もうその人とは、ずーっと前から
「海を見に行こう」
って言い合っていたから、ぼくたちにとって、その日が今日になるということは、むしろ遅いぐらいなのだった。
前日、学校近くの、夜のマクドナルドで
「あした行こうか」
ってことになったのだった。言ったのはぼくだ。
でも、ぼくはいつもたいてい、友だちとの話の中で「どこどこに行きたいね」という流れになったら、とりあえず
「じゃあ、明日行こうよ」
と言ってみるのだ。
この「じゃあ明日」のクセは、もう死んでしまったぼくのおじいさんが、たった一度だけ言ったせりふで、それをぼくが気に入って使っているのだ。
ぼくの住んでいるところからおじいさんの家までは、朝から晩まで車で走ってやっと着く距離だった。だから、いつも夏休みや冬休みにしか会えなかったのだけれども、いつかぼくが
「また遊びに来るからね。おじいちゃんも、来ていいよ」
と言うと
「じゃあ明日行くから!」
と涙ぐむのだった。
この「じゃあ明日いこうか」というのがそのまま実行に移されたのは、めったにないことだった。
いつもぼくのことばは笑いとして消えていったような気がする。だいたいいつも、半分本気で、半分冗談なのだ。
そんなわけで、トントンと話が進んで、珍しく「エイッ」と助走をつけるようなかんじで、海に行くことになったのだった。
ぼくといっしょに行く女の人には、恋人がいて、ぼくはぼくの恋人に、ふられたばかりなのだった。もうその人のことは考えまいとしていたのだけども、やっぱり一日二日で簡単に振り切れるものではない。
だからぼくは一緒に行く人に申し訳なかったし、その人の恋人にも申し訳なかった。
西宮を過ぎると、街並みがきれいになって、白いマンションがさんぜんと立ち並ぶ景色になっていった。
そのあいだから神戸タワーがチラチラと見えて、そのうちに三宮に着いた。
海浜公園駅の次の、須磨駅でぼくたちは降りた。駅の前はすぐに砂浜になっている。駅でビールやポテトチップを買って、もう使っていない桟橋でカンパイした。
駅の前がすぐに砂浜になっているので、友だちはすごく感動していた。それまでは眠たそうだったのだけれども、目の前の浜辺に、眠気もどこかに行ってしまったようだった。
それから、貝がらを拾った。
家を出てから、いろいろ忘れ物をしていることに気付いたのだけれども、貝がらを入れる袋だけは忘れずに、カバンの中に入っていた。
貝がらは砂浜じゅうに落ちていて、ほとんどが二枚貝だった。ごくたまに巻き貝が見つかって、彼女はそれを耳に当てて「なんか聞こえる」と言っていたのだけれども、波の音がいつもしているので、なにかそれはちょっとヘンな気がした。
砂浜は長細く、どこまでも続いていて、貝がらもあちらこちらに点々とまとまってうちあげられていた。
手のひらぐらいもある二枚貝の貝がらや、きれいなシマシマの模様の貝がらを拾っていた。
ぼくは、長い間風に吹かれて砂に削られた白い貝がらばかりを拾った。ほのかに模様が残っていたり、輝くばかりの白さのものだったり、今一番キレイだと感じているものばかり拾った。
空模様はあいにくで、最初だけすこし日がさしたきり、あとは雲が覆ってしまい、うすく太陽の輪郭が透けて見える程度なのだった。
ぼくはそのとき、なぜだかわからないのだけれども、この真上にある雲は四角すいなんだろうな、と思っていた。
でっかい四角すいの雲は、雲とぼくらとの間の距離の、その何倍もの大きさで空に立ち上がっているのだろうか、と想像した。
このまま貝がらを拾い歩いて、次の駅のところまで行こうということになった。
風が強かったので、コンタクトレンズをしていた友だちは辛そうだった。目薬がもう残り少ないと言った。
曇り空の、雲より低く、飛行機が飛んでいた。
砂浜はゆるい斜面になって、途中から水につかっている。この砂浜の斜面になにかを描いたなら、それはあの飛行機に届くのだろうか。
あの飛行機からこの砂浜はきっと見えるはずで、それはやがてどんどん小さくなっていって、神戸の港と、大阪港の輪郭のなかに消えてしまうんだろう。
小さいボートがくくりつけられているだけの桟橋に上がってみた。
そこには二艘のボートがゆらゆらゆれているだけだったのだけれども、桟橋としてはとても頑丈なコンクリートでできていて、それは防波堤とおなじようなしつらえだった。
「バス停みたい!」
とぼくはパッと言ったのだけれども、橋の両脇に門のような、電柱のようなものがすえつけられていた。ここからバスが発着すればいいのにと、そのバスがうちの近くに停まればいいのにと思った。いつでも来られるように。
そこには他の誰かが置いたのだろう、イソギンチャクとヒトデが並べてあった。ぼくが海に投げると、イソギンチャクは泡を出して沈んでいった。ヒトデはくるくると舞ったり、ヒラヒラしたりしながら、やっぱり下に落ちていったけれども、ひとつだけ浮いたままのやつがあった。
貝がらを拾っていると、友だちはフジツボがキライらしいということがわかってきた。貝を拾って喜んでいるのに、フジツボは見るだけでもイヤ! という態度なのだった。
なぜなのかはわからないけれども、たいがいぼくもフジツボに足を傷だらけにされたことがある。嫌う理由はわからないでもない。
「フジツボだって いいじゃない 貝だもの」
とことばで遊んでみたら、その人はしずかに笑ってくれた。
けれども、あとになって調べてみると、フジツボは貝ではなかった。
それから、海浜公園のやしの木の下で、ふたりで他愛もない話をしたけれども、それらは風みたいに、すぐにどこかへ流れてしまって、今はなにを話したのかあまり覚えていない。
けれども、その人の手がすごく冷たかったこととか、それでぼくが手袋を貸してあげたこととか、覚えている。でもぼくはぼくのポケットがすごくあたたかかった。
四角すいの雲はまだまだ空を覆っていて、あいかわらず寒かったのだけれども、ぼくたちはなかなかそこから動かなかった。
むこうの砂浜で、そのまたむこうの波打ち際で、カップルが座り込んでいたり、上着を着せてあげたりしていた。
けれどもぼくたち二人は、二人であるのにもかかわらず、ひとつではなかった。
学校に行けばいつでも会える人なのだけれども、ふたりで出かけるのは本当は、実は、すごく難しいことなんじゃないか、と思った。
てっとりばやく、片方が片方を好きになれば、あるいは両方が好きになってしまえば、出かけるのは簡単になるだろう。
だけどそれはできないって思っていて、わかっている。
やしの木の下で、二人で、二人の写真を、なんども撮った。
「海を見に行こう」
って言い合っていたから、ぼくたちにとって、その日が今日になるということは、むしろ遅いぐらいなのだった。
前日、学校近くの、夜のマクドナルドで
「あした行こうか」
ってことになったのだった。言ったのはぼくだ。
でも、ぼくはいつもたいてい、友だちとの話の中で「どこどこに行きたいね」という流れになったら、とりあえず
「じゃあ、明日行こうよ」
と言ってみるのだ。
この「じゃあ明日」のクセは、もう死んでしまったぼくのおじいさんが、たった一度だけ言ったせりふで、それをぼくが気に入って使っているのだ。
ぼくの住んでいるところからおじいさんの家までは、朝から晩まで車で走ってやっと着く距離だった。だから、いつも夏休みや冬休みにしか会えなかったのだけれども、いつかぼくが
「また遊びに来るからね。おじいちゃんも、来ていいよ」
と言うと
「じゃあ明日行くから!」
と涙ぐむのだった。
この「じゃあ明日いこうか」というのがそのまま実行に移されたのは、めったにないことだった。
いつもぼくのことばは笑いとして消えていったような気がする。だいたいいつも、半分本気で、半分冗談なのだ。
そんなわけで、トントンと話が進んで、珍しく「エイッ」と助走をつけるようなかんじで、海に行くことになったのだった。
ぼくといっしょに行く女の人には、恋人がいて、ぼくはぼくの恋人に、ふられたばかりなのだった。もうその人のことは考えまいとしていたのだけども、やっぱり一日二日で簡単に振り切れるものではない。
だからぼくは一緒に行く人に申し訳なかったし、その人の恋人にも申し訳なかった。
西宮を過ぎると、街並みがきれいになって、白いマンションがさんぜんと立ち並ぶ景色になっていった。
そのあいだから神戸タワーがチラチラと見えて、そのうちに三宮に着いた。
海浜公園駅の次の、須磨駅でぼくたちは降りた。駅の前はすぐに砂浜になっている。駅でビールやポテトチップを買って、もう使っていない桟橋でカンパイした。
駅の前がすぐに砂浜になっているので、友だちはすごく感動していた。それまでは眠たそうだったのだけれども、目の前の浜辺に、眠気もどこかに行ってしまったようだった。
それから、貝がらを拾った。
家を出てから、いろいろ忘れ物をしていることに気付いたのだけれども、貝がらを入れる袋だけは忘れずに、カバンの中に入っていた。
貝がらは砂浜じゅうに落ちていて、ほとんどが二枚貝だった。ごくたまに巻き貝が見つかって、彼女はそれを耳に当てて「なんか聞こえる」と言っていたのだけれども、波の音がいつもしているので、なにかそれはちょっとヘンな気がした。
砂浜は長細く、どこまでも続いていて、貝がらもあちらこちらに点々とまとまってうちあげられていた。
手のひらぐらいもある二枚貝の貝がらや、きれいなシマシマの模様の貝がらを拾っていた。
ぼくは、長い間風に吹かれて砂に削られた白い貝がらばかりを拾った。ほのかに模様が残っていたり、輝くばかりの白さのものだったり、今一番キレイだと感じているものばかり拾った。
空模様はあいにくで、最初だけすこし日がさしたきり、あとは雲が覆ってしまい、うすく太陽の輪郭が透けて見える程度なのだった。
ぼくはそのとき、なぜだかわからないのだけれども、この真上にある雲は四角すいなんだろうな、と思っていた。
でっかい四角すいの雲は、雲とぼくらとの間の距離の、その何倍もの大きさで空に立ち上がっているのだろうか、と想像した。
このまま貝がらを拾い歩いて、次の駅のところまで行こうということになった。
風が強かったので、コンタクトレンズをしていた友だちは辛そうだった。目薬がもう残り少ないと言った。
曇り空の、雲より低く、飛行機が飛んでいた。
砂浜はゆるい斜面になって、途中から水につかっている。この砂浜の斜面になにかを描いたなら、それはあの飛行機に届くのだろうか。
あの飛行機からこの砂浜はきっと見えるはずで、それはやがてどんどん小さくなっていって、神戸の港と、大阪港の輪郭のなかに消えてしまうんだろう。
小さいボートがくくりつけられているだけの桟橋に上がってみた。
そこには二艘のボートがゆらゆらゆれているだけだったのだけれども、桟橋としてはとても頑丈なコンクリートでできていて、それは防波堤とおなじようなしつらえだった。
「バス停みたい!」
とぼくはパッと言ったのだけれども、橋の両脇に門のような、電柱のようなものがすえつけられていた。ここからバスが発着すればいいのにと、そのバスがうちの近くに停まればいいのにと思った。いつでも来られるように。
そこには他の誰かが置いたのだろう、イソギンチャクとヒトデが並べてあった。ぼくが海に投げると、イソギンチャクは泡を出して沈んでいった。ヒトデはくるくると舞ったり、ヒラヒラしたりしながら、やっぱり下に落ちていったけれども、ひとつだけ浮いたままのやつがあった。
貝がらを拾っていると、友だちはフジツボがキライらしいということがわかってきた。貝を拾って喜んでいるのに、フジツボは見るだけでもイヤ! という態度なのだった。
なぜなのかはわからないけれども、たいがいぼくもフジツボに足を傷だらけにされたことがある。嫌う理由はわからないでもない。
「フジツボだって いいじゃない 貝だもの」
とことばで遊んでみたら、その人はしずかに笑ってくれた。
けれども、あとになって調べてみると、フジツボは貝ではなかった。
それから、海浜公園のやしの木の下で、ふたりで他愛もない話をしたけれども、それらは風みたいに、すぐにどこかへ流れてしまって、今はなにを話したのかあまり覚えていない。
けれども、その人の手がすごく冷たかったこととか、それでぼくが手袋を貸してあげたこととか、覚えている。でもぼくはぼくのポケットがすごくあたたかかった。
四角すいの雲はまだまだ空を覆っていて、あいかわらず寒かったのだけれども、ぼくたちはなかなかそこから動かなかった。
むこうの砂浜で、そのまたむこうの波打ち際で、カップルが座り込んでいたり、上着を着せてあげたりしていた。
けれどもぼくたち二人は、二人であるのにもかかわらず、ひとつではなかった。
学校に行けばいつでも会える人なのだけれども、ふたりで出かけるのは本当は、実は、すごく難しいことなんじゃないか、と思った。
てっとりばやく、片方が片方を好きになれば、あるいは両方が好きになってしまえば、出かけるのは簡単になるだろう。
だけどそれはできないって思っていて、わかっている。
やしの木の下で、二人で、二人の写真を、なんども撮った。
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