納得とは
最もだと認めること
最もとは
何よりも確か
認めるとは
確かだと受けとめる
確かとは
しっかり、間違いない、安心
「自分が納得できる、自分の生き方とは」
何よりも一番しっかりした安心感を感じ、それで間違いはない、自分にとって正しいと、自分がはっきりと認めることができる生き方だ
それは
自分のはからいで、できるものではない。自分の頭と心を空っぽにして、その状態で湧く一念に忠実になることで、何よりもしっかりした安心感を感受し、これでよしと、自分の生き方を認めることができるんだ
だけど
問題が起きたときに「自分が何とかしなくてわ」と、義務感と責任感とが重くのしかかり、心地悪くなる。余計な荷物は自分勝手に作るものだ
他力を忘れて、自我業が心を占める
だけどすぐに察するのです。私の力では解決できないどころか、間違った思想や感情がうかぶということを。仏は「わたしを頼れ!救う」という本願を立てて存在しているということを
私は人に直接甘えて頼ることは苦手です
だから、頭と心を空っぽにして、仏におまかせしよう。。と思うのです
南無阿弥陀仏
自分の頭と心が無い分
仏の智慧と慈悲の一念が
頭と心に熏習していく
私は何にもできません
仏さまお救いください
と頼むことしかできません
全体世界からの助けは
空っぽになった頭や心に浸透し
自分の考えや思いと紙一重だから
自分の力だと勘違いしがちでしたが、今はもう、仏の他力の助けであると信じている
「こんな私にありがとうございます」である
何もないときは報恩感謝の念仏をあげ、問題が起きたら仏に頼る念仏をあげる
それだけの人生
つまり念仏をあげても、問題は次次とやってくるのです
ですが他力本願を信じるということは、、何ていうか、納得できる生き方なんです