くっきり見える富士山。
駅前では、土・日・祭日に関係ない外国人観光客ならでは光景が繰り広げられる。
「富士山麓電気鉄道」。
「モ1号」。
河口湖へ向かいます。河口湖町マンホール。
中央に富士河口湖町の町章、町の花の月見草をデザイン。
・・・
老婆も何かしら、私に安心していたところがあったのだろう、ぼんやりひとこと、
「おや、月見草。」
そう言って、細い指でもって、路傍の一か所をゆびさした。さっと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残った。
三七七六メートルの富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合う。
(太宰治『富岳百景』より)
・・・
途中にあった「掘抜き史跡館」。
解説板。
開館していませんでした。
河口湖。
富士五湖の中で最も長い湖岸線を持ち、最も低い標高地点にある。面積は富士五湖では2番目の大きさで、最大水深は精進湖とほぼ同じで14.6メートルを測る。
湖の中央に鵜の島(鸕鷀島)と呼ばれる小さな島がある。また、産屋ヶ崎は富士山展望の好適地とされているほか、乳ヶ崎、小曲岬(子轉ヶ崎)、長崎(胞ヶ崎)などの景勝も存在する。
「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている。
河口湖には天然の流出口がないため、古来より大雨により増水し、湖岸の村々に洪水被害を出した。一方で、山を挟んだ東の新倉村(現・富士吉田市新倉)では透水性の溶岩台地が広がり、水利に乏しく、湖水を新倉方面へ通水させる用水路の開発が求められていた。全長3.8キロメートルを測る日本最長の手掘りトンネルといわれる新倉掘抜は江戸時代初期から工事が行われ、曲折を経て江戸後期の1866年(慶応2年)に完成し、新倉村は河口湖の水利権を保持している。1911年には新たなトンネルが掘削されたため、それ以降、新倉掘抜は利用されていない。
現在は、1917年に竣工した第二嘯川(東京電力の放水路)と1994年に完成した嘯治水トンネルを合わせた、嘯(うそぶき)川から構成される放水路により、宮川に放水される。この宮川は桂川(=相模川)の支流であるため、河口湖は相模川水系に属している。
湖の東には三つ峠、北には御坂山地の黒岳、節刀ヶ岳が連なり、さらに西には十二ヶ岳がそびえる。南側は開け、そこに富士山が山容を見せ、湖面に写る逆さ富士は、湖の優れた景勝である。
ブラックバスが遊漁の対象として公的に認められている湖であり、マス類の放流もバスと共に盛んであるため、周囲には貸しボート店や釣具屋が多く、さらにはコンビニにまで釣り具が置いてある。全国的にもバスフィッシングのメッカとして知られており、連日多くの釣り人が訪れる。ただし、湖底にソフトルアーが大量に残されていることが問題視され、2007年に、芦ノ湖に次いでソフトルアー使用禁止の湖となった。(「Wikipedia」より)
河畔のホテル、土産物屋街。
湖上には「河口湖大橋」。
河口湖大橋は、国立公園特別地域に建設されるものとしては日本で初めての橋。1987年には、優れた自然観光のもとで美しい景観をもつ道路として富士スバルラインとともに「日本の道100選」に選ばれている。
紅葉が始まっています。
観光案内図。
タッチ&ゴーですが、再び「河口湖駅」に戻ります。
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