夜明けが近い。
耕一は人気(ひとけ)の無い本牧埠頭を抜け、電車通りへ向かった。
本牧から横浜駅まで市電が走っているのだ。
そろそろ一番電車が走りだす頃だろう。
本牧には進駐軍キャンプがあるので、早朝から人や車の動きがあった。
耕一は、できるだけ平静を装い、ゆっくりと歩いて停留所へ向かった。
今頃、愛友丸の中は大騒ぎになっていることだろう。
今まで、耕一は逃亡の気配など微塵も見せなかった。
一番びっくりしているのは機関長の松さんに違いない。
機関長は、気が効いて良く働く耕一に目をかけていた。
その働きに見合う手当てを、航海が終わるたびに耕一に与えていた。
自分の息子のような天蓋孤独のその男が、真夜中に、この船から忽然と姿を消すとは、想像もしていなかった。
耕一にも、機関長には《申し訳ない》という思いがあった。
あの時、高島桟橋で拾われていなければ、自分はおそらく死んでいただろうと、思われるからだ。
命の恩人である。
その後、機関士助手として使ってくれ、色々と教えてもらった。
そして、一人前の機関士に育ててくれた。
本当に有り難いことであった。
健さんや板長さんにも親切にしてもらった。
あの船が、闇船でなければ、ずっとみんなと一緒に働いていたかった。
耕一は、孤独な寂しさには慣れているはずだったが、その時、急に涙がこぼれ落ちた。
人のぬくもりのある温かいところから一人離れて、またこうして歩いている。
言い様の無い寂寥感に襲われた。
本牧から市電に乗って横浜駅まで行った耕一は、そこで市電を乗り換え、真金町へ向かった。
その道中、耕一は車窓を流れる横浜の街並みを眺めながら、この1年間、愛友丸で過ごした日々を思い返していた。
気仙沼の明子のことも気がかりだった。
愛友丸が、気仙沼に寄航したら、耕一逃亡の話はすぐに明子にも伝わるはずだ。
自分の気持ちと状況を、取り敢えず手紙で知らせ、心配させないようにしないといけない。
時折、「チンチンチン」と鐘を鳴らしながら走る市電に揺られながら、耕一はそんなことを考えていた。
続く・・・・・。