから、自分と反対の見方をする人は、好きになれないでしょうね。意見が一つであれば、心が休まる。
個人に関する各種各様の話の筋 (矛盾のない内容) を確かめてみる習慣がない。個人主義・世界観が考えられないから、個人意見そのものに興味を持たない。

>創造性そのものが妨げられますね。

正しい考えは、矛盾のない考え。誰に気兼ねすることもなく、自由に新しい内容を話したら良い。結論はリーズナブルの範囲内に収まることでしょう。

>日本の学問が点と部分でしか発達しなかった大きな理由は意義ある対話が欠けているせいじゃないですか。

同感です。
現実の世界は、過不足なく成り立っている。見ればわかる。
それと同じように、過不足のない内容を脳裏における非現実の世界にも成り立たせることができれば、それは哲学である。高尚な内容である。見てもわからない。
失敗すれば、点と部しか残らない。
考えに関する個性は認められないから、日本人には意義ある対話がないのでしょう。

>・・・・科学者が小説家や会社社長と対話することとなると、日本人はそういう出会いを楽しみませんね。

畠 (専門分野) が違うので、話 (現実) が合わない。小異 (現実) の中には期待される内容は何もない。哲学 (非現実) であれば、大同がありうる。だが、無哲学・能天気の民には、その見込みもない。

>それで同じような人間がいつも同じような場合に集まるので、話はなんの役にも立たない。

同感です。
発言内容の一致を心強く感じているでしょうね。唯一の正解の下で異口同音の練習により鍛えられていますからね。これは、言語・教育の問題ですね。


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日本人の意識

2016-08-24 22:48:04 | 文化

>【集団依存】会社にぶら下がっている。どうせぶら下がるなら「寄らば大樹の蔭」と考えている。数を頼む

出過ぎた真似はご法度ですね。序列制度に身を任せているのですね。

>【絶対平等主義】パフォーマンスの低い人の報酬や労働条件に、全員が「平等に」合わせるという「平等主義」
「出る杭は打つ」ものの、決定的な敗者も作らない。

不自由を常と思えば不足なし。

>【他律性】自律性がなく、周囲の意見に従って自分の態度を決定する。だから思考停止していても不便を感じない

日本人には意思がない。だから、能動的行動は難しい。
意思は未来時制の文章内容で、日本語には時制がない。だから、日本人には意思がない。

>【論理性欠如】論理とかセオリーに従わず、感情的、感覚的判断を行う。自分にとってメリットがあるか、自分の立場にプラスかどうかという近視眼的な基準で物事を判断する。

理論とかセオリーは考え (非現実) で、その内容は頭の中にある。気分・雰囲気は考えではなく、腹の中にたまり、腹芸の原動力となる。処世術 (現実) の内容は、頭の外に存在する。

>【目的意識の欠如】明確な目的意識を持たず、集団への依存心が強いので、自己を超克する努力などしない。飲み屋で同僚とぼやき合って、マイナス方向のエネルギーを蓄積していく。

日本人には世界観がない。’あるべき姿’ の世界が想定できない。だから、目的意識を持たない。小言・片言・独り言は建設的な考えにはならない。

>【「知」に対する無感覚】「知」の決定的な重要性を意識していない。だから洞察力も判断力も磨けないし、自分で物事を考えようとしない。組織的な判断(稟議)を行い、責任を回避する。自分にとってメリットがあるか、自分の立場にプラスかどうかという近視眼的な基準でしか物事を判断しない。

日本語には時制がないから、日本人は脳裏に未来の世界を展開できない。だから、洞察力も判断力も磨けない。
意思決定には、根拠が無い。自分の頭で考えられることは、処世術 (現実) のみである。

>【批判精神の欠如・内向性】「目上の者を指さしてはならない」と思っている。自分の仲間なら、反社会的なことをしていても批判しない。「身内の恥は我が身の恥」として不祥事を隠匿する。しかし、たいていはバレてひどい目にあう

序列メンタリティが発達している。だが、社会的責任感は持っていない。この国がひっくり返っても、責任者は出なかった。

>【権威主義・虚礼重視】たとえ無能で、年功で出世した者でも、あくまでもメンツにこだわる。メンツの後ろ盾になっているのはカイシャ。肩書きを取ると、途端に無力になる。

序列社会の仕来りですね。序列意識は強迫観念となり、序列への帰属意識がさらに強まってゆく。人生はむなしくないのかな。

>【親分肌の明るい笑顔】性格は明るく、根拠なく楽観的。人に好かれる。それは資源をばらまいて、人にいい顔をするのが仕事だと思っているからである。その資源は自分のモノではないのだが……

花さか爺さんですね。何事もパットやりたい。一時的な慰めに身を任せているのかな。ナウな感じよ。

>【即物的】所有という概念に執着する。無形資産の価値を理解しない。

現実の価値は存在する。見ればわかる。日本人の非現実の価値は真っ赤な嘘になる。

>【価値軽視】モノの「価値」をあまり深く考えようとしない。だからさし迫った危機意識を持たないし、価値観の違いを根拠にして他人に「NO」を言わない。「現状のままでいれば、常に明日という日は来るはずだ。何が問題で騒いでいるのか」と他人事に受け流している

‘何事も、成ってみなければわからない’ ということか。

>【保守主義・前例主義・教条主義・拝外主義】「現状を改変してはならない」という信念を持ち、革新的なことは認めようとしない。自分たちと異なる立場は絶対に許容しない。新日本人を敵視する。

お変わりのないことは良い証拠。天下泰平の世の中である。眠りをさます蒸気船は撃退しなくてはならない。

>【ご都合主義・相対主義】何事にも「白黒」をはっきりさせず、自分の態度を表明しない
付和雷同的に「他人がよいと言っているものはいいんだ」と思い込み、物事を実質本意に判断しようとしない

日本人には意思がない。意思のあるところに、方法がある。だから、他力本願・神頼みとなる。無事息災を願っている。

>【中庸・無為無策を尊ぶ】決して「物事の大元を変更してはならない」と思っている。
前任者の責任を問うような方針変更は「過激」として排除され、「改革」は単なる弥縫策に矮小化される

日本人には世界観がない。次の世界への移行は想定されていない。グランド・デザイン、マスター・プランは存在しない。だから、常に修繕程度になる。



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