ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

藤山直樹『続・精神分析という営み』2010・岩崎学術出版社-その1・投影同一化と正直さをめぐって

2024年03月25日 | 精神分析に学ぶ

 たぶん2012年ころのブログです

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 藤山直樹さんの『続・精神分析という営み』(2010・岩崎学術出版社)を再読しました。

 この本も何回か読んでいるのですが、じーじの理解不足もあって、リポートをするのがなかなか難しい本で、結局、読んでみてください、いい本ですし、すごい本です、としか言えないような感じもします。

 しかし、それではブログになりませんので、とりあえず、今回、じーじが印象に残ったことを一つ、二つ、書いてみます。

 この本の中では、解釈や自由連想、遊び、反復強迫、物語など、精神分析におけるいろいろな技法や現象の問題が論じられているのですが、じーじが一番印象に残ったのは、投影同一化の問題です。

 投影同一化は精神分析では重要なテーマですが、説明がなかなか難しい現象です。

 じーじの理解も十分ではありませんが、簡単にいうと、患者さんが治療者に自己の問題を無意識に投影して、治療者が動きの取れないような心理的状態になることを言います(これで合っているのかな?)。

 そして、その困難な状況に治療者がなんとか耐えているうちに、事態が打開するというふうに、現在の精神分析では論じられています。

 そして、この本の藤山さんの論文では、いろいろな技法や現象の説明のところにかなり投影同一化が顔を出しているような気がします。

 この理論的にも、技法的にもとても難しい現象を、藤山さんは相当に苦労しつつも、しかし、なんとか打開をして、そのうえで、そこでの転移・逆転移を説明されています。

 これは初学者にはとても勉強になります。

 初学者の場合、何が起こっているのか、よくわからないままに事態が推移してしまうことが多いと思います。

 それをわかりやすく説明してもらえるのは、すごく勉強になります。

 さらに、藤山さんの、事例での正直さはすごいです。

 それは、プロセスノートについての論文でも明確ですが、わからないものをわからない、と言う正直さと勇気が、やはり大切なんだな、と考えさせられます。

 ともすると、わたしたちは格好よくしたがりがちですが、臨床では他の大家もそうですが、正直さが勝負のようです。

 さらに謙虚に学び、実践をしていこうと思います。     (2012?記)

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 2023年秋の追記です

 わからないものをわからない、と言う正直さと勇気、というところは、わからないことに耐えることの大切さ、に通じそうですね。   (2023.10 記)

 

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梨木香歩『ぐるりのこと』2010・新潮文庫-内なる悪を見つめながら世界を見るエッセイ

2024年03月25日 | 随筆を読む

 2021年春のブログです

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 梨木香歩さんのエッセイ『ぐるりのこと』(2010・新潮文庫)を久しぶりに読みました。

 10年ぶりくらいでしょうか。

 小さな本ですが、なかみは重いです。

 あちこちを旅しながら、梨木さんにはめずらしく、たまに政治にも言及します。

 ひどい政治や社会を糾弾しますが、その時に自分の中にある同様のひどさをも必ず探る姿がとても印象的です。

 人は誰でも完全な存在ではないので、自分の内にもあるひどさや悪を見つめなければ、他人の行動をあれこれ非難しても片手落ちです。

 その往復作業はとても苦しいのですが、とても意味がありそうです。

 何か、たとえが適切かどうかはわかりませんが、精神分析の作業を思い起こします。

 精神分析は、患者さんの内なる攻撃性や破壊性を二人で探る作業だと思うからです。

 内なる攻撃性や破壊性に気づかないと、人はそれを外界に投影して、敵から攻撃をされるのではと不安になります。

 ですから、まずは内なる攻撃性や破壊性を意識化することが大切になります。

 それに似た作業をはからずも梨木さんが一人でされているような印象を受けました。

 いい文章や深い文章を書くことは、自己分析や自己洞察につながるゆえんでしょう。

 素敵なエッセイに再会できて幸せです。          (2021.3 記)

 

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