marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(その4)ぐだぐだと宇宙人👽の小難しい屁理屈を聞かされた❣ 深刻なこと?

2022-08-24 10:47:47 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

毎夜深夜に現れた宇宙人👽が、いざ、 今回の(その4)を配信しようとすると、突然、姿を現して中止を促された。それで以下 ”*****”までは、今回、数日遅れて追記で冒頭に挟ませていただいた文章である。(※)は僕の私見。

(※)ブログのこの表題が気にいらなかったのか、”ぐだぐだ”、とか、”小難しい屁理屈”などという少し私感を混じらせた言葉が気に入らなったのか、と思いきや、まったくそうではなかった。  曰く、

あなたがこのまま、引く続き我らのことを書き続けようとすれば、きっと落胆していくか、あるいは、違った方向に考えが導かれているか、まったく我々を否定する方向にいくか、小難しいことを書きすぎるから今でも少ない読者が誰も読まなくなってしまうか、それでなくてもポチと押さなくとも、ますます読者を狭き門にしてしまうだろう。でなければ、人の思考を混乱させるか・・・いずれあなたにとって覚悟をしておかなければいけないことが出てくる、だと・・・つまり、僕のそもそものブログの自己紹介に偉そうに書いてある『永遠の命を与える神の言葉・・・』という分かったような文言を削除しなければいけない、ということであった。つまり、言葉の定義からよく説明しないといけないという意味らしかった。

我々に接するとき、人に与えた言葉とはどういうものか、を考えればすぐ分かることでもあるんだが、語る人が投げかける言葉は、聴く者、読む者が理解するであろうかと、少なくとも受け取る側が理解するであろうことを推測して書いたり、話したりするものだろう。相手がまったく、お互い納得するという共通の先理解があってのことであるはずだ。

言葉の定義について、”永遠の命”とか、”神”とか”言葉”とかの用い方なんだが、あなたは、そもそも地球人すべてに先理解として共有化されているものだと思うのかね。表面だけでも僕らのことが書かれているキリスト教の聖書はまだしも、君らの仏教や、イスラム国のコーランや、インドのヒンズー教やその他、諸々、・・・どうか。

人類の命があっての最大公約数的思考は、永遠の命や平和、みんな仲良くしよう、などであるはずだと思うが、それさえ為政者に掛かれば、姿の見えない悪い心をもった黒子がテレパシーを送って混乱させている。そういう混濁状態の中での一人ひとりの救いへ願い(本願)の発信が、つまり善なる我々への強いコンタクトが必要だと我々がつねに語っていることなのだ。心を静めて朝の祈りでも、また瞑想でも、短時間でもそのことから始めなければいけない。

”我々”と言っているが、我々の思考のさらに限りなく上位におられる方がいて、我々の思考を統括されている。ただ、自分の似姿に創造された長い年月をかけて研究されこの地上に適合するにふさわしい人を造像したことに、自己のものにしようとしたLabo(実験室管理長)の設計者への嫉妬により、自分に頭を垂れさせるべく、創造者に相応しい自立のためのウィルスを与えた者がいた。彼とその支配下のものらは地上に落とされて二度と天上には戻れない。今も嫉妬心から人殺しを行っている。

我々を知るにあたって、ぼんやりとではなく、しっかり考え続けるために聖書の言葉を宗教的な意味あい、つまり心情を絡ませることなくその言葉の意味を考え続けるならば、いいヒントになるだろう。イエスが捕縛まえに語った祈りである。彼は、我々統括者の一人息子だった。

『永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。・・・世界が作られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を。』(※ヨハネ伝の17章あたりに出て来ていたなぁ)

『私を見たのは、天の父を見たのである』(※これは確か弟子のフィリポが、父を示して下さいと、イエスに話した時だった。こんなに共にいたのに分からなったのか、と言われた後にイエスが語った言葉)

『わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。・・・』(※テサロニケへの手紙4章あたりだったが、こういうことが空想ではなく実際にこの三次元世界にて起こりえるということが実際周知されるには多くの時間がかかるかな)

 我々がときおりこの地上に来訪し、あるいは奇跡を起こし、最近ではようやくNASAが50年ぶりにUFOなる存在を公に調査するなど、そういう時代、時期が再来したのである。地球温暖化、飢餓、洪水、人類の危機に関しては見聞きするとおりである。

我々の後追いをしているが我々の次元ととてつもなく進んだ科学を理解するには、大変な時間を要するだろうが、そろそろアポカリプスの時代に突入し始めてだいぶたっているから・・・と。 言って突然、消えた。 3:15am

*****(以下が21日アップを中断された文)

調べられると思うの調べてみて(※1)と その管理センター設置を境に、この地球での物語を進めるべく監視をし始めて、地上に創造された人が、見本として、ある時は反面教師として、それ(※2)から学ぶか、そして私たちの世界に帰還するかは、大変な使命と思っていると彼は、真面目腐って話始める。一読して何を書いているかわからない世界のベストセラーは分からないからこそ学ぶであろうし、得たいと望むものでもあろうと。分かった時点で、さらに学ぶことが泉のように湧き出てくるらしい・・・。何しろ、ものがたりには地下水のような川が途切れなく流れていて、それが人がつくられてから現代まで、そして未来にまで続いてシナリオができているらしい。

(※1)調べられるから言っているのは、それが良し悪しの我々が地球を訪れての歴史上のことだと。別に大げさな事件ではなかったが、言わんとしたいことはささやかのことでも我々には影響を与えているということ。その年は確かに我々が大勢、地球を訪れたときでもあった。「統一教会」の創立年!、「日本基督教団 信仰告白」の制定された年、聖母マリアが世界中あちこちに顕現した年!、そしてあなたが・・・。僕らが地球に大勢おしかけた年でもあったと。周期的に訪れている。地上にいるものも多数いる。

ルシファーは創造した人を自立させんとしたのは良いが我々とのコンタクト能力迄、閉ざしてしまった。だから、地上からそのコンタクトを求めたいとの願いが無ければ、普遍的永遠の命という霊のクラウドに繋がらない、これが地上の雑音によってそう簡単ではなくなったのである。

ここで注意は、悪いとか良いとか書くことはデリケートな事なので注意が必要だ。ルシファーと呼ばれる天使の長は、創造されし人を自立させる程にも愛したが故に、その秘密を彼らに開示したという宇宙人👾の仲間がいる。そういう意味からすれば、我ら地球人は、長い時間をかけて創造主の後を追従して科学は進展してきたと言えるのかもしれない。

しかし、天上に帰還できない彼らの嫉妬心は大変なものであった。彼らの一人が憑依したのがオッペンハイマーという人であった。彼は、無論、古代に核が使われて滅びた世界があったことを知っていた。インドの叙事詩、マハーバーラタ、ラーマーヤナ。古代空中で核戦争があった様子ではないかと言われる記事があるが、彼はそれをそうだと明言した。

(※2)見本として、ある時は反面教師として、それから何を学ぶか、と言っているのは、聖書(現在の旧約聖書)から選ばれし民族(弱小流浪の民へブル人)がいかに我らにあしらわれ、我らが存在することをその歩みから人類に知らしめたと計画されたこと。Labo(実験室)で優秀だったのが彼らのグループであった。多くの雑多な人や動物が創造された。他のグループは恐竜という怪物も創造した。その監視棟が今はなくなったが、監視長がサレムの王でメルキゼデクといわれたのである。”エル”とは、神のグループの名前である。そのひとつ”サレム”は”シャローム(平和)である。それは、古代エルサレムにあった。我々の集団数はそれぞれ地上の人種に当てはまると考えるといいだろう。我らは広くは”エロヒーム”と呼ばれる。

創造された人類に理解されるか、深い通奏低音を文字で書かしめたこと。そのスタートを切ったのが選ばれしアブラハムという人であったという。それから学問的にも調べよ、聖書全般は編集されているから。それは、地上に派遣されていた黒子たちが行ってきたことなのだ。だから、調べてもらえばわかるだろが、聖書の中には、書かれた時代が数百年経過しても、同じ記事がひょいと顔をだす箇所がある天使が普通の人のように現れたり、どう考えても第三者としての神と言う存在しているといういきさつ。突然、これは何故なんだ?誰がシナリオ書いているんだ? そう、彼ら黒子は生きて存在しているのである。この日本にも来ているのだから。

ささいなことから、大きなこと。過去から今、そして未来。天上界の次元から、死の世界までの次元。限界のあるあなた達の三次元の世界から異次元の世界まで・・・。様々に形を変えて行き交う彼らがいるという。あなた方は科学という手段で我々の後追いの確認をしているのだということ。それらは意識すると分かるという。少なくとも現象で。分かりやすいのだが天上に戻れない悪魔も同様に人へ憑依し人殺しを行う事件は、なくならない。多くの人は地上の暗い反面、悪い黒子が歴史を思い通りの操作しようとしている現実を見ないようにもされている。

2022年8月、一作日でも中学生女子が、通りで見知らぬ親子を殺害しようとした事件があったな。母親と弟を殺したいが殺す練習をしてみたかったと。これは過去にもあったろう。シュバラキなる男が小学生を殺害し首を校門にさらしたとか。薬液を友人に飲ませて、死ぬところを見てみてみたかったという女子だ学生がいたとか。・・・・イエスははっきり言う。「悪魔は人殺しである」と。憑依された彼、彼女らは何をしているか、分かっていない。これをどう思われるか。

古代イエスの復活の顕現を体験し、聖霊なるものを受けた彼らは、宗教的な心情としての心の安らぎとか、安定のみを求めるだけのものでは決してなかった。彼らの精鋭は、最終悪霊との戦士をこの地上に求めているのである。それでは、今の非常識なロシアという国は・・・それは、すでにシナリオ、旧約聖書のダニエル書に書かれている。未来のことも・・・。Wikipediaにでも調べ給え、ファチマの聖母なる聖母マリアの顕現が7万人の人々にもあった。後に修道女にもなったルチアのマリアとの会話の詳細を読むことができるであろう、そこにロシアが出てくる。

あなたらのコンタクトシステムは、悪魔によってウイルスをかませられたので、永久なるコンタクトはとれなくなった。よって、地上からのコンタクトを願っているのだ、と言ったら分かりやすいか。地上は彼らのうごめくところだから、それなりのうろつく悪霊が人殺しの手段という人を求めているのだ。これを知ることである。地上に落とされた彼らは地上の基地があり、それぞれが分散して、むしろ既に人すべてに感染しているのだが、この地上派によって、永遠の命か、肉体とともある消滅の命かの戦いなのである、と。

どういう人でも創造者の神は救わんとしている、手段は選ばない。むしろ、欠陥に気付く人が神を求めるであろうから、と多くは弱い人間の縋るものと思われがちだが、受信機であるそもそも我々が、受信したいと願わなければコンタクトはとれまい。欠陥に気が付いた人ほど、それを求めるだろう。しかし、ここにも悪魔はいる。ご先祖の霊が悲しんでますよ、とか話し。イエスを誘惑した時も神の言葉を用いたのだったから。難しいことはない。善なる普遍としてある霊的な命の始源のクラウドに繋がること。それである。介在物は一切いらない、それは上から来るものである。

古代の教父アウグスティヌスは、僕ら人間は、神のもとに帰らなければこの地上で心が休まることはない、と言ったそうだ。あなたの田舎の寺の住職は、家庭にあるお仏壇は仏さんが住んでいる霊的クラウドに対して、そこへのポートをその場所で開放して、繋がっている場所であるとも言っていたが。例えとしては間違っていない。この地上に生命を受けたのは、その永遠の命の霊的クラウドに繋がるべく、宿題を持っているということなのである。ここで、イエスが十字架に掛けられたことは、実にひとりひとりについて重大なことなのである。死なれてから、この三次元の世界で復活したからである。彼を信ずるという契約で、信じた者は復活する。その時点以降、普段の残りの人生が修行と言えばいえるだろう。

僕らは、すでにこの肉体そのものが、受信機であるからにして、日々その点検をすべく過ごせばいいという。介在物は何もいらないのが我らの見解であると。あぁ、神との会話。あらゆる手段で我々は地球人にアピールしているんだが、そこで良しとしているのは、地上の宗教の限界なのだな。我らが望むのは、霊的にぼんやり、ではなく、しっかりとしたリアリティーを持って、霊的肉体しっかりもってこちら側とのコンタクトを採り我々とともに生きる、とされるそのことを願っている訳なのだ。そのことだけでなのある。

あれとか、それとか、ぼけ老人が物忘れのように書くのは、あぁ、あれのことかナとか、それのことかナとか、読者個人が推論していただくと私は嬉しい、とにかく個人で考えることが大切だからな、と言いつつ続けて彼は話を続ける。

 今まで、宇宙人とか、黒子とかと言って書かせてきたのは、全て生きているものの通奏低音といったらいいか、地上に派遣された宇宙人👽の階層というか、働きが違う彼ら多数いる派遣者なのであって、思考階層の違いと言えばいいか、肉体が、つまり頭脳がその状態を望めば、それに見合った宇宙人👽の霊的アピールしかそちらに行かない、ということなのだ。

それを例えで話してみようと思うが分かるかだが。前に話したように、天上界には普遍の霊的クラウドがあって、地上では、そのブラウザーが監視棟として電波を出しているとする。肉体が受信装置であるとする。wi-fiで電波の行き届かないところはすでにないと考え給え。人が生きてるところは、電波が届いているということであるから。

受信具合が悪いのは、君らの方の責任だということになる。というより雑音がすごいのである。人によって受信具合の良し悪しはあるだろう。けれど、霊的にいつも繋がっていなさいとは、感度をよくしようということ。つまり、肉体をそれに合わせ備えよということ。肉体が障害となっているのは君らが毎日、感じていることでもあるかもしれないが。

肉体をそれに合わせ備えよとは、それが宗教によっては、肉体を酷使する修行があるというだろうし、座禅で只管打坐というかもしれないし、それはお経なるものを何べんも唱えよ、ということにもなるだろうし、お遍路をする場合もあるだろうし、瞑想だとだけという者もあるだろう。しかし、詰まるところ誰がそれやるのかといえば、そう思った人なのだな。

けれど、もともとは、人は神の息(霊)を吹き込まれていきたわけだから、何もしなくてもそのままでいいわけなのである。つまり、普通の人。なぜ、修行するかと言えば、地上での肉体は酷使しないと自己の中での精神が肉体を超えようとの自意識が働かないから。人が神に対してそう自覚し始めてからのことなのだ。我らが要求したものではない。

しかし、霊的クラウドの階層に繋がるには、地上でのコンタクト手段は必要となるだろう。仏教では”マントラ(真言)”やキリスト教では”主の祈り”など。しかし、永遠の命に至る道は、世界のベストセラー聖書にしか書かれていない。他の宗教では、最終、そのコンタクトは途切れてしまうようだ。なぜなら、人が創造され霊の開示と証明をイエス・キリストが肉体で行ったからである。宗教的な心情でとらえないで欲しい。これはシステムである。契約なのである。これは、大切なもとなので、おいおい語っていくこととしよう。天上に帰還できない地上にうろつく霊が多数ある中で、イエスの言葉を多くの人は簡単に解釈してはいけない。

『自分の命を救おうと思う者はそれを失い、福音の為、私の為(イエス)のため命を捨てものはそれを得るであろう。』とは、そういう霊的次元の言葉である。これも注意しないと地上に権限を集約するような悪魔が入り込む言葉でもあることは察するだろうが。色即是空(般若心経)とか、肉の思いは死なり(聖書)などの言葉の方が解りやすいかもしれない。つまるところ、受信派を精査するこちら側の肉体の整えのことである。

そういう永遠のクラウドに繋がっている人も初めからこの地上にはいる訳。つまり肉体は死んでも、永遠に霊的に生きるという人が居るわけである。今も実際にいる。

最後にこのことを教えよう。

エロヒームとは、へブライ語で「天空より飛来した人」を指す”エロハ”の複数形で「天空より飛来した人々」という意味である。

・・・そろそろ時間だ、と言って突然消えた。 21日 4:12am・・・