《こんな夜中に税関検査をするのか?》
近づいてくるモーターボートを、機関長は訝りながら見つめていた。
だが、それは顔役が手配したボートだった。
「検査は明日の午前中になると思うので、今晩は陸(おか)に上がってゆっくり休んでください」
顔役の手下らしい、ボートを操縦してきた男が、船側(せんそく)で大声でそう言った。
その声に従って、船長を先頭に愛友丸の仲間は縄梯子を降りてボートに乗り込んだ。
追浜の顔役とは、地元の網元であった。
網元は大小の漁船5艘持ち、若い衆(網子)を30人程使って漁業を行い、追浜とその周辺の漁業権をほぼ独占していた。
網元が手配した小さな旅館に案内された耕一達は、久しぶりに手足を伸ばして風呂に入り、そしてゆっくりと陸(おか)のメシを食い、酒を飲んだ。
しかし、みんな明日の税関検査が気になってしょうがない。
だが、船長と機関長は以前、まっとうな船荷を扱っていた頃に、何度か検査を受けた経験があるので、木っ端役人のあしらい方は分かっているらしい。
夕食を摂りながら、二人は顔を寄せ合って何やら相談していた。
翌朝、旅館で朝食を済ますと、機関長と板長の二人だけが船に戻って行った。
検査の時は人数が少ない方が良いらしい。
暇になった耕一は、旅館で健さんと将棋など指して過ごすことにした。
税関の担当官二人が、船にやって来たのは昼(ランチ)に近い時間だった。
風采の上がらない感じの、年配の下級官吏二人であった。
「これはこれは、お役目ご苦労様でございます。私は機関長をしております長井松太郎と申します。船長はあいにく陸(おか)に上がっておりまして、ご挨拶できませんが、くれぐれも宜しくとのことでございました。
ところで、お二人は横浜から来られたのですからさぞお疲れでしょうな。ちょうどお昼の時間ですから、少し腹ごしらえをして頂いてから、ゆっくりと検査をお願いしたいと思っております。さあさあ、どうぞこちらに・・・」
機関長の松さんは、昨夜から何回も練習していた口上(こうじょう)を、愛想を振りまきながら役人に言い、相手が返事をする間も与えず食堂の方へ歩いて行った。
下級官吏二人は、苦笑しながらお互いに顔を見合わせたが、《まあ、メシを食うだけなら良いか・・・》という風にうなずき合い、機関長の後について行った。
食堂のテーブルに二人が着くと、美味しいそうな匂いが立ち上るビーフカレーが彼らの前に置かれた。
「ゴクリ」と、二人の役人のノドが鳴ったような気がした。
「さあさあ、どうぞお召し上がり下さい。こんなもので恐縮ですが、良かったらまだお替りもありますので、ご遠慮なくどうぞ」
二人は、スプーンを手にすると、物も言わずカレーを食べ始めた。
板長は、次に缶詰の甘いパイナップルを小皿にのせて持ってきた。
そして最後に温かいコーヒーを・・・・。
「今日は、何でもお見せしますので、何なりと申しつけ下さい。わしらは米軍の指示に従って物資を運搬しておりますので、やましい事は一切しておりません。米軍の物資輸送については、そちらにももちろん情報は入っていますよね・・・」
機関長がそう言うと、役人の一人が、
「ええ、まあね・・・・」と、曖昧な返事をした。
「ああ良かった。それじゃ、今日の検査はもう済んだも同然ですな。アハハハハ!」
二人の役人は、何も言えずコーヒーに口を付けた。
コーヒーを飲み終えると、一人の役人が
「我々も任務がありますので、一応の検査を・・・・」
と、言いかけた。すると機関長は、
「ああそれから、これはほんの気持ちですが、良かったらお持ち帰り下さい」
と言いながら、テーブルの下から大きな紙袋を二つ出して役人の目の前に置いた。
役人二人は、またも困惑した面持ちで目を合わせた。
「いやーなに、この中には北海道の干物(ひもの)が入っているだけですから、気にされるほどの物ではありません。まあ油断するとネコが狙ってきますけどね。アハハハーーー。さあさあどうぞ遠慮なく」
機関長はそう言って、二人にその紙袋を持たせた。
下級官吏は、如才なく応接されるそんな接待に慣れていなかったようだ。
思考回路が停止したような顔をして、二人は闇船から降りて行った。
続く・・・・・