馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

山岳遭難と救助隊との関係。高松山は初恋の山。

2020-08-20 06:24:51 | 日記

山岳遭難と救助隊との関係。シリーズを更新してまいりました。

暗く陰惨な記録です。

 

3歳から40代後半まで途切れ途切れに出会い別離を

繰り返した女性との海と山の物語です。

何度も公開しています。

コロナ禍で登山はできず回想の日々。

若葉のころ  /  ビージーズ  歌詞

戦後直後に生まれた団塊世代は皆貧しい生活でした。

私も狭いアパートで一家5人暮らし。

親族が上京すると、寝場所がなく

近所の家に寝かされた。

一つの布団に女の子と背中合わせで眠った。

お寺が開園した最初の保育園で入園式では

その女の子の隣に座っている。

小学校6年間一緒。

中学から横浜の辺境地に引っ越してお別れ。

少年期終わりにクラス会が開かれた。

彼女は、可愛らしい小柄な女学生に成長。

二十歳前、寸前、少年少女から脱皮し始めた。

互いに得体の知れない青春という病に入り込んだ。

ストレートな感情と気恥ずかしさが絶えず交錯。

幼い頃に興じた遊び、虐めの想い出は胸に秘めた

 

 

 

高松山は初恋の山。

2020年5月17日

コロナと検察庁法改正で日本列島 大混乱。

 

前ページで私への、労組書記長追放を書きました。

https://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/e0ae9c329aa523404528da367c3d28d8

 

しかし、追放前、新任管理部長が本社からきた。

私の退社を思いとどまるよう説得慰留した。

新任管理部長が本社では組合書記長を経験。

嫌がらせ人事も経験していた。

しかし謝絶した。

私の矜持が許せなかったのだ。

エピローグは、どうなったか?

経営側が画策して書記長にさせようとした組合員は

書記長に任命されなかったというよりさせなかった。

後にその男は私に、ごくりと生唾飲み込んで

言葉を吐き出した。

「俺、書記長にならなくて良かった」

「みんなに馬鹿にされ相手にされなくなる」。

彼は、独身で50歳で亡くなった。

一人っ子で両親は既に物故。

 

私が退社して3年後、組合はストライキを決行した。

組合側は破れた。

 

私が書記長の時はストライキなどせず

白刃を構えて鍔迫り合いの末、傷も負わず勝利合意した。

しかし、労使交渉には勝ち負けはない。

全て合意であるのだから。

経営側担当者は、負け惜しみで

私を左翼だ、共産主義だと

思想的問題あり、破壊者だとかの

会社組織を破壊するとの抽象的思惟であった。

清廉潔白な地味な男を追い出したのだ。

 

およそ、具体的根拠無きデマを流した。

実の私は、どちらかというと右よりだ。

だが、ビジネスには、コンプライアンスを前提とした。

何故、交渉で勝利したかと言えば、

ブログ名通り、馬鹿も一心だから。

トルストイの童話?

「イワンの馬鹿」の如く

相手が悪意を持った邪な交渉を理解できなかったからだ。

「一生懸命働きますから、儲かったら金をもっとください」

「寒いから事務所に暖房を入れてください」

「二人勤務箇所では、病気欠勤も出来ません、

なんとかしてください」

 

経営側は、この交渉を思想的問題破壊行為だと触れ回る。

経営側の方が中国共産主義思想ですね。

芝信用金庫も職員が何も物申せず

会長の独裁で深い闇だそうです

 

新任管理部長は本社に戻り

後に代表取締役専務になった。

その後私の行く末を案じて手紙を頂いた。

愚かな画策をした担当者は、新任管理部長から信頼を失った。

後に私を銀座のレストランに招いて言い訳した。

「後にも先にも○○さんのような書記長は出ない。

白々しい謝罪。

虚しかった。

己達の保身を図るために、真面目な社員を貶めたのだ。

相手がどのように苦しんでいたか想像力が欠如。

 

 

 

一度しかない人生。

真面目に働いても

狡く働いても

旨くいくとは限らない。

生死有命!

富貴在天!

(財産や地位は天命によって決まっており、人の思い通りにはならないということ)。

 

一切是命運決定!

死ぬか生きるかは天命による。富貴になるかどうかも天命による。(しょせん人間の力ではどうにもならない

 


4回にわたって高松山での怪我した女性を綴りました。。

次は、恥ずかしくも幼馴染の女の子と出会い別れ再会物語。

間もなく、平成も終わり昭和は遠くなった。

再掲 昭和の想い出を一つ。

ロシアの諺

  • 目から遠くなると、心に近くなる。
別れてしまった相手はいっそう慕わしく感じる。

2012年5月6日のブログ。

5月5日こどもの日 7時20分自宅を出る。

小田急線急行小田原行き新宿発8時41分に乗車。

新松田駅下車 タクシーに乗車 高松山入り口で下りる。

  

10時40分、舗装された緩やかな蛇行山道をゆっくり歩き出す。

上下ジャージ、靴はジョギングシューズ、

簡易リュックには駅前で購入したポカリスエット1.8リットル

着替えの下着 シャツ、ズボン、ナイロンタオル、浴用タオル

バスタオルも詰め込んでぱんぱんだが軽い。

前日までの風雨は去って、春の陽射しを浴び、濃い緑、薄い緑の山並みの

稜線が富士へと連なる。

谷沿いの水音、鳥のさえずり、樹間からやってくる颯風。

静かな林道を一人歩む時、心身に浮世の煩悩が失せ、新鮮な酸素が注入される。

汗ばむ毎に体内の毒素が放出され森林のフェロモンが体内に吸収。

心身が高揚し始める。

集落を過ぎて11時12分滝が現れる。山ゆりの滝

 

何段にも流れる立派な滝だ。一口飲んだ。沢水の味だ。

花畑も点在。

11時45分 蛇行する道の間から雪富士が見え出す。

   

蛇行して見えない所で話し声がする。

若者二人が道端に座り携帯電話をかけている。

11時48分 分岐標識まで来た。

高松山まで1時間20分だ。

舗装された山道はなくなり、樹林と大木の根がむき出しの道になった。

前夜の雨で道はぬかるむ。

山道の落葉ががさがさ動く、茶色の蛇が潜り込もうとしていた。

先ほどの若者が会話しながら追いついてくる。

あっと言う間に追い抜かれた。

   

やはり体力差はい如何ともしがたい。

かなりの汗とぜいぜいしながらゆっくり登っていると

前方から犬が二匹下りてきた。

4本足で身軽な足取り?

2匹は止まり動かない、後ろからオジサンがやってきた。

犬は待っていたのだ。

オジサンは私を見て、持っている杖を差し出し

「使いなよ、結構楽だよ」。

切り落とした枝だがしっかりしている。

   

若い頃は 冬にピッケルとスキーのストックは使ったが

元気もありプライドもあったので、杖突き爺さんのようで嫌だった。

頂いた杖を登り斜面前方に刺しながら歩く

意外や楽でバランスも崩さない。

12時16分 高松山まで40分の標識まで辿りつく。

若者二人が休んでいた。

私は一度も休まず追い越した。

亀と兎の競争!このままいけば私が先に頂上に着くと思った。

休まずにゆっくりと登るのが疲労せず体力消耗しないのだ。

12時26分 高松山の標識があり、男坂 女坂のルートがあった。

当然 急登の男坂を登ることにした。

これを一気に登れば高松山頂上だ。

その時、背後に人声がする。

近づく足音、またまた、若者二人に抜かれてしまった。

会話しながら足取り軽く私の視界から遠ざかってゆく。

13時2分 801mの高松山頂上に着いた。

  

頂は草地になっていて前方に富士がくっきりと見えた。

幼い頃 風呂屋に描かれていた雄大な絵のようだ。

   相模湾が左り下に見える。

頂いた杖

素晴らしい富士 冬季だったら美しい冬富士が眺められる

春霞の今、めったに見られない皐月富士だ。

以前 冬富士登頂を書いた。

頂の草地に座りポカリスエットを少し飲む。相模湾も臨める。

草地に寝転び富士と漂う白雲見詰めた。

20歳の春、保育園の卒園写真に隣同士で写っている女性と

下段左5番目

高松山にハイキングに来たのだった。

あの頃は林道沿いにみかんの花が咲き、藁葺きの集落があって牛の鳴き声していた

のどかな山村だった。

二人で寝転び富士を眺め青春したのだった。

彼女は高校卒業して銀行に勤めていた。

私は大学に遅い入学を果たしたばかりであった。

私は青臭い自分勝手で、大人ではなかった。

彼女は既に社会人 大人だった。

その後まもなく、「お嫁さんに行くの」と目黒駅で告げられた。

橋の下、幾多の流れに浮き沈みを繰り返しながら、歳月は流れた。

40代半ば「あの人は今何処に」?風に父親の転勤に伴い

行方知れずになっていた私をクラスメートが探し出したのだった。

そして臨時のクラス会が開かれ、私の隣に彼女は恥ずかしそうに座った。

彼女はそっと呟いた「あの頃、あなたは学生、無理だと分かっていた」。

実は幹事に度々クラス会が開かれ、あなたが来ないのが寂しかった。

幹事に昔の事話したら「何とか見つけてやる」

旦那は大手新聞社に勤め、子供は男の子が一人

幸せに小田急沿線に住んでいる。

二人は20才の時、伊豆西海岸の砂浜にいた。

40才で再会

落ち着いた女性になっていた。

クラス会幹事も亡くなり

再会することもない。

ひとしきり、沸き消え去ってゆく雲のごとく思い出は富士の頂を越え

紺青の空に飲み込まれていった。

13時49分 下山を違うルートで歩いた。

北斜面で陽射しは無く、道は荒れて滑りやすい、杖は役に立つ。

ビリ堂という標識があった。半分は下ったと思った。

途中二股があり、鉄柵で閉じられ、悪路注意と書かれている。

方向ではこの道なのだが、別のルートを下山。

しかし、間違えたのだ。

入山口には遠ざかるようだ。

大きな道なのでトラブルはないと判断。

15時 県道に出た。道路標識に山北駅方向が示されていたので

黙々と人影なき舗道を歩き、15時34分 御殿場線山北駅到着

 

駅裏にある「山北町健康福祉センターさくらの湯」に直行

 

町の人も登山客も利用できる公営施設。

400円で露天風呂、サウナ、もあり休憩場所もある。

アルコール類は置いていないが気軽で安く

隣が駅、ツーリングの若者達が多数利用する。

露天風呂に浸かり全身を洗いまくる、体重計に乗ると朝の体重より4キロも減少

大半が水分だが嬉しい。

ジャージからスポーツシャツと黒ズボンに着替える。

御殿場線山北駅から新松田まで二駅間乗車しようとするが

駅の券売機は閉じられ人もいない、戸惑うがホームに2連結の

車両が止まっている。ホームで車掌が切符を販売しているが

御殿場行き反対方向だ。車掌が叫ぶ、「国府津行き列車がまもなく来ます」

「下車駅で山北から乗車と言ってください」

御殿場線はJR東海なのでスイカは使用できないのだ。

ここは無人駅なのだ。列車が入ってきたが、扉が開かない

自ら扉横のプッシュボタンを押さないと開かないのだ。

それも開かない扉と開く扉が駅によって違う。

車内は人と荷物でギュウギュウ、ツーリング用の自転車が布袋に包まれて

若者が多数乗っている。彼らは「すいません。すいません」と謝っている。

17時6分二駅目の松田で下車、対面が小田急線の新松田駅だ。

 

さて喉の渇きはそろそろ限界だった。

新松田駅の隅っこに「焼き鳥」の看板

「生ビールと焼き鳥を頼む」

  田舎ファッションの少女

先客は一人だけ、5人が座れるカウンター席と テーブル席が二つ。

元は田舎のスナックで働いていた風の中年オバサンと爺さんでやっているようだ。

生ビールがカウンターに置かれた。ジョッキから黄金色のホップが輝き

空気の粒があがり上に白い泡立ちができた。

喉を通る爽快感、このために飲まず食わずに我慢したのだ。

ホッピーも追加した。後からハイカー達が入って満席になった。

土日祝は午後3時半開店、登山客を取り込むためのようだ。

18時、小田急で新宿に出て帰宅を考えたが、御殿場線に乗り

国府津に出ることにした。スイカが使えないので国府津までに切符を買う。

  

久しぶりの国府津なので駅外に出たかったが、東海道線東京行きが直ぐにやってきた。

通称湘南電車で高校が藤沢にあったので沿線に友人もいたので懐かしい。

二宮には貧しかった高校同期がいた、二人で野毛の図書館で語り合った。

苦学の末、政治家になり保守系の県議団幹事長をしている。

その後、県会議長になった。

うつらうつらしていると大船駅に到着、真向かいの総武横須賀線、上総一ノ宮行きが止まっている。慌てて乗り換える。その時弊社のデザイナー女性からメールが入った。

19時52分 今大船駅にいるとメールした。

後で彼女からメールが来て、丁度その時刻に鎌倉に行き、

車で大船駅を通りすぎたと、偶然に驚いたメールがきた。

21時半 船橋駅着、海老川沿いを25分歩き

居酒屋 あんこうでビールを飲む。

その時 ハッと気付いたことがあった。

前立腺肥大になってから長時間の電車では排尿が我慢できないので

トイレのある車両しか乗らないのだが、役3時間半尿意は感じなかった。

水分取っていないから当たり前か!

 

自宅に10時半着くと 又ビールを飲んだ。

急に腹が減りだした。いろんなつまみを食べた後、してはいけない

夜のラーメンを食べた。

就寝後、夜中に喉の渇きで2回起き、牛乳と水をがぶ飲みした。

翌朝、起床後 体重計は元の体重を示していた。

4キロ減ったが翌日には4キロ戻ったのだ。

お金は懸命に働いても減るだけで増えないが

食欲と金欲は反比例する。

ニュー・シネマ・パラダイス Nuovo Cinema Paradiso(Ennio Morricone)


再掲悪徳悪質芝信用金庫横領事件(50)

2017年12月31日

12月30日(土)

午前9時半 ジャージに薄いジャンバーを着て

2017年最後のウオーキングへ。

遊歩道途中の新鮮市場にて、食材を買って

リュックに詰めて、高瀬海岸へ向かう。

高瀬海岸1

東京湾の海水を吸い込んだ風が首筋に入り込む。

海岸の先に、雪富士が大きく見えるのだが

スマホでは、鮮明に撮れない。

 

高瀬海岸2

 

遠い昔のこと。

あんな恐ろしい冬富士など二度と登りたくない。

 

歩きながら、今年一年間を振り返る。

 

3月に、柳橋事務所を閉鎖して桜上水事務所に移転。

4月に、前立腺癌小線源治療をする。

 

二つとも、結構しんどく、まだ解決せず

来年に持ち越す。

 

馬鹿も一心 ブログでは、必ず毎日検索されるのが

九段スズキ本店 長野夫婦

 

 

グリッター外山寛

 

 

上記 二人 被害者がかなりいるようだ。

 

10月 初秋の高瀬海岸の風受け追憶に馳せた。

 

 

11時 ショッピングセンター内に入った。

冷たい海風から一転して暖かい館内

ジャージにリュックが何ともそぐわない場所だ。

年末なので、午前中だが人出は多い。

 

年末ショッピングセンター

2017年 やっと切り抜けた。

来年は、悪徳悪質不良信用金庫 芝信用金庫の詐欺事件との闘いが待っている。

今日も歩いた。