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職場のサボタージュ闘争で勝利した藤田鉱業株式会社西島製作所争議―1928年の労働争議
参照・協調会史料
藤田鉱業株式会社西島製作所―排水用灌漑用ポンプ製造では国内第一の有名工場
場所 大阪区北区堂島
労働組合 総同盟大阪金属労働組合西島製作所支部 130名(職場のほぼ全員)
争議発生日 1928年3月10日
(組合結成)
1927年11月に総同盟大阪金属労働組合西島製作所支部創立発会式が挙行され、職場の労働者ほぼ全員の130名が支部に加盟した。低賃金の上、解雇・退職手当や皆勤手当もないばかりか、工場内の福利施設は大資本工場と比較すると全く不十分であったにも関わらず、総同盟大阪金属労働組合は【西島製作所は総同盟の締付工場】と称していた。
*【総同盟の締付工場】とは、労資の有利な力関係と主導権を自分たちが握っていて労働者の待遇や労働条件は良い工場だと総同盟が自慢する言い方。
(一般組合員の不満)
総同盟が締付工場といくら自慢しても、逆に西島製作所の一般組合員の会社への不満は高まっていった。
1928年3月10日午前中の休憩時間に自ら西島製作所職工大会を開催し、112名の賛成により嘆願書の提出を決めた。
嘆願書
一、解雇手当の制定
二、退職手当の制定
三、賃金の値上げ
四、定期昇給
五、皆勤手当
六、家賃補助
七、就業時間の改正(従前の通り、午前7時より午後3時40分にすべき)
八、賃金支給日を月二回とすべき
西島従業員一同
昭和三年三月十日
(職場で連日サボタージュ闘争)
3月11日は日曜日であったが、工場は業務多忙のため操業したが、出勤してきた労働者は半ばサボタージュ状態であった。翌日からもサボタージュ闘争は更に激しくなり、ほとんどの労働者が決起し仕事をしなかった。130名の果敢な職場闘争が連日続いた。こうした労働者自身の闘いで、本当の意味で職場の主導権を労働者が握って勝利した。
(解決)
3月16日、労資交渉で下記の条件が合意され争議は終了した。
解決条項
一、解雇手当の制定
一ヵ年未満 日給34日分
一ヵ年以上は一ヶ月増す毎に日給2日分を増す
五ヵ年以上は勤続一ヶ月増す毎に日給2日半分を増す
十ヵ年以上は勤続一ヶ月増す毎に日給3日分を増す
但し、不都合の行為により解雇する場合は支給せず
二、退職手当の制定
一ヵ年以上三年までは解雇手当の三分の一
三ヵ年以上は解雇手当の二分の一
三、定期昇給は年2回実施
四、皆勤手当日給の3日分を支給
昭和三年三月十六日
その他、「家賃補助」は保留扱いとされ、ここの解決条項には入っていないが、ほどなく実現する見込み。
以上