境川上流付近のようす。○がスタート地点。右下に蛇行する境川があります(周囲を緑に囲まれている)。
右に折れて境川沿いを歩きます。
この川が都県境とは見えません。
このあたりの水量は少ない。
広い道に出ます。「川境(かわざかい)橋。
橋の向こう(右岸)は「神奈川県相模原市」。
こちら(左岸)は東京都町田市。
通りを渡り、境川沿いの道を。
対岸は、相模原市。
左岸は、ほぼ町田市。町田市のマンホール。
中央に市章、周りに市の花サルビアの花を放射状に描いている。
町田市は、マンホールのデザインを公募し、カラフルなものにしました。
そのいくつかを紹介。
(「」HPより)
この先からは激しく蛇行します。
左の通りは、町田街道。
※町田街道
江戸後期から明治期には、八王子を集荷地とし横浜港の輸出を結び最大の貿易商品絹を運ぶ街道(いわゆる八王子街道・神奈川往還)として繁栄し、現在は「絹の道」と名づけて記念している。八王子と横浜のほぼ中間となる原町田が中継地だったことで市街地も発展し、これを記念して町田駅前の旧道に「絹の道」の碑が立てられている。なお、町田街道とは別に浜街道と呼ばれる絹の道のルートも存在する(浜街道は現在の国道16号の旧道に相当する。町田街道が旧来の道を幅を広げ発展したのに対し、浜街道は軍都計画のため、明治期以降全くの新しい道に姿を変えてしまった)。
ただし、当時の「絹の道」は、八王子との間の山越えのルートは国道16号に近い八王子市鑓水付近を通っており、それよりも西の八王子市館町付近を通る現在の町田街道とは、北西部の一部で経路が異なる。
また、滝の沢付近から相原町にかけて明治以前のものと思われる旧道の名残が存在しており(区画整理によって分断されたところも)、道沿いには神社仏閣、道祖神や地蔵尊、一里塚などが残っている。(「Wikipedia」より)
護岸工事が進み、蛇行地点周囲も整備されています。
町田街道沿いの幼稚園に、「大戸學校跡」碑。
「風戸橋」。
右岸は、相模原市、左岸は、町田市。
「法政大学入口」交差点。
ここを右折し、境川沿い道へ。
上流を振り返る。
護岸整備が進んでいます。
蛇行が激しい。
石柱。何かは、不明。
都営武蔵岡アパート。
右は、相模原市側。
地下が遊水池?
かつての流れ跡が家庭菜園に。
この一部は、相模原市になっているようです。