憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

IT'S SHOWTIME!

2021-09-25 23:56:18 | 小室
もうこうなったら、見世物かショーだと思って楽しむしかありませんわ。





小室圭さん、27日にも一時帰国 米・NYの大手法律事務所に勤務 
FNNプライムオンライン2021年09月25日17時37分 

小室圭さんが、アメリカ・ニューヨーク市内の法律事務所に勤務していることがわかった。

小室さんは24日夜、法律事務所が入るビルから出て、車に乗り込んだ。

その後、小室さんは、前の日に続き、卒業したフォーダム大学に、一礼しながら入っていった。

小室さんの勤務先は、全米に5つの拠点を持つ大手の法律事務所で、ウェブサイトの小室さんの経歴には、「東京で、法律事務所や金融機関での勤務経験がある」などと記載されている。

小室さんは現在、アシスタントとして働いていて、すでに受験しているニューヨーク州の司法試験に合格すれば、この事務所に、弁護士として勤務することになる。

小室さんは、9月27日にも一時帰国し、10月中にも眞子さまと結婚する見通し。

昨日、記者に対する態度の悪さで、教育係からお叱りでもうけたのか、今日はやたら深々とわざとらしいい御辞儀を繰り返す小室。
内心の忌ま忌ましさとふて腐れてがこちらに伝わって来ます。

>「東京で法律事務所や金融機関での勤務経験がある。」

ぷ! 法律事務所はパラリーガルで雑用。金融機関は押し込んでもらったもののついて行けずに退社。いっそ「プリンセスと10月結婚予定」と一言だけ書くほうが正直で良かったんじゃないですか?

この新興大手事務所への就職も「普通では考えられない」と、皇室特権を使用した疑惑が報じられています。
就労ビザの取得も「普通では考えられない早さ」と、これまた皇室特権を使用した疑いが報じられるなど、宮内庁も政府もフィナーレが近づいているのか皇室特権の大盤振る舞いです。

卒業したフォーダム大学へ何をしに行ったのか、少々興味があります。

眞子さまの「ゴリ押し婚」と憲法 メモ

2021-09-25 22:57:28 | 皇室
岩田太郎氏は、眞子さまの結婚を憲法第88条から考察している。

第八十八条 すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。

岩田氏は、皇室特権使いまくりの上に成り立っている小室と眞子さまの結婚は、皇室と国民の一部との間の特別な経済的関係が生じることを防止する目的で定められている88条に違反している可能性がある、と述べている。

実際には小室に関わるカネは使途自由の皇族費(お手元金)から出ている可能性が大きいので、「皇室と国民の一部との間の特別な経済関係が生じることを防止している。」も憲法が内包している理念を読み解いたものであろう。
合わせ読み、という手法で理念が浮かび上がるというような?

皇族の特権濫用が目に余る小室と眞子さまの結婚は、私に皇室と国民の関わりかたを考えさせてくれた。
 

眞子さまの「ゴリ押し婚」が違憲かもしれないこれだけの理由
岩田 太郎 2021/09/25 06:00 JBpress
<抜粋>
だが、そういった訴えは相手にもされず、皇室と「結婚」反対派の国民の間にある意識のズレが明らかとなっている。その中で、一部の国民は皇室に一方的で片務性のある圧倒的な権力があり、その力関係において国民には発言権がなく、無力であると訴え始めている。曰く、
 
「皇族は権力は持たないとされているけど、圧倒的な権力を持っていないか?」

「皇族がここまで民意を踏みつけにして、国民を無視して、皇室特権振りかざして好き放題している」

「今回の件で、皇族の権力は様々なことが可能となり、そしてそれを批判したりチェックすることが困難だと白日のもとに晒した」

「これこそ力で国民をねじ伏せようとしている暴力 まるで戦前のようだ」

結局こうやって暴挙が進んでいくということは皇室がすごい権力を持ったまま象徴とならなかったということ

「力あるものに庶民は泣くしか出来ない 黒さえも簡単に白に変えてしまう 庶民は所詮働きアリ 力あるものに邪魔なら踏み潰されてお終い」

こうした反対派の批判にあるのは、眞子内親王の「公」に対する「私」の優先や、「結婚」ゴリ押しに象徴される皇室の圧倒的な権力と政治的な影響力の行使が、敗戦後の昭和22年(1947年)に制定された日本国憲法が明示した天皇と皇室の公的権力の剥奪に違反し、民主主義を破壊しているという懸念である。 

国民との対話に興味をお持ちでないように見える眞子内親王のゴリ押しを、親であり皇嗣でもある秋篠宮殿下が黙認されることで、結果的に皇室が権力を行使していると不支持派に見られている。

天皇と皇族の権力行使は違憲
大東亜戦争で完膚なきまで叩きのめされ、無条件降伏をした日本政府に対し、戦勝国の米国が指揮する連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、新たに「国民主権」という民主主義の原則に基づき、天皇を装飾的機能のみを持つ象徴的地位に制約する新憲法を定めるよう命じた。それは、「国家の統治権は天皇が総攬する」と定め、天皇に絶対的な権力を付与した大日本帝国憲法(明治欽定憲法)の破棄を意味した。 

一連の命令でGHQは、「主権をはっきり国民に置く」こと(昭和21年2月13日付の総司令部案)を主眼とし、天皇の権能をもっぱら非政治的、非権力的、形式的、儀礼的性質の権能に限定させた。敗戦後の日本の政体において、天皇を含む国家による権力の行使に制限を加え、主権を持つ国民の権利を明確化させる意図が存在したからだ。世襲権力の暴走と腐敗を防ぐために、天皇と皇族は民定の憲法内で、主権者の国民により、婚姻を含む人権や権利に制約をかけられた。 

すなわち、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」との第1章第1条の規定がその集約である。 

そのため、主権者たる国民の一部が「皇室が強い権力を持ったまま象徴とならなかった」「まるで戦前のようだ」「批判したりチェックしたりすることが困難」と口々に訴える眞子内親王のご結婚強行劇は、天皇と皇族が国民の意思に従属することが明記された、民定憲法の基本原則に反しており、権力が腐敗していることを示唆している。 

事実、内親王の結婚は、皇室と国民の一部との間の特別な経済的関係が生じることを防止する目的で定められた憲法第88条に違反している疑いが強い。この規定は、皇室利用による受益禁止のため、国民の血税で支えられる皇室財政を国会の統制下に置き、民主化を図ろうとするものだ。 

しかし、婚約内定者である小室氏は、内親王とのコネクションを利用したと一部から批判されている。確かに、就学、渡航、就職、ビザ取得、住居選択、警備などで特別な経済的受益をしており、そこには一貫したパターンが見られる。これは、元内親王である黒田清子氏の配偶者で、都庁に勤務する慶樹氏が、皇室の威光を利用せず、あたかもカメの歩みのようなスピードで、実力に基づき出世していった事例と好対照をなしている。 

皇室と小室氏の「特別な経済的関係」
 皇室ジャーナリストのつげのり子は、「どのような経緯があったとしても、小室さんは自身の才能と努力によって、多くの機会を掴むことができたのは言うまでもない」とするのだが、その「小室氏の才能と努力=チャンス」という明確な因果関係が証明できない。

たとえば、NHKがスクープした小室氏のニューヨークでの米大手法律事務所への就職に関し、司法試験の結果を待たず雇用されるということは、所属組織に対する何らかの将来的利益と見返りの期待がなければ、通常は起こり得ないことだ。 

つまり、この特例扱いは、元内親王の配偶者であることで、日本関連の案件において潜在的な影響力を発揮し、組織に利益をもたらす“金の卵”と見られた可能性が高く、それは憲法第88条が防止しようとする「皇室と国民の一部との間の特別な経済的関係」に相当するように思われる。特別枠採用には、腐敗や不正の温床となり得る「皇室特権」利用の萌芽が見られる。 

さらに、米国政府からの就労ビザ発給についても、受付件数が限られ、通常2年以上の審査期間が必要だ。雇用主が市場平均以上の賃金を支払うことも条件になる。こういった条件をごく短期間で満たすことができたのだとすれば、バイデン米政権による特別な便宜の提供、つまり「皇室と国民の一部との間の特別な経済的関係」に抵触しよう。

 米国は、将来の天皇の姉君であらせられる眞子内親王の配偶者である小室氏を通して日本に潜在的な影響力を行使し得るため、その特例扱いは米国にとっても望ましい「ギブアンドテイク」となる可能性が高い。 

こうした中、米国内外では、ビザ発給待ちの非米国市民が多数に上り、コロナ禍による米国パスポート発給の大幅な遅れで、米国市民でさえ数カ月待たなければならない混雑状況だ。なぜ自国民や待機中の外国人の渡航書類の待ち順番を飛び越す形で小室氏に便宜が提供されるのか、米民主党政権には説明責任があろう(一方、小室氏が取得した滞在資格が就労ビザではなく、単なる短期の労働許可証<EAD>であった場合、それは経済基盤の不安定を意味し、小室氏は国民に「結婚」を納得してもらえないだろう)。 

また小室氏が内親王の婚約内定者となったことで、通常であれば入れない学校や就職先に入り、普通ならもらえない、あるいは貸してもらえないお金を手にしているとの疑惑が常につきまとう。 

つげ氏自身が指摘する、「婚約時から眞子さまの皇籍離脱の一時金を資金にして留学を予定していた疑惑」「婚約が個人的なキャリアアップに動機づけられていた疑い」「庶民にはとうてい望むべくもない、眞子さまと結婚することでもたらされる利益」は、憲法で非権力的かつ非政治的な地位に縛られたはずの眞子内親王と秋篠宮皇嗣殿下が、その定めに反し、「特別な経済的関係」を小室氏に提供する能動的な意思及び権力行使なしには存在し得ないのではないか 

皇族が積極的に民事介入したことの意味
<略>
皇族が本当に非権力的かつ非政治的な存在であるならば、自分たちが利用されることに異議を唱えるだけでなく、「皇室と国民の一部との間の特別な経済的関係」を疑わせる民事金銭問題への介入は何としても避けるはずだ。だが、小室氏が皇室の威光を利用するのを黙認し、さらに自らも民事に介入したとなれば、眞子内親王と秋篠宮皇嗣殿下は「皇室特権」の源泉としての政治的・経済的権力を自ら蓄え、強化していることになる。 

つまり、この憲政上の危機の本質は、世襲による威光と権力で国民を圧倒し、なし崩しで皇室の権力化を達成する皇族の野心のリスクという、蟻の一穴から拡がる可能性がある「破れ」だ。それは、日本国憲法が天皇や皇族の基本的人権や権利を制限してまで守ろうとした主権在民の否定につながりかねない。だからこそ、皇室特権の濫用連発が疑われる眞子内親王の「ご結婚」は、大きな危険性を孕んでいるのだ。

<略>
今は、しかるべきお方が、「ならぬことはならぬものです」と仰せになる局面ではないだろうか。 

皇室に対する批判やチェックを阻害する言説
<略>
そのため、内親王の「結婚」に関して、批判やチェックが困難で、国民の意見が全く反映されなかった。この状態は、権威主義的な政体の末期症状のように見える。このようにして、皇室が戦前のような「絶対的な天皇」と「盲従する臣民」という関係を、小室氏との特別な経済的関係の構築において再現させかねないプロセスが、日本に主権在民を命令したはずの米国リベラル派自身の協力の下に着々と進んでいる。 

翻って、こうした憲法違反の疑いの検証を阻み、特権受益、監視検証の無力化、不正、腐敗、搾取、暴虐の連鎖を可能としているのが、「私」の「公」に対する優先や絶対的なプライバシーを説く言説である。多くのジェンダー論者によって用いられているのが特徴だ。たとえば、「内親王の結婚は100%の私事である。公的側面は全くない。結婚後、眞子さまが何をしようと自由である」と論じるのは、社会学者の森暢平・成城大学教授だ。 

一方、元朝日新聞記者で、週刊朝日副編集長やAERA編集長代理を務めた矢部万紀子氏は、内親王の結婚へのこだわりが“自分探し”の答えを探す旅であるとして、「そこから先の人生は眞子さまのもので、その成り行きを他人がとやかく言う筋合いではない」との見解を表明している。このリベラルなロジックにより、「憲法で禁じられた皇室の権力増長」という利益相反の問題の本質が、「ひとりの女性の自己実現」「個人の自由」「両性の合意」「一途な思い」という感傷論で隠蔽され、検証が阻害されてしまう。 

また、国際政治学者の三浦瑠麗氏も、「相手方の金銭トラブルの有無にかかわらず、その結婚について外から口を挟む話ではない」「眞子さまの決断が合っていようが間違っていようが、自己決定は人間の権利」として、憲法が禁じる「皇室と国民の特別な経済的関係」のチェックを困難にしかねない立場を採っている。 

加えて、日本テレビの笛吹雅子解説委員(宮内庁担当)は、「婚約の儀式は、秋篠宮家と小室家で行うもの。それがないということは、両家をつなぐことをしないという意味にも取れます」として、秋篠宮家側が「皇室と国民の特別な経済的関係」を発生させないよう配慮したとの印象を与える解説を行っている。だが、そうであるならば現在に至るまで小室家が就学、渡航、就職、ビザ取得、住居選択、警備などで受けてきた特別扱いの説明がつかない。 
 
“トップダウン婚”がもたらす真のリスク
いずれにせよ、国民の多くがコロナ禍や経済苦や結婚難に呻いている時に、特権階級である皇族の疑惑に満ちた「結婚」に対して、「口を挟むな」「他人は黙っておれ」「私事だから放っておけ」などの言説に基づいて検証を阻止することが、特権受益、監視検証の無力化、不正、腐敗、搾取、暴虐の連鎖を可能にすることには、留意する必要がある。 

その意味で、国民に有無を言わせぬ眞子内親王の“トップダウン婚”で、憲法・皇室への信頼が失墜することは阻止されねばならないと思う。民主的な憲法とはそもそも、天皇や皇族を含む国家権力の行使に制約を加え、国民の権利を守ろうとするものであるからだ。天皇や皇族は往々にして権力者や野心家に利用され、時には自身が制約を破って権力者になるため、婚姻を含めて特定の国民との関係の監視が必要ではないか。 




ずるをしている奴がのうのうと暮らしているのは許せない。

2021-09-25 21:27:27 | 皇室
小室への反発や嫌悪感を生み出しているものは、

ずるをしている奴がのうのうと暮らしているのは許せない。

という思いだろう。

国民は様々な言葉で小室を批判するが、結局、言っていることは全て「ずるをしている奴がのうのうと暮らしているのは許せない。」であろう。

人間に「ずるは許さないぞ。」という思いが無くなったら、人間の集団である社会はメチャクチャになってしまう。
「ずるは許さない。」は正義感であり、「ずるはしない」は矜持なのだ。

国民は様々な言葉で、皇室に必死に訴えた。
「狡をしているやつがのうのうと暮らすことを許さないで欲しい。」と。
が、皇室も政府も、耳を貸さなかったどころか、積極的に小室母子と眞子内親王の「ずる」に加担して来た。そしてこれからも小室一家の「ずる」を応援していくつもりのようだ。

国を志高く保つために「ずるは許さない。」という姿勢を示すべき天皇と皇室が、積極的に「ずる」に加担していることをどう考えたら良いのだろうか。

小室一家の狡い根性が治らないように、現在の皇室の「狡」い体質が改められることはないのだろうか。
天皇・皇族は憲法を拠り所に、身の安全も医療も生活も、能力に関わらず万全に保障されているのですから、国民よりフェアーな生き方をしようと思えばお出来になるはずなのですけれどね。

古の宮中では「清い」「穢れ」は厳しく分けられていたと聞く。宮中は「清い」が重きを置かれる日常だったようだ。
今の皇室に「清い」はどこにあるのか、と思う。下駄を履かせた学歴とカネの話しばかりが声高く。



清らかに咲くサギ草。