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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

言語と信頼性

2015-01-28 09:40:09 | 国際・政治
私は、日本人であるから、毎日、日本語を使って話をしているが、あまり高尚な話はできない。
知的な話は、理屈を合わせる必要がある。つまり、矛盾の淘汰が必要である。
日本語では、非現実の文章はできないから、考え (非現実) と言うものが脳裏で発展しない。
私は、論文を英語で書く。そして、英米人に査読してもらう。矛盾が無ければ、それで良い。他人と違うことは、問題にならない。考えは、人・人により違うから独創もありうる。ただ、矛盾があれば、それは考えにならない。だから、矛盾は必ず除去しなくてはならない。そのためには、矛盾を発見できる人と接触を保たなければならない。だから、専門誌への投稿は必要である。独りよがりの文章では、頭脳労働にはならない。

日本人だけで理屈に関する事柄を話し合うのは良くない。矛盾が排除できないからである。日本人は、考えの矛盾というものは気にならない。現実の矛盾は理解される。だが、非現実の矛盾は理解されない。それは、非現実の内容を入れる構文が日本語にはないからである。文章が無ければ、意味もなく、矛盾もなく、矛盾の排除もままならない。だから、英米人のいないところで、'日本は必ず勝つ' と叫び、たとえ全会一致が得られても、その内容は矛盾だらけで、その実現はあてにはならない。日本語で未来・非現実を話し合うと言うことは、そういうことになる危険性があるということである。'やってみなければわからない'。'なってみなければわからない' の一点張りでは、洞察力は働かない。予期せぬ光景を目の前に見て、'あっ' と驚くのでは、時すでに遅しである。

山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘している。
「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いている。

戦前の日本は精神主義の国であった。精神力は、矛盾を淘汰できなかった。我が国の精神力は、米国の圧倒的な物量の前に屈した。考えなくして圧倒的な物量は備えられるものではない。我々の信頼していた精神力は、一体何であったのか。瞬間的にエキサイトする力であったのか。

'人間万事不平等' (現実) なら日本人にもわかる。だが、'人は、生まれながらにして平等に作られている' (非現実)など主張しても信じられない。'そんなこと言っても駄目だぞ。現実は、そうなっていない' と言うことになる。
'そんなこと' は非現実の内容であり、'現実はそうなっていない' も確かなことである。だが、非現実を入れる容量が脳裏にないから、とりわけそれを聞く耳を持たないのである。この点が、我が国民の民度 (文化程度)の低さを示している。
現実の内容は、千変万化する。その中に、基準を求めることは難しい。そのような努力をする人は、つかみどころのない人となる。

山本七平は、<ある異常体験者の偏見>の中で、絶対化について述べている。「日本軍が勝ったとなればこれを絶対化し、ナチスがフランスを制圧したとなればこれを絶対化し、スターリンがベルリンを落としたとなればこれを絶対化し、マッカーサーが日本軍を破ったとなればこれを絶対化し、毛沢東が大陸を制圧したとなればこれを絶対化し、林彪が権力闘争に勝ったとなれば『毛語録』を絶対化し、、、、、、等々々。常に『勝った者、または勝ったと見なされたもの』を絶対化し続けてきた―――と言う点で、まことに一貫しているといえる。」と述べている。


我が国では、'そう言い張るなら、その根拠を示せ' と要求される。世界観を持たない日本人には、この答えを出すことは難しい。非現実を、現実を語るための構文に載せて表現すれば、それは真っ赤な嘘になる。

時制がなければ、世界観が無い。現実とは別次元の世界の内容を考えることができない。また、相手から世界観を聞かせられても、それを信じることは難しい。

英語には、時制がある。時制は、非現実の内容を語る構文を提供してくれる。

過去と未来は非現実である。
過去の内容は、過去時制と過去完了時制の文章内容として矛盾なく描かれる。
未来の内容は、未来時制と未来完了時制の文章内容として矛盾なく描かれる。
現在時制の内容は、実況放送・現状報告になる。矛盾なく描かれる。日米の子供でも使っている。

だが、現在の内容は、英語では、現実と非現実がある。非現実の内容は '生まれながらにして、、、、、' のような文章である。

'我々はどこから来たか・我々は何者か・我々はどこに行くのか' は非現実の内容を求める哲学的命題である。英米人の高等教育である。
無哲学・能天気の人間は、非現実の内容を語ることはできまい。非現実を現在時制で語れば、実況放送・現状報告の内容とはならず、空想・妄想となる。だから、哲学を真面目に語ることはできない。そして、日本人は英米人にはついてゆけない。

我が国は、初等教育から高等教育まで国内で行える数少ない国の一つであるというが、あまり誇りにはならない。


カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落のように述べています。
、、、、、日本の社会でいう “現実” (リアリティ) とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき “リアリィティ” だからである。そしていうまでもなく、望ましいと想定されるイメージは、そのときその人の属するグループの利益と一致することが多い。 、、、、、
西洋では、現実はそうやすやすと管理されたり、意のままに作り変えられたり、相談で決められたりするものとは、考えられていない。つまり、こうあるべきだという任意の考えによって左右されるものとは考えられていない。事実、西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。ギリシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫いてつねに強調されてきた戒めが一つあるとすれば、それは、「矛盾を育むなかれ」ということである。この戒めは、論理、数学、科学の根本法則である。(引用終り)

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/index.htm


私はシャルリ

2015-01-19 14:05:14 | 国際・政治
>フランスの風刺週刊誌襲撃などの一連のテロ事件を受け、同国では370万人もが参加するデモが展開され、各国首脳50人あまりが参加した。エルサレム、ウィーン、ワシントンなど世界各国でテロに抗議する集会などが開かれた。折しもゴールデン・グローブ賞がロスで開かれ、ハリウッドスターが結集したが、特別功労賞を受賞したジョージ・クルー二は「私はシャルリ」と記されたバッジを胸につけ、「今日は特別な日だ」と述べ、パリでおこなわれたデモについて「彼らは抗議のためではなく、恐怖に屈しないという考えを支持するため行進した」と語った。(引用終り)

一方では歓喜し、他方では号泣しているありさまは、世の中の常である。それは、個人により考えの違いから起こることである。あちらを立てれば、こちらが立たず。困ったものである。もの言えば、唇寒し 秋の風。だが、個人的な考えの違いを種にして、相手にテロを仕掛けることはあってはならないことである。そうでなければ、個人的な考えの違いを育成し、それを表明することが妨げられるからである。意見を述べ、議論をしなければ、矛盾は淘汰できない。我々は、過去の闇の中に生きている。遠慮はいらない。言論の自由をまもれ。これは個人主義の真髄である。

わが国でも、長崎の本島市長は、昭和63年市議会での答弁で「天皇の戦争責任はあると私は思います」(議事録)と発言し、平成2年右翼に銃撃され重傷を負った。この時、我が国の指導者たちは、この事件を何と考えたか。 '雉も鳴かずば打たれまい' と風習に従って考えたか、それとも '我々は、決してテロの屈してはいけない' と考えたか。我が国はメンタリティにおいて、欧米とは一線を画す。欧米に友なし。アジアに友なし。我が国は哀しからずや、空の青、海の青にも染まず漂う。

我が国は、国際テロリストに対して、これまでに対決姿勢をとって来なかった。自分にテロを仕掛けられた時にさえ、悪に対しても、我が国は無害であるとの言い訳に専念している。テロをこの地上から根絶する信念と努力が見られない。悪に対しても、対決姿勢を示すことなく、相手に和を求める。守護神を持つことなく説教を垂れる人のようである。その説教も空念仏に終わるか。意思のあるところに、方法はある。だから我が国は、テロ撲滅の意思と方策す必要がある。いよいよ国際社会に仲間入りするか。

日本人には世界観が無い。だから、構想はグローバルにも、ユニバーサルにもならない。
自分の住みたい世の中は、自分またはその関係者さえよければといったものになる。小人の考えることか。
だから、我々は、国際社会に出ることが難しい。世界の人を救うために、この国から船出することがない。






語り部

2015-01-17 10:57:27 | 国際・政治
> 6434人が亡くなり、3人が行方不明となった阪神・淡路大震災は17日、発生から20年となる。この間、世代交代が進み、被災12市の震災後に生まれた人の割合は18%近くに上る。震災の記憶を伝える「人と防災未来センター」(神戸市中央区)には2002年の開館以来、累計600万人が訪れたが、44人いる「語り部」の3人に2人は70歳以上だ。被災地の経験と教訓を、いかに次代につなぐかが課題になっている。

語り部は、実況放送・現状報告を内容とした事柄を伝える。かれらは、'あるべき姿・理想の世界' を語らない。その、現実からはみ出さない語らいが、聞く者に安心感を与えている。そして、聴衆はもらい泣きをする。
'そんなに悲し事なら、わざわざ聞きに行かなくてもよいではないか' といって幼い私は祖母を止めようとしたが、彼女は金を払っても聞きに行った。

我々日本人には、経験と教訓が役に立つのか。本当に「故きを温ねて新しきを知る」ことができるのか。われわれは、三匹の子豚の大豚か、中豚か、小豚か。たぶん藁の小屋しか建てられない大豚なのであろう。
日本人には、世界観がない。我々はいかなる世界に住みたいか。いかなると世界に移住すべきか、という話し合いがなされていない。ただ、過去の悲惨な内容を繰り言として述べるにすぎない。忘れないことが一番大切なことだと信じて疑わない。虚しきと限りなし。明るく壮大な未来を語り、二度と災害を経験しない計画を世界に提示して、その建設に力を合わせよう。さすれば、世界遺産が出現する。人類の創造力を顕示しよう。被災者のことは決して忘れ去られることはない。

日本語には時制がない。
我々は未来時制をもたない。だから、過不足のない未来の世界を描き出すことはできない。優れた未来構想を著わすことができない。ちゃらんぽらんに発言すれば妄想になる。
我々は過去時制をもたない。だから、過不足のない過去の世界を描き出すことはできない。優れた歴史書を書くことができない。ちゃらんぽらんに発言すれば歌詠みになる。
このようなわけで、日本人には「温故知新」は難しい。ただ、不変・天下の泰平を願うのみ。それでも、自然災害はやってくる。戦争もやってくるのか。







語り部

2015-01-17 10:57:27 | 国際・政治
> 6434人が亡くなり、3人が行方不明となった阪神・淡路大震災は17日、発生から20年となる。この間、世代交代が進み、被災12市の震災後に生まれた人の割合は18%近くに上る。震災の記憶を伝える「人と防災未来センター」(神戸市中央区)には2002年の開館以来、累計600万人が訪れたが、44人いる「語り部」の3人に2人は70歳以上だ。被災地の経験と教訓を、いかに次代につなぐかが課題になっている。

我々日本人には、経験と教訓が役に立つのか。本当に「故きを温ねて新しきを知る」ことができるのか。われわれは、三匹の子豚の大豚か、中豚か、小豚か。たぶん藁の小屋しか建てられない大豚なのであろう。
日本人には、世界観がない。我々はいかなる世界に住みたいか。いかなると世界に移住すべきか、という話し合いがなされていない。ただ、過去の悲惨な内容を繰り言として述べるにすぎない。忘れないことが一番大切なことだと信じて疑わない。虚しきと限りなし。明るく壮大な未来を語り、二度と災害を経験しない計画を世界に提示して、その建設に力を合わせよう。さすれば、世界遺産が出現する。人類の創造力を顕示しよう。被災者のことは決して忘れ去られることはない。

日本語には時制がない。
我々は未来時制をもたない。だから、過不足のない未来の世界を描き出すことはできない。優れた未来構想を著わすことができない。
我々は過去時制をもたない。だから、過不足のない過去の世界を描き出すことはできない。優れた歴史書を書くことができない。
このようなわけで、日本人には「温故知新」は難しい。ただ、不変・天下の泰平を願うのみ。だが、自然災害はやってくる。戦争もやってくるのか。



asia

2015-01-13 13:44:33 | 国際・政治
誰かが '中国では、嘘も三回いえば、本当になる' といっていたが、かの国に於いては、過去の内容に辻褄を合わせる努力は誰にも払わないのかもしれない。
特亜三国人 (日本人・韓国人・中国人) は、現実しか論じられない。非現実の内容を話そうとすると、文章ができないので、筋が通らない。だから、哲学にはならなくて・空想 (漫画)・ 妄想になる。所詮、真面目にはなれない。

あるべき姿が論じられない無哲学・能天気の輩たちに、未来社会の建設計画など論じられるはずがない。
小異のみにこだわる態度が、北東アジアの不安定要因になっている。北東アジア諸国連合はできるか。北東アジア軍の創設はどうか。

1。守護神を持て。
自分の国は、自分自身で護れ。自分自身の力を示せ。
自国の安全のために、外国人が血を流す事を期待するな。
我利我利亡者 は、理不尽である。日本人は外国の安全のために血を流す用意はできているのか。
虎の威を借る狐に成るな。その根性が汚い。信なくば立たず。

仁王は仏法の守護神である。仁王立ちになって、その強力な力を示す。彼らは不法に対する怒りを示している。が、好戦ではない。
力は正義である。(Might is right.) 弱者の怒りは歌詠みになる。強者の怒りは抑止力になる。
守護神を持たずして法を説くものはむなしい。得意の歌詠みも、ごまめの歯ぎしりに終わるか。
平和はこの世の全てではない。だが、戦争はこの世から全てを奪いとる。だから、戦争を抑止する力は必要である。


2。自虐史観を捨てよ。
意思は未来時制の文章内容である。
特亜三国 (日本・韓国・中国) の言語には、時制が無い。だから、発言は現在時制の文章ばかりになる。つまり、実況放送・現状報告の内容ばかりを語る。

加害者意識は、罪の意識である。
意思があれば、加害者意識もある。深刻な反省もする。贖罪につながる。罪の意識から人々を救おうとする宗教も盛んである。意思がなければ、加害者意識も無い。罪の意識にさいなまれることもなく、魂の救いはいらない。深刻な反省には至らない。人々は、贖罪の宗教に無縁である。

特亜三国人は、贖罪の意思を持つことはない。ただ、西洋人の真似をしてみたいだけである。まねごとを強制すれば自虐・漫画・無意味になる。 '、、、、、電信柱の高いのも、郵便ポストの赤いのも、みんな私が悪いによ' といった調子になる。だから、これを要求された側は憤慨する。
西洋人のメンタリティに同調しようとして躍起となっている特亜三国人は根本において勘違いをしている。だから、三国人の態度はどうやっても贖罪には届かない。歴史認識も、自虐史観になる。

日本語脳の特徴:
気分・雰囲気を伝える。(長所でもある)
論理を伝えない。(短所)空気の研究が必要になる。我が国の国体 (国家の根本的特質) は 、序列制度にある。国家の成り立ちはは、言語の特質によるものであって、建国のための哲学によるもではない。
日本語には、階称 (言葉遣い) がある。'上と見るか、下と見るか' の判断は、日常的に行われている。日本語脳の持ち主には、人間平等の哲学は難しい。下の者ほど、割が悪い。場合によっては、捨て石にされる。
戦争の時も国体の存続を心配して、降伏の決断が遅れた。心配と遅れで、余計に多くの人が犠牲になった。犬死した。命どぅ宝 (ぬちどたから: 命こそ宝) は、難しい。
過去が無く、未来のない刹那主義になる。(むなしい)
過去から学ばず、未来に確信を持たない 'つかみどころのない人間' になる。(信なくば、立たず)




我が国の国体 (国家の根本的特質) は 、序列制度にある。国家の成り立ちはは、言語の特質によるものであって、建国のための哲学によるもではない。
日本語には、階称 (言葉遣い) がある。'上と見るか、下と見るか' の判断は、日常的に行われている。日本語脳の持ち主には、人間平等の哲学は難しい。下の者ほど、割が悪い。場合によっては、捨て石にされる。
戦争の時も国体の存続を心配して、降伏の決断が遅れた。心配と遅れで、余計に多くの人が犠牲になった。犬死した。命どぅ宝 (ぬちどたから: 命こそ宝) は、難しい。


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