常行院 御忌会
令和6年3月10日9:00-12:00
常行院
◇今日は御忌会です。
*法然上人が浄土宗を開いてから、お念仏の教えはそう時間を要することなく、各地に広まりました。「誰にでも」というやさしい教えであったことはもちろん、きっと上人のお人柄にじかに触れ、あるいは耳にして、という人も少なくなかったに違いありません。そんな上人を、滅後も慕い、恩に報いたいとの思いが人々の心に芽生えたのはごく自然のことだったでしょう。建暦2年(1212)、上人は80歳で往生されます。御廟所(墓所)には大勢の弟子や上人を慕う人々が集い、毎月・毎年の忌日には法要「知恩講」が勤められました。これが「御忌」のルーツともいえるでしょう。
上人の忌日法要を正式に「御忌」と呼ぶようになったのは戦国時代の大永3年(1523)、後柏原天皇が知恩院に送った詔書に「毎年1月、京都とその周辺地域の浄土宗僧侶を集め、〝法然上人御忌〟として7日間勤めよ」とあることによります。「御忌」は天皇や皇后、また高僧などの年忌法要を指す語でしたが、江戸時代になると〝「御忌」といえば法然上人の忌日法要〟と一般に定着、春の季語としても親しまれるようになります。
令和6年3月10日9:00-12:00
常行院
◇今日は御忌会です。
*法然上人が浄土宗を開いてから、お念仏の教えはそう時間を要することなく、各地に広まりました。「誰にでも」というやさしい教えであったことはもちろん、きっと上人のお人柄にじかに触れ、あるいは耳にして、という人も少なくなかったに違いありません。そんな上人を、滅後も慕い、恩に報いたいとの思いが人々の心に芽生えたのはごく自然のことだったでしょう。建暦2年(1212)、上人は80歳で往生されます。御廟所(墓所)には大勢の弟子や上人を慕う人々が集い、毎月・毎年の忌日には法要「知恩講」が勤められました。これが「御忌」のルーツともいえるでしょう。
上人の忌日法要を正式に「御忌」と呼ぶようになったのは戦国時代の大永3年(1523)、後柏原天皇が知恩院に送った詔書に「毎年1月、京都とその周辺地域の浄土宗僧侶を集め、〝法然上人御忌〟として7日間勤めよ」とあることによります。「御忌」は天皇や皇后、また高僧などの年忌法要を指す語でしたが、江戸時代になると〝「御忌」といえば法然上人の忌日法要〟と一般に定着、春の季語としても親しまれるようになります。
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