初めて北上駅に降りました。
電車が到着した1番線ホームの西口から駅の外へ出ました。
最初に、駅前広場の広域観光マップを確認し、88分間の乗り換え時間内で何ができるかを考えました。
私が見たいのは北上川です。
北上川を見るのは、北上市が一番ふさわしいと、この時は考えました。
そして、北上市で夕食を手に入れなければなりません。
この先、青森までの駅に十分な待ち時間はなく、青森の到着予定時刻は22時18分なのです。
広場の反対側に観光協会の看板を見つけて中に入りました。
しかし土産品があるのみで、期待した駅弁は見つかりません。
駅の東口にあるかもしれないと思い、駅の東西を繋ぐ地下歩道へ向か途中で若山牧水の
「幾山川 寂しさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく」の歌碑を目にしました。
そうか、この歌は北上で詠まれたのか、と思って横を見ると、
「牧水は大正15年(1926)、門下の北上市の福地房志宅に宿泊した際、福地宅に残された筆跡を刻む」と記されていました。
調べてみると、この歌は、牧水が明治40年(1907)に岡山、広島を旅した際に詠まれたそうです。
駅の東口にも、お弁当は見当たりませんでした。
しかし、東口へ来た私の主な目的は北上川です。
そのまま駅前通りを進んで、市道を横切り、川へ向かいました。
堤防の上に立つと、水量豊かな川が滔々と流れていました。
川下に目を向けると、立花頭首工と男山が見えます。
男山の後ろには、真紅のガンバナに染まる如意輪寺が隠れています。
上流を見ると、クリーム色に塗られた珊瑚橋が見えました。
この橋が最初に架けられたのは1908年(明治41年)のことです。
立花村の高館徳次郎が私財を投じ、木製の橋が建設されました。橋の名は、立花村の背後にある珊瑚岳に由来するそうです。
ところで北上川と言えば、最初に思い浮かぶのが北上夜曲です。
この曲は昭和15年(1940)に、当時18歳で水沢農学校の生徒だった「菊地 規(きくち のりみ)」が作詞、翌年に、当時17歳で旧制八戸中学校の生徒だった「安藤 睦夫(あんどう むつお)」が作曲しました。
菊池は江刺郡田原村の実家から、北上川に架かる小谷木橋(こやぎはし)を渡って通学していました。
ですから、北上夜曲の歌詞のモチーフは、奥州市江刺や水沢にかけての流域一帯です。
現在の北上市は1991年(平成3年)に市町村が合併したので、北上夜曲が作られた頃には存在しなかったのです。
しかしそれでも、北上川を十分に堪能した私は、満足感とともに北上駅に戻り、人影のない駅の地下通路を通って、
北上駅のゼロ番ホームに上り、ホームに待つ横手行きワンマンカーに席を得また。
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