憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

ただの一度も小室を拒否したことがない皇室の怪 (3)

2021-10-08 21:44:30 | 眞子さま
『週刊文春』10月14日号の記事は眞子さまが中1のころまでは、伸び伸びとお過ごしだった様子を伝えている。

1991年10月23日御誕生。
眞子さまの「眞」の字は、正式には「目」の下がくっついた特殊な字体。
25歳で父となった秋篠宮は、こうした細部にもこだわって名付けをされた。

眞子さまが学習院初等科2年生のときには「野原のたんぽぽ」という題のこんな詩を書かれた。

<たんぽぽが 春でもないのにさいていました
さむそうだから かれはのふとんと すずかけのみのふわふわふとんを かけました
かめさんは 池の中はさむいのに よくねむれるね
たんぽぽさんと ねたらいいのに>

*高学年のころには、上橋菜穂子著『精霊の守り人』シリーズに夢中になった。
*級友からは「まこしー」という愛称で呼ばれ、休み時間は鬼ごっこやドッジボール、大縄飛びに興じた。
等々 記事には小学校卒業までは学習院に溶け込んでいらっしゃった様子が書かれている。
初等科卒業式後に秋篠宮邸に招かれた斉藤初等科長は眞子さまのことを紀子さまに褒めちぎっている。
 紀子さまはさぞ誇らしやかで喜ばしいお気持ちだったでしょう。後年、呼び出しをくらうなど夢にも思われていなかったでしょうね。まして学習院と疎遠になるとも。
しかし、そんな眞子さまにも少しずつ変化が現われてきます。

当時一大ブームを巻き起こしていたのが、カメラ付携帯電話だ。人々は手軽に写真を撮ることができるようになった。皇族の方々にも、一般の人のカメラが向けられるようになった。眞子さまと妹の佳子さまは四方八方からの視線に敏感に反応されるようになった。

雅子さまも、「人の視線が苦手で人前に出られなくなった」と報じられていましたね。眞子さま、佳子さまが示された敏感な反応とはどのようなものだったのか。
雅子さまのような対人恐怖症めいたものだったのか、チャールズ皇太子のようにイライラして「本当にうるさくて忌々しいやつらだ!」と舌打ちするような反応?

世に中には、上皇后のように、人から見られるのが快感でカメラのフラッシュが多いほど高揚してくるというタイプもいます。世の中のタレントはそのタイプでしょう。佳子さまはフィギュアやダンスを好まれるので、どちらかと言えばタレントタイプだと思っていたのですが?

秋篠宮殿下は、常に人目に晒される娘達を不憫に御思いになり、こんなプランを娘達に提供しています。

眞子さまが中1のころ、秋篠宮は自身のライフワークである家畜の研究を長年共にしてきた林良博国立科学博物館前館長に「カメラを一切気にしないで(娘達を)自由にさせたい。」と相談。
東京大学の農学部長を経験していた林氏は同大が所有している北海道富良野演習林を提案した。
三泊四日の小旅行。演習林の職員の子供達がチームを作り、眞子さまと佳子さまを迎えた。

こういうのも皇族の特権なのでしょうね。天皇家の愛子さまほどではありませんが、眞子さま、佳子さまも地味においしい思いをされている。
避暑地のお嬢様と森番の子供達。。。古い映画の一場面がオーバーラップする。職員と子供達の精一杯のおもてなしをうけて過ごされたのでしょうね。
中1のころまではこんな感じ。

この後、秋篠宮に大きな変化がもたらされます。
2006年2月。NHKが紀子さまの御懐妊を報道。妊娠6週目でのことだった。同年9月、眞子さまが中三のときに、長男の悠仁さまが誕生。これまで”自由な次男坊”とされた秋篠宮のご一家は、一転して”将来の天皇”を戴く家となったのだ。


中三の夏休み、ウィーンにホームステイ。朗らで自然な笑顔。
このころはまだ大丈夫だったのかな?それとも、紀子妃殿下御懐妊中からはじまった紀子さまへのバッシングに心を痛められて少々変な眞子さまをご両親が気遣って気分転換のためにホームステイを計画されたのかな?


中三の夏休み・・・丁度今の悠仁さまと同じ年頃。眞子さまと小室の一連の報道を見聞きしたり、同級性からイヤなことを言われたりで悠仁さまが少々よろしくない、という報道もありましたが、悠仁さまは大丈夫でしょうか。
何年から後に、「中学生の頃から云々で、このたび複雑性PTSDという診断を受けられました。」とならないかと本気で心配しています。



皇統の危機を救った秋篠宮家の注目度は否が応でも高まり、人々の関心は眞子さまにも向けられた。
2007年に学習院女子高等科に入学されたころには、ネット上で『眞子さま萌え』といういう言葉が流行。
<中略>同世代の女子高生と同様に、ネットにも自然に親しまれてきた眞子さまは、ネット上の掲示板もかねてご覧になっていたという。

眞子さまが精神的に不安定になられたのは、このネット上の掲示板を閲覧していたからではないでしょうか?

皇族画像掲示板?マコオタ掲示板?覗いたことがあるが、あれは皇族方が見て良いようなものではない。書き込むほうもまさか本人が見ているとは思わないで書いているのではないか。
眞子さまがもし、その後もエゴサーチや掲示板やブログの閲覧が習慣になっていたらら、どんどん精神的に追い詰められていっても不思議は無い。

『週刊文春』には高校科時代の眞子の様子は書かれていない。紀子さまが学校へ呼び出されるなど、眞子さまにとっては疾風怒濤の時代だったのだろうか。

ICUへ入学されてからの眞子さまは楽しげだが

一方で、人見知りの一面も見せていた。<中略>そこには”皇族として見られている”という緊張感が常に漂っていた。

ここまで、人目を気にして、いつも緊張している御性格であることはわかったが、誹謗中傷と感じられる報道に苦しんでおられたようでもない。

記事には書かれていないが高校時代の眞子さまといえば、やや緊張した面持ちで御公務をされていた姿が目に浮かぶ。眞子さまの御公務を週刊誌は好意的な記事にしていたが、眞子さまも嫌々公務をされていた風でもなかったが・・・。

一体どこから複雑性PTSDと診断されるような症状が始まったのだろうか。

18年2月結婚の延期が発表された。
<昨年5月、予期せぬ次期に婚約報道がなされました。このことに私達は困惑いたしました>
延期にあたり発表された文書でも、眞子さまはこう綴り、予期せぬ報道への怒りを再び滲ませられた>
結婚延期からしばらくして、眞子さまは体調の異変を訴えられるようになる。不眠や食欲の減退が見られたが、この時は1ヶ月ほどで回復された。

これが予兆だったのか。
その後は、国民が見つめてきた展開になるが、『週刊文春』の記事は、眞子さまと紀子さまの母娘の葛藤にもの言いたげであるが。

記事中、眞子さまに対して何度も”強情”ということばが使われている。
雅子さまを拝見してきて思うのだが、”強情”も病的なものの現われなのかもしれない。


20年初頭には眞子さまは宮内庁参与に結婚問題を相談された。宮内庁参与は天皇の相談役であり、本来宮家の皇族の私的な相談相手になることはない。異例の出来事は、眞子さまの結婚が令和皇室全体の問題であることを示していた。

20年初頭には、もはや秋篠宮家だけの問題ではなくなった眞子さまの結婚問題。
令和の天皇は、ここでどうしたかといえば、これがまた天皇としては情けない反応で・・・。
<つづく>

ただの一度も小室を拒否したことがない皇室の怪 (2)

2021-10-08 09:46:33 | 眞子さま
『週刊文春』10月4日号より抜粋

 会見には宮内庁公務医務主管永井良三自治医科大学長と眞子さまの診断にあたった精神科医の秋山剛NTT東日本関東病院品質保証室長が同席。
秋山氏は眞子さまが婚約延期となった2018~19年頃から「人間としての尊厳が踏みにじられている」と感じられ、「人生が壊されるという恐怖感が持続している」状況だと述べた。

「会見に臨んだ加地隆治皇嗣職大夫は、眞子さまが『複雑性PTSD』と診断されたと述べたのです。眞子さまは
中学生のころから誹謗中傷と感じられる情報を目になさり、それが精神的負担になっていたとも明かしました。大夫としての受け止めを訊かれて、加地氏が涙で声を詰まらせる場面もありました。」(宮内庁担当記者)

眞子さまは中学生のころから精神的な不安定さを抱えておられ、18~19年頃から悪化したということでしょうか。
加地大夫が「誹謗中傷を目にされ」と言わずに「誹謗中傷と感じられる情報を目にされ」と言っているところが、案外ポイントかもしれません。

会見の配付資料では自信の経歴として<世界精神保健連盟 次期理事長>と自己紹介した秋山氏。「在日外国人のメンタル相談やうつ病患者の復職支援に熱心に取り組んできた」(医療ジャーナリス)人物だという。

「宮内庁には医療主管を筆頭に皇族の方々の体調管理にあたる医師がいる。御代代わりで皇嗣となられた秋篠宮御一家には、新たに『皇嗣職侍医』のポジションが設けられました。ですが、それらのいずれにも秋山氏の名はありません。」

*『これならできる 中小企業のメンタルヘルス・ガイドブック』(金剛出版)2018年刊行、秋山 剛 (編集), 大野 裕 (編集) 
 『うつ病の集団行動認知療法』(医学映像教育センター)2008年監修 秋山 剛 (NTT東日本関東病院 精神神経科)大野 裕 (大野研究所 所長) 

*大野氏は2004年皇太子(当時)の「人格否定」発言の後に雅子さまの診療にあたり、主治医となる。
毎年の雅子様誕生日会見に公表される『医師団見解』は大野氏が書いているとされている。
 
ーーー秋山先生を眞子さまに紹介されたのですか?
「いや、私は全く。(秋山氏は)東京大学を出られたかたなので、その関係ではないでしょうか。宮内庁の医師職は基本的に東大の方。(慶大出身の)私が主治医になったときは、驚かれたくらいですからね。」

「紹介したのは私では無い。」と言っても、精神科でも同じ分野のかたですから、親しくなくても全く交流がなかったとも考えられず。雅子さま、愛子さまの状況はすなわち眞子さまの「環境」ですから、求められたら診断情報くらいは秋山氏に提供したでしょう。秋山氏のほうも皇族の主治医として先輩の大野氏に、今後の治療方針や対応について参考意見も聞いたでしょう。

秋山医師は今年の1月から眞子さまの治療にあたっているというが、眞子さまは精神科医を呼ばねばならぬほど情緒不安定だったのか?

宮内庁関係者「眞子さまの内面を加地氏が勝手に話せるはずがなく、眞子さまがこうした説明を望まれたと考えるのが自然です。常に物事の筋道を通す眞子さまらしく、結婚や一時金辞退に至るロジックをしっかり立てておられると感じました。」
宮家の長女、そして次代の天皇の姉という運命を背負った”苦悩”と、そんな中でも意思を貫き通す”強情”を胸に秘め、眞子さまは29年間を過ごして来られた。

意思を通す強情さ、とは、「言い出したら聞かない」と嘆かれる「あれ」ですかね。
屁理屈もロジックですものね。
眞子さまは「私がこうなったのは、〇〇のせいだ。」というストーリーを頭の中に構築されていて、誰もそれを打ち破ることができない状態なのか。
妄想系のかたと付き合うには「その人にとっては、それが真実なのです。」と思って付き合うしかない。妄想に付き合いきれなくて辛くなったら「あなたはそう思うのですね。でも、私はそうは思いません。」とひたすら心の中で呟くしか手立てはないようです。
「結婚したい。」と頑張る眞子さまに周囲がお手上げだったというのも、あながち無責任ばかりでもないかもしれない。

精神病とは言えないが、精神面で問題を抱えているらしい眞子さまへの対応が適切では無かったとも考えられる。

結婚の公式発表という本来お目出度い場であるはずの場で、何故複雑性PTSDを持ち出さなくてはいけなかったのか。
いくら眞子さまの御意志とはいえ不可解である。

3週間もすれば結婚してアメリカへ行ってしまう。その間小室への批判記事が出たとしても、今更どうということもないだろうに、と思うのは素人考えだろうか。パラグアイの勲章を受けられる動画を見る限り、内親王は明るく楽しげでさえある。

なんだか、よく解らない。
今週号の『週刊文春』は、文春砲といわれた迫力が無く、正直何が言いたいのかよく解らない。
唯一、スッキリと解るのは小室の経歴に存在しない賞が賞歴として載っている、くらいである。

眞子さまに変化が生じたのは、中学生のころ、悠仁殿下誕生後だというが、これもまたよくわからない。

<つづく>


ただの一度も小室を拒否したことがない皇室の怪

2021-10-08 00:08:12 | 眞子さま
『週刊文春』10月14日号




この二つの記事には天皇、秋篠宮殿下妃殿下、宮内庁は、この4年どんなに小室家のネガティブな事実が表面化してもたじろがず、ただの一度も小室を拒否したことはなく、ひたすら結婚が成就するように計らってきたというようなことが書いてある。

週刊誌はいい加減なことを書くが千に三つくらいは本当のことを書く。
上皇后、天皇家にベッタリの友納尚子が、今上は二人の結婚が上手く行くように気を使ってきた、と書くのだから、破談にする気が無かったことはまあ、事実だろう。
皇室ジャーナリストの山下晋司もこの4年間一度もぶれることなく「秋篠宮殿下は二人を結婚させるおつもりです。できれば儀式を行いたいと願っておられます。」と言い続けて来た。

小室家の様々な疑惑を一切問題にしない陛下、秋篠宮殿下の神経には恐れ入ってしまう。
 私は佳代さんに周辺で起きたといわれる自死を結婚反対の理由にはしない。
 身近な者に自死されて残された方々は、ただでさえ辛いであろうに、それを当然の理由にして結婚反対を声高に言われたら、どんなに悲しいだろうと思う。
 それに佳代さんの周辺で起きた自死をわざわざ数え上げなくても、その他の疑惑、たかり体質、皇室利用、経歴詐称だけでも十分に結婚反対の理由になる。

今週の文春は、小室の新たな経歴詐称を曝いているが、それ一つだけでも女性皇族の配偶者としては相応しくないというものだろう。

上皇后、今上、秋篠宮殿下、いったいどのような道徳観をお持ちなのか。

伸び伸びと育っていた眞子さまが「自由も人権も無い」と思い詰められるに至った転換点は、悠仁殿下の誕生だと、『週刊文春』は書く。

秋山医師が眞子さまの話しを聞くようになったのは今年1月から。秋山医師は雅子さまの主治医だった大野医師のお仲間のようだ。なにやらキナ臭い。

<つづく>