井村宏次さんが2月23日に亡くなった。一昨年辺りから体調を崩し、入退院しておられたが、ついにこの冬を乗り切ることが出来なかった。何とも残念で、悲しく、言いようがない。
もう30年の付き合いになる。その間、公私ともにお世話になってきた。お書き頂いた原稿の数は膨大であり、翻訳を含めれば、私が編集・出版に携わってきた井村さんの本は10冊を超える。
天下茶屋にあった研究所兼治療院に何度もうかがい、本と実験道具などで足の踏み場もないような場所で深夜2時頃まで話をし、更にその後スタッフの方たちと共に喫茶店に行き、明け方まで話をした、というか帰してくれなかった。その頃私が編集していた雑誌Az(アズ)はこうした中で井村さんと二人三脚で作っていた。
その天下茶屋から、世界トップレベルのキルリアン研究、気の実験的研究、超心理研究が続々と発信されてきたのだ。そして鍼灸治療家でもあった井村さんのもとから、内外の多くの治療家が巣立っていった。
患者さんの病気を診る立場でありながら、睡眠時間を極端に減らし、患者さんの治療のほかに、実験と研究と執筆、更に作曲に邁進するという超人的な姿を見るにつけ、何時倒れてもおかしくない危うさにハラハラしていたものだ。そしてついにその日が来てしまった。
病状が相当悪化したため、もしや井村さんの最後の本になるのではないかと怖れつつ編集作業を進めていた『霊術家の黄金時代』の完成を目にすることなく逝ってしまわれた。新たに新原稿を書き加えたいので春まで待ってくれと言われ、桜の咲く頃には書き上がるだろうかと、回復を祈るような気持ちで待っていた。名著『霊術家の饗宴』の後、求めに応じて書いていただいた原稿を集めたものだが、大宮司朗氏に序文を寄稿いただき、遅くともこの5月には刊行し、ご仏前に供えたいと思っている。
井村さん、またお会いしましょう。
もう30年の付き合いになる。その間、公私ともにお世話になってきた。お書き頂いた原稿の数は膨大であり、翻訳を含めれば、私が編集・出版に携わってきた井村さんの本は10冊を超える。
天下茶屋にあった研究所兼治療院に何度もうかがい、本と実験道具などで足の踏み場もないような場所で深夜2時頃まで話をし、更にその後スタッフの方たちと共に喫茶店に行き、明け方まで話をした、というか帰してくれなかった。その頃私が編集していた雑誌Az(アズ)はこうした中で井村さんと二人三脚で作っていた。
その天下茶屋から、世界トップレベルのキルリアン研究、気の実験的研究、超心理研究が続々と発信されてきたのだ。そして鍼灸治療家でもあった井村さんのもとから、内外の多くの治療家が巣立っていった。
患者さんの病気を診る立場でありながら、睡眠時間を極端に減らし、患者さんの治療のほかに、実験と研究と執筆、更に作曲に邁進するという超人的な姿を見るにつけ、何時倒れてもおかしくない危うさにハラハラしていたものだ。そしてついにその日が来てしまった。
病状が相当悪化したため、もしや井村さんの最後の本になるのではないかと怖れつつ編集作業を進めていた『霊術家の黄金時代』の完成を目にすることなく逝ってしまわれた。新たに新原稿を書き加えたいので春まで待ってくれと言われ、桜の咲く頃には書き上がるだろうかと、回復を祈るような気持ちで待っていた。名著『霊術家の饗宴』の後、求めに応じて書いていただいた原稿を集めたものだが、大宮司朗氏に序文を寄稿いただき、遅くともこの5月には刊行し、ご仏前に供えたいと思っている。
井村さん、またお会いしましょう。