追浜の税関検査から2ヶ月余が経った。
日本列島は、南の島から春が北上している。
愛友丸は東北への航海を終えて、横浜の港を目指していた。
その時、耕一の心は揺れていた。
あちこちの港で、闇船検挙が頻発しているのだ。
この春先から、税関当局の取り締まりが一層厳しくなってきている。
検査担当官も増員され、かなりの精鋭が投入されてきているという。
次の検問では、前回のような悠長な対応では乗り切れないであろう。
耕一は悩んでいた。
愛友丸に乗ってからほぼ1年が過ぎが、このままいつまでもこんな闇船に乗っているわけにはいかない。
もっとまっとうな生き方をしなければならない。
しかし、この時点で、「済みません。もう闇船生活が怖くなりましたから、この船から降ろして下さい」と、機関長に言ったなら、きっと半殺しの目に遭うだろう。
耕一は、彼らのことを知り過ぎた。
ここで逃げたら自分の命が危ない。
しかし、このままこの闇船生活をしていたら、いずれ官憲に捕まってしまう。
《どうしたら良いんだ・・・・》
船は暗闇の海を、房総半島に向かって航行していた。
半島先端の館山では、もう菜の花が咲き始めている頃だ。
耕一は甲板に出て夜空を眺めてみた。
星も月も見えなかった。
真っ暗な世界を航行する闇船のエンジン音だけが、不気味に聞こえてくるだけだった。
その不気味なエンジン音を聞いているうちに、耕一の心は決まった。
《逃げよう。この船から逃げよう》
この時、愛友丸が向かっている先は、横浜港の本牧埠頭沖であった。
《投錨するあの沖から本牧埠頭までなら、なんとか泳いで行ける。その後は、真金町の遊郭へ潜り込もう》
耕一は、逃亡計画を考え始めた。
耕一には既にかなりの蓄(たくわ)えがあった。この1年間の闇船生活で、1年以上遊んで暮らせるカネを蓄えた。そのカネを持って、あの菊の春子の所へ潜り込もう。
春子は信用できる女だ。きっとうまく匿(かくま)ってくれるはずだ。
そこまで考えた耕一は、自分の寝床がある船倉の片隅へ戻って、誰にも気づかれないように荷物の整理を始めた。
続く・・・・・・