馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

エピローグ 8月4日は同期の北アルプス滑落死命日。晩夏 夢はつまり想い出のあとさき

2020-08-06 06:44:00 | 日記

エピローグ

84日は同期の北アルプス滑落死命日。

 

https://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/402a72c32b40a8484c080356a7498fb8

 

 

同期の滑落死

その後書かなければ?

 

滑落の連絡を受け、当時 私が1年生部員であった時

4年生であった先輩(滑落死した同期の高校先輩でもある)と

他に一人で北アルプスに向かった。

上高地は梓川濁流と豪雨の雨音と風が緑の樹林を揺らし

登山する人々も山荘テントに籠っていた。

連絡を受けた山荘に着いた。

既に両親は待っていた。

父親は放心呆然と佇んでいた。

母親は、すがりつくように私達を見詰め

声も出せず体を鎮めた。

私達は豪雨の梓川沿いを登り

涸沢の幕営地に向かった。

翌日、夜行列車で現役部員が到着。

そうして、私達3人はザイルを繋ぎ200m滑落した遺骸を見つけた。

 

既に3千メートルの高山にもかかわらず

遺骸にハエが纏わりついていた。

合掌した。

ズタズタに打ち砕かれた遺骸を寝袋に包み込む作業は

目をつぶり辛い作業であった。

高校山岳部のOB3人は一緒に北尾根を登ったにも

関わらず、遺骸を私に任せて下山した。

葬儀場でも、私から目を背け

感謝の言葉もなかった。

滑落の状況は遺稿集に書かれているが

危険な遺骸収容については記載がない。

この軟弱な精神では、クライマーの矜持はない。

アルピニストの心

 

月日、歳月は流れた。

両親も亡くなり

青山墓地にあった墓は群馬に移籍したと聞いた。

 

24歳で早逝した同期。

22年後、富山在住の同期の夫人から

旅に出発する早朝、電話が入った。

同期が脳腫瘍で「余命旦夕迫る」の知らせだ。

1998年8月12日、51歳で旅立った。

1年部員として入部した8人がいたが

退部退学等もあり、同期はいない。

独りぼっちになった。

立山連峰を仰ぎ見る富山平野

稲穂みのる田んぼの畦道に立つ墓石に

31歳で亡くなった父親と同期の墓碑銘が刻まれていた。

 

墓石に酒豪であった同期に地酒立山を注いだ。

厳冬の立山連峰が雪煙舞い上がる。

夏の残雪と岩のハーモニーが織りなす

山々を墓石の下から仰ぎ見ているのだ。

小林恵「十六夜-IZAYOI-」


 

下記はその後のエピローグブログです。

再掲

晩夏 夢はつまり想い出のあとさき。

2019年9月7日

晩夏 夢はつまり想い出のあとさき。

井上陽水歌

少年時代 - 井上陽水(フル)

 

 

小学生の頃、夏休み 遊園地にお化け屋敷があって

近所の餓鬼大将について行、見たものだ。

幽霊と、化け物の違い何だと

餓鬼大将に尋ねたら

「馬鹿にするな」怒られた。

「人は死ぬと人魂になって現れる」と聞かされた。

ずっと信じてはいなかったが

中学2年の夏 蒸し暑い 夜8時過ぎ庭先にいた。

近くには、雑木林があり、カブト虫やクワガタムシが

家々の明かり誘われて網戸にへばり付くのだ。

虫かごに入れて翌日学校へ持って行き

教室内の壁にとまらせる。

虫がやって来るのを待っていた。

新月で空は闇。

 

道路を挟んだ右斜め向かいの屋根がオレンジ色の炎が見えた。

一瞬 火事かと慌てた。

近づいた。違う。

オレンジ色の風船のように屋根瓦の上をゆっくりなぞるように室内に入る。

じっと見入り身体が固まった。

これが人魂なのだ。

急いで親父を呼んで向かいの屋根に人魂がいると叫んだ。

その時消えていた。

翌日 学校で話すと誰も信じない。

 

高校生の夏 夜遅く帰宅、横隣の300坪の邸宅の屋根瓦に

又も人魂が室内に入ろうと隙間を探していた。

新月の空にスッと消え失せた。

肉眼で見たので正しく夢ではない。

 

一昨日、下記ブログを検索された方がいる。

 

体育会山岳部同期の黄泉の国への旅立ちの記録。

 

8月4日の北アルプス転落死した同期遺体収容記録。

その年の9月晩夏の夜半。

日誌にも書いてあるが、隙間風が雨戸を揺らす古家屋の6畳間。

寝入っていた。

突然 大風の吹き付けで雨戸を響かせ揺れた。

部屋の中が黄金色に輝いた。

起き上がると、目の前に、煌びやかな羽織姿人形のような小さな同期が

座布団の上で膝を折り、私ににこやかな表情で頭を下げた。

何度も下げた。

私は言った。

「おお!来たのか」

直ぐに輝きは失せ暗闇に変わった。

そのまま、寝入った。

 

 

 

37年前 夏昭和48年8月

 

39年前の北アルプス遭難

 

 

21年前 夏 お盆前、富山在住の山岳部同期の夫人が

朝7時電話が入った。

「主人が余命幾ばくも無い」知らせ。

その日、那須の山に登山で出発する。

朝 同行する友人は上野駅で待っている。

 

1日だけ宿泊して帰京。

直ぐに特急 白鷹に乗り

同期の生まれ故郷富山に向かった。

意識が戻らない同期を何時間も手を握り続けた。

4時間後、同期は目を開けた.

私を認め右手を上げたが力なく下りた。

瞼が塞がれぴくぴく震えた。

お盆の当日、51才で息を引き取った。

翌年、9月 富山風の盆 越中小原節 出かけた。

 

 

立山連邦を仰ぎ見る富山平野の田んぼの畦道のポツンと

墓がある。

小川の渡り板を越えて墓石に酒豪であった同期に

地酒立山を注いだ。

仰ぎ見る立山連邦を見詰めた。

 

山岳部1年生だった冬

富山駅早朝着いた。

雪煙舞う立山連邦を恐怖で見上げた。

生きて帰れるのか。

21年後 同期は墓の下だ。

 

夫人は涙を流し「、ね! わざわざ来てくれたのよ」

 

 

昭和42年12月 

立山から槍ヶ岳縦走を回想。

 

想い馳せた。

 

帰京後 自宅で就寝 夜半

やはり 同期は静かにやって来た。

一升瓶を持ちニコヤカニ現れた。

 

私も 「おう来たか」と応じた。

 

二人共 にこやかだが声はない。

 

これらの出来事は夢なのだが

彼らが私の脳に忍び込んだのか

はたまた、私の強い願望であったのか?

72才になった今。

三途の川を渡ると、迎えてくれるか。

 

変わらぬ富士 人は変わる

 

 

当時 年に一度 体育会所属の各運動部 部員が

全員集合して体育会総会が開催。

 

各部リーダーの挨拶後

陸上部の新任部長が紹介された。

ドイツ語助教授 柏原兵三先生。

小柄でかなり太っていた。

挨拶の中で「、私も走りたい。

元気な身体になり痩せたい」

大らかな人柄と感じた。

 

まもなく、芥川賞受賞を新聞で知る。

 

しかし2年後 38才で夭折。

 

井上陽水の歌

少年時代は名曲です。

先生が疎開先富山での暮らしと虐めが描かれています。

小説名は 「長い道」

https://bookmeter.com/books/142352

ラストシーンは、感動です。

井上陽水の柔らかい歌声と

東京へ戻る汽車の窓を開け、仲良しになった友達が

汽車を追いかけ さようならの手をふる。

 

柏原少年は、後に教員となり、

作家として 走るのを、凛々しく描きました。

 

長生きであれば、大江健三郎並みの作家なれたでしょう。

 

少年時代映画

 

作家柏原兵三

 

 

 

 

 

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