野毛の闇市に裸電球が点き始めた頃、耕一の足は真金町へ向かっていた。
野毛から真金町の遊郭までは、ブラブラ歩いても1時間はかからない。
途中、伊勢佐木町界隈も通るが、耕一はあまり目立たないようにして歩いた。
遊郭に入り、タバコに火を付けると、耕一は薄暗い路地を抜けて裏通りにある菊へ向かってゆっくりと歩いて行った。
この時間に、この裏通りを歩く人は少ない。
菊の前に来た。
玄関の提灯に明かりが入っていた。
耕一は辺りを見渡して、誰もいないことを確認すると、静かに玄関に入った。
土間にはまだ誰もいなかった。
帳場に座っている女将が、耕一に気付いて慌てて声を出した。
「あら、いらっしゃい。今日は随分お早いお越しですね」
「春子は居るかい?」
「ええ、ちょっと待ってね」
女将は立ち上がって、階段の所へ行き、二階に向かって声をかけた。
「春ちゃん、お客さんだよ!」
「はーい! いま行きます!」
春子の明るい声が二階でした。
トントントンと軽い足音を響かせて、階段の上から春子が降りてきた。
「あら! 耕一さんじゃないの! 」
突然現れた耕一の姿に驚いた春子は、びっくりした顔で耕一を見つめた。
「今晩泊まりたいんだけど良いかい?」
耕一がそう言うと、「さあさあ、どうぞどうぞ」と、春子は耕一の手をとって階段を上がった。
部屋に入ると、春子は耕一に抱きついてきた。
「会いたかったわ。あれから全然顔を見せてくれないから、もう私のことなんか忘れてしまったのかと思って・・・・」
春子はそこまで言うと、下を向いて急に泣き始めた。
しばらくして、耕一が口を開いた。
「実はな、春子。俺は船から逃げてきたんだよ。あの船は闇船だったんだ。しばらく姿を隠す必要があるんだよ」
「そうだったの・・・・」
「俺はしばらくの間、ここに泊まりたいんだけど良いかな?」
「もちろん良いわよ。良いに決まってるでしょ」
春子の泣き顔が笑顔になった。
耕一は、上着の膨らんだポケットから札束の入った袋を取り出すと、1ヶ月間の逗留代金を春子に渡した。
春子はそのお金を大事そうに両手で持つと、「ちょっと待っててね」と、うれしそうに言って、またトントントンと軽やかに帳場へ下りて行った。
続く・・・・・・。