県議会で日本共産党の伊藤ゆうじ県議が質問に立つということで、傍聴に行きました。
雇用や景気対策に関する質問、いじめに関する内容が中心でした。いじめについては、私自身、我が子の経験もありますし、いろいろと思うところもありますので、興味を持って聞きました。
いじめの原因について伊藤県議から問われて、教育長は、「多様であり、特定は難しい」としながら、「自分なりには」と前置きしたうえで、「思いやりのない子どもや、人のことを自分に置き換えて考えられない子どもがいる」という言い方をしていました。
いじめは社会的に深刻な問題となっています。伊藤ゆうじ県議は、「社会の中で子どもが置かれている学力競争の不安や抑圧が根本だと見る」と発言しました。
教育長の言う内容は現象であり、原因ではありません。
政治の話をしていても、ときどき出くわすのがこういう考え方です。多くの人が「おかしい」「正しくない」と思っているのに、そのことが是正されない、なくならないということについて、そういうことを行った人のせいに矮小化してしまう考え。
また、同時に真剣に考えている人の中にも、「おかしいと思う人が増えれば是正できる」という人はいます。これらはどちらも同じものの見方、考え方が根本にあります。
こういう考え方では、現状をきちんと見極めることさえできません。「おかしい」と思うことは大切ですが、では、圧倒的多数の人が「いやだ」と思っている戦争は、なぜなくならないのでしょうか。
人の行動には「動機」が存在します。「こう思ったからこういう行動をとった」ことになるわけですから、一見すると、「いやだ」と多数の人が思えばそのようになるはずだと考えるのは無理もないことですが、本当にそうはならないことを現実は示していますよね。
一つ一つのいじめの背景にはいろんな要因があるため、根本的な問題がどこにあるのかを見つけ出すのは容易ではありません。が、「いじめる子が悪人だから」「いじめる子の親のしつけがなってないから」いじめが起こると考えるのは明らかに間違っています。
社会の構造、現在の仕組みからいじめが起こる原因が発生していることは否定できないことと思います。
大人社会にもいじめがあり、仕事が続けられなかったという話はよくありますし、パワハラやセクハラも立派ないじめです。
いじめの問題を簡単に解決することが難しいことの一つは、その原因の根の深さ、背景の大きさもあると、私は思います。同時に、今いじめられていて、助けを必要とする子に対して、心身を守るための措置はすぐにでも必要です。そういう仕組みづくりもしながら、本当の民主主義の社会をつくる努力も必要だと思います。
「だれもがいていい社会」とはすなわち、民主主義社会です。