『蜘蛛の糸』のなかでいちばん無慈悲なのはお釈迦様ではないか

2015年05月06日 | 日記
図書館の子どもコーナーで6歳の娘がこれ読んでーと持ってきた絵本が、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』でした。

げっ、なんでこんなん持ってくるんやろ?いっぺんも読んでやったことも、話して聞かせてこともないのに…適当に絵とかで選んだのかな?どうしようか…怖いお話だしまた今度ね、とか言ってやめようか…

少し迷ったけれども、ちゃんと読んでやることにしました。

悪事を働き、死後地獄に落ちて苦しんでいるカンダタを、極楽にいるお釈迦様が蓮の池から見ていました。カンダタは悪党でしたが、たった一つだけよいことをしたことがありました。
一匹の蜘蛛を踏み殺さずに見逃し、命を助けてやったのです。
お釈迦様はそのことを思い出し、カンダタを地獄から救ってやるため、銀色の糸を地獄にたらしました。
キラキラと輝く銀色の糸をみつけたカンダタは、チャンス到来とばかりにその糸をつかみ、どんどん登っていきました。
ずいぶん登ったところでふと下を見ると、なんと地獄の罪人たちがびっしりと後についてきています。
こんな細い糸にあんな大勢がぶらさがっては切れてしまう、そう思ったカンダタは罪人たちに向かって「下りろ下りろ!」ど怒鳴り脚で蹴落とします。
その途端、今までなんともなかった糸がプツンと音をたてて切れてしまい、カンダタは独楽のようにくるくる回りながら、血の池に堕ちてしまいました。

「もっぺん読んで」というので、もっぺん読んでやりました。

6歳の娘がこの話を理解したとは思えない。
4月に祖父が亡くなって以来「死」という言葉をよく口にする。「骨だけになった?」「お墓に鍵かけてある?」「病気で死んじゃった?」など数日おきぐらいに聞いてくる。『蜘蛛の糸』を読んでほしいと言ってきたのも、もしかしたらなにか関係があるのかもしれない。

芥川はこの本で人間のエゴイズムを描いたようだが、私はそれよりもお釈迦様の冷淡さに悲しくなった。
お釈迦様は、自分ばかり地獄から抜け出そうとしたカンダタの無慈悲で身勝手な行為を浅ましく思い悲しまれたようだが、そのような人間は救うに値せず、というのだろうか。

仏の教えとはこのようなものなのか。

蜘蛛の糸を2回繰り返し読んで、お釈迦様のきまぐれな行為にとても悲しくなった
コメント (2)
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