クロの里山生活

愛犬クロの目を通して描く千葉の里山暮らしの日々

耕一物語ー津軽海峡

2014-09-16 09:47:06 | 物語

80トンの愛友丸は貨物船としては小さい方である。

大きな波が来ると、その船体は大きく揺らいだ。

今回はかなりの時化のようだ。

金華山沖まで来たあたりで、波浪は更に激しくなった。

強い向かい風になると、船はほとんど進まない。

機関長の松さんは、エンジンを全開にして全速力で船を走らせた。

船長も荒波を凝視して必死に舵を握る。

やがて船は三陸沖をヨロヨロと乗り越え、津軽海峡にさしかかった。

竜飛岬では風が「ゴウゴウ」と吠えている。

機関長が操舵室に飛び込んできた。

「船長! もうエンジンが限界です。 これ以上は無理です。 近くの入り江に船を入れて下さい!」

「分かった!」

船長は舵を大きく左に切り、下北半島の入り江を目指した。

 

 

 

愛友丸が下北半島沖で立ち往生していたこの時から数年後の1954年(昭和29年)9月26日、台風15号が津軽海峡周辺を通過した。この時、青函連絡船として運行されていた洞爺丸が暴風と高波により転覆・沈没し、死者・行方不明合わせて1155人という、日本海難史上かつてない大惨事を起こした。

この津軽海峡での洞爺丸事故を題材にした「飢餓海峡」という推理小説を水上勉が書き、後に三国連太郎、高倉健、左幸子らが出演して、同名の映画が作成され話題となった。

 

津軽海峡は天候により、また潮の流れによってその姿を大きく変える。

船乗りにとって、海峡は要注意の航路である。

 

愛友丸はなんとか入り江に入ることができた。

そこで一晩待機し、翌朝、天候状況を見て船を出すこととなった。

船長はじめ、船の乗組員は疲労困憊である。

耕一は健さんらと共に、大きく揺れる船内で、浸水してきた海水をバケツでくみ出す作業を数時間続けていた。

板長が作ってくれた握り飯を食べると、みんな、作業着のまま寝床に倒れ、そのまま眠りこけた。

しかし、そんな凄い時化の航海は初めての経験であった耕一は、船酔いで気分が悪く、握り飯も口に入らず、うなされながら寝むりについた。

 

 

 

翌朝、天候は回復し、時化は収まっていた。

下北半島の小さな入り江から出た愛友丸は、波の静まった穏やかな津軽海峡を、朝陽を浴びながら渡り始めた。

 

上野発の夜行列車降りた時から・・・♪

どこからか、「津軽海峡冬景色」の歌が聞こえてきた。

 

 

続く・・・・・・ 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする