電車は軽快な音をたてて日立駅へ向かっています。私はこのとき、車窓の景色を楽しむ為に、先頭車両の運転席の後ろに座っていました。
そして程なく、電車は日立駅に停車しました。
私は旅を終えた後、写真を何処で撮影したかが分かるように、可能な限り駅名を示す掲示物を撮影しましたが、電車が日立駅に停車する時、撮影できたのは以下の画像だけでした。
旅の途中で、先頭車両が停まる位置に駅名を示す掲示物が少ないことを学びましたが、先頭車両の景色には、何物にも代えがたい魅力があります。
旅を記録する作業よりも、旅を楽しむことが優先するのです。
さて、この辺りまで来ると、単調な走行音が響く車内に、長閑な雰囲気が漂いました。
ベンチシートに足を組み、車外に視線を向けたガラス窓に、セセリチョウが羽を休めていました。
どこで乗り込んできたのでしょう。
何処まで行くつもりなのでしょう。
こやつも私と同じ、かなりの気紛れ者のようです。
電車は日立駅を出た後、次の小木津駅辺りから海岸線を離れ丘陵地帯に入りました。
しかし、丘と丘の切れ間から、海が覗き見えていました。
電車が高萩駅に着いたとき、「高萩駅」を示す物がないかと、電車のドアから身を乗り出しましたが、それらしき物は皆無でした。
先頭車両に乗る限り、駅名を記録する術は車内表示しかなさそうです。
地図を見ると、高萩を過ぎた辺りで線路は海岸に近づき、磯原や大津港といった海を感じる駅名が続きますが、家並が邪魔して海の写真を撮ることができません。
電車はその間に茨城から福島県に入りました。
車内に「次は勿来」と示された頃、電車は波打ち際を走り始めました。
そして程なく、電車は勿来(なこそ)駅に到着しました。
駅のホームに「勿来の関跡」のディスプレーを見ました。
ところで、「勿来」という字を初めて見て、直ぐに「なこそ」と読める人は多くない筈です。
今回ウィキペディアで認識しましたが、なこそは「な来(こ)そ=来るな」を意味し、蝦夷の南下を阻止する地の意味があると説明されています。
昔はこの勿来以北を陸奥国(むつのくに)と区分したそうです。
私は先ほどまで、陸奥は現在の青森県と認識していましたが、それは明治元年の戊辰戦争後のことだそうです。
それ以前は、鎌倉時代から江戸時代末期まで、東海道最北の常陸と境を接する、現在の福島、宮城、岩手、青森と秋田県の一部を陸奥国と称したそうです。
陸奥が意味する地域は時代とともに変化したようです。
そして私は今、それを知ることができ、今回も本当にいい旅だったなと、自己満足に浸っています。
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