イノシシだのサルだのタケノコだの秘境だのと、そんな話ばかりしていると、ご主人様が暮らすこの里山はとんでもない山奥と思われるかもしれないが、市街地まで意外に近く、日常の生活には不自由しないところである、とご主人様は思っている。
まずこの高溝地区の家から車で5分足らずのところに郵便局とコンビ二などがある。従って、年金の振込み先は郵便局であり、また最近は友人・知人宛タケノコ発送のため、このコンビ二の宅急便は頻繁に利用している。
次に食料品等の日常品の買い物であるが、家から車で15分程のところに上総湊(かずさみなと)という町があり、そこに中型程度のスーパーがある。その店の中には薬局やクリーニング店も入っており、日常生活に必要なものはほとんどそこで買うことができる。またJR内房線の駅(上総湊)もそこにあり、このあたりから内房線の下りは海岸沿いを走る。すなわち、里山から15分で海に出て、浜で釣りを楽しむことができるのだ。
また家から30分程のところに君津の市街地があり、更に10分程走れば木更津だ。君津は新日鉄の城下町的市街地であり、そこに行けば大型電気店からリサイクルショップまでなんでもある。
ところで、実は今日、ご主人様は所用で久々に君津へお出かけになったのである。君津へ行くと、ご主人様はいつも業務用スーパーへ寄って食料品を買いだめする。本日はその後、ジョイフルホンダの園芸館に寄り、夏野菜の苗を色々と買い込んで御帰還された。
拙者がシッポを振ってお出迎えすると、
「オーイ、クロちゃん! ただいま! おりこうさんしてたかな?」
といいながら、拙者の好物のオヤツをポケットから出して、頭をなでてくれた。
それにしても、ご主人様はまたあんなにタクサンの(野菜)苗を買ってきてしまったぞ。これから野良仕事を始めると、拙者と散歩に行く時間が無くなってしまでござるよ・・・・。
タケノコの話はこのくらいにして、この里山で語り継がれている源頼朝の「頼朝伝説」についてお話しよう。
拙者が住む屋敷の前の道を、時々、ハイキング姿の人が通る。最近は、気候も良くなったせいか、その姿が増加しているようだ。村人の話によれば、この道は「房総の秘境コース」のひとつと言われ、マニア達の中では有名らしい。
なぜ有名なのかと言うと、頼朝伝説があるからである。
その昔、この道を頼朝が馬に乗って通ったのだそうだ。この道を通って、その先にそびえる高宕山に登り、行基ゆかりの観音堂で平家打倒の必勝祈願をしたという話が連綿と語り継がれている。
相模国の石橋山の戦いで平家勢に敗れた頼朝は、真鶴岬から船に乗り房総(安房国)に逃れる。やがて、味方を得た頼朝は、潜んでいた房総南端の鴨川(仁右衛門島)を家来と共に出発し、関東坂東武者を糾合しつつ房総半島を北上して鎌倉に向かう。この時、頼朝一行は上総湊付近(現富津市峰上地域)を通る。
まさにその時、頼朝は高宕山に通じるこの屋敷の前の道を通って、観音堂に向かったのである。ご主人様が住むこのお屋敷のご先祖様は、その時、頼朝の馬のお世話係を仰せつかったそうである。
その当時、高宕山満福寺の観音堂(十一面観世音菩薩)は関東一円に広く知られていた。その頃の満福時は数百町歩の荘園と九十九の僧坊を有しており、関東屈指の大寺院であった。そんな名高い寺院に、信仰心の篤い頼朝が参詣しないはずがない。打倒平家の執念に燃えていた頼朝である。できることなら全ての神仏に祈念して回りたかったであろう。ちなみに、万福寺はその後大火にあい、現在は平野部の田原(たばら)に移転されているが、観音堂だけはそのまま残っている。
今では限界集落的里山となったこの村のこの道を、秘境コース愛好家達は、頼朝が生きたその時代を思い起こしながら、今日も静かに歩いて行く。
拙者もいつの日か、ご主人様のお供をして、観音堂のお参りに行ってみたいものだ。
房総の秘境には、頼朝伝説がよく似合う。
拙者が住む屋敷の前の道を、時々、ハイキング姿の人が通る。最近は、気候も良くなったせいか、その姿が増加しているようだ。村人の話によれば、この道は「房総の秘境コース」のひとつと言われ、マニア達の中では有名らしい。
なぜ有名なのかと言うと、頼朝伝説があるからである。
その昔、この道を頼朝が馬に乗って通ったのだそうだ。この道を通って、その先にそびえる高宕山に登り、行基ゆかりの観音堂で平家打倒の必勝祈願をしたという話が連綿と語り継がれている。
相模国の石橋山の戦いで平家勢に敗れた頼朝は、真鶴岬から船に乗り房総(安房国)に逃れる。やがて、味方を得た頼朝は、潜んでいた房総南端の鴨川(仁右衛門島)を家来と共に出発し、関東坂東武者を糾合しつつ房総半島を北上して鎌倉に向かう。この時、頼朝一行は上総湊付近(現富津市峰上地域)を通る。
まさにその時、頼朝は高宕山に通じるこの屋敷の前の道を通って、観音堂に向かったのである。ご主人様が住むこのお屋敷のご先祖様は、その時、頼朝の馬のお世話係を仰せつかったそうである。
その当時、高宕山満福寺の観音堂(十一面観世音菩薩)は関東一円に広く知られていた。その頃の満福時は数百町歩の荘園と九十九の僧坊を有しており、関東屈指の大寺院であった。そんな名高い寺院に、信仰心の篤い頼朝が参詣しないはずがない。打倒平家の執念に燃えていた頼朝である。できることなら全ての神仏に祈念して回りたかったであろう。ちなみに、万福寺はその後大火にあい、現在は平野部の田原(たばら)に移転されているが、観音堂だけはそのまま残っている。
今では限界集落的里山となったこの村のこの道を、秘境コース愛好家達は、頼朝が生きたその時代を思い起こしながら、今日も静かに歩いて行く。
拙者もいつの日か、ご主人様のお供をして、観音堂のお参りに行ってみたいものだ。
房総の秘境には、頼朝伝説がよく似合う。
第四陣のおじいさんと子供達があわただしく帰った後、ご主人様は念のため竹薮の確認を行った。
竹薮の奥に踏み入り、はいている長靴の底で草むらを探ってみると、つま先にコツンとタケノコの頭が当たった。四方を探ってみると6本のタケノコが残存していることが判明した。
ハリキリおじいさんに刺激されたご主人様は、夕闇迫る薄暗い竹薮の中で、愛用のスコップを持ち出して一心不乱に第5陣とも言うべき最後のタケノコ達を掘り出した。
結果、この日の収穫高は合計で18+10+6=34本となった。またまた記録更新である。
さて、掘り出したタケノコは迅速に処理しなければならない。
キッチンで二つの大きなナベにお湯を沸かし、そこに皮をむいて二つに割ったタケノコを次々と投入し、更にヌカを入れてアク抜きをする。
ゆでた後は、沸騰したナベの熱が冷めるまでタケノコ達をその中に入れておき、十分にアクをとる。
こうしてできた「ゆでタケノコ」を、キッチンの床に敷いた新聞紙の上に並べて水分を取る。
このようにして午後10時過ぎ、ようやくタケノコ処理が完了した。後は一晩おいてから冷蔵庫に入れて保存すればよい。
「やれやれようやくできたか」
と、きれいに並べたタケノコ君たちを、ご主人様は満足げにしばし眺め、キッチンの後片付けをして寝床に入った。
深夜、トイレに起きたご主人様は、ノドの乾きを覚え、水を飲むためキッチンに向かった。
何気なくキッチンの床に目をやると、きれいに並べられたタケノコが目に入った。しかしその中の一本が、その新聞紙から飛び出して床に転がっていた。
「はて、これはどうしたことか?」
と、寝ぼけた頭でご主人様は思ったのだが、眠いので深く考えることができない。飛び出したそのタケノコをそっと元にもどして、ご主人様はフラフラと寝床へもどった。
朝になった。朝食の準備のためキッチンに向かったご主人様は、床をみてハッとした。タケノコがまた一本、新聞紙から飛び出しているではないか。これはなんとしたことか。タケノコがかってに飛び出すわけがない。
飛び出したタケノコを注意して見てみると、一部が何かで削られたような痕跡がある。何者かがかじった気配である。
このような事態は初めてである。果たして何者がこのタケノコを引きずり出し、そしてかじったのであろうか?
人間様にとって、姿を見せないクセモノほど不気味な存在はない。
最近では都会の住宅地でもアライグマ被害が出ていると聞く。この里山の屋敷もついにアライグマに侵略されてしまったか
と、心配性のご主人様はにわかにうろたえ始めたのだった。
竹薮の奥に踏み入り、はいている長靴の底で草むらを探ってみると、つま先にコツンとタケノコの頭が当たった。四方を探ってみると6本のタケノコが残存していることが判明した。
ハリキリおじいさんに刺激されたご主人様は、夕闇迫る薄暗い竹薮の中で、愛用のスコップを持ち出して一心不乱に第5陣とも言うべき最後のタケノコ達を掘り出した。
結果、この日の収穫高は合計で18+10+6=34本となった。またまた記録更新である。
さて、掘り出したタケノコは迅速に処理しなければならない。
キッチンで二つの大きなナベにお湯を沸かし、そこに皮をむいて二つに割ったタケノコを次々と投入し、更にヌカを入れてアク抜きをする。
ゆでた後は、沸騰したナベの熱が冷めるまでタケノコ達をその中に入れておき、十分にアクをとる。
こうしてできた「ゆでタケノコ」を、キッチンの床に敷いた新聞紙の上に並べて水分を取る。
このようにして午後10時過ぎ、ようやくタケノコ処理が完了した。後は一晩おいてから冷蔵庫に入れて保存すればよい。
「やれやれようやくできたか」
と、きれいに並べたタケノコ君たちを、ご主人様は満足げにしばし眺め、キッチンの後片付けをして寝床に入った。
深夜、トイレに起きたご主人様は、ノドの乾きを覚え、水を飲むためキッチンに向かった。
何気なくキッチンの床に目をやると、きれいに並べられたタケノコが目に入った。しかしその中の一本が、その新聞紙から飛び出して床に転がっていた。
「はて、これはどうしたことか?」
と、寝ぼけた頭でご主人様は思ったのだが、眠いので深く考えることができない。飛び出したそのタケノコをそっと元にもどして、ご主人様はフラフラと寝床へもどった。
朝になった。朝食の準備のためキッチンに向かったご主人様は、床をみてハッとした。タケノコがまた一本、新聞紙から飛び出しているではないか。これはなんとしたことか。タケノコがかってに飛び出すわけがない。
飛び出したタケノコを注意して見てみると、一部が何かで削られたような痕跡がある。何者かがかじった気配である。
このような事態は初めてである。果たして何者がこのタケノコを引きずり出し、そしてかじったのであろうか?
人間様にとって、姿を見せないクセモノほど不気味な存在はない。
最近では都会の住宅地でもアライグマ被害が出ていると聞く。この里山の屋敷もついにアライグマに侵略されてしまったか
と、心配性のご主人様はにわかにうろたえ始めたのだった。
物識り博士ご夫妻が帰られた後に、ご主人様が竹薮を確認したところ、10本程度のタケノコがまだ残っていた。これも早く掘らないともったいない。
しかしご主人様はこれまでに毎日毎日タケノコを掘り、毎日毎日タケノコ料理を作り、そして毎日毎日タケノコを食べ続けているのだ。もう見るのもイヤだ。そんな気分で竹薮のタケノコ達を眺めていると、隣の家の庭先から子供達の遊ぶ声が聞こえてきた。どうやらお孫さん達が遊びにきている気配だ。
「そうだ、隣の家の客人達にタケノコを差し上げよう」
と、思いついたご主人様は、さっそく隣家の方へ行ってみた。するとその家のおじさん(年の頃は70歳)が、桜の大木がそびえる広い芝庭で、二人の孫(幼稚園生と小学生の兄弟)を一輪車に乗せて、それを小走りに走りながらヨロヨロと押して遊んであげているではないか! なんと健気(けなげ)で優しいおじいさんではないか!
東京から久しぶりに遊びにきたかわいい孫達に、精一杯の里山サービスをしてあげているのである。都会の遊園地ではジェットコースターだが、この限界集落的里山では一輪車を使うことになるのだ。
しかし、高齢者がそんな無謀な事をしていると、人身事故につながりかねないし、それにタケノコ掘りの方が子供達にとってははるかに良い里山体験になるであろう。
「こんにちは! よかったらタケノコ掘りをやりませんか!」と、ご主人様が明るく声をかけると、
「わーい、タケノコ堀りだ! タケノコ堀りだ!」と、キッズ達の歓声が上がった。
かような次第で、第四陣のタケノコ掘り隊は「キッズ兄弟とおじいさん」となったのであった。
ハリキリおじいさんは二人の孫を引き連れ、肩にクワをかついでやってきた。
そして大きなタケノコの頭を見つけるやいなや、クワを頭上に持ち上げ、タケノコ目指して「エイ!」と振り下ろした。
その一撃でタケノコの大きな根は見事に切断され、キッズ達の足元に転がった。キッズ達は呆然とそのおじいさんの雄姿を見つめていた。
それに気を良くしたハリキリおじいさんは、タケノコを見つけるやいなや、キッズ達にはおかまいなしに、「エイ、ヤー!」とクワを振り下ろし続け、矢継ぎ早に10本近い大きなタケノコを掘り起こしたのだった。
20分後、大収穫のカゴを持った二人の孫を従えて、意気揚々とおじいさんは帰って行ったのであった。
続く・・・・・
しかしご主人様はこれまでに毎日毎日タケノコを掘り、毎日毎日タケノコ料理を作り、そして毎日毎日タケノコを食べ続けているのだ。もう見るのもイヤだ。そんな気分で竹薮のタケノコ達を眺めていると、隣の家の庭先から子供達の遊ぶ声が聞こえてきた。どうやらお孫さん達が遊びにきている気配だ。
「そうだ、隣の家の客人達にタケノコを差し上げよう」
と、思いついたご主人様は、さっそく隣家の方へ行ってみた。するとその家のおじさん(年の頃は70歳)が、桜の大木がそびえる広い芝庭で、二人の孫(幼稚園生と小学生の兄弟)を一輪車に乗せて、それを小走りに走りながらヨロヨロと押して遊んであげているではないか! なんと健気(けなげ)で優しいおじいさんではないか!
東京から久しぶりに遊びにきたかわいい孫達に、精一杯の里山サービスをしてあげているのである。都会の遊園地ではジェットコースターだが、この限界集落的里山では一輪車を使うことになるのだ。
しかし、高齢者がそんな無謀な事をしていると、人身事故につながりかねないし、それにタケノコ掘りの方が子供達にとってははるかに良い里山体験になるであろう。
「こんにちは! よかったらタケノコ掘りをやりませんか!」と、ご主人様が明るく声をかけると、
「わーい、タケノコ堀りだ! タケノコ堀りだ!」と、キッズ達の歓声が上がった。
かような次第で、第四陣のタケノコ掘り隊は「キッズ兄弟とおじいさん」となったのであった。
ハリキリおじいさんは二人の孫を引き連れ、肩にクワをかついでやってきた。
そして大きなタケノコの頭を見つけるやいなや、クワを頭上に持ち上げ、タケノコ目指して「エイ!」と振り下ろした。
その一撃でタケノコの大きな根は見事に切断され、キッズ達の足元に転がった。キッズ達は呆然とそのおじいさんの雄姿を見つめていた。
それに気を良くしたハリキリおじいさんは、タケノコを見つけるやいなや、キッズ達にはおかまいなしに、「エイ、ヤー!」とクワを振り下ろし続け、矢継ぎ早に10本近い大きなタケノコを掘り起こしたのだった。
20分後、大収穫のカゴを持った二人の孫を従えて、意気揚々とおじいさんは帰って行ったのであった。
続く・・・・・
昨日はタケノコほり隊第三陣、第四陣の来訪があり、当里山は大賑わいであった。しかし、その深夜、屋敷内に曲者(くせもの)が進入する事件が起きたのだ。
まず第三陣の来訪者の話である。第三陣はご主人様がアブダビで大層お世話になった物識り博士とその奥方であった。ご夫妻は現在は千葉県内の市街地に住んでおられるが、拙者のご主人様がアブダビにいた時に、博士は定年後の初仕事として現地の日本人学校で国際交流コーディネーターというお仕事をされていた。現在は裁判所の調停人や都内の大学でゲストスピーカーなどのアルバイトをされているそうだ。ちなみに奥方も多才なお方で、英会話や茶道の先生をされる一方、博士同様に裁判所の調停人をされている。、
さて、この物識り博士は好奇心旺盛で、大変な読書家である。従って世の中の森羅万象に造詣が深い。ホームパーティなどでご主人様が博士に色々と問題提起すると、たちどころに裏付けのある適切な回答が示されたという。
お世話になった博士ご夫妻を、何をもっておもてなしをするかとしばし考えたご主人様は、2月にネパールで仕入れてきたカレー粉を使ってオリジナル特製カレーを作ることとし、2日前からその仕込みにかかったのだった。
アブダビにいた頃、ご主人様はこの物識り博士宅に時々夕食に招かれたが、その時、博士は必ず自らの手作り絶品特製カレーでもてなしてくれたことを思い出したからだ(料理のお上手な奥方が、小料理屋的和食料理の数々を振舞われたことは言うまでもない)。仕込みが始まり、奥の台所からオイシそうなカレーのニオイがただよってきた時は、拙者は思わずヨダレを垂らしてしまったものだ。
さて、昨日の話である。昼前に着かれたご夫妻はまずタケノコ掘りに取り掛かった。この日は大豊作であり、竹薮のあちこちにニョキニョキとかわいい頭を出していた。博士は手当たり次第にそれらを掘り起こし、一時間弱で18本の大きなタケノコをゲットした。その他にもまだまだ堀り残しがあったのだが、もうこれ以上持ちきれませんということでそこで打ち止め、いや掘り止めとされた。
目的のタケノコを十二分にゲットして、ご満足のご夫妻はその後のカレーランチもご機嫌麗しく過ごされ、アブダビの話題で盛り上がる中、ご満悦のうちにランチを終えて帰宅の途に就かれた。
続いて第四陣と曲者の話であるが、なんだか今夜は疲れてしまった。この続きはまた明日・・・・・。
まず第三陣の来訪者の話である。第三陣はご主人様がアブダビで大層お世話になった物識り博士とその奥方であった。ご夫妻は現在は千葉県内の市街地に住んでおられるが、拙者のご主人様がアブダビにいた時に、博士は定年後の初仕事として現地の日本人学校で国際交流コーディネーターというお仕事をされていた。現在は裁判所の調停人や都内の大学でゲストスピーカーなどのアルバイトをされているそうだ。ちなみに奥方も多才なお方で、英会話や茶道の先生をされる一方、博士同様に裁判所の調停人をされている。、
さて、この物識り博士は好奇心旺盛で、大変な読書家である。従って世の中の森羅万象に造詣が深い。ホームパーティなどでご主人様が博士に色々と問題提起すると、たちどころに裏付けのある適切な回答が示されたという。
お世話になった博士ご夫妻を、何をもっておもてなしをするかとしばし考えたご主人様は、2月にネパールで仕入れてきたカレー粉を使ってオリジナル特製カレーを作ることとし、2日前からその仕込みにかかったのだった。
アブダビにいた頃、ご主人様はこの物識り博士宅に時々夕食に招かれたが、その時、博士は必ず自らの手作り絶品特製カレーでもてなしてくれたことを思い出したからだ(料理のお上手な奥方が、小料理屋的和食料理の数々を振舞われたことは言うまでもない)。仕込みが始まり、奥の台所からオイシそうなカレーのニオイがただよってきた時は、拙者は思わずヨダレを垂らしてしまったものだ。
さて、昨日の話である。昼前に着かれたご夫妻はまずタケノコ掘りに取り掛かった。この日は大豊作であり、竹薮のあちこちにニョキニョキとかわいい頭を出していた。博士は手当たり次第にそれらを掘り起こし、一時間弱で18本の大きなタケノコをゲットした。その他にもまだまだ堀り残しがあったのだが、もうこれ以上持ちきれませんということでそこで打ち止め、いや掘り止めとされた。
目的のタケノコを十二分にゲットして、ご満足のご夫妻はその後のカレーランチもご機嫌麗しく過ごされ、アブダビの話題で盛り上がる中、ご満悦のうちにランチを終えて帰宅の途に就かれた。
続いて第四陣と曲者の話であるが、なんだか今夜は疲れてしまった。この続きはまた明日・・・・・。