(移転しました)Saoの猫日和/old

saoの猫日和のURLが変わりました。
⇒ https://blog.goo.ne.jp/saoneko0224

①1994~1995「HELLO」ツアー

2020年02月01日 | JULIE メモリーズ

今日の放送も心に しみじみ沁みる・・NHKドラマ「心の傷を癒すということ」。ドラマの被災者の住む、侘しく寂しい仮設住宅を見て、義父母が3年間ほど住んでいた、冬の寒さが厳しかった仮設住宅を思い出しました。

主人公の精神科医が、震災から心を病む患者に「あなたの支えになる物を見つけて欲しい。何か趣味は無いの?」と尋ねました。「あの時、私にはジュリーの歌があった。今ではジュリーも、趣味も、もっといっぱいある!」と自分の気持ちの豊かさを感じました。


先日、阪神淡路大震災から25年目の1月17日に、1994~1995の「HELLOツアー」について紹介しました。私には、交通網が分断された中で行った、忘れられないライブです。こちらに⇒HELLO ツアー(セットリストと公演日程)

その後、J友さんから
『HELLOツアーは私の何本かの指に入る、想い出深いツアーです』と、お知らせを頂きました。地方にお住まいだったJ友さんは、6時間もかけて渋谷公会堂に行ったそうです。その時のチケット画像をスマホに残しているそうです。

1月5日・渋谷公会堂

送って頂いた画像の席は1列でした。

ジュリーの歌声を聴くために、6時間かけて行ったJ友様の気持ちが、よりいっそう強く伝わってきました。

チケットに、《後援》東芝EMI、渡辺出版とあるところに、25年前のジュリーの周りの状況が見えました。今はインディーズで、後援はありません。ジュリーは今はずっと自由になったんやね。

そして、関東地方から大阪フェスで行われた「HELLO」ツアーに参加したJ友さんから、当時の新聞記事など見せて頂きました。記事を書いたかたは1月6日の分を見たようです。ジュリーは46歳で、観客は30代。。すでに後半だと思いますけどね (^^ゞ 

日経新聞、1995年1月15日

まさにジュリーの艶姿、身をよじる熱唱の一瞬を切り取ったポーズのカッコ良さにキュン!

何の曲を歌っているのか、豹柄のジャケットがロッカーです。すでに黄色く色が変わった新聞記事から、1995年の熱気がいまだに消えずに  立ち上がってくるようです。

私は行っていませんが、渋谷公会堂の公演は、1月5日、6日、7日の三日間です。当時の資料によりますと、1月7日のライブの様子が有りました。

『渋谷の客席のノリが例年よりも いまいちで、7日の真ん中の最前列から3列目までが、最初 ずっと座ったまま・・・思いっきりステージのジュリーから指を差されて、ババアだ!ババアが前にいるぞ!と言われたにもかかわらず、後半まで座ったままだった。どういうチケット配分になっているのか??

MCでジュリーが「座っている奴にはババアと言ってやる。」「私は今のTV界にはハッキリ言って不満です。TVで昔のヒット曲を歌いたくない」と、その理由を述べ「今年もTVには あまり出ないかも」

「懐メロ番組では絶対に昔のビデオは使わせない。ライブを一緒に楽しんだ人、ファンの人が見たいというなら許せるけど、その他の有象無象の連中がファンだった、と言って見たがるのは許せない。」 渋公7日のアンコールのおまけは、「そのKISSが欲しい」で大いに盛り上がった。』

25年も前のMCなのに、今 目の前で聴かされているような、ナマナマしさを感じてしまいました・・ ジュリーさまのどうしても譲れない意地が、MCで炸裂しております。

目の前で聴くのと、文章にして読むのでは、状況が違って 感じ方受け止め方も変わるとは思いますが、今の私たちがババアと呼ばれたら、ジョークにはならないわ~💦💦 今では年齢のせいで、立てない事情もできてしまいました。

かつて懐かしの歌番組で、あれだけ売れていたジュリーの昔の映像だけ、流れないことがありました。ライブに通い続け、ずっとジュリーを見ている私でも、懐メロ番組でジュリーが見られないのは とても寂しく感じてました。ちなみに、渋公の直前の1994年の紅白歌合戦に、久しぶりに出演しています。

5日の渋谷でご覧のジュリ友さんは、MCで紅白の裏話など、聞かれたのかもしれません。

続く

コメント (8)