上・新本時計争議解決の労資覚書(1926.7.25)の写し
亀戸の中小企業労働者勝利スト! 新本時計貴金属工場争議 1926年の労働争議(読書メモ)
参照 「協調会史料」
東京府下亀戸町の中小企業、新本時計及貴金属工場(労働者55名)は、時計その他の貴金属製造会社であったが、1926年7月19日、工場長から労働者の大幅賃下(労働単価の値下)が発表された。東京合同労働組合所属の親工会に加盟していた新本時計の労働者55名全員は、その夜、急遽東京合同労働組合本部事務所に集合協議し、賃下絶対反対を決議した。翌20日労働者代表3名が江原工場長に賃下撤回を強く申し入れたが、工場長はこれをすぐに拒絶してきた。
(スト決行)
21日、東京合同本部事務所に集結した55名全員はストライキを決行した。
22日正午、労働者代表9名は江原工場長と交渉し、あらためて賃下反対を申し入れたが、工場長が再び拒絶した為、午後1時交渉を打ち切り工場前で55名全員で工場側の不当性を抗議し糾弾の叫びをあげ続けた。その直後工場は賃下を一部撤回してきた。しかし、労働者側は「到底妥協の余地なし」と返答した。
(関東金属労働組合本所第三工場分会創立大会)
22日、東京合同労組の新本時計の組合員とその他計80名の労働者は、新たに関東金属労働組合本所第三工場分会を創立した。創立大会では今後の新本時計争議の勝利に向けた組織的陣形の強化を確認しあった。
23日、労働者代表5名は江原工場長と交渉し、従来通りの賃金支給をすべしと強硬に主張した。工場長は「従来通りの支給はむずしいが、責任を持って工賃の1割値上げを約束する」と回答した。
24日午後4時、労働者代表9名と江原工場長の交渉が行われた。
(争議勝利)
7月25日午後10時、ついに「今迄通りの賃金支給」と「争議費用金500円」で労資の合意が成立した。55名の5日間ストライキによる全面勝利だった。27日より一同就業についた。