町田営業所業務日報

地元周辺の鉄道・バス車両について気紛れに綴ります。

小田急新宿駅にメトロ車出現

2017年02月07日 | 首都圏の地下鉄

今日は快晴の空でしたが、冷たい風が強く吹く寒い一日になりました。あちらこちらの事業者で架線への付着物により列車が遅延しているとの情報が続々伝えられましたが運悪く常磐線の各駅停車でも飛来物(多分ビニールか何かでしょうけど)が見つかり、小田急線との直通運転が早々に打ち切られてしまいました。その為日中の千代田線方面に向かう列車は新宿行きに変更され、定期運用がない新宿駅へメトロ車が姿を見せていました。

放送で千代田線方面の急行は全て新宿行きとして運転する事が伝えられた時は、6000系ももしや?と淡い期待を抱きましたが、残念ながら本日は千代田線内の折り返し運用に充当されていました。

ちなみに筆者が乗車したのはこちら。新宿駅地下ホームに到着しましたが、普段は見られない地下鉄車両の入線とあってホーム先端ではスマートフォンやデジカメを向けている人を多く見掛けました。

以前の6000系では新宿行きの表示は入っていませんでしたが、16000系では不測の事態に備えて設定可能になりました。

代々木上原発車直後の液晶画面です。行先表示以外にも、車内案内表示・自動放送も全て対応出来るようになっています。通勤で散々利用している車両ではありますが、普段は小田急の車両しか来ない区間をメトロ車で通過するのは何とも新鮮な気分になりましたね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヨコハマ鉄道模型フェスタ2017

2017年02月04日 | 鉄道・バス雑記

今年もまた恒例のヨコハマ鉄道模型フェスタがランドマークプラザで2月3日(金)~4日(日)の3日間に渡り開催されました。同イベントは開催年の上半期の新製品情報を知る機会と共に、会場限定東急鉄道コレクションが目玉ですが、筆者としては今年の車種は興味が湧かないのでスルーし気になっていた新製品のサンプルを見て参りました。

いきなり実車画像ですが、KATOから今年6月に東急5050系8両編成の製品化予告がありました。写真の初期製造組ならドアガラス周りに差異があるので嬉しかったのですが、前回発売の4000番台をベースにした車番変更品でした。そろそろ目黒線の5080や新サハ入りの田園都市線も欲しいですね。

会場のポスターで見掛けたバスコレクションの新製品は、ブルドッグと新型エアロスターの標準尺車でした。神奈中オリジナル品の型を使用しているようですが、レギュラーでも全国バスコレでも我が小田急バスはまた安定のスルーです・・・。江ノ電バスは3月に新規製作のエアロスターMを特注で出すというのに・・・この冷遇ぶりは一体何なのか。

グリーンマックスのブースでは、京王8000系のサンプルが未塗装ながら窓ガラスや下回りを装着した状態で展示されていました。見る限り、前照灯の位置が実車より下になってるか?とも思いましたが、多分色が付けば違和感は無くなりそうです。全体の印象は先行のマイクロエースといい勝負ですね。

会場で個人的に驚いたのがこちら、版権が絡む期間限定のラッピング車をフル編成で出してくるとは思いませんでした。基本+増結を両方購入すると消費税込み42984円で、それが5種類ですから合計214920円(!!)ですね。果たして、全種購入する兵はいるんでしょうか。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京都狛江市の玉泉寺

2017年02月01日 | 小田急電鉄

鉄道雑誌の小田急特集でも度々登場する和泉多摩川駅の下りホーム新宿寄りで、30000形による下りの“はこね”を捉えました。ここは周囲に高い建物が無いほか、順光時間も長めで安全に複々線区間を行く列車が撮影が出来る為、平日休日を問わず誰かしら撮影者がいる名所でもあります。

撮影ついでに、今日はこの和泉多摩川駅の目の前にある玉泉寺に参拝して来ました。狛江市の神社仏閣はこれで三箇所目の訪問です。

以前は2面2線の、どこにでもあるこじんまりとした小駅でしたが、複々線化工事の中で通過線を持つ高架駅に生まれ変わり面目を一新しました。駅前には立派な広場も整備され、最早昔の面影は見出せません。写真では写っていませんが、この右手には小田急グッズショップのTRAINSが2004年より開店し、人気を集めるようになりました。玉泉寺へはこの反対側の出口、商店街側より向かいます。

玉泉寺山門です、左の石碑に宗派・山号が刻まれていますが、正式には熊野山・玉泉寺を名乗り天台宗に属しています。山門は駅とは反対側を向いているので、ちょっと分かりにくいですね。

山門より本堂を正面から撮影。寺院の公式HPによると当初は大輪寺と称し、多摩川の対岸に西暦634年(舒明天皇六甲午年)10月に浄慶法院の開創にて、薬師文殊・薬師如来の両像を安置していました。が、度重なる多摩川の洪水に巻き込まれ文殊像は失われてしまい、薬師如来像のみを本尊としている・・・とのこと。太古の昔より多摩川の氾濫は甚大な被害を齎して来たんですね・・・。その後1504年に現在の地へ移り、行基作の十一面観音菩薩像を併安し鬼門除けに熊野権現を祀り、現在の玉泉寺になったそうです。ただ、上記は現存するものからは証明出来るものがなく、言い伝えの域を出ない旨が公式のリーフレットに記されていました。御本尊の薬師如来像は12年に1度、寅年にご開帳になるとのことです。

本堂に向かって左側にある観音堂。先述の十一面観音菩薩像がこちらに安置されています。

右側に置かれる石神祠。おしゃもじ様(豊磐間戸・櫛磐間戸の両神)を祀っています。戦前は病気平癒で信仰を集め、風邪や百日咳などに罹ると、ここに奉納されている杓文字を借り、それで炊いた米をよそって食べさせると早くに治ると信じられて来ました。回復すると借りて来たものと共に新しい杓文字を供えるのが習わしとされていたとのことです。まだ気軽に医者に掛かる事が出来なかった当時、人々の心の拠り所になっていたんでしょうね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする